門脇誠二「ホモ・サピエンスの地理分布拡大に伴う考古文化の出現パターン」(追記有)
西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やデニソワ人(種もしくは亜種区分未定)との交雑も想定した、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説を前提として、現生人類の地理的拡大の過程が考古記録にどのように反映されているのか、現生人類の拡大とネアンデルタール人など在地の先住人類の絶滅または現生人類への交雑を通じた吸収の要因について、当時の行動記録や環境から明らかにできるのか、という問題を検証しています。現生人類と在地の先住人類との「交替劇」の期間の人骨は少ないのですが、本論文はそうした制約のなかで、現生人類拡大の具体的様相およびその要因を慎重に検証しています。
現生人類の拡散と考古記録の問題に関しては、現生人類の地理的拡大が考古文化の地理分布に反映されるという見解と、多様な環境への適応が伴っていただろう現生人類の地理的拡大では、拡散元の文化が拡散先で継承されているとは限らないのではないか、という見解が提示されています。また、現生人類の拡散の要因については、自然環境の変化を重視する見解と、技術・社会・認知構造を重視する見解が提示されています。本論文は、現生人類もネアンデルタール人も地理的・時間的に広範に存在しており変異幅が大きかっただろうとの見通しから、特定の仮説・モデルに依拠して全体像を解釈するのではなく、個別の具体的事例に即して現生人類の拡散を検証しています。
現生人類の地理的拡大の好例としてよく取り上げられるのが、125000~70000年前頃の温暖期の海洋酸素同位体ステージ(MIS)5における現生人類のレヴァントへの進出です。しかし本論文は、現生人類の所産とされるこの時期のタブン(Tabun)CがMIS6までさかのぼる可能性を指摘しており、現生人類が温暖期にアフリカからレヴァントへと北上した、とする見解を直ちに認めることは躊躇されます。さらに本論文は、タブンCの起源となりそうな文化がアフリカ北東部では発見されていないことから、タブンCは外来ではなくレヴァントで生じたのだろう、と指摘しています。同じくMIS5の、現生人類の所産の可能性が想定されるアフリカ北部のアテリアン(Aterian)についても、MIS6までさかのぼる可能性があることと、サハラ砂漠以南のアフリカに起源となりそうな文化が発見されていないことが指摘されています。
一方、アラビア半島ではレヴァントやアフリカ北部とは異なる様相が見られる、と本論文は指摘します。MIS5のアラビア半島の石器文化には、アフリカ東部が起源と考えられる石器技術との類似が指摘されています。人骨が少ないので安易に断定はできませんが、温暖なMIS5にアフリカ東部からアラビア半島へと現生人類が進出した可能性をじゅうぶん想定できそうです。レヴァントやアフリカ北部とアラビア半島とのこうした考古記録の様相の違いの要因として、前者にはMIS5より前の時点ですでに現生人類かタブンCやアテリアンといった文化が存在していた可能性があるのにたいして、後者にはほとんど先住の人類集団がいなかった可能性が高い、ということを本論文は指摘しています。
MIS5に続いて、本論文は「交替劇」が本格的に進行したと考えられる5万~4万年前頃について検証しています。この時期のレヴァントには、上部旧石器時代初頭に位置づけられるエミラン(Emiran)が出現します。その特徴は、ルヴァロワ方式を応用させた剥片剥離技術による縦長ポイントの製作です。このエミランと類似した石器技術が、ヨーロッパ中部~南東部にかけて存在する、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」とされるボフニチアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)です。エミランの担い手について、現時点では議論の余地もあるようですが、現生人類の可能性が高そうです。
エミランに関してはその多様性が指摘されており、時期的には前半と後半で区別されています。そうした変化から、エミランの担い手である人類集団ではエミラン後期になって人口が増加し、地理的に拡大していくとともに、象徴行動の多様化が進んだのではないか、と本論文は推測しています。しかし本論文は、そうした人口増と拡散によりエミラン的な石器技術がヨーロッパにまで拡大していった、との見解には否定的です。それは、ボフニチアンが類似しているのはエミランでも後期ではなく前期だからです。本論文は、エミラン的な石器技術がヨーロッパにまで拡大したのは気候変動による可能性がある、と指摘しています。
レヴァントにてエミランに接続するのは前期アハマリアン(Early Ahmarian)です。ヨーロッパ南部において「移行期インダストリー」として最後に出現したのはプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)です。両者に共通するのは尖頭状細石刃技術で、これはザグロス地方の上部旧石器文化である前期バラドスティアン(Early Baradostian)やコーカサス地方の上部旧石器時代初頭の石器群にも見られ、広範に確認されているのが注目されます。この尖頭状細石刃技術の広範な分布については、レヴァントからヨーロッパへと現生人類の拡散に伴って前期アハマリアンが伝播し、ヨーロッパにおいてプロトオーリナシアンが出現した、とする見解と、前期アハマリアンとプロトオーリナシアンは同時に出現したのであり、各地で発生した石器技術の相互伝播により同一化していった、とする見解が提示されています。両見解が異なっているのは年代の相違によるところが大きいので、現時点では判断の難しいところもあります。
また本論文は、各地域における先行するインダストリーとの関係が明らかにされねばならない、と注意を喚起しています。たとえば、レヴァントではエミランから前期アハマリアンへの技術的連続性が見られますが、ヨーロッパ南部ではどうなのか、というわけです。本論文は、前期アハマリアンやプロトオーリナシアンに関して、それに先行するエミランやシャテルペロニアン(Châtelperronian)との技術的違いが、後続するオーリナシアン(Aurignacian)との違いと比較して大きいとは言えない、とする見解を取り上げています。しかし一方で本論文は、エミランから前期アハマリアンへの連続性が、北方の前期アハマリアンでは確認されている一方で、プロトオーリナシアンと対比されるべき南方の前期アハマリアンでは明確でないことを指摘し、レヴァントにおける尖頭状細石刃技術の出現が連続的・漸進的というよりも、ある程度画期的だった可能性も考慮に入れています。
ザグロスやコーカサス地方では、尖頭状細石刃技術の出現に先行するのはムステリアン(Mousterian)となります。両者の間の技術差が明らかに大きいことから、ザグロスやコーカサス地方の尖頭状細石刃技術は、レヴァントもしくはヨーロッパから進出してきた現生人類によりもたらされた、という可能性を本論文は想定しています。なお、ザグロスのムステリアンの担い手はネアンデルタール人とされています。このように、尖頭状細石刃技術に関しては、各地で出現した細石刃技術が社会交流を通じて同一化されていった可能性のあるレヴァントから南ヨーロッパにかけての地域と、現生人類の地理的拡大にともなって伝播した可能性のあるザグロスやコーカサスといった地域とが考えられます。
現生人類との関連が想定される考古記録(石器技術)は、その地理的拡大の様相と要因について、上述した諸見解のうちどれか一つにのみ依拠することはできなさそうです。本論文は、現生人類との関連が想定される考古記録を、大きく三区分にまとめています。最初は、現生人類の拡散に伴って特定の文化が伝播していく、アラビア半島の中部旧石器文化やザグロスおよびコーカサスの尖頭状細石刃技術といった事例です。次は、現生人類の拡散先に新たな文化が発生したか、新たな文化要素が導入された、バチョキリアンの装身具や骨器、ボフニチアンの両面加工尖頭器といった事例です。最後が、各地で出現した文化が地域間の相互交流を通じて次第に同一化した(可能性のある)、レヴァントの前期アハマリアンや南ヨーロッパのプロトオーリナシアンの事例です。
現生人類の拡散要因について、温暖化がよく指摘されていますが、上述したレヴァントのタブンCやアフリカ北部のアテリアンの事例などから、温暖期以外にも現生人類が拡散した可能性があるので、気候以外の要因の検証も必要だ、と本論文は指摘しています。本論文も、これまでの著者の他の著書・論文と同様に、慎重な姿勢で「交替劇」の様相が検証されているので、大いに参考になります。「交替劇」の時期の人骨はまだ少なく、今後も劇的に増加することは期待できませんので、その解明にはやはり考古学の役割が重くなります。まだ年代について議論が確定したとは言い難いインダストリーが少なくないようなので、今後の研究の進展が注目されます。
参考文献:
門脇誠二(2015)「ホモ・サピエンスの地理分布拡大に伴う考古文化の出現パターン―北アフリカ・西アジア・ヨーロッパの事例―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P3-19
追記(2015年4月24日)
本論文の著者の門脇誠二氏、大森貴之氏、本論文を所収した『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』の編者の西秋良宏氏による共著論文が『Journal of Human Evolution』82巻に掲載予定(P67-87)とのことで、その掲載告知と解説が公表されました。この共著論文「前期アハマリアン石器技術の多様性およびプロト・オーリナシアン文化のレヴァント起源モデルへの示唆」が公開されたら、このブログで取り上げる予定です。
現生人類の拡散と考古記録の問題に関しては、現生人類の地理的拡大が考古文化の地理分布に反映されるという見解と、多様な環境への適応が伴っていただろう現生人類の地理的拡大では、拡散元の文化が拡散先で継承されているとは限らないのではないか、という見解が提示されています。また、現生人類の拡散の要因については、自然環境の変化を重視する見解と、技術・社会・認知構造を重視する見解が提示されています。本論文は、現生人類もネアンデルタール人も地理的・時間的に広範に存在しており変異幅が大きかっただろうとの見通しから、特定の仮説・モデルに依拠して全体像を解釈するのではなく、個別の具体的事例に即して現生人類の拡散を検証しています。
現生人類の地理的拡大の好例としてよく取り上げられるのが、125000~70000年前頃の温暖期の海洋酸素同位体ステージ(MIS)5における現生人類のレヴァントへの進出です。しかし本論文は、現生人類の所産とされるこの時期のタブン(Tabun)CがMIS6までさかのぼる可能性を指摘しており、現生人類が温暖期にアフリカからレヴァントへと北上した、とする見解を直ちに認めることは躊躇されます。さらに本論文は、タブンCの起源となりそうな文化がアフリカ北東部では発見されていないことから、タブンCは外来ではなくレヴァントで生じたのだろう、と指摘しています。同じくMIS5の、現生人類の所産の可能性が想定されるアフリカ北部のアテリアン(Aterian)についても、MIS6までさかのぼる可能性があることと、サハラ砂漠以南のアフリカに起源となりそうな文化が発見されていないことが指摘されています。
一方、アラビア半島ではレヴァントやアフリカ北部とは異なる様相が見られる、と本論文は指摘します。MIS5のアラビア半島の石器文化には、アフリカ東部が起源と考えられる石器技術との類似が指摘されています。人骨が少ないので安易に断定はできませんが、温暖なMIS5にアフリカ東部からアラビア半島へと現生人類が進出した可能性をじゅうぶん想定できそうです。レヴァントやアフリカ北部とアラビア半島とのこうした考古記録の様相の違いの要因として、前者にはMIS5より前の時点ですでに現生人類かタブンCやアテリアンといった文化が存在していた可能性があるのにたいして、後者にはほとんど先住の人類集団がいなかった可能性が高い、ということを本論文は指摘しています。
MIS5に続いて、本論文は「交替劇」が本格的に進行したと考えられる5万~4万年前頃について検証しています。この時期のレヴァントには、上部旧石器時代初頭に位置づけられるエミラン(Emiran)が出現します。その特徴は、ルヴァロワ方式を応用させた剥片剥離技術による縦長ポイントの製作です。このエミランと類似した石器技術が、ヨーロッパ中部~南東部にかけて存在する、中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」とされるボフニチアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)です。エミランの担い手について、現時点では議論の余地もあるようですが、現生人類の可能性が高そうです。
エミランに関してはその多様性が指摘されており、時期的には前半と後半で区別されています。そうした変化から、エミランの担い手である人類集団ではエミラン後期になって人口が増加し、地理的に拡大していくとともに、象徴行動の多様化が進んだのではないか、と本論文は推測しています。しかし本論文は、そうした人口増と拡散によりエミラン的な石器技術がヨーロッパにまで拡大していった、との見解には否定的です。それは、ボフニチアンが類似しているのはエミランでも後期ではなく前期だからです。本論文は、エミラン的な石器技術がヨーロッパにまで拡大したのは気候変動による可能性がある、と指摘しています。
レヴァントにてエミランに接続するのは前期アハマリアン(Early Ahmarian)です。ヨーロッパ南部において「移行期インダストリー」として最後に出現したのはプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)です。両者に共通するのは尖頭状細石刃技術で、これはザグロス地方の上部旧石器文化である前期バラドスティアン(Early Baradostian)やコーカサス地方の上部旧石器時代初頭の石器群にも見られ、広範に確認されているのが注目されます。この尖頭状細石刃技術の広範な分布については、レヴァントからヨーロッパへと現生人類の拡散に伴って前期アハマリアンが伝播し、ヨーロッパにおいてプロトオーリナシアンが出現した、とする見解と、前期アハマリアンとプロトオーリナシアンは同時に出現したのであり、各地で発生した石器技術の相互伝播により同一化していった、とする見解が提示されています。両見解が異なっているのは年代の相違によるところが大きいので、現時点では判断の難しいところもあります。
また本論文は、各地域における先行するインダストリーとの関係が明らかにされねばならない、と注意を喚起しています。たとえば、レヴァントではエミランから前期アハマリアンへの技術的連続性が見られますが、ヨーロッパ南部ではどうなのか、というわけです。本論文は、前期アハマリアンやプロトオーリナシアンに関して、それに先行するエミランやシャテルペロニアン(Châtelperronian)との技術的違いが、後続するオーリナシアン(Aurignacian)との違いと比較して大きいとは言えない、とする見解を取り上げています。しかし一方で本論文は、エミランから前期アハマリアンへの連続性が、北方の前期アハマリアンでは確認されている一方で、プロトオーリナシアンと対比されるべき南方の前期アハマリアンでは明確でないことを指摘し、レヴァントにおける尖頭状細石刃技術の出現が連続的・漸進的というよりも、ある程度画期的だった可能性も考慮に入れています。
ザグロスやコーカサス地方では、尖頭状細石刃技術の出現に先行するのはムステリアン(Mousterian)となります。両者の間の技術差が明らかに大きいことから、ザグロスやコーカサス地方の尖頭状細石刃技術は、レヴァントもしくはヨーロッパから進出してきた現生人類によりもたらされた、という可能性を本論文は想定しています。なお、ザグロスのムステリアンの担い手はネアンデルタール人とされています。このように、尖頭状細石刃技術に関しては、各地で出現した細石刃技術が社会交流を通じて同一化されていった可能性のあるレヴァントから南ヨーロッパにかけての地域と、現生人類の地理的拡大にともなって伝播した可能性のあるザグロスやコーカサスといった地域とが考えられます。
現生人類との関連が想定される考古記録(石器技術)は、その地理的拡大の様相と要因について、上述した諸見解のうちどれか一つにのみ依拠することはできなさそうです。本論文は、現生人類との関連が想定される考古記録を、大きく三区分にまとめています。最初は、現生人類の拡散に伴って特定の文化が伝播していく、アラビア半島の中部旧石器文化やザグロスおよびコーカサスの尖頭状細石刃技術といった事例です。次は、現生人類の拡散先に新たな文化が発生したか、新たな文化要素が導入された、バチョキリアンの装身具や骨器、ボフニチアンの両面加工尖頭器といった事例です。最後が、各地で出現した文化が地域間の相互交流を通じて次第に同一化した(可能性のある)、レヴァントの前期アハマリアンや南ヨーロッパのプロトオーリナシアンの事例です。
現生人類の拡散要因について、温暖化がよく指摘されていますが、上述したレヴァントのタブンCやアフリカ北部のアテリアンの事例などから、温暖期以外にも現生人類が拡散した可能性があるので、気候以外の要因の検証も必要だ、と本論文は指摘しています。本論文も、これまでの著者の他の著書・論文と同様に、慎重な姿勢で「交替劇」の様相が検証されているので、大いに参考になります。「交替劇」の時期の人骨はまだ少なく、今後も劇的に増加することは期待できませんので、その解明にはやはり考古学の役割が重くなります。まだ年代について議論が確定したとは言い難いインダストリーが少なくないようなので、今後の研究の進展が注目されます。
参考文献:
門脇誠二(2015)「ホモ・サピエンスの地理分布拡大に伴う考古文化の出現パターン―北アフリカ・西アジア・ヨーロッパの事例―」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P3-19
追記(2015年4月24日)
本論文の著者の門脇誠二氏、大森貴之氏、本論文を所収した『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』の編者の西秋良宏氏による共著論文が『Journal of Human Evolution』82巻に掲載予定(P67-87)とのことで、その掲載告知と解説が公表されました。この共著論文「前期アハマリアン石器技術の多様性およびプロト・オーリナシアン文化のレヴァント起源モデルへの示唆」が公開されたら、このブログで取り上げる予定です。
この記事へのコメント
門脇氏がようやくアラビア半島を含めた見解を述べてくれたようですね。
筋書きがかなり複雑な様子ですので、さっそく本書を購入してじっくり読みたいと思います。
日本の出版状況が悪化しているなか、『ホモ・サピエンスと旧人』シリーズのような本を日本語で読めるとは、ありがたいことだと思います。