ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との交雑
ヨーロッパにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑の可能性を指摘した研究が報道されました。この研究は、今月(2015年5月)5日~9日にかけて開催された、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドにあるコールド・スプリング・ハーバー研究所のゲノム生物学総会で5月8日に発表された、とのことです。ただ、この研究はまだ学術誌では刊行されていないので、研究者たちはコメントを差し控えている、とのことです。
2002年にルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で初期現生人類の人骨群が発見され、その親知らずが現生人類の平均的なそれよりもずっと大きいことなどから、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の形態学的証拠になるのではないか、とネアンデルタール人研究の世界的権威であるトリンカウス(Erik Trinkaus)博士たちが指摘してきました(関連記事)。この研究は、「骨の洞窟」の初期現生人類人骨のDNA解析に成功した、とのことです。「骨の洞窟」の初期現生人類人骨のうちどの個体なのか、上記報道では明記されていなかったのですが、本文と参考文献から判断すると、どうも「Oase 1」のようなので、以下その前提で述べていくことにします。
サハラ砂漠以南のアフリカ系を除く現代人は全員、ネアンデルタール人のDNAを1~4%ほど継承しています。そのため、アフリカからユーラシアへと進出した初期現生人類は、ヨーロッパ・アジア・オセアニアなど各地域集団に分岐する前に、中東のどこかでだけ6万~5万年前頃の間にネアンデルタール人と交雑した、と考えられました。昨年(2014年)公表された、西シベリアの初期現生人類のDNAの解析から、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の推定年代が6万~5万年前頃の間に絞り込まれ(関連記事)、今年になって公表された研究では、まさにその間の55000年前頃に、レヴァントでネアンデルタール人と現生人類が共存していたことが化石証拠から確認されました(関連記事)。
この研究では、「Oase 1」のDNA解析の結果、そのゲノムにはネアンデルタール人由来のDNAが5~11%継承されている、と推定されました。また、現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人由来のDNAは、世代を経て断片化されてきたのですが、「Oase 1」のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNAには長い配列も確認された、とのことです。そのため、「Oase 1」の祖先の4~6世代前にネアンデルタール人がいたのではないか、と推定されています。このことから、中東のどこかだけではなくヨーロッパにおいても、ネアンデルタール人と初期現生人類は交雑したのではないか、と考えられています。なお、DNA解析の結果、「Oase 1」は男性だと判明したそうです。
形態学的観点からネアンデルタール人と現生人類との交雑を長年主張してきたトリンカウス博士は、自説を裏づけるものとして、この新たな研究を歓迎しています。これまで、「骨の洞窟」の初期現生人類人骨にネアンデルタール人との交雑の痕跡を主張するトリンカウス博士の見解にたいして、多くの研究者は否定的で(関連記事)、私も同様でした。最近になって、既知の「新旧モザイク状」の人骨群の解釈として、交雑の結果を反映している可能性も想定したものの(関連記事)、「Oase 1」がそうだと確信しているわけではありませんでした。しかし、「骨の洞窟」の初期現生人類がヨーロッパにおいてネアンデルタール人と交雑した可能性は高くなった、と言わざるを得ないでしょう。ただトリンカウス博士は、「Oase 1」の特徴が「骨の洞窟」の初期現生人類集団全体に当てはまらない可能性も指摘しています。
ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との推定共存期間は、近年ではヨーロッパ旧石器時代の年代の見直し(関連記事)により、一時期よりも短くなる傾向にあります。しかしそれでも、最近の研究では2600~5400年間の共存が想定されており、両集団間の遺伝的・文化的交換には充分な時間だっただろう、と指摘されています(関連記事)。この点からも、「Oase 1」の祖先の4~6世代前にネアンデルタール人がいたとしても、不思議ではない、と言えるでしょう。
ただ、そうだとして問題となるのは、サハラ砂漠以南のアフリカ系を除く現代人のうち、ヨーロッパ系よりも東アジア系の方が、平均的にはわずかながらネアンデルタール人由来のDNAを多く有している、ということです。これに関しては、現代東アジア系の祖先集団がユーラシア大陸東方で再度ネアンデルタール人と交雑したなど、複数の可能性が指摘されています(関連記事)。また、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるストリンガー(Chris Stringer)博士が指摘するように(関連記事)、「骨の洞窟」の初期現生人類はヨーロッパのオーリナシアン(Aurignacian)やグラヴェティアン(Gravettian)の担い手である現生人類とは近縁関係になかったのかもしれません。「骨の洞窟」の初期現生人類は、現代のヨーロッパ系集団にほとんど遺伝的影響を与えていない可能性が考えられます。
現生人類のアフリカから世界各地への拡散に関しては、さまざまな可能性が想定されます。「骨の洞窟」の初期現生人類のように、現生人類的な特徴とネアンデルタール人など絶滅ホモ属的な特徴とが混在している人骨は、世界各地で報告されています。これは、初期現生人類の形態的多様性とも、初期現生人類と絶滅ホモ属との交雑の結果である、とも考えられます。おそらく、既知の「新旧モザイク状」の人骨群の解釈として、どちらか一方が妥当なのではなく、ある人骨の特定の形態は変異幅の大きさを反映し、別の人骨の特定の形態は交雑の結果を反映している、ということなのだと思います。この研究からは、「Oase 1」は後者の事例である可能性が高い、と言えそうです。
2002年にルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で初期現生人類の人骨群が発見され、その親知らずが現生人類の平均的なそれよりもずっと大きいことなどから、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の形態学的証拠になるのではないか、とネアンデルタール人研究の世界的権威であるトリンカウス(Erik Trinkaus)博士たちが指摘してきました(関連記事)。この研究は、「骨の洞窟」の初期現生人類人骨のDNA解析に成功した、とのことです。「骨の洞窟」の初期現生人類人骨のうちどの個体なのか、上記報道では明記されていなかったのですが、本文と参考文献から判断すると、どうも「Oase 1」のようなので、以下その前提で述べていくことにします。
サハラ砂漠以南のアフリカ系を除く現代人は全員、ネアンデルタール人のDNAを1~4%ほど継承しています。そのため、アフリカからユーラシアへと進出した初期現生人類は、ヨーロッパ・アジア・オセアニアなど各地域集団に分岐する前に、中東のどこかでだけ6万~5万年前頃の間にネアンデルタール人と交雑した、と考えられました。昨年(2014年)公表された、西シベリアの初期現生人類のDNAの解析から、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の推定年代が6万~5万年前頃の間に絞り込まれ(関連記事)、今年になって公表された研究では、まさにその間の55000年前頃に、レヴァントでネアンデルタール人と現生人類が共存していたことが化石証拠から確認されました(関連記事)。
この研究では、「Oase 1」のDNA解析の結果、そのゲノムにはネアンデルタール人由来のDNAが5~11%継承されている、と推定されました。また、現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人由来のDNAは、世代を経て断片化されてきたのですが、「Oase 1」のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNAには長い配列も確認された、とのことです。そのため、「Oase 1」の祖先の4~6世代前にネアンデルタール人がいたのではないか、と推定されています。このことから、中東のどこかだけではなくヨーロッパにおいても、ネアンデルタール人と初期現生人類は交雑したのではないか、と考えられています。なお、DNA解析の結果、「Oase 1」は男性だと判明したそうです。
形態学的観点からネアンデルタール人と現生人類との交雑を長年主張してきたトリンカウス博士は、自説を裏づけるものとして、この新たな研究を歓迎しています。これまで、「骨の洞窟」の初期現生人類人骨にネアンデルタール人との交雑の痕跡を主張するトリンカウス博士の見解にたいして、多くの研究者は否定的で(関連記事)、私も同様でした。最近になって、既知の「新旧モザイク状」の人骨群の解釈として、交雑の結果を反映している可能性も想定したものの(関連記事)、「Oase 1」がそうだと確信しているわけではありませんでした。しかし、「骨の洞窟」の初期現生人類がヨーロッパにおいてネアンデルタール人と交雑した可能性は高くなった、と言わざるを得ないでしょう。ただトリンカウス博士は、「Oase 1」の特徴が「骨の洞窟」の初期現生人類集団全体に当てはまらない可能性も指摘しています。
ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との推定共存期間は、近年ではヨーロッパ旧石器時代の年代の見直し(関連記事)により、一時期よりも短くなる傾向にあります。しかしそれでも、最近の研究では2600~5400年間の共存が想定されており、両集団間の遺伝的・文化的交換には充分な時間だっただろう、と指摘されています(関連記事)。この点からも、「Oase 1」の祖先の4~6世代前にネアンデルタール人がいたとしても、不思議ではない、と言えるでしょう。
ただ、そうだとして問題となるのは、サハラ砂漠以南のアフリカ系を除く現代人のうち、ヨーロッパ系よりも東アジア系の方が、平均的にはわずかながらネアンデルタール人由来のDNAを多く有している、ということです。これに関しては、現代東アジア系の祖先集団がユーラシア大陸東方で再度ネアンデルタール人と交雑したなど、複数の可能性が指摘されています(関連記事)。また、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるストリンガー(Chris Stringer)博士が指摘するように(関連記事)、「骨の洞窟」の初期現生人類はヨーロッパのオーリナシアン(Aurignacian)やグラヴェティアン(Gravettian)の担い手である現生人類とは近縁関係になかったのかもしれません。「骨の洞窟」の初期現生人類は、現代のヨーロッパ系集団にほとんど遺伝的影響を与えていない可能性が考えられます。
現生人類のアフリカから世界各地への拡散に関しては、さまざまな可能性が想定されます。「骨の洞窟」の初期現生人類のように、現生人類的な特徴とネアンデルタール人など絶滅ホモ属的な特徴とが混在している人骨は、世界各地で報告されています。これは、初期現生人類の形態的多様性とも、初期現生人類と絶滅ホモ属との交雑の結果である、とも考えられます。おそらく、既知の「新旧モザイク状」の人骨群の解釈として、どちらか一方が妥当なのではなく、ある人骨の特定の形態は変異幅の大きさを反映し、別の人骨の特定の形態は交雑の結果を反映している、ということなのだと思います。この研究からは、「Oase 1」は後者の事例である可能性が高い、と言えそうです。
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