松本直子「新人・旧人の認知能力をさぐる考古学」

 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との認知能力の違いを、認知考古学的見地から検証しています。現生人類とネアンデルタール人との認知能力については、生得的な違いがあったのか否か、ということが議論されています。現在でも結論が出ているとは言い難い状況なのですが、両者は分岐してから解剖学的にも遺伝学的にも異なる特徴を発達させてきたので、生得的な認知能力に何らかの違いがあったとしても不思議ではありません。また、各系統内の個体差についても考慮する必要があるでしょう。

 本論文は、現生人類とネアンデルタール人との間に生得的な認知能力の違いがあったとする立場のうち、モジュール説とワーキングメモリ説を取り上げて検証しています。モジュール説とは、人間には博物・技術・社会など固有の領域の知能(モジュール)があり、現生人類においては各モジュール間に流動性があったものの、ネアンデルタール人にはそれがなく、モジュール間の流動性を促進したのは汎用言語だった、とする見解です。ワーキングメモリ説は、心の中で情報を一時的に保存して同時に処理する能力であるワーキングメモリの容量は、現生人類よりもネアンデルタール人の方が少なかった、とする見解です。ワーキングメモリ説では、ネアンデルタール人は、長時間をかけての繰り返しにより形成される身体技法・技術のような長期作動記憶に、現生人類よりも強く依存していたのではないか、と想定されています。

 ワーキングメモリ説では、シャテルペロニアン(Châtelperronian)の「先進性・現代性」も次のように解釈されます。なお本論文では、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人とされています。現生人類は行為のかたちを模倣する(イミテーション)のにたいして、ネアンデルタール人は一連の行為の目的ないし結果のみを模倣しました(エミュレーション)。シャテルペロニアンは現生人類の文化の影響を受けており、ネアンデルタール人は現生人類の石刃や装飾品などを見て、その高い技術的知能により、結果(製品)だけを真似たので、現生人類の石器や装飾品などとは製作技法が異なりました。つまり、製作技法が異なるからといって、現生人類の影響を受けず、ネアンデルタール人が独自に開発したのではない、というわけです。

 ネアンデルタール人の社会性については、発達した知能と社会的言語による豊かな交流を想定するモジュール説にたいして、ワーキングメモリ説ではもっと非情な社会が想定されています。本論文では、ネアンデルタール人の骨で上半身の骨折の治癒事例が珍しくないのにたいして、下半身の骨折の治癒事例がないことから、ネアンデルタール人の社会では歩けなくなった個体が置き去りにされて命を落としたのではないか、との形質人類学の見解を取り上げ、ワーキングメモリ説の傍証となる可能性を指摘しています。ただ、モジュール説もワーキングメモリ説も興味深い見解ではありますが、現時点では、現生人類とネアンデルタール人の認知能力の違いの程度とその意味について、まだ通説が確立したと言えない状況であることは間違いないでしょう。


参考文献:
松本直子(2015B)「新人・旧人の認知能力をさぐる考古学」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P140-150

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