西秋良宏「ヒトと文化の交替劇、その多様性―あとがきにかえて―」
西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文はおもにユーラシアを対象に、「交替劇」の様相を概観しています。この「交替劇」の様相については、大幅に改良された放射性炭素年代測定法によって、以前よりも信頼度の高い推定年代が得られるようになったので、近年になって大きな進展があった、と本論文は指摘しています。本論文の挙げる「交替劇」についてのもう一つの大きな進展は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やデニソワ人(種もしくは亜種区分未定)と現生人類との交雑が明らかになったことで、これにより「交替劇」の前提の一つが大きく変わったことになります。
本論文は、考古学的変化と人類集団の交替とは必ずしも一致しない、ということを改めて強調しつつ、各地の「交替劇」を概観しています。本論文は、アフリカから現生人類が拡散したさいの文化変容を、拡散元と拡散先の自然環境の類似もしくは相違、先住集団の存在もしくは不在という観点から、4通りに区分しています。先住集団が存在していない場合は、自然環境が類似だとA1で相違しているとA2、先住集団が存在している場合は、自然環境が類似だとB1で相違しているとB2と区分されています。
たとえば、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5のアラビア半島の中部旧石器文化は、アフリカの現生人類が、先住人類の不在もしくはきわめて少ないアラビア半島へと、そのまま拡散元の文化を持ち込んだ事例(上記区分ではA1)として解釈できそうです。ザグロスでは、自然環境の異なるアラビア半島と同じく、現生人類がアフリカから持ち込んだと思われる両面加工石器が中部旧石器時代の遺跡で発見されています。しかし、それと共伴しているのはザグロスのムステリアン(Mousterian)であり、ザグロスに進出した現生人類からネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)へと文化が継承された可能性が指摘されています(上記区分ではB2)。上部旧石器時代開始の指標ともされるレヴァントのエミラン(Emiran)は、アフリカ北部のタラムサン(Taramsan)との類似が指摘されていますが、完全には一致していないことから、上記区分ではB1とされています。
ヨーロッパでは「交替劇」の時期に、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期文化」とされる石器群が複数系統出現します。本論文は、ハインリッヒイベント(HE)5の後にネアンデルタール人が激減していたとすると、東・南東ヨーロッパのボフニチアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)は、上記区分のA1とも考えられるとしつつも、これらの「移行期文化」が交雑により拡散した可能性も考慮に入れています。同じくヨーロッパの「移行期文化」とされるシャテルペロニアン(Châtelperronian)やウルツィアン(Ulzzian)については、エミラン系石器群とネアンデルタール人のムステリアンとの融合という可能性を指摘しつつも、その起源は不明だとしています。
ヨーロッパや西アジアよりも東方の地域は、遺跡の発掘密度や研究の蓄積や年代の信頼性などの点で、西方の地域よりも劣っているため、「交替劇」の様相を正確に把握するのが難しくなっています。この地域に関しては、「交替劇」の期間である中部旧石器時代~上部旧石器時代にかけての連続性が強調されることが多いのですが、その根拠とされる推定年代の見直しが必要だろう、と本論文は指摘しています。この「交替劇」の期間に中央アジアから東アジアにかけて広範に存在するエミラン系石器群については、類似した環境で人口が希薄だった地域に拡散した可能性を本論文は指摘しています(上記区分ではA1)。
南アジアの「交替劇」の様相もはっきりとしないようです。本論文は、南アジアの中部旧石器時代の遺跡において、上述したザグロスのムステリアン遺跡でも発見される両面加工石器が確認されることから、現生人類が両面加工石器を南アジアに持ち込み、先住人類が継承した後に、再度現生人類が南アジアへと進出し、上部旧石器文化をもたらした可能性を提示しています。さらにその東方のオーストラリア(サフルランド)に関しては、現生人類が進出していないのに、南アジアで見られる現生人類が持ち込んだであろう細石器や両面石器が確認されていないことから、中国南部からオーストラリアへの現生人類の進出も考えられる、と本論文は指摘しています。
本論文はまとめとして、「交替劇」の様相を3通りに区分しています。一つは、中部旧石器文化の後に本格的な上部旧石器文化が到来し、そのまま継続する場合です(1)。次に、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期文化」が見られ、その担い手は現生人類か現生人類と先住人類との交雑集団で、その後に本格的な上部旧石器文化が出現する場合です(2)。もう一つは、中部旧石器時代~上部旧石器時代の交替が判然としない場合です(3)。
(1)に該当する地域は、エミラン系石器群が見られず、ムステリアンの直後に本格的な上部旧石器文化の出現する南コーカサスやザグロスなど少なく、高緯度北極圏やオーストラリア(サフルランド)など、無人地域に現生人類が進出する場合と似ている、と本論文は指摘しています。(2)に該当するのは、エミラン系石器群が出現するユーラシア中緯度地帯北部の広範な地域です。これは現生人類と先住人類との交雑が繰り返されつつ拡散していった可能性も考えられますが、ヨーロッパから東アジアにまで広がっていることから、人口希薄地帯に進出したと考える方がよいのではないか、との見解を本論文は提示しています。
(3)の特徴が顕著なのは、東南アジアから中国南部にかけてです。遅くとも4万年前頃にはこの地域には現生人類が進出していたにも関わらず、石器文化には顕著な変化が見られない、と報告されています。一方で、東南アジアにはこの時期に「現代人的行動」の代表例の一つとされる洞窟壁画も見られます。本論文は、これらの地域において、進出してきた現生人類集団が先住人類集団の石器文化を継承した可能性を提示しています。
本論文は最後に、「交替劇」の様相に関して、先住人類が自らの文化を維持している地域に、現生人類が自らの文化を持ち込んで上書きしていく、という分かりやすい地域は限られており、大半の地域では両集団の共存や混淆が認められる、と指摘しています。また本論文は、現生人類と先住人類との間には、双方向の文化的影響があっただろう、とも指摘しています。現生人類と先住人類との「交替劇」は、単純な置換というわけではなく、各地域により異なる複雑なものだったことは間違いないようです。もはや、現生人類が文化的および人口面での優越により先住人類を駆逐した、というような単純明快な「交替劇」は通用しないと言うべきなのでしょう。
参考文献:
西秋良宏(2015B)「ヒトと文化の交替劇、その多様性―あとがきにかえて―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P176-189
本論文は、考古学的変化と人類集団の交替とは必ずしも一致しない、ということを改めて強調しつつ、各地の「交替劇」を概観しています。本論文は、アフリカから現生人類が拡散したさいの文化変容を、拡散元と拡散先の自然環境の類似もしくは相違、先住集団の存在もしくは不在という観点から、4通りに区分しています。先住集団が存在していない場合は、自然環境が類似だとA1で相違しているとA2、先住集団が存在している場合は、自然環境が類似だとB1で相違しているとB2と区分されています。
たとえば、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5のアラビア半島の中部旧石器文化は、アフリカの現生人類が、先住人類の不在もしくはきわめて少ないアラビア半島へと、そのまま拡散元の文化を持ち込んだ事例(上記区分ではA1)として解釈できそうです。ザグロスでは、自然環境の異なるアラビア半島と同じく、現生人類がアフリカから持ち込んだと思われる両面加工石器が中部旧石器時代の遺跡で発見されています。しかし、それと共伴しているのはザグロスのムステリアン(Mousterian)であり、ザグロスに進出した現生人類からネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)へと文化が継承された可能性が指摘されています(上記区分ではB2)。上部旧石器時代開始の指標ともされるレヴァントのエミラン(Emiran)は、アフリカ北部のタラムサン(Taramsan)との類似が指摘されていますが、完全には一致していないことから、上記区分ではB1とされています。
ヨーロッパでは「交替劇」の時期に、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期文化」とされる石器群が複数系統出現します。本論文は、ハインリッヒイベント(HE)5の後にネアンデルタール人が激減していたとすると、東・南東ヨーロッパのボフニチアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)は、上記区分のA1とも考えられるとしつつも、これらの「移行期文化」が交雑により拡散した可能性も考慮に入れています。同じくヨーロッパの「移行期文化」とされるシャテルペロニアン(Châtelperronian)やウルツィアン(Ulzzian)については、エミラン系石器群とネアンデルタール人のムステリアンとの融合という可能性を指摘しつつも、その起源は不明だとしています。
ヨーロッパや西アジアよりも東方の地域は、遺跡の発掘密度や研究の蓄積や年代の信頼性などの点で、西方の地域よりも劣っているため、「交替劇」の様相を正確に把握するのが難しくなっています。この地域に関しては、「交替劇」の期間である中部旧石器時代~上部旧石器時代にかけての連続性が強調されることが多いのですが、その根拠とされる推定年代の見直しが必要だろう、と本論文は指摘しています。この「交替劇」の期間に中央アジアから東アジアにかけて広範に存在するエミラン系石器群については、類似した環境で人口が希薄だった地域に拡散した可能性を本論文は指摘しています(上記区分ではA1)。
南アジアの「交替劇」の様相もはっきりとしないようです。本論文は、南アジアの中部旧石器時代の遺跡において、上述したザグロスのムステリアン遺跡でも発見される両面加工石器が確認されることから、現生人類が両面加工石器を南アジアに持ち込み、先住人類が継承した後に、再度現生人類が南アジアへと進出し、上部旧石器文化をもたらした可能性を提示しています。さらにその東方のオーストラリア(サフルランド)に関しては、現生人類が進出していないのに、南アジアで見られる現生人類が持ち込んだであろう細石器や両面石器が確認されていないことから、中国南部からオーストラリアへの現生人類の進出も考えられる、と本論文は指摘しています。
本論文はまとめとして、「交替劇」の様相を3通りに区分しています。一つは、中部旧石器文化の後に本格的な上部旧石器文化が到来し、そのまま継続する場合です(1)。次に、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期文化」が見られ、その担い手は現生人類か現生人類と先住人類との交雑集団で、その後に本格的な上部旧石器文化が出現する場合です(2)。もう一つは、中部旧石器時代~上部旧石器時代の交替が判然としない場合です(3)。
(1)に該当する地域は、エミラン系石器群が見られず、ムステリアンの直後に本格的な上部旧石器文化の出現する南コーカサスやザグロスなど少なく、高緯度北極圏やオーストラリア(サフルランド)など、無人地域に現生人類が進出する場合と似ている、と本論文は指摘しています。(2)に該当するのは、エミラン系石器群が出現するユーラシア中緯度地帯北部の広範な地域です。これは現生人類と先住人類との交雑が繰り返されつつ拡散していった可能性も考えられますが、ヨーロッパから東アジアにまで広がっていることから、人口希薄地帯に進出したと考える方がよいのではないか、との見解を本論文は提示しています。
(3)の特徴が顕著なのは、東南アジアから中国南部にかけてです。遅くとも4万年前頃にはこの地域には現生人類が進出していたにも関わらず、石器文化には顕著な変化が見られない、と報告されています。一方で、東南アジアにはこの時期に「現代人的行動」の代表例の一つとされる洞窟壁画も見られます。本論文は、これらの地域において、進出してきた現生人類集団が先住人類集団の石器文化を継承した可能性を提示しています。
本論文は最後に、「交替劇」の様相に関して、先住人類が自らの文化を維持している地域に、現生人類が自らの文化を持ち込んで上書きしていく、という分かりやすい地域は限られており、大半の地域では両集団の共存や混淆が認められる、と指摘しています。また本論文は、現生人類と先住人類との間には、双方向の文化的影響があっただろう、とも指摘しています。現生人類と先住人類との「交替劇」は、単純な置換というわけではなく、各地域により異なる複雑なものだったことは間違いないようです。もはや、現生人類が文化的および人口面での優越により先住人類を駆逐した、というような単純明快な「交替劇」は通用しないと言うべきなのでしょう。
参考文献:
西秋良宏(2015B)「ヒトと文化の交替劇、その多様性―あとがきにかえて―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P176-189
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