43万年前頃の殺人
損傷のある43万年前頃の人骨の分析から、殺人行為の可能性を指摘した研究(Sala et al., 2015)が報道されました。本論文は、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡で発見された人骨である「頭蓋17」の2ヶ所の損傷を分析しています。「骨の穴洞窟」では43万年前頃の少なくとも28個体分となる7000個近い人骨が発見されており、これまでに多くの研究成果が得られてきました。「骨の穴洞窟」の人類集団の進化史における位置づけについては、形態的類似性からネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の祖先集団である可能性も指摘されているものの、はっきりしません(関連記事)。
「頭蓋17」は52個の断片から構成されており、左目上方の前頭骨に2ヶ所の貫通している傷害が見られます。本論文は現代の法医学的技術も用いて、「頭蓋17」の損傷がいかに形成されたのか、検証しています。「頭蓋17」の2ヶ所の損傷は死亡時に形成されたものであり、どちらかの損傷が致命傷になったと考えられます。この2ヶ所の損傷は、同じ物体による強い打撃により生じています。そのため、圧力の弱い堆積中での損傷の可能性は除外されます。また、同じ物体による2回の打撃なので、偶然落下したことや狩猟中の事故が原因の損傷である可能性も除外されます。
「骨の穴洞窟」の人骨群にはカットマーク(解体痕)がまったくなく、肉食獣の歯の痕跡も稀であり、「頭蓋17」にも解体痕は見られません。したがって、食人行為や儀式による損傷の可能性も低そうです。本論文は、「頭蓋17」の損傷のサイズと形状から、明らかに意図的なものなので、人間が物体を用いた結果だろう、との見解を提示しています。その物体は、当時の人類が用いていた標準的な道具だったとしても不思議ではない、とのことです。さらに本論文は、2回の打撃があることから、明確な殺意があった可能性を指摘しています。また、「骨の穴洞窟」の人類集団は基本的に右利きなので、左目上方に損傷があることから、加害者は正面から「頭蓋17」を殴ったのではないか、と推測されています。
このような人間同士による暴力は、新石器時代以降の考古学的記録にはよく見られますが、更新世に関しては稀です。更新世の人骨には解体痕がたまに見られますが、これに関しては食人行為や儀式の可能性が指摘されています。それを除くと、人間同士の暴力による痕跡が見られ、それが死因となっている事例は稀です。イラクのシャニダール(Shanidar)洞窟のネアンデルタール人の負傷は人為的なものである可能性がありますが、このネアンデルタール人は負傷後数週間生きており、最終的な死因が負傷なのか不明です。ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡でも、人間同士の暴力による死因の可能性が指摘されていますが、狩猟中の事故の可能性も指摘されています。本論文は、「頭蓋17」が人類の化石記録で最初の人間による人間への暴力行為・殺害の明らかな証拠になるだろう、とその意義を強調しています。
本論文はさらに、「頭蓋17」は人間による打撃行為で死んだと考えられることから、「骨の穴洞窟」の大量の人骨群が人為的に集積された可能性を指摘しています。これまで、「骨の穴洞窟」における大量の人骨群の集積の要因に関しては、肉食獣の活動・地質作用・偶然の落下・人為的な集積といった可能性が提案されてきました。最近の研究では、肉食獣の活動と地質作用が否定されています。「頭蓋17」は穴に偶然落下して死んだのではなく、人間に殺害された後に穴に運ばれたと考えられることから、「骨の穴洞窟」の大量の人骨群は同様に運ばれたのではないか、というのが本論文の見解です。本論文はさらに、これは化石記録に見える最初の葬儀的行動かもしれない、と指摘しています。葬儀的な行為がいつ始まったのか、現時点では不明なので、本論文の見解は大いに注目されます。
更新世の人類社会は暴力的だったのか、戦争・闘争はあったのか、という問題は長年議論されてきました。この研究は、更新世にも人間同士の暴力行為が存在し、そこには明確な殺意があり、それが死因となった可能性が高いことを示したという意味で、大いに注目されべきだと思います。もちろん、この研究で示された事例は、あくまでも個人間の暴力行為である可能性が高く、人間集団同士の闘争を証明するものではありませんし、こうした暴力行為がどの程度の頻度で起きていたのか、現時点では不明です。しかし、人間が数十万年を経て化石として残る確率はきわめて低いわけですから、個人間であれ、ある程度以上の規模であれ、更新世の人類社会において殺意を伴う人間同士の暴力行為は稀ではなく、少なくとも一定上の頻度で発生したのではないか、と思います。
戦争は農耕開始後に始まった、とする見解が現在では有力なようですが、更新世の狩猟採集社会は暴力的・好戦的だった、とする見解(関連記事)や、人類史において時代がくだるにつれて、社会の暴力的・好戦的傾向が抑制されてきた、とする見解(関連記事)もあります。私は近年まで、個人間・小規模な暴力行為は人類史上通時的に存在したものの、集団内や集団間の争いの頻度が上昇したのは人口密度が高くなってからであり、戦争と呼べるものが始まったのは完新世になってからだろう、と考えてきました。しかし今では、更新世の人類社会は現代社会のほとんどよりも暴力的・好戦的だった可能性が高いだろう、と考えを改めています。
現生人類(Homo sapiens)の系統に関しては、200万年前頃~50万年前頃まで人口が減少していった、との見解が提示されています(関連記事)。これは、更新世の不安定な気候に技術的水準も含めて社会的蓄積が追いついていなかったためではないか、と考えられます。しかしそれだけではなく、人類社会があまりにも暴力的・好戦的だったことが、人口増加を妨げていた可能性も考えられるように思います。更新世の人類社会をどのように把握するのか、証拠が限られているだけに難しいところですが、現代社会を考察するのに少なからず有益でしょうから、今後も調べていくつもりです。
参考文献:
Sala N, Arsuaga JL, Pantoja-Pérez A, Pablos A, Martínez I, Quam RM, et al. (2015) Lethal Interpersonal Violence in the Middle Pleistocene. PLoS ONE 10(5): e0126589.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0126589
「頭蓋17」は52個の断片から構成されており、左目上方の前頭骨に2ヶ所の貫通している傷害が見られます。本論文は現代の法医学的技術も用いて、「頭蓋17」の損傷がいかに形成されたのか、検証しています。「頭蓋17」の2ヶ所の損傷は死亡時に形成されたものであり、どちらかの損傷が致命傷になったと考えられます。この2ヶ所の損傷は、同じ物体による強い打撃により生じています。そのため、圧力の弱い堆積中での損傷の可能性は除外されます。また、同じ物体による2回の打撃なので、偶然落下したことや狩猟中の事故が原因の損傷である可能性も除外されます。
「骨の穴洞窟」の人骨群にはカットマーク(解体痕)がまったくなく、肉食獣の歯の痕跡も稀であり、「頭蓋17」にも解体痕は見られません。したがって、食人行為や儀式による損傷の可能性も低そうです。本論文は、「頭蓋17」の損傷のサイズと形状から、明らかに意図的なものなので、人間が物体を用いた結果だろう、との見解を提示しています。その物体は、当時の人類が用いていた標準的な道具だったとしても不思議ではない、とのことです。さらに本論文は、2回の打撃があることから、明確な殺意があった可能性を指摘しています。また、「骨の穴洞窟」の人類集団は基本的に右利きなので、左目上方に損傷があることから、加害者は正面から「頭蓋17」を殴ったのではないか、と推測されています。
このような人間同士による暴力は、新石器時代以降の考古学的記録にはよく見られますが、更新世に関しては稀です。更新世の人骨には解体痕がたまに見られますが、これに関しては食人行為や儀式の可能性が指摘されています。それを除くと、人間同士の暴力による痕跡が見られ、それが死因となっている事例は稀です。イラクのシャニダール(Shanidar)洞窟のネアンデルタール人の負傷は人為的なものである可能性がありますが、このネアンデルタール人は負傷後数週間生きており、最終的な死因が負傷なのか不明です。ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡でも、人間同士の暴力による死因の可能性が指摘されていますが、狩猟中の事故の可能性も指摘されています。本論文は、「頭蓋17」が人類の化石記録で最初の人間による人間への暴力行為・殺害の明らかな証拠になるだろう、とその意義を強調しています。
本論文はさらに、「頭蓋17」は人間による打撃行為で死んだと考えられることから、「骨の穴洞窟」の大量の人骨群が人為的に集積された可能性を指摘しています。これまで、「骨の穴洞窟」における大量の人骨群の集積の要因に関しては、肉食獣の活動・地質作用・偶然の落下・人為的な集積といった可能性が提案されてきました。最近の研究では、肉食獣の活動と地質作用が否定されています。「頭蓋17」は穴に偶然落下して死んだのではなく、人間に殺害された後に穴に運ばれたと考えられることから、「骨の穴洞窟」の大量の人骨群は同様に運ばれたのではないか、というのが本論文の見解です。本論文はさらに、これは化石記録に見える最初の葬儀的行動かもしれない、と指摘しています。葬儀的な行為がいつ始まったのか、現時点では不明なので、本論文の見解は大いに注目されます。
更新世の人類社会は暴力的だったのか、戦争・闘争はあったのか、という問題は長年議論されてきました。この研究は、更新世にも人間同士の暴力行為が存在し、そこには明確な殺意があり、それが死因となった可能性が高いことを示したという意味で、大いに注目されべきだと思います。もちろん、この研究で示された事例は、あくまでも個人間の暴力行為である可能性が高く、人間集団同士の闘争を証明するものではありませんし、こうした暴力行為がどの程度の頻度で起きていたのか、現時点では不明です。しかし、人間が数十万年を経て化石として残る確率はきわめて低いわけですから、個人間であれ、ある程度以上の規模であれ、更新世の人類社会において殺意を伴う人間同士の暴力行為は稀ではなく、少なくとも一定上の頻度で発生したのではないか、と思います。
戦争は農耕開始後に始まった、とする見解が現在では有力なようですが、更新世の狩猟採集社会は暴力的・好戦的だった、とする見解(関連記事)や、人類史において時代がくだるにつれて、社会の暴力的・好戦的傾向が抑制されてきた、とする見解(関連記事)もあります。私は近年まで、個人間・小規模な暴力行為は人類史上通時的に存在したものの、集団内や集団間の争いの頻度が上昇したのは人口密度が高くなってからであり、戦争と呼べるものが始まったのは完新世になってからだろう、と考えてきました。しかし今では、更新世の人類社会は現代社会のほとんどよりも暴力的・好戦的だった可能性が高いだろう、と考えを改めています。
現生人類(Homo sapiens)の系統に関しては、200万年前頃~50万年前頃まで人口が減少していった、との見解が提示されています(関連記事)。これは、更新世の不安定な気候に技術的水準も含めて社会的蓄積が追いついていなかったためではないか、と考えられます。しかしそれだけではなく、人類社会があまりにも暴力的・好戦的だったことが、人口増加を妨げていた可能性も考えられるように思います。更新世の人類社会をどのように把握するのか、証拠が限られているだけに難しいところですが、現代社会を考察するのに少なからず有益でしょうから、今後も調べていくつもりです。
参考文献:
Sala N, Arsuaga JL, Pantoja-Pérez A, Pablos A, Martínez I, Quam RM, et al. (2015) Lethal Interpersonal Violence in the Middle Pleistocene. PLoS ONE 10(5): e0126589.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0126589
この記事へのコメント
現代的なプロポーションなことに驚いてしまった。
「骨の穴洞窟」の人骨群をハイデルベルゲンシスと分類する見解が有力でしたが、近年では見直しの動きもあるようです。