片山一道『骨が語る日本人の歴史』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2015年5月に刊行されました。本書は「日本人」の形成過程を人骨から検証しています。日本列島における旧石器時代(更新世)の人骨はきわめて少なく、保存状況が良好な港川人にしても、「縄文人」と類似しているという以前の通説とは異なり、「縄文人」とは似ておらず、その祖先集団ではなかっただろう、との見解が近年では有力となっています。本書は更新世の日本列島の人類の起源に関しては慎重な姿勢を示しており、この時代の日本列島は「吹きだまり」だったのではないか、との見解を提示しています。

 この複数の地域に起源のある旧石器時代の日本列島の人類集団を母体として、「縄文人」が形成されていった、と本書は論じています。「縄文人」は、特定地域から類似した身体的特徴の集団が日本列島に進出してきた結果成立したのではなく、縄文時代的な生活様式への対応により、旧石器時代に日本列島に進出してきた人類集団を母体として形成されたのだ、というわけです。本書は「縄文人」の特徴として、地域差・時代差が比較的小さく、近隣地域に類似した形態学的特徴の集団がいないことを指摘しています。本書は「日本人」の基底をなす要素として、「縄文人」を重視しています。ただ、弥生時代との比較とはいえ、縄文時代を「自閉空間」と把握していることにはやや疑問が残ります。

 縄文時代~弥生時代への変化は大きかった、との見解が近年まで一般層には根強かったように思うのですが、最近では、縄文時代~弥生時代にかけての連続性が広く知られるようになってきたと思います。本書も、各地の人骨の分析から、「渡来系」が「縄文人」を圧倒して置換していった、とする見解に批判的です。本書は弥生時代の人骨の特徴として、縄文時代と比較して地域差や時代差が多様であることを指摘しています。「渡来系」の出現が関わっているわけですが、「渡来系」も「弥生人」の一部にすぎず、「渡来系」に「弥生人」全体を代表させることは妥当でない、と本書は強調しています。

 縄文時代~弥生時代の移行はただちに急激な変化をもたらしたわけではない、と強調する本書ですが、弥生時代後半には、人口の膨張や社会の緊張感や確執増加など大きな変化が生じたことを指摘しています。弥生時代の次の古墳時代になると、人骨の分析から階層分化が顕在化していったことが窺える、と本書は指摘します。古墳時代には骨太さ・頑丈さが目立たなくなるという身体面での変化が見られ、それは大型古墳の被葬者のような社会上層で顕著だった、というのが本書の見解です。本書によると、そうした変化は畿内の大型古墳の被葬者において顕著であり、一般層の間ではそれと比較して変化は弱くなっている、とのことです。本書はこのことから、特権的な階層が顕在化し、そのなかで完結する婚姻システムが生まれていたのかもしれない、との見解を提示しています。

 奈良・平安時代~江戸時代までの「日本人」には、共通する身体的特徴とともに、身分制・封建制の強化により増幅されてきた階層差・地域差が見られるのも特徴である、と本書は指摘します。こうした階層差・地域差が弱くなっていくのが明治時代以降で、身分制・封建制の弛緩と、人々の移動がより盛んになり、通婚圏が拡大したことの影響と考えられます。この変化は第二次世界大戦後に顕著となり、「日本人」の骨格の階層・地域間の多様性はすっかり崩壊した、と本書は指摘しています。本書は、第二次世界大戦後の「日本人」は日本列島の人類史上で特異な骨格をしており、それには乳幼児期の栄養条件の変化などの影響が大きかったのではないか、との見解を提示しています。

 本書は全体として、「縄文系」と「弥生系」など、安易な二項対立的把握を厳しく批判しています。人骨からは、単純にそうした二項対立的な把握はできない、というわけです。また、文化の浸透を人類集団の移住と直結させる見解に批判的なのも本書の特徴で、それは、弥生時代には「渡来系」が「縄文人」を圧倒したわけでない、との見解とも通じます。日本列島の人類集団の骨格の変化から、社会の階層化やその弛緩など、社会の大きな変化を検証していくという本書の姿勢は興味深く、少なくともある程度以上は成功しているのではないか、と思います。


参考文献:
片山一道(2015) 『骨が語る日本人の歴史』(筑摩書房)

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