佐野勝宏・大森貴之「ヨーロッパにおける旧人・新人の交替劇プロセス」

 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から現生人類(Homo sapiens)への「交替劇」を検証しています。近年では、新たな放射性炭素年代測定法によりヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが続いており、ネアンデルタール人の絶滅年代が以前の想定よりもさかのぼる傾向にあります。本論文もそうした傾向を踏まえ、51000~37000年前頃のヨーロッパの各遺跡の年代を見直して各インダストリーの継続年代と遺跡数の変遷を総合したうえで、「交替劇」を検証しています。

 本論文はこの期間をいくつかの時期に区分して検証しており、その最初はヨーロッパに現生人類が進出する直前の51000~48000年前頃(第1期)です。第1期は海洋酸素同位体ステージ(MIS)4が終了した直後の温暖な時期で、ネアンデルタール人が担い手と考えられるヨーロッパのムステリアン遺跡がまだ多くあり、前後の時代と比較してネアンデルタール人化石も少なくありません。

 その次は、ヨーロッパに現生人類が進出してくる47000~44000年前頃(第2期)です。第2期になるとムステリアン遺跡が減少し始めます。本論文はこの要因を、48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化と推測しています。HE5の後の47000年前頃に急激に温暖化していき、現生人類はそれに伴ってバルカン半島からヨーロッパ中央部に進出した可能性がある、と本論文は指摘しています。本論文は、ヨーロッパで最初の現生人類集団が残した考古文化は、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期文化」とされるバチョキリアン(Bachokirian)とボフニチアン(Bohunician)だろう、と推測しています。どちらもその前にこの地域に存在したカイルメッサー(Keilmesser)グループと技術的断絶がある、と本論文は指摘しています。

 一方、バチョキリアンやボフニチアンと同じ頃に存在した「移行期文化」のセレッティアン(Szeletian)はカイルメッサーグループから発展し、現生人類とネアンデルタール人との間で文化融合が生じたのではないか、と本論文は推測しています。45000年前頃になると、イタリア半島にウルッツィアン(Ulzzian)と呼ばれる「移行期文化」が出現します。本論文は、共伴人骨からも、細石器と呼べそうな小さな石器が多いことからも、ウルッツィアンの担い手は現生人類だと判断しています。ほぼ同時かその少し後に、フランス南西部~スペイン北東部にかけて、同じく「移行期文化」のシャテルペロニアン(Châtelperronian)が出現します。

 シャテルペロニアンの担い手については、やや詳しく論じられています。シャテルペロニアンに共伴する人骨はネアンデルタール人である、との見解が妥当なのか、本論文を読むと今でも議論が続いており、今後の研究の進展を俟たねばならないのでしょう。本論文は考古学的見地から、シャテルペロニアンはネアンデルタール人の所産と考えられるアシューリアン(Acheulian)伝統ムステリアンタイプBから直接出現したのではなく、両者の間に円盤状石核から素材剥片を用意するタイプのムステリアン(ディスコイドデンティキュレイトムステリアン)が存在しており、それとシャテルペロニアンとの間には技術的な共通性がなく、むしろウルッツィアンとの共通性が目立つことや、ネアンデルタール人の所産と考えられる遺跡数が減少するなか、フランス南西部~スペイン北東部にかけてシャテルペロニアンの遺跡が増加していることから、シャテルペロニアン遺跡の全てがネアンデルタール人の所産と考えると矛盾点が多く、現生人類がその形成に大きく関与していたのではないか、との見解を提示しています。

 この第2期の次は43000~40000年前頃の第3期で、43000年前頃にプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)が出現します。本論文は、その担い手を現生人類と想定しています。プロトオーリナシアンでは狩猟具に装着された背付き小石刃が製作され始め、本論文はこれを狩猟具における革新だと評価しています。第3期には現生人類の(所産と考えられる)文化が拡大する一方で、ネアンデルタール人の所産と考えられるムステリアン遺跡で確実な年代のものはほとんど見られなくなります。

 この第3期の次は40000~37000年前頃の第4期です。39000年前頃のHE4の後、地中海沿岸に広く分布したプロトオーリナシアンは見られなくなり、現生人類の所産と考えられる前期オーリナシアン(Early Aurignacian)が出現します。一方、確実な年代のムステリアン遺跡は40000年前以降には見られなくなり、ネアンデルタール人は40000年前頃までに絶滅しただろう、というのが本論文の見解です。

 イベリア半島南部には40000年前以降もネアンデルタール人が生存していた、との見解(ネアンデルタール人後期絶滅説)も提示されていますが、現生人類は第4期にもイベリア半島南部に進出しておらず、それはHE4による寒冷化・乾燥化が影響していたと思われるとして、ネアンデルタール人が40000年前以降にイベリア半島南部で生存していた、との見解に本論文は否定的です。

 このように51000~37000年前頃を概観する本論文は、HE5が契機となりネアンデルタール人の数は減っていき、気候が回復した47000年前以降は、現生人類との競争により人口を回復できず、絶滅したのではないか、との見解を提示しています。技術革新を進めていった現生人類にたいして、ネアンデルタール人の側は、たとえ潜在的にはそのような能力があったとしても、人口減少とネットワークの欠如(または乏しさ)により、技術革新が生じにくかったのではないか、と本論文では指摘されています。

 また本論文は、ネアンデルタール人絶滅の前提として、HE5の人口減少により遺伝的多様性が低くなっていたことと、HE5の後の気候変動が激しかったことを挙げています。これらの複合要因により、ヨーロッパのネアンデルタール人は40000年前頃までに絶滅したのではないか、というのが本論文の見解です。近年ではネアンデルタール人の早期絶滅説が優勢なのだな、と本論文を読んで改めて痛感しました。それでも個人的には、イベリア半島南部における後期絶滅説にはまだ可能性がある、と思いたいところですが。


参考文献:
佐野勝宏・大森貴之(2015)「ヨーロッパにおける旧人・新人の交替劇プロセス」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P20-35

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