野口淳「南アジア・アラビアの後期旧石器化と新人拡散」
西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は、おもに南アジアとアラビア半島を対象に、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカを検証しています。現生人類の出アフリカに関しては、その経路・回数・時期が議論となっています。経路に関しては、アフリカ北東部からレヴァントへと進出したのか(北回り説)、それともアフリカ東部からアラビア半島を経て南アジアへと進出したのか(南回り説)、ということが議論されています。回数に関しては、1回だったのか、それとも複数回だったのか、ということが議論されています。
現時点では、遺伝学や人類学などの研究成果から、現生人類の出アフリカは南回りで1回のみだった、とする見解が有力視されています。それを踏まえたうえで現生人類の出アフリカの時期に関しては、10万年以上前までさかのぼるかもしれない早期だったのか(早期進出説)、それとも6万~5万年前頃までの間に出アフリカを果たし、急速に東南アジアやオセアニアにまで進出したのか(沿岸特急説)、ということが議論されています。本論文はおもに、南回り説とその時期について検証しています。
南アジアでの現生人類人骨は3万年前以降のものしか発見されておらず、アラビア半島では旧石器時代の人骨が発見されていないため、この問題に関しては考古学が重要な役割を担うことになります。南アジアにおいてほぼ確実に現生人類の到来を示す考古学的指標となるのは、細石器の出現です。この細石器は、アフリカ東部・南部のそれとの類似が指摘されています。この南アジアの細石器の年代については議論が続いており、本論文では、55000年前頃までさかのぼるとの見解も提示されているものの、47000~42000年前までさかのぼる可能性が考慮されているのにとどまっており、慎重な姿勢が示されています。
早期進出説では、中部旧石器時代(サハラ砂漠以南のアフリカでは中期石器時代)に現生人類がユーラシアへと進出したことになります。アラビア半島では中部旧石器時代の石器群とアフリカ東部の石器群との類似性が指摘されていますが、それよりも東の南アジアについては、まだ不明なところが少なくないようです。インド北西部では、95000年前頃までさかのぼるかもしれないアフリカ起源のヌビア複合(Nubian Complex)やアテリアン(Aterian)的石器が発見された、との報告もあるそうですが、本当にそうなのか判断は難しい、と本論文は慎重な姿勢を示しています。
また本論文は、現生人類の南アジアへの進出の考古学的指標は何なのか、という問題も提起しています。上述したように細石器の担い手は現生人類でほぼ間違いないとしても、それ以前に関しては判断が難しそうです。南アジアではアシューリアン(Acheulian)が125000年前頃かそれ以降まで継続しており、調整石核技術と共伴することから、中部旧石器時代後半の石器群の担い手も現生人類ではなかった可能性を、本論文は指摘しています。また、早期進出説では、南アジアにおける中部旧石器時代から細石器の上部旧石器時代への変化は連続的とされますが、調整石核石器群と細石器群との技術的基盤は大きく異なる、とも本論文は指摘しています。
このように南アジアの中部旧石器時代までを概観する本論文は、南アジアにおける考古学的画期は細石器の出現にあり、上部旧石器時代はそこから始まる、との見解を提示しています。本論文は南アジアの細石器の年代について、上述したように47000年前頃までさかのぼる可能性もあるものの、複数の地域・遺跡で確認できるのは4万年前頃以降であり、アフリカ東部・南部の細石器群と類似していて、西アジア地中海沿岸~イラン西部の細石器群とは別系統だろう、指摘しています。
本論文が南アジアにおける細石器群で注目しているのはその地域性で、インド南部・スリランカ・インド中西部~北西部において上部旧石器時代の細石器群が確認されている一方で、インド北西部~パキスタンにかけては完新世になるまで細石器群が見られません。上部旧石器時代の環境では、細石器群が分布する範囲は森林もしくは疎林で、細石器群が確認されていない地域は高温乾燥地帯だった、と推測されています。
南アジアにおける上部旧石器時代の細石器群とアフリカ東部・南部のそれとの類似性の要因として、両者が似た環境だったからではないか、と本論文は指摘しています。南アジアの細石器群の担い手と、アラビア半島のヌビア複合の担い手との関係について、別系統の集団である可能性と、同一系統の集団の異なる環境への適応および時間的違いである可能性を本論文は提示しています。前者であれば現生人類の複数回の出アフリカを想定する必要がありますが、現時点での証拠からすると現生人類の複数回・複数系統の出アフリカがあったと考えるのが妥当だろう、というのが本論文の見解です。
参考文献:
野口淳(2015)「南アジア・アラビアの後期旧石器化と新人拡散」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P36-48
現時点では、遺伝学や人類学などの研究成果から、現生人類の出アフリカは南回りで1回のみだった、とする見解が有力視されています。それを踏まえたうえで現生人類の出アフリカの時期に関しては、10万年以上前までさかのぼるかもしれない早期だったのか(早期進出説)、それとも6万~5万年前頃までの間に出アフリカを果たし、急速に東南アジアやオセアニアにまで進出したのか(沿岸特急説)、ということが議論されています。本論文はおもに、南回り説とその時期について検証しています。
南アジアでの現生人類人骨は3万年前以降のものしか発見されておらず、アラビア半島では旧石器時代の人骨が発見されていないため、この問題に関しては考古学が重要な役割を担うことになります。南アジアにおいてほぼ確実に現生人類の到来を示す考古学的指標となるのは、細石器の出現です。この細石器は、アフリカ東部・南部のそれとの類似が指摘されています。この南アジアの細石器の年代については議論が続いており、本論文では、55000年前頃までさかのぼるとの見解も提示されているものの、47000~42000年前までさかのぼる可能性が考慮されているのにとどまっており、慎重な姿勢が示されています。
早期進出説では、中部旧石器時代(サハラ砂漠以南のアフリカでは中期石器時代)に現生人類がユーラシアへと進出したことになります。アラビア半島では中部旧石器時代の石器群とアフリカ東部の石器群との類似性が指摘されていますが、それよりも東の南アジアについては、まだ不明なところが少なくないようです。インド北西部では、95000年前頃までさかのぼるかもしれないアフリカ起源のヌビア複合(Nubian Complex)やアテリアン(Aterian)的石器が発見された、との報告もあるそうですが、本当にそうなのか判断は難しい、と本論文は慎重な姿勢を示しています。
また本論文は、現生人類の南アジアへの進出の考古学的指標は何なのか、という問題も提起しています。上述したように細石器の担い手は現生人類でほぼ間違いないとしても、それ以前に関しては判断が難しそうです。南アジアではアシューリアン(Acheulian)が125000年前頃かそれ以降まで継続しており、調整石核技術と共伴することから、中部旧石器時代後半の石器群の担い手も現生人類ではなかった可能性を、本論文は指摘しています。また、早期進出説では、南アジアにおける中部旧石器時代から細石器の上部旧石器時代への変化は連続的とされますが、調整石核石器群と細石器群との技術的基盤は大きく異なる、とも本論文は指摘しています。
このように南アジアの中部旧石器時代までを概観する本論文は、南アジアにおける考古学的画期は細石器の出現にあり、上部旧石器時代はそこから始まる、との見解を提示しています。本論文は南アジアの細石器の年代について、上述したように47000年前頃までさかのぼる可能性もあるものの、複数の地域・遺跡で確認できるのは4万年前頃以降であり、アフリカ東部・南部の細石器群と類似していて、西アジア地中海沿岸~イラン西部の細石器群とは別系統だろう、指摘しています。
本論文が南アジアにおける細石器群で注目しているのはその地域性で、インド南部・スリランカ・インド中西部~北西部において上部旧石器時代の細石器群が確認されている一方で、インド北西部~パキスタンにかけては完新世になるまで細石器群が見られません。上部旧石器時代の環境では、細石器群が分布する範囲は森林もしくは疎林で、細石器群が確認されていない地域は高温乾燥地帯だった、と推測されています。
南アジアにおける上部旧石器時代の細石器群とアフリカ東部・南部のそれとの類似性の要因として、両者が似た環境だったからではないか、と本論文は指摘しています。南アジアの細石器群の担い手と、アラビア半島のヌビア複合の担い手との関係について、別系統の集団である可能性と、同一系統の集団の異なる環境への適応および時間的違いである可能性を本論文は提示しています。前者であれば現生人類の複数回の出アフリカを想定する必要がありますが、現時点での証拠からすると現生人類の複数回・複数系統の出アフリカがあったと考えるのが妥当だろう、というのが本論文の見解です。
参考文献:
野口淳(2015)「南アジア・アラビアの後期旧石器化と新人拡散」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P36-48
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