『天智と天武~新説・日本書紀~』第64話「余興の歌」

 『ビッグコミック』2015年5月25日号掲載分の感想です。前回は、天智帝(中大兄皇子)の即位式での額田王の歌(あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖ふる)に、大海人皇子(天武帝)が返歌を詠もうとするところで終了しました。今回はその続きとなります。額田王の歌に、これは天智帝ではなく大海人皇子に向けられたものではないか、とその場の人々は噂して不安に思います。さらに、大海人皇子が返歌を詠もうとしたので、やはり噂通り大海人皇子と額田王は不義の関係にあるのか、と人々は小声で話します。

 すでに天智帝の顔色も変わっているなか、大海人皇子は平然と、有名な返歌(紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも)を詠みます。大海人皇子と額田王との不義の噂を裏づけるような大海人皇子の返歌に、唐からの使者も含めてその場の人々は唖然として静まり返ります。大海人皇子の妻の鸕野讚良皇女(持統帝)は、唖然としつつも、嫉妬心と憎悪の入り混じったような表情を浮かべます。蒲生野で遊猟のさいには、以前よりも美しく描かれるようになったな(第62話)、と思った鸕野讚良皇女ですが、ここでの表情は醜く描かれています。唖然としつつも、それだけ嫉妬心と憎悪が強いということを表しているのでしょうか。

 即位の場で自分を愚弄するような歌を詠んだ額田王と大海人皇子に天智帝は激怒し、剣を抜いて立ち上がろうとします。それを背後から諌めたのは中臣鎌足(豊璋)でした。お怒りはごもっともなれども、臣下や他国の使節もいるなか、祝いの場を修羅場にしてはならない、大君(天皇)に相応しい態度を示すべきだ、というわけです。すると天智帝は豪快に笑い出し、なんという面の皮だ、たいしたものだな、と大海人皇子・額田王に声をかけます。さらに天智帝は、大胆な恋情を詠う良い歌で羨ましい、そうは思わないか、とその場の人々に問いかけます。すると、その場の人々も、やや躊躇いつつも、一途な恋心を詠んだ良い歌だと話し始め、さらには歌を詠んだ額田王・大海人皇子だけではなく、天智帝の度量をも賞賛します。この様子に鎌足も安堵します。

 即位式が終わったその晩(明示されていませんが、そうだと思います)、自邸(だとお思います)に戻った天智帝は、即位式で額田王と大海人皇子が自分を愚弄したことで、大いに荒れていました。そこへ現れた鎌足に、お前がいなければ、と激昂した天智帝は詰め寄ります。鎌足の諫言がなければ、天智帝は大海人皇子と額田王を殺していた、ということなのでしょう。しかし鎌足は冷静で、即位式での立派な態度には感服しました、と天智帝に言います。黙れ、と言ってなおも激昂する天智帝にたいして鎌足は、内外に天智帝の器の大きさを知らしめることができてよかった、と宥めます。それでも怒りが治まらない天智帝は、どうでもよい、自分の気は済まない、大海人皇子と額田王を手討ちにする、と言います。

 そこへ大友皇子が現れ、それだけは許してください、と父の天智帝に願い出ます。自分の妻の十市皇女は叔父の大海人皇子と額田王との間に生まれた娘なので、大海人皇子と額田王が死罪となれば十市皇女が悲しむだろう、というわけです。しかし天智帝の怒りは静まりません。大海人皇子と額田王は自分に恥をかかせたのだから自業自得であり、二人の娘まで心配していられない、というわけです。すると大友皇子は、しばらく二人の死刑を待ってもらいたい、と天智帝に願い出ます。十市皇女は妊娠しているので、天智帝の孫ともなるその子の誕生に差しさわりがあってはいけいない、というわけです。せめてその子が無事に生まれるまで手打ちは待ってください、生まれたならば大君の好きにしてかまいませんので、と大友皇子に懇願された天智帝は、手打ちはまたの機会にしよう、とその願いを聞き入れます。それに喜んで感謝する大友皇子にたいして、私の気が変わらないうちにさっさと下がれ、と天智帝は命じます。

 大友皇子が喜びつつ退出した後、大君も人の親なのですね、と鎌足が天智帝に話しかけます。すると天智帝は、殺すことはいつでもできる、それよりも、跡継ぎを絶やさないことが大事なのであり、とくに大友皇子には自分の全てを遺してやりたいのだ、と心情を打ち明けます。天智帝の意向に従って息子の定恵(真人)を見殺しにしたことを想起したのか、神妙に聞いていた鎌足はふと、このように大友皇子が大海人皇子と額田王の助命を願うところまで計算して、大海人皇子は十市皇女を大友皇子に嫁がせ、あの歌を詠んだのではないか、と考え、大海人皇子は油断のならない人物だ、と改めて警戒します。場面が変わって、自邸に帰宅した大海人皇子が花(紫草と思われます)を生けているところで、今回は終了です。


 このところずっとそうなのですが、今回も掲載順序が悪いように思われるので、打ち切りが決定して69話~70話(単行本での掲載話数からの推測)で完結するのではないか、と心配になります。ただ、今回で終了となる巻末のカラー作品を除いて、連載作品で後ろから三番目という掲載順序が固定してきたように思われますので、あえて楽観的に考えると、「大御所」的な扱いを受けており、ある程度以上、少なくとも作者が連載期間を主体的に決められるくらいの長期連載が確定した、ということなのかもしれません。この楽観的な推測が当たっているとよいのですが。

 今回は、天智帝と大海人皇子との関係が相変わらず緊張感と憎悪に満ちたものであることが改めて描かれました。天智帝は相変わらず激昂すると自暴自棄になってしまいますが、鎌足の諫言を受け入れてその場を取り繕うことのできる怜悧なところも見られます。天智帝のこうしたところは、昔から変わらないようにも見えますが、すぐに怒りを抑えて大海人皇子に笑顔を向けられるのですから、それなりに成長をしているのかな、とも思います。

 今回は、天智帝の大友皇子への期待など、天智帝が自分の没後を見通した構想を抱いていることも明かされました。天智帝の崩御までもう4年もないわけで、作中ではまだ天智帝の心身の衰えやその自覚は描かれていませんが、天智帝も作中設定では満年齢で41歳~42歳といったあたりですし、ついに即位したのですから、そろそろ後継者について真剣に考える頃とも言えるでしょう。作中ではまだ健康そうな天智帝が、4年も経たずに崩御するということは、天智帝暗殺説が採用されるのでしょうか。天智帝の最期は大いに注目されます。

 天智帝が自身の後継者を大友皇子と決めていることは今回明示されましたが、『日本書紀』では天智朝の皇太子(東宮)は大海人皇子とされているので、ここがどう描かれるのかは興味のあるところです。もっとも、この時代には皇太子制はなかったとするのが有力な見解でしょうから、大海人皇子の立太子記事も疑問の残るところです。民人や地方豪族の間で大海人皇子の声望が高まり、天智帝も容易に処刑できない、と作中では描かれているので、天智帝は不本意ながら人望のある大海人皇子を皇太子とする、という話になるのかもしれませんが、ここは壬申の乱にいたる経緯とも関わって来るので、大いに注目されます。

 その壬申の乱で大海人皇子と争うことになる大友皇子は、人物紹介で額田王とともに今回新たに掲載されていました。大友皇子の紹介では「密かに大海人を慕う」とあり、今回の天智帝への大海人皇子と額田王の助命嘆願からも、大友皇子が叔父の大海人皇子を慕っていることは間違いないでしょう。また大友皇子は、妻で妊娠中の十市皇女の身を案じていることから、十市皇女を深く愛しているようです。以前、大海人皇子は異父兄の天智帝からその息子の大友皇子を奪おう、と考えていました(第62話)。今回最後の鎌足の懸念とあわせて考えると、大海人皇子の構想は、娘の十市皇女との結婚を通じて大友皇子を自分の側に取り込む、ということなのかもしれません。

 そうすると、壬申の乱に向けて大海人皇子と大友皇子とがどのように対立していくのか、注目されます。大友皇子は、叔父の大海人皇子を慕いつつも、父の天智帝に従順なので対立せざるを得なかったのか、それとも、大友皇子を取り込むという父の大海人皇子の意向に従って大友皇子と結婚した十市皇女の真意をそのうち知って、大友皇子は大海人皇子と十市皇女を憎むようになるのでしょうか。現時点では、大友皇子は文武両道の優秀な人物で、人間性も優れている、という人物造形になっています。十市皇女の真意を知り、大友皇子の人間性や十市皇女・大海人皇子との関係が変わって来るのか、ということも注目されます。十市皇女が身ごもっているのはおそらく葛野王でしょう。葛野王は持統帝の後継者決定のさいに重要な役割を果たしたとされていますが、さすがに作中ではそこまでは描かれないでしょうか。

 一瞬の登場でしたが、鸕野讚良皇女の表情は印象に残りました。大海人皇子の返歌に嫉妬したような表情を浮かべたということは、鸕野讚良皇女は夫の大海人皇子を愛しているのでしょう。これまでの描写からすると、鸕野讚良皇女の憎悪の対象は額田王のようですが、夫にたいしても複雑な感情を抱いているのかもしれません。これが、持統朝以降の藤原不比等の重用と、大海人皇子の実父の蘇我入鹿(あくまでも作中での設定ですが)の名誉回復を妨げる結果につながった、という話になるのかもしれません。今後、天武朝や持統朝の様子が断片的に描かれるのか、分かりませんが、持統帝と不比等との関係も描かれるとよいな、と願っています。

 予告は、「次号、大海人皇子がさらなる挑発を!?」となっています。大海人皇子が酒宴で槍を板に突き刺し、天智帝が激怒して大海人皇子を殺そうとしたところ、鎌足がとりなした、という『藤氏家伝』の有名な逸話が描かれるのでしょうか。そうだとすると、鎌足がとりなした理由も気になるところです。人望のある大海人皇子を宴の場で殺害すると評判に関わる、という単純な理由なのか、鎌足にもっと深い目的があるのか、注目されます。この事件を機に大海人皇子は鎌足の娘二人(氷上娘・五百重娘)を妻とした、という話になるのかもしれませんが、天智帝の同父同母妹で孝徳帝の皇后(大后)だった間人皇女も登場しないくらいですから、氷上娘・五百重娘も登場しないような気がします。

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