Juan Luis Arsuaga Ferreras『ネアンデルタール人の首飾り』
フアン=ルイス=アルスアガ(Juan Luis Arsuaga Ferreras)著、藤野邦夫訳、岩城正夫監修で、新評論より2008年11月に刊行されました。原書の刊行は1999年です。本書のことは以前から知っていたのですが、原書の刊行が1999年と古いので、長い間読むのをためらっていました。訳者あとがきによると、本書の底本は2002年刊行の英語版で、2002年刊行のフランス語版も参考にしているそうです。翻訳自体は2002年に完了していたそうですが、著者のエージェントとなかなか連絡がつかず、出版契約が成立しないまま時間が経過したので、本書の刊行は2008年まで遅れた、とのことです。ただ、刊行が遅れたことにより、著者から新たな研究成果を反映した追記・訂正があったそうで、その意味では当初私が懸念したほどには古い情報になっていないようです。
著者はスペイン北部のアタプエルカ遺跡群の発掘副責任者で、アタプエルカ遺跡群についての論文ではよく共著者の一人となっています。有名な通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡は、アタプエルカ遺跡群の代表的な遺跡です。著者が共著者の一人である論文は多くあり、このブログにて取り上げたものとしては、筆頭著者となった「骨の穴洞窟」人の形態に関する論文(関連記事)や、40万年前頃の「骨の穴洞窟」人のミトコンドリアDNAの解析を報告した論文(関連記事)や、「骨の穴洞窟」人の頭蓋に人為的と考えられる損傷があることを報告した論文(関連記事)があります。
本書は、「骨の穴洞窟」人とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との形態的類似性から、前者は後者の祖先である、と主張しています。上記の本書刊行後の「骨の穴洞窟」人の形態に関する研究でも、両者の形態的類似性は改めて確認されていますが、一方で、上記のDNA解析についての研究から、前者が後者の祖先ではなかった可能性も指摘されています。「骨の穴洞窟」人のホモ属進化史における位置づけや、ネアンデルタール人がどのように進化していったのかという問題には、まだ不明なところが多々あるようです。
表題から推測されるように、本書はネアンデルタール人の解説に多くの分量を割いていますが、それにとどまらず、アウストラロピテクス属よりも前にさかのぼって、ネアンデルタール人の絶滅までの人類進化史を解説しています。原書の刊行は古いのですが、本書の内容は基本的には今でも有効だと思います。とくに、イベリア半島を中心とした古気候・古生態の解説は、たいへん有益だと思います。もちろん、今となっては訂正の必要な見解も少なくありませんが、それが本書の価値を損なっているとは思いません。
今では修正が必要な本書の見解を具体的に挙げると、ネアンデルタール人はシャテルペロニアン(Châtelperronian)を例外として、原則として個人的なアクセサリーを使わなかった、との見解です(P307)。しかし現在では、ネアンデルタール人所産の装飾品と考えられる遺物がヨーロッパ各地から報告されています。これらの遺跡のなかにはネアンデルタール人の人骨が共伴しないものもありますが、年代と石器技術からネアンデルタール人の所産と考えられています。
たとえば、イベリア半島南東部では5万年前頃の貝製の装飾品が(関連記事)、イタリア半島北部では47600~44800年前の貝製の装飾品が(関連記事)、クロアチアでは13万年前頃の尾白鷲の鉤爪製の装飾品が報告されています(関連記事)。ネアンデルタール人が、現生人類(Homo sapiens)の影響なしに装飾品を製作していた可能性は高いと言えるでしょう。ネアンデルタール人の認知能力に関しては、そうした点も踏まえての議論が必要なのだと思います。
参考文献:
Arsuaga JL.著(2008)、藤野邦夫訳、岩城正夫監修『ネアンデルタール人の首飾り』(新評論、原書の刊行は1999年)
著者はスペイン北部のアタプエルカ遺跡群の発掘副責任者で、アタプエルカ遺跡群についての論文ではよく共著者の一人となっています。有名な通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡は、アタプエルカ遺跡群の代表的な遺跡です。著者が共著者の一人である論文は多くあり、このブログにて取り上げたものとしては、筆頭著者となった「骨の穴洞窟」人の形態に関する論文(関連記事)や、40万年前頃の「骨の穴洞窟」人のミトコンドリアDNAの解析を報告した論文(関連記事)や、「骨の穴洞窟」人の頭蓋に人為的と考えられる損傷があることを報告した論文(関連記事)があります。
本書は、「骨の穴洞窟」人とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との形態的類似性から、前者は後者の祖先である、と主張しています。上記の本書刊行後の「骨の穴洞窟」人の形態に関する研究でも、両者の形態的類似性は改めて確認されていますが、一方で、上記のDNA解析についての研究から、前者が後者の祖先ではなかった可能性も指摘されています。「骨の穴洞窟」人のホモ属進化史における位置づけや、ネアンデルタール人がどのように進化していったのかという問題には、まだ不明なところが多々あるようです。
表題から推測されるように、本書はネアンデルタール人の解説に多くの分量を割いていますが、それにとどまらず、アウストラロピテクス属よりも前にさかのぼって、ネアンデルタール人の絶滅までの人類進化史を解説しています。原書の刊行は古いのですが、本書の内容は基本的には今でも有効だと思います。とくに、イベリア半島を中心とした古気候・古生態の解説は、たいへん有益だと思います。もちろん、今となっては訂正の必要な見解も少なくありませんが、それが本書の価値を損なっているとは思いません。
今では修正が必要な本書の見解を具体的に挙げると、ネアンデルタール人はシャテルペロニアン(Châtelperronian)を例外として、原則として個人的なアクセサリーを使わなかった、との見解です(P307)。しかし現在では、ネアンデルタール人所産の装飾品と考えられる遺物がヨーロッパ各地から報告されています。これらの遺跡のなかにはネアンデルタール人の人骨が共伴しないものもありますが、年代と石器技術からネアンデルタール人の所産と考えられています。
たとえば、イベリア半島南東部では5万年前頃の貝製の装飾品が(関連記事)、イタリア半島北部では47600~44800年前の貝製の装飾品が(関連記事)、クロアチアでは13万年前頃の尾白鷲の鉤爪製の装飾品が報告されています(関連記事)。ネアンデルタール人が、現生人類(Homo sapiens)の影響なしに装飾品を製作していた可能性は高いと言えるでしょう。ネアンデルタール人の認知能力に関しては、そうした点も踏まえての議論が必要なのだと思います。
参考文献:
Arsuaga JL.著(2008)、藤野邦夫訳、岩城正夫監修『ネアンデルタール人の首飾り』(新評論、原書の刊行は1999年)
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