長沼正樹「新人拡散期の石器伝統の変化―ユーラシア東部―」
西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文はユーラシア東部における現生人類(Homo sapiens)の拡散を検証しています。ユーラシア東部における現生人類の拡散は、ユーラシア西部と比較して考古学的には分かりにくいところがあります。遺跡の発掘数・密度とともに、研究史も違っていることが一因のようです。本論文を読んで改めて、ユーラシア西部との違いを痛感しましたが、これは私の勉強不足に起因するところもあるのでしょう。
本論文はまず、西アジアにおいて現生人類拡散の指標ともされるエミラン(Emiran)と類似する石器群が、ユーラシア東部においてどのように出現するのか、検証しています。エミラン類似の石器群のユーラシア東部における分布は、現生人類のアフリカからの拡散経路の候補の一つである北回りの周辺地域ということになります。ルヴァロワ技術やルヴァロワ石核以外からの石刃も含むエミランと類似した石器群は、ユーラシア東部の各地で5万~3万年前頃に見られます。本論文は、ウズベキスタン~中国北部までの広範な地域の遺跡を、西方から順に取り上げています。
まずウズベキスタンのオビラハマート(Obi-Rakhmat)洞窟では、下層から上層まで石器群が連続して出土するとされており、上層の上部旧石器時代前期の文化層は5万~3万年前頃とされています。南シベリアのアルタイ山地のカラボム(Kara-Bom)遺跡では、47000~45000年前頃の類似石器と、それよりも新しいペンダントや顔料が発見されています。バイカル湖南岸のドロルジ1(Dorolj-1)遺跡では、35000~33000年前頃の類似石器群とダチョウの卵殻製のビーズが発見されています。ザバイカルのトルバガ(Tolbaga)遺跡では、39000~30000年前頃の類似石器と簡素な骨器が発見されています。
中国の寧夏回族自治区の水洞溝遺跡では、第1地点文化層において4万~3万年前頃の類似石器が発見されており、ダチョウの卵殻製のビーズが共伴する可能性も指摘されています。類似石器群発見の東限となるのが中国の内モンゴルにある金斯太洞遺跡で、年代は28000年前頃とされています。これらの遺跡には装飾品などの「現代人的行動」が見られるので現生人類の所産と考えられるものの、人骨の共伴はなく、また広範な地域に分布しているので、これらの遺跡全てを単一の石器伝統とみなしてよいのか、検討の余地がある、と本論文は注意を喚起しています。
次に本論文は、石器伝統の変化が連続的とされる、中央アジアとシベリアを取り上げています。この地域には、中部旧石器時代から移行期を経て上部旧石器時代の前期~後期にいたるまで、石器伝統を連続して把握できるカラコルとカラボムという二つの「トレンド」と、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられる中部旧石器文化のシビリチャーハというインダストリーが併存する、との見解が提示されているそうです。
この連続性を根拠に、現生人類の多地域進化説が提示されているとのことですが、中央アジアとシベリアにおける石器伝統の連続性を指摘する見解においては、傾向(trend)・文化(culture)・インダストリー(industry)・相(facies)と異なる単語が置き換えられて用いられているので、その意図には不明瞭なところがある、と本論文は注意を喚起しています。本論文は、この地域において、人類系統の交替はあったものの、文化的な変化は何らかの理由で連続して見える、という可能性も指摘しています。
次に本論文は中国における「交替劇」を検証しています。中国北部の石器の特徴は、様式1(Mode 1)が100万年以上前~2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化の少ないことです。このことから、中国においても、現生人類の多地域進化説や、アフリカからの現生人類の拡散は認めつつも、先住の古代型人類と外来の現生人類との混血・吸収を想定する説が提示されています。上述したエミランに類似の水洞溝遺跡や金斯太洞遺跡の石器群は、中国北部では他に類例がなく、広範に分布したわけではないようです。ただ、そうした石器群の出現する4万年前頃より、石刃や新しい石材の利用といった要素が増え始める、と本論文は指摘しています。
中国北部の石器技術で画期となるのは、25000年前頃に出現する細石刃石器群で、海洋酸素同位体ステージ(MIS)2の寒冷な気候のなか、南下する形で広範に拡大していきます。中国南部でも様式1が長く続き、中国北部において4万年前頃に始まった石刃や新しい石材の利用といった変化も、25000年前頃に始まった細石刃の出現のような顕著な変化も見られないまま、2万年前頃に土器が開発されます。中国南部において石器技術の顕著な変化が見られなかったのは、簡素な石器で竹を加工して道具として用いていたからではないか、との見解が提示されているそうです。
次に本論文は、5万~3万年前頃のユーラシア東部における「現代人的行動」の出現を検証しています。本論文では、ビーズなどの装飾品や顔料や骨製の針などが「現代人的行動」の考古学的指標とされています。ここで興味深いのは、カラボム洞窟などではエミランに類似した石器群と共伴して「現代人的行動」が見られるのにたいして、中国では、水洞溝遺跡のように同様の遺跡もあるものの、様式1の石器群に「現代人的行動」の指標となり得る考古学的痕跡が共伴する遺跡が多いことです。また、中国南部では「現代人的行動」の痕跡が乏しいことも指摘されています。本論文は、中国では現生人類が伝統的な石器群を使用していた可能性に言及しています。
本論文はまとめとして、「交替劇」の時期のユーラシア東部では、中国北部の事例が強く示唆しているように、現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、という可能性を指摘します。このことから本論文は、人骨の共伴なしに特定の石器伝統の担い手を推測することには慎重な姿勢を示しています。本論文はこれを、ヨーロッパにおいて中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期に複数の石器伝統が並立して、各石器伝統の担い手がどの系統の人類なのか判断しにくいという状況と通ずるところがある、と指摘しています。現時点では、ユーラシア東部の「交替劇」の様相にはユーラシア西部よりもずっと不明瞭なところが多いようで、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
長沼正樹(2015)「新人拡散期の石器伝統の変化―ユーラシア東部―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P49-62
本論文はまず、西アジアにおいて現生人類拡散の指標ともされるエミラン(Emiran)と類似する石器群が、ユーラシア東部においてどのように出現するのか、検証しています。エミラン類似の石器群のユーラシア東部における分布は、現生人類のアフリカからの拡散経路の候補の一つである北回りの周辺地域ということになります。ルヴァロワ技術やルヴァロワ石核以外からの石刃も含むエミランと類似した石器群は、ユーラシア東部の各地で5万~3万年前頃に見られます。本論文は、ウズベキスタン~中国北部までの広範な地域の遺跡を、西方から順に取り上げています。
まずウズベキスタンのオビラハマート(Obi-Rakhmat)洞窟では、下層から上層まで石器群が連続して出土するとされており、上層の上部旧石器時代前期の文化層は5万~3万年前頃とされています。南シベリアのアルタイ山地のカラボム(Kara-Bom)遺跡では、47000~45000年前頃の類似石器と、それよりも新しいペンダントや顔料が発見されています。バイカル湖南岸のドロルジ1(Dorolj-1)遺跡では、35000~33000年前頃の類似石器群とダチョウの卵殻製のビーズが発見されています。ザバイカルのトルバガ(Tolbaga)遺跡では、39000~30000年前頃の類似石器と簡素な骨器が発見されています。
中国の寧夏回族自治区の水洞溝遺跡では、第1地点文化層において4万~3万年前頃の類似石器が発見されており、ダチョウの卵殻製のビーズが共伴する可能性も指摘されています。類似石器群発見の東限となるのが中国の内モンゴルにある金斯太洞遺跡で、年代は28000年前頃とされています。これらの遺跡には装飾品などの「現代人的行動」が見られるので現生人類の所産と考えられるものの、人骨の共伴はなく、また広範な地域に分布しているので、これらの遺跡全てを単一の石器伝統とみなしてよいのか、検討の余地がある、と本論文は注意を喚起しています。
次に本論文は、石器伝統の変化が連続的とされる、中央アジアとシベリアを取り上げています。この地域には、中部旧石器時代から移行期を経て上部旧石器時代の前期~後期にいたるまで、石器伝統を連続して把握できるカラコルとカラボムという二つの「トレンド」と、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられる中部旧石器文化のシビリチャーハというインダストリーが併存する、との見解が提示されているそうです。
この連続性を根拠に、現生人類の多地域進化説が提示されているとのことですが、中央アジアとシベリアにおける石器伝統の連続性を指摘する見解においては、傾向(trend)・文化(culture)・インダストリー(industry)・相(facies)と異なる単語が置き換えられて用いられているので、その意図には不明瞭なところがある、と本論文は注意を喚起しています。本論文は、この地域において、人類系統の交替はあったものの、文化的な変化は何らかの理由で連続して見える、という可能性も指摘しています。
次に本論文は中国における「交替劇」を検証しています。中国北部の石器の特徴は、様式1(Mode 1)が100万年以上前~2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化の少ないことです。このことから、中国においても、現生人類の多地域進化説や、アフリカからの現生人類の拡散は認めつつも、先住の古代型人類と外来の現生人類との混血・吸収を想定する説が提示されています。上述したエミランに類似の水洞溝遺跡や金斯太洞遺跡の石器群は、中国北部では他に類例がなく、広範に分布したわけではないようです。ただ、そうした石器群の出現する4万年前頃より、石刃や新しい石材の利用といった要素が増え始める、と本論文は指摘しています。
中国北部の石器技術で画期となるのは、25000年前頃に出現する細石刃石器群で、海洋酸素同位体ステージ(MIS)2の寒冷な気候のなか、南下する形で広範に拡大していきます。中国南部でも様式1が長く続き、中国北部において4万年前頃に始まった石刃や新しい石材の利用といった変化も、25000年前頃に始まった細石刃の出現のような顕著な変化も見られないまま、2万年前頃に土器が開発されます。中国南部において石器技術の顕著な変化が見られなかったのは、簡素な石器で竹を加工して道具として用いていたからではないか、との見解が提示されているそうです。
次に本論文は、5万~3万年前頃のユーラシア東部における「現代人的行動」の出現を検証しています。本論文では、ビーズなどの装飾品や顔料や骨製の針などが「現代人的行動」の考古学的指標とされています。ここで興味深いのは、カラボム洞窟などではエミランに類似した石器群と共伴して「現代人的行動」が見られるのにたいして、中国では、水洞溝遺跡のように同様の遺跡もあるものの、様式1の石器群に「現代人的行動」の指標となり得る考古学的痕跡が共伴する遺跡が多いことです。また、中国南部では「現代人的行動」の痕跡が乏しいことも指摘されています。本論文は、中国では現生人類が伝統的な石器群を使用していた可能性に言及しています。
本論文はまとめとして、「交替劇」の時期のユーラシア東部では、中国北部の事例が強く示唆しているように、現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、という可能性を指摘します。このことから本論文は、人骨の共伴なしに特定の石器伝統の担い手を推測することには慎重な姿勢を示しています。本論文はこれを、ヨーロッパにおいて中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期に複数の石器伝統が並立して、各石器伝統の担い手がどの系統の人類なのか判断しにくいという状況と通ずるところがある、と指摘しています。現時点では、ユーラシア東部の「交替劇」の様相にはユーラシア西部よりもずっと不明瞭なところが多いようで、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
長沼正樹(2015)「新人拡散期の石器伝統の変化―ユーラシア東部―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P49-62
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