『天智と天武~新説・日本書紀~』第62話「大津遷都」
『ビッグコミック』2015年4月25日号掲載分の感想です。前回は、額田王邸を訪ねて額田王と十市皇女の無事を確認して帰宅しようとした大海人皇子(天武帝)を、額田王が引き留めるところで終了しました。今回は、667年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)3月19日、都が後飛鳥岡本宮から近江大津宮へと遷り、大海人皇子と鵲が大津宮近くの池?で釣りをしている場面から始まります。
結局、中大兄皇子(天智帝)は宣言通り1年で遷都を実現しました、反対して飛鳥に留まった貴族・豪族は僅かです、と鵲に話しかけられた大海人皇子は、兄上(中大兄皇子)はどんな横車でも押し切る人だ、と答えます。のんびりとした様子で仰向けになっている大海人皇子に、人のことを言えるのですか、横車を押しているのは大海人皇子では、と鵲は語りかけます。どういう意味だ、と大海人皇子に尋ねられた鵲は、昨年(666年)夏のことを話します。
前回、鵲は大海人皇子の命により、額田王邸の近くに放火し、大海人皇子は額田王と十市皇女が心配だという口実で、額田王邸を訪ねました。それ以来・・・と鵲が言うと、それ以来何なのだ、と大海人皇子は尋ねます。鵲は、道理に合わないことをしているのではないか、と大海人皇子に問い質します。鵲は、去年(666年)大海人皇子の妻の大田皇女が病気で亡くなって寂しいのは分かりますが・・・と言って、大海人皇子を責めつつも気遣います。
大田皇女には可哀想なことをした、出産の時期が(朝鮮半島での)戦いと重なり、不安でたまらなかったのだろう、産後たちまち病弱になり、まだ22歳という若さで死なせてしまった、と大海人皇子は言います。大田皇女は、おそらく作中では645年後半の生まれと設定されているので、数え年ということになりそうです。ここで死の間際らしい大田皇女の回想場面が描かれ、大田皇女は、子供たち(大伯皇女と大津皇子)をお願いします、と夫の大海人皇子に頼んでいます。第42話以来久々の登場となる大田皇女でしたが、あっさりと退場となりました
大田皇女が若くして亡くなったのを可愛そうに思うのならば、額田王と会うのは控えた方がよいだろう、と鵲は大海人皇子に忠告します。中大兄皇子に知られたら二人とも殺されてしまう、と鵲は懸念していました。しかし大海人皇子は事態を深刻に考えている様子ではなく、娘の十市皇女に会いに行っているだけで、鵲が心配するような関係ではない、と答えます。
すると鵲は呆れたように、子供ならば、草壁皇子・大伯皇女・大津皇子なども多くいるでしょう、と言います。大海人皇子はそれには答えず、糸が引いているぞ、と言って立ち上がり、鵲とともに釣りに興じます。この時の大海人皇子は実に無邪気な様子で笑っています。大海人皇子は生まれた直後から、にこにこと笑う愛嬌のある皇子で、大君(天皇)になったら多くの民に慕われるだろう、と言われていました(第20話)。そこが大海人皇子の人望の一因にもなっている、ということなのでしょう。
ここで、前回の最後に描かれた、大海人皇子が額田王邸を訪ねる場面に変わります。額田王から引き留められてその邸宅に入った大海人皇子に、何をたくらんでいるのか、と額田王は尋ねます。大海人皇子はとぼけて、額田王邸の近くで火事があったから心配で来ただけだ、と答えます。すると額田王はクスッと笑い、本当にそれだけならば、私が誘ったとしても屋敷に入ることはないでしょう、ましてや自分は中大兄皇子の妻なのですから、と言います。
酒を飲みながら、それはどうかな、と言った大海人皇子は突然額田王を押し倒し、さすがに強心臓の額田王もやや驚きます。兄上(中大兄皇子)の妻だから奪う楽しみがある、と言う大海人皇子にたいして、近頃の中大兄皇子の横暴ぶりは目に余るものがあるので、他の方に奪われてみるのもよいかもしれない、と額田王は答えます。明示されていませんが、二人はそのまま再び肉体関係を結んだようです。
額田王が大海人皇子を受け入れたのは、「巡り物語」にて中大兄皇子にも惹かれてしまったとはいえ、大海人皇子の方を愛しているから、ということでもあるのでしょうが、最近の中大兄皇子の暴走に危機感を抱いており、中大兄皇子を止める役割として大海人皇子に期待しているから、ということなのでしょうか。娘の十市皇女は父の大海人皇子をたいへん慕っているので、母が大海人皇子とよりを戻したとしても、「不義の関係」だと非難することはなく、喜びそうです。
場面は変わって、現在の額田王邸です。十市皇女が、御料地の蒲生野には明日出発ね、と言っているので、667年5月4日のことだと思われます。『日本書紀』によると、蒲生野での遊猟は668年5月5日のこととされていますが、作中では、これが667年のこととされているようです。あるいは、668年5月5日の蒲生野での遊猟とは別に、その前年の5月5日にも蒲生野で遊猟が行なわれた、という設定なのかもしれません。
十市皇女は、紫草を摘みながら他の皇女たちとお喋りできるということで、蒲生野での遊猟を楽しみにしているようであり、晴れることを願っています。母上もそうでしょう、と十市皇女が額田王に尋ねても、額田王からは返事がありません。聞いていますか、と十市皇女に尋ねられた額田王は、もちろんよ、と慌てて答えます。額田王は何か考え事をしていたのか、娘の話をよく聞いていなかったようです。十市皇女は、母がいつものように歌の世界に浸っており、それで自分の話を聞いていなかったのだろう、と考えたようです。
額田王は話題を変え、もう16歳なのに他に楽しみはないのか、嫁いでもおかしくない年齢なのだから、気になる殿方はいないのか、と十市皇女に尋ねます。十市皇女は作中では651年夏頃の生まれと設定されているようなので、ここでは満年齢が採用されているようです。十市皇女は、満年齢で14~15歳だっただろう前回は、満年齢で9歳だった頃と外見はあまり変わりませんでしたが、今回は年齢相応に成長しているように描かれています。
母に気になる男性はいないのか、と尋ねられた十市皇女ですが、とくに意中の人はいないようで、返答に困惑してしまいます。すると額田王は、年齢も身分も合う大友皇子はどうだろう、と十市皇女に尋ねます。どうも、大海人皇子から額田王に、それとなく十市皇女と大友皇子との結婚の話があったようです。十市皇女はとくに反発するわけでもなく、よいとは思うが、結婚は親の決めることだ、と割り切った様子で答え、これは額田王にとってもやや意外だったようです。
中大兄皇子の長男である大友皇子は、この国の最高権力者の血を引いているのだから、自分にはもったいないくらいかもしれない、欲を言えば、父の大海人皇子の血を引く皇子が希望と言いたいけど、こだわりはない、高市皇子(作中設定では、十市皇女よりも3年後に生まれたようです)なんかも素敵ね、と十市皇女は快活な様子で答えます。結婚に関して実に割り切った様子の娘に、額田王は苦笑します。
667年5月5日、蒲生野(現在の近江八幡市蒲生郡安土町など一帯の平野)にて泊りがけで宮廷をあげての壮大な遊猟が行なわれました。遊猟(みかり)とは薬猟(くすりがり)とも言い、男は角が薬用となる鹿を狩り、女は薬草(紫草という染料にもなる植物)を摘み、紫草の咲き乱れる蒲生野一帯は皇室占有の御料地・標野(しめの)であり、杭や竹で周りが囲まれ、この地を管理する番人(野守)が置かれて、一般人の侵犯が禁じられていた、と説明文にて解説されています。
馬上の中大兄皇子は、鹿を追い込むべく指示を出していました。額田王が薬草を摘んでいると、久しぶりね、と鸕野讚良皇女(持統天皇)が話しかけます。大海人皇子の妻である鸕野讚良皇女は第42話以来久々の登場となりますが、容貌が少し変わったように見えます。以前と同じく、父の中大兄皇子と容貌が似てはいるのですが、その時よりも個性が強くなった感じで、今回の方が以前よりも美しく見えます。また、以前よりも気の強さと冷酷さが強く表れているようにも感じました。
姉上(大田皇女)の葬儀以来かしら、と鸕野讚良皇女に話しかけられた額田王は、ご無沙汰しています、と答えます。父上(中大兄皇子)をよろしく頼みますね、と鸕野讚良皇女に言われた額田王は、力の及ぶ限り、と答えます。すると鸕野讚良皇女は意味深な表情で、くれぐれも私の夫(大海人皇子)ではなく、父上(中大兄皇子)を、と念押しして立ち去ります。大海人皇子と額田王がよりを戻した、というか密通しているとの噂は、すでに都の人々に広く知られているようです。
鸕野讚良皇女が額田王のもとから立ち去った後、下馬した大海人皇子が丘の上から笑顔で額田王に呼びかけます。今からそちらへ行くから、と大海人皇子が大声で額田王に呼びかけたので、その場にいた女性たちの多くもこれに気づき、鸕野讚良皇女の侍女二人は狼狽えます。大海人皇子は馬に乗って一気に丘から下り、こんなところにいたのか、探したぞ、と言って額田王のもとに駆けつけます。
薬草を摘んでいる周囲の女性たちは、この「不義の関係」を咎めるようにひそひそと話しており、強心臓の額田王もさすがに動揺します。しかし、大海人皇子の方はまったく気にした様子を見せず、額田王は苦笑して、噂になることなどお構いなしですね、と大海人皇子に言います。大海人皇子は実に堂々とした態度で、当然だ、何も悪いことはしていない、と明るく答えます。その様子を、鸕野讚良皇女とその侍女二人が離れた場所から見ており、鸕野讚良皇女は嫉妬と怒りに満ちたような表情を浮かべつつ、立ち去ります。
大海人皇子と額田王は、腰を下ろして語り合います。とくに想い人はおらず、大友皇子に嫁いでもよいと十市皇女は言っていたので、嫁げと言われればそうするでしょう、と額田王から聞いた大海人皇子は、最近よく中臣鎌足のことを考える、と言います。自慢の愛息だった定恵(真人)が殺されるよう仕向けた時の鎌足の心境はどうだったのだろう、というわけです。父親の鎌足にとって、それが何より残酷なことを、兄の中大兄皇子は分かっていたのだ、と大海人皇子は語ります。
中大兄皇子は男児に恵まれず、生まれても夭折したり(建皇子のことなのでしょう)、母親の身分が低かったりで、今では采女に産ませた大友皇子が唯一の期待の息子なのだ、と大海人皇子は考えていました。じっさい、中大兄皇子の息子で、皇族(王族)を母とする者はおらず、蘇我氏など中央有力豪族の娘を母とする者も、夭折した建皇子(母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智媛)だけです。対照的に大海人皇子には、皇族や中央有力豪族の娘との間に7人もの息子がいました(壬申の乱の時点ですでに全員生まれていたわけではありませんが)。これは、天智帝没後の皇位継承争いの要因となったのでしょう。
また、飛鳥時代後期~奈良時代後期にかけての男性天皇が「天武系」なのも、「天智系」と「天武系」との対立という観念・枠組みが存在したというよりは、天智帝の息子で母方の出自が天皇(大王)に相応しいのは夭折した建皇子しかいなかった、という事情が大きかったのではないか、と思います。大友皇子は、今回、父の中大兄皇子に従って鹿を追い込み、見事に矢を命中させたので、中大兄皇子は満足そうに笑います。その息子を奪われたら、中大兄皇子はどんな気持ちだろうか、と大海人皇子は考えていました。
中大兄皇子は奪うばかりで奪われたことのない方なので、怒りや悲しみがどのような形をとるのか、想像もつかない、と額田王は言います。額田王はこう言っていますが、母の斉明帝(宝皇女)を蘇我入鹿に奪われたこと(母の相手が入鹿だということを中大兄皇子が知ったのは、母に疎んじられていると気づいてからずっと後のことだったようですが)が、中大兄皇子の人格形成に大きな影響を与えており、作中では核となる設定のはずです。額田王も大海人皇子もこのことをよく知っているはずなのですが・・・。あるいは、中大兄皇子が実質的な最高権力者となった後のことを、額田王は言っているのでしょうか。
十市皇女に大友皇子の妻になるよう命じるということですか、と額田王に尋ねられた大海人皇子は、くだらない争いに巻き込まれるかもしれないので忘れてくれ、と言って立ち上がます。すると、大海人皇子と額田王との会話を聞いていたらしい十市皇女が現れて、面白そう、と言います。父上の役に立てるのならば、大友皇子に嫁いでもよい、と十市皇女が屈託なく言うと、さすがに両親の大海人皇子と額田王も驚きます。
その晩、蒲生野では宴が開かれました。なかなかの収穫があったということで、中大兄皇子は上機嫌です。大友皇子が見事に鹿を射止めたことも上機嫌の一因なのでしょうか。十市皇女は、さっそく大友皇子に近づき、酒を注いでいます。にこやかな表情の十市皇女にたいして、意外だったのか、大友皇子はやや驚いたような表情を浮かべます。この大友皇子の表情は、やや年下の(大友皇子はこの時点で満年齢18~19歳)美少女が酒を注いでくれたことに照れているようにも見えます。宴の場では、モブキャラと思われる女性たちが、大海人皇子と額田王との「密会」について小声で噂し、中臣鎌足(豊璋)が周囲を冷静に観察していました。中大兄皇子が愉快そうに酒を飲んでいるところで、今回は終了です。
今回は、密度が濃かったというか、情報量が多かったように思います。また、一気に物語が進んだ感もあります。定恵帰国編がゆったりとしていたというか、間延びした感があったので、余計にそう思います。このところずっとそうなのですが、今回も掲載順序が悪いように思われるので、打ち切りが決定して69話~70話(単行本での掲載話数からの推測)で完結させるために進行を速めたのではないか、と心配になります。今回のような速度で話を進めていけば、70話で完結になったとしても、きょくたんに不自然ではないかもしれません。近江への遷都は、もう少し丁寧に描いてもらいたかったというか、そうなると予想していたのですが・・・。
密度の濃かった今回は注目点が多いのですが、まずは大海人皇子の意図についてです。鎌足の行動を読み間違ったことから、保護しようとしていた定恵を殺されてしまった大海人皇子は、中大兄皇子と鎌足に一矢報いようと考えていますが、まだ有効な反撃はできていません。前回、大海人皇子が額田王を訪ねたのには、深い意図があったのかな、と思ったのですが、額田王とよりを戻した程度で、他にはせいぜい十市皇女と大友皇子との結婚を考えていたくらいでした。
大海人皇子は、今では中大兄皇子の妻の一人である額田王との密通、あるいはそう周囲に思わせることにより、中大兄皇子の猜疑心を煽って精神的打撃を与えようとしているのかもしれない、と前回を読んだ時点では予想していました。ただ、中大兄皇子の方は、大海人皇子から大切な人を奪って精神的打撃を与えようという意図で、額田王を大海人皇子から奪っただけであり、額田王にたいしてさほど執着しているようには見えませんから、精神的打撃は小さいかもしれません。
今回の大海人皇子と額田王との会話からも、二人がよりを戻して中大兄皇子が精神的打撃を受けることを、大海人皇子は期待していないようですから、別の意図があるのかもしれません。最高権力者が妻の一人を寝取られたとなると、確証がなく噂話の段階でも、その権威には打撃となるでしょうから、大海人皇子はそれを狙っているのかもしれません。とはいえ、作中で鵲が案じていたように、これはかなり危険な賭けとなります。大海人皇子は、今でも額田王は自分を愛していると確信しているので、言い逃れはできる、と考えているのでしょうか。
どうも、大海人皇子が額田王とよりを戻したこと自体は、少なくとも現時点では、中大兄皇子と鎌足に一矢報いることにはなっていないように思います。これでは、中大兄皇子と鎌足に一矢報いるという名分を掲げて、大海人皇子が単に未練のある額田王とよりを戻したかっただけではないか、とも解釈できそうです。ただ、大海人皇子と額田王との間の娘の十市皇女が重要な役割を担いそうだと考えると、大海人皇子が額田王とよりを戻したのは、十市皇女とのつながりを強めるというか、額田王に十市皇女を説得させることも意図していたのかな、と思います。
大海人皇子は十市皇女と大友皇子との結婚を計画し、それが中大兄皇子から愛息の大友皇子を奪うことになり、精神的打撃を与えるだろう、と考えているようです。まさか、十市皇女とその従者に大友皇子を殺させようとしているわけではないでしょうから、十市皇女と大友皇子との結婚がなぜ中大兄皇子から愛息の大友皇子を奪うことになるのか、どうもよく分からないところがあります。美しく人柄のよい十市皇女に大友皇子が夢中になって父の中大兄皇子から離れていくということなのか、それとも、十市皇女は父の大海人皇子を慕っているので、十市皇女との結婚により、大友皇子が大海人皇子に取り込まれていく、ということなのでしょうか。
十市皇女は、現時点ではとくに想い人はいないようです。十市皇女は高市皇子を素敵だと言っていましたが、多少好意を抱いている、といった程度のようです。飛鳥時代の創作ものでは定番の一つとも言える高市皇子と十市皇女との恋は、作中では十市皇女から高市皇子へという形では描かれなさそうです。その逆は描かれるかもしれませんが、第32話にのみ登場している高市皇子は、その外見からモブキャラのようにも思えるので、作中では二人の恋はとくに描かれないのかもしれません。
十市皇女は大友皇子にたいして、悪い印象は抱いていないようですが、だからといって強い好意を抱いているわけでもなく、どちらかと言うと高市皇子の方が好ましい、といった程度の考えのようです。しかし、十市皇女は相変わらず父の大海人皇子をたいへん慕っているので、父の意向であれば喜んで大友皇子と結婚する、という考えのようです。この様子だと、作中では、壬申の乱の時に十市皇女は苦悩することなく、喜んで夫を裏切るというか、父のために動こうとしそうです。あるいは、十市皇女は大友皇子との結婚後に夫への愛を抱いていき、壬申の乱では苦悩することになるのでしょうか。
大友皇子は、定恵帰国編で背景の一人としてわずかに描かれたことはありましたが、本格的な登場は第41話以来となります。大友皇子は順調に成長しているようで、文武両道の優秀な青年と言えそうです。大友皇子に帝位への野心があるのか、まだ分かりませんが、父の中大兄皇子をはじめとして周囲に期待され、煽られて、帝位への野心を強めていき、おそらく現時点ではまだ慕っているだろう叔父の大海人皇子とも対立していくのでしょうか。大友皇子と十市皇女との夫婦関係がどのように描かれるのか、たいへん注目されます。
今回、描写はわずかでしたが、大田皇女が亡くなったことが明かされたのも注目されます。大海人皇子によると、大田皇女は出産の時期が朝鮮半島での戦いと重なり、不安でたまらなかったので、産後たちまち病弱になり、22歳という若さで死んでしまった、ということです。ただ、長女の大伯皇女を産み、その2年後に長男の大津皇子を産んで間もなくの頃と思われる663年夏の時点では、大田皇女はかなり元気そうに見えたのですが・・・。その直後に夫が出征し、倭(日本)軍は大敗したということで、心労が重なってしまったのでしょうか。今後、回想場面にて、妹の鸕野讚良皇女に毒殺された、という話が描かれるようなことがなければよいのですが・・・。
大田皇女は、子供の頃(単行本第1集)は大海人皇子に母方祖父の蘇我倉山田石川麻呂の仇討を頼むなど、存在感があったのですが、大海人皇子との結婚後はあまり目立たず、結局重要な役割を担うことなく退場となりました。結婚後の扱いがよくなかったので、大田皇女の死はほとんど描かれないかもしれない、とも予想していましたが(関連記事)、こうもあっさりと退場となると、残念でなりません。結婚後の大田皇女が父の中大兄皇子や祖父の仇である鎌足にたいしてどのような感情を抱いていたのか、語られるとよかったのですが。
その大田皇女の同父同母妹である鸕野讚良皇女は、大海人皇子との結婚後に登場しましたが、こちらも姉と同じく、これまで存在感の薄いところがありました。鸕野讚良皇女の数少ないこれまでの描写からは、気の強い性格が窺えました。上述したように、今回の鸕野讚良皇女は、以前と容貌が少し変わったように見えます。気の強さは相変わらずといった感じですが、冷酷さと嫉妬深さが新たに強く印象に残りました。どうも鸕野讚良皇女は、飛鳥時代の創作の多くで、このような人物造形になるようです。
鵲の発言からは、大海人皇子は十市皇女以外の子供たちとその母親をあまり訪ねていないのかな、とも考えられます。鸕野讚良皇女からすると、夫の大海人皇子があまり自分と息子の草壁皇子を訪ねて来ず、父の妻である額田王と「不義の関係」になったということで、不満に思い、額田王に嫉妬するのは当然なのかもしれません。その嫉妬が額田王の娘の十市皇女にも向けられ、十市皇女の早い死に関係しているという話になりそうな気もしますが、作中ではそこまでは描かれなさそうです。
作中では気が強くて嫉妬深く冷酷そうな鸕野讚良皇女は、夫の大海人皇子(天武帝)を政治的に支えた、と伝わっていますが、まだ鸕野讚良皇女の政治的手腕は描かれていません。鸕野讚良皇女は作中ではあまり目立たないのではないか、とも予想していたのですが、今回の描写を見ると、今後活躍していきそうなので、その政治的手腕や大海人皇子との関係がどう描かれるのか、楽しみです。また、鸕野讚良皇女が父の中大兄皇子や、祖父の仇として恨んでいる鎌足を今ではどう思っているのか、ということも気になります。
予告は、「中大兄皇子、いよいよ天皇へ。一矢報いたい大海人皇子の企みは?・・・・・・次号、大波瀾の即位式!!」となっています。次回いよいよ中大兄皇子が即位するようですが(天智帝)、「大波瀾の即位式」とのことですから、中大兄皇子と鎌足が大海人皇子を出し抜くのか、大海人皇子が中大兄皇子と鎌足に一矢報いるような行動に出るのか、注目されます。中大兄皇子の即位の翌月に倭姫王が皇后(大后)に立てられているので、倭姫王が登場するのか、ということも注目しています。倭姫王は、次回登場しなければ、作中で登場することはなさそうな気がするので、ぜひ次回登場してもらいたいものです。
結局、中大兄皇子(天智帝)は宣言通り1年で遷都を実現しました、反対して飛鳥に留まった貴族・豪族は僅かです、と鵲に話しかけられた大海人皇子は、兄上(中大兄皇子)はどんな横車でも押し切る人だ、と答えます。のんびりとした様子で仰向けになっている大海人皇子に、人のことを言えるのですか、横車を押しているのは大海人皇子では、と鵲は語りかけます。どういう意味だ、と大海人皇子に尋ねられた鵲は、昨年(666年)夏のことを話します。
前回、鵲は大海人皇子の命により、額田王邸の近くに放火し、大海人皇子は額田王と十市皇女が心配だという口実で、額田王邸を訪ねました。それ以来・・・と鵲が言うと、それ以来何なのだ、と大海人皇子は尋ねます。鵲は、道理に合わないことをしているのではないか、と大海人皇子に問い質します。鵲は、去年(666年)大海人皇子の妻の大田皇女が病気で亡くなって寂しいのは分かりますが・・・と言って、大海人皇子を責めつつも気遣います。
大田皇女には可哀想なことをした、出産の時期が(朝鮮半島での)戦いと重なり、不安でたまらなかったのだろう、産後たちまち病弱になり、まだ22歳という若さで死なせてしまった、と大海人皇子は言います。大田皇女は、おそらく作中では645年後半の生まれと設定されているので、数え年ということになりそうです。ここで死の間際らしい大田皇女の回想場面が描かれ、大田皇女は、子供たち(大伯皇女と大津皇子)をお願いします、と夫の大海人皇子に頼んでいます。第42話以来久々の登場となる大田皇女でしたが、あっさりと退場となりました
大田皇女が若くして亡くなったのを可愛そうに思うのならば、額田王と会うのは控えた方がよいだろう、と鵲は大海人皇子に忠告します。中大兄皇子に知られたら二人とも殺されてしまう、と鵲は懸念していました。しかし大海人皇子は事態を深刻に考えている様子ではなく、娘の十市皇女に会いに行っているだけで、鵲が心配するような関係ではない、と答えます。
すると鵲は呆れたように、子供ならば、草壁皇子・大伯皇女・大津皇子なども多くいるでしょう、と言います。大海人皇子はそれには答えず、糸が引いているぞ、と言って立ち上がり、鵲とともに釣りに興じます。この時の大海人皇子は実に無邪気な様子で笑っています。大海人皇子は生まれた直後から、にこにこと笑う愛嬌のある皇子で、大君(天皇)になったら多くの民に慕われるだろう、と言われていました(第20話)。そこが大海人皇子の人望の一因にもなっている、ということなのでしょう。
ここで、前回の最後に描かれた、大海人皇子が額田王邸を訪ねる場面に変わります。額田王から引き留められてその邸宅に入った大海人皇子に、何をたくらんでいるのか、と額田王は尋ねます。大海人皇子はとぼけて、額田王邸の近くで火事があったから心配で来ただけだ、と答えます。すると額田王はクスッと笑い、本当にそれだけならば、私が誘ったとしても屋敷に入ることはないでしょう、ましてや自分は中大兄皇子の妻なのですから、と言います。
酒を飲みながら、それはどうかな、と言った大海人皇子は突然額田王を押し倒し、さすがに強心臓の額田王もやや驚きます。兄上(中大兄皇子)の妻だから奪う楽しみがある、と言う大海人皇子にたいして、近頃の中大兄皇子の横暴ぶりは目に余るものがあるので、他の方に奪われてみるのもよいかもしれない、と額田王は答えます。明示されていませんが、二人はそのまま再び肉体関係を結んだようです。
額田王が大海人皇子を受け入れたのは、「巡り物語」にて中大兄皇子にも惹かれてしまったとはいえ、大海人皇子の方を愛しているから、ということでもあるのでしょうが、最近の中大兄皇子の暴走に危機感を抱いており、中大兄皇子を止める役割として大海人皇子に期待しているから、ということなのでしょうか。娘の十市皇女は父の大海人皇子をたいへん慕っているので、母が大海人皇子とよりを戻したとしても、「不義の関係」だと非難することはなく、喜びそうです。
場面は変わって、現在の額田王邸です。十市皇女が、御料地の蒲生野には明日出発ね、と言っているので、667年5月4日のことだと思われます。『日本書紀』によると、蒲生野での遊猟は668年5月5日のこととされていますが、作中では、これが667年のこととされているようです。あるいは、668年5月5日の蒲生野での遊猟とは別に、その前年の5月5日にも蒲生野で遊猟が行なわれた、という設定なのかもしれません。
十市皇女は、紫草を摘みながら他の皇女たちとお喋りできるということで、蒲生野での遊猟を楽しみにしているようであり、晴れることを願っています。母上もそうでしょう、と十市皇女が額田王に尋ねても、額田王からは返事がありません。聞いていますか、と十市皇女に尋ねられた額田王は、もちろんよ、と慌てて答えます。額田王は何か考え事をしていたのか、娘の話をよく聞いていなかったようです。十市皇女は、母がいつものように歌の世界に浸っており、それで自分の話を聞いていなかったのだろう、と考えたようです。
額田王は話題を変え、もう16歳なのに他に楽しみはないのか、嫁いでもおかしくない年齢なのだから、気になる殿方はいないのか、と十市皇女に尋ねます。十市皇女は作中では651年夏頃の生まれと設定されているようなので、ここでは満年齢が採用されているようです。十市皇女は、満年齢で14~15歳だっただろう前回は、満年齢で9歳だった頃と外見はあまり変わりませんでしたが、今回は年齢相応に成長しているように描かれています。
母に気になる男性はいないのか、と尋ねられた十市皇女ですが、とくに意中の人はいないようで、返答に困惑してしまいます。すると額田王は、年齢も身分も合う大友皇子はどうだろう、と十市皇女に尋ねます。どうも、大海人皇子から額田王に、それとなく十市皇女と大友皇子との結婚の話があったようです。十市皇女はとくに反発するわけでもなく、よいとは思うが、結婚は親の決めることだ、と割り切った様子で答え、これは額田王にとってもやや意外だったようです。
中大兄皇子の長男である大友皇子は、この国の最高権力者の血を引いているのだから、自分にはもったいないくらいかもしれない、欲を言えば、父の大海人皇子の血を引く皇子が希望と言いたいけど、こだわりはない、高市皇子(作中設定では、十市皇女よりも3年後に生まれたようです)なんかも素敵ね、と十市皇女は快活な様子で答えます。結婚に関して実に割り切った様子の娘に、額田王は苦笑します。
667年5月5日、蒲生野(現在の近江八幡市蒲生郡安土町など一帯の平野)にて泊りがけで宮廷をあげての壮大な遊猟が行なわれました。遊猟(みかり)とは薬猟(くすりがり)とも言い、男は角が薬用となる鹿を狩り、女は薬草(紫草という染料にもなる植物)を摘み、紫草の咲き乱れる蒲生野一帯は皇室占有の御料地・標野(しめの)であり、杭や竹で周りが囲まれ、この地を管理する番人(野守)が置かれて、一般人の侵犯が禁じられていた、と説明文にて解説されています。
馬上の中大兄皇子は、鹿を追い込むべく指示を出していました。額田王が薬草を摘んでいると、久しぶりね、と鸕野讚良皇女(持統天皇)が話しかけます。大海人皇子の妻である鸕野讚良皇女は第42話以来久々の登場となりますが、容貌が少し変わったように見えます。以前と同じく、父の中大兄皇子と容貌が似てはいるのですが、その時よりも個性が強くなった感じで、今回の方が以前よりも美しく見えます。また、以前よりも気の強さと冷酷さが強く表れているようにも感じました。
姉上(大田皇女)の葬儀以来かしら、と鸕野讚良皇女に話しかけられた額田王は、ご無沙汰しています、と答えます。父上(中大兄皇子)をよろしく頼みますね、と鸕野讚良皇女に言われた額田王は、力の及ぶ限り、と答えます。すると鸕野讚良皇女は意味深な表情で、くれぐれも私の夫(大海人皇子)ではなく、父上(中大兄皇子)を、と念押しして立ち去ります。大海人皇子と額田王がよりを戻した、というか密通しているとの噂は、すでに都の人々に広く知られているようです。
鸕野讚良皇女が額田王のもとから立ち去った後、下馬した大海人皇子が丘の上から笑顔で額田王に呼びかけます。今からそちらへ行くから、と大海人皇子が大声で額田王に呼びかけたので、その場にいた女性たちの多くもこれに気づき、鸕野讚良皇女の侍女二人は狼狽えます。大海人皇子は馬に乗って一気に丘から下り、こんなところにいたのか、探したぞ、と言って額田王のもとに駆けつけます。
薬草を摘んでいる周囲の女性たちは、この「不義の関係」を咎めるようにひそひそと話しており、強心臓の額田王もさすがに動揺します。しかし、大海人皇子の方はまったく気にした様子を見せず、額田王は苦笑して、噂になることなどお構いなしですね、と大海人皇子に言います。大海人皇子は実に堂々とした態度で、当然だ、何も悪いことはしていない、と明るく答えます。その様子を、鸕野讚良皇女とその侍女二人が離れた場所から見ており、鸕野讚良皇女は嫉妬と怒りに満ちたような表情を浮かべつつ、立ち去ります。
大海人皇子と額田王は、腰を下ろして語り合います。とくに想い人はおらず、大友皇子に嫁いでもよいと十市皇女は言っていたので、嫁げと言われればそうするでしょう、と額田王から聞いた大海人皇子は、最近よく中臣鎌足のことを考える、と言います。自慢の愛息だった定恵(真人)が殺されるよう仕向けた時の鎌足の心境はどうだったのだろう、というわけです。父親の鎌足にとって、それが何より残酷なことを、兄の中大兄皇子は分かっていたのだ、と大海人皇子は語ります。
中大兄皇子は男児に恵まれず、生まれても夭折したり(建皇子のことなのでしょう)、母親の身分が低かったりで、今では采女に産ませた大友皇子が唯一の期待の息子なのだ、と大海人皇子は考えていました。じっさい、中大兄皇子の息子で、皇族(王族)を母とする者はおらず、蘇我氏など中央有力豪族の娘を母とする者も、夭折した建皇子(母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智媛)だけです。対照的に大海人皇子には、皇族や中央有力豪族の娘との間に7人もの息子がいました(壬申の乱の時点ですでに全員生まれていたわけではありませんが)。これは、天智帝没後の皇位継承争いの要因となったのでしょう。
また、飛鳥時代後期~奈良時代後期にかけての男性天皇が「天武系」なのも、「天智系」と「天武系」との対立という観念・枠組みが存在したというよりは、天智帝の息子で母方の出自が天皇(大王)に相応しいのは夭折した建皇子しかいなかった、という事情が大きかったのではないか、と思います。大友皇子は、今回、父の中大兄皇子に従って鹿を追い込み、見事に矢を命中させたので、中大兄皇子は満足そうに笑います。その息子を奪われたら、中大兄皇子はどんな気持ちだろうか、と大海人皇子は考えていました。
中大兄皇子は奪うばかりで奪われたことのない方なので、怒りや悲しみがどのような形をとるのか、想像もつかない、と額田王は言います。額田王はこう言っていますが、母の斉明帝(宝皇女)を蘇我入鹿に奪われたこと(母の相手が入鹿だということを中大兄皇子が知ったのは、母に疎んじられていると気づいてからずっと後のことだったようですが)が、中大兄皇子の人格形成に大きな影響を与えており、作中では核となる設定のはずです。額田王も大海人皇子もこのことをよく知っているはずなのですが・・・。あるいは、中大兄皇子が実質的な最高権力者となった後のことを、額田王は言っているのでしょうか。
十市皇女に大友皇子の妻になるよう命じるということですか、と額田王に尋ねられた大海人皇子は、くだらない争いに巻き込まれるかもしれないので忘れてくれ、と言って立ち上がます。すると、大海人皇子と額田王との会話を聞いていたらしい十市皇女が現れて、面白そう、と言います。父上の役に立てるのならば、大友皇子に嫁いでもよい、と十市皇女が屈託なく言うと、さすがに両親の大海人皇子と額田王も驚きます。
その晩、蒲生野では宴が開かれました。なかなかの収穫があったということで、中大兄皇子は上機嫌です。大友皇子が見事に鹿を射止めたことも上機嫌の一因なのでしょうか。十市皇女は、さっそく大友皇子に近づき、酒を注いでいます。にこやかな表情の十市皇女にたいして、意外だったのか、大友皇子はやや驚いたような表情を浮かべます。この大友皇子の表情は、やや年下の(大友皇子はこの時点で満年齢18~19歳)美少女が酒を注いでくれたことに照れているようにも見えます。宴の場では、モブキャラと思われる女性たちが、大海人皇子と額田王との「密会」について小声で噂し、中臣鎌足(豊璋)が周囲を冷静に観察していました。中大兄皇子が愉快そうに酒を飲んでいるところで、今回は終了です。
今回は、密度が濃かったというか、情報量が多かったように思います。また、一気に物語が進んだ感もあります。定恵帰国編がゆったりとしていたというか、間延びした感があったので、余計にそう思います。このところずっとそうなのですが、今回も掲載順序が悪いように思われるので、打ち切りが決定して69話~70話(単行本での掲載話数からの推測)で完結させるために進行を速めたのではないか、と心配になります。今回のような速度で話を進めていけば、70話で完結になったとしても、きょくたんに不自然ではないかもしれません。近江への遷都は、もう少し丁寧に描いてもらいたかったというか、そうなると予想していたのですが・・・。
密度の濃かった今回は注目点が多いのですが、まずは大海人皇子の意図についてです。鎌足の行動を読み間違ったことから、保護しようとしていた定恵を殺されてしまった大海人皇子は、中大兄皇子と鎌足に一矢報いようと考えていますが、まだ有効な反撃はできていません。前回、大海人皇子が額田王を訪ねたのには、深い意図があったのかな、と思ったのですが、額田王とよりを戻した程度で、他にはせいぜい十市皇女と大友皇子との結婚を考えていたくらいでした。
大海人皇子は、今では中大兄皇子の妻の一人である額田王との密通、あるいはそう周囲に思わせることにより、中大兄皇子の猜疑心を煽って精神的打撃を与えようとしているのかもしれない、と前回を読んだ時点では予想していました。ただ、中大兄皇子の方は、大海人皇子から大切な人を奪って精神的打撃を与えようという意図で、額田王を大海人皇子から奪っただけであり、額田王にたいしてさほど執着しているようには見えませんから、精神的打撃は小さいかもしれません。
今回の大海人皇子と額田王との会話からも、二人がよりを戻して中大兄皇子が精神的打撃を受けることを、大海人皇子は期待していないようですから、別の意図があるのかもしれません。最高権力者が妻の一人を寝取られたとなると、確証がなく噂話の段階でも、その権威には打撃となるでしょうから、大海人皇子はそれを狙っているのかもしれません。とはいえ、作中で鵲が案じていたように、これはかなり危険な賭けとなります。大海人皇子は、今でも額田王は自分を愛していると確信しているので、言い逃れはできる、と考えているのでしょうか。
どうも、大海人皇子が額田王とよりを戻したこと自体は、少なくとも現時点では、中大兄皇子と鎌足に一矢報いることにはなっていないように思います。これでは、中大兄皇子と鎌足に一矢報いるという名分を掲げて、大海人皇子が単に未練のある額田王とよりを戻したかっただけではないか、とも解釈できそうです。ただ、大海人皇子と額田王との間の娘の十市皇女が重要な役割を担いそうだと考えると、大海人皇子が額田王とよりを戻したのは、十市皇女とのつながりを強めるというか、額田王に十市皇女を説得させることも意図していたのかな、と思います。
大海人皇子は十市皇女と大友皇子との結婚を計画し、それが中大兄皇子から愛息の大友皇子を奪うことになり、精神的打撃を与えるだろう、と考えているようです。まさか、十市皇女とその従者に大友皇子を殺させようとしているわけではないでしょうから、十市皇女と大友皇子との結婚がなぜ中大兄皇子から愛息の大友皇子を奪うことになるのか、どうもよく分からないところがあります。美しく人柄のよい十市皇女に大友皇子が夢中になって父の中大兄皇子から離れていくということなのか、それとも、十市皇女は父の大海人皇子を慕っているので、十市皇女との結婚により、大友皇子が大海人皇子に取り込まれていく、ということなのでしょうか。
十市皇女は、現時点ではとくに想い人はいないようです。十市皇女は高市皇子を素敵だと言っていましたが、多少好意を抱いている、といった程度のようです。飛鳥時代の創作ものでは定番の一つとも言える高市皇子と十市皇女との恋は、作中では十市皇女から高市皇子へという形では描かれなさそうです。その逆は描かれるかもしれませんが、第32話にのみ登場している高市皇子は、その外見からモブキャラのようにも思えるので、作中では二人の恋はとくに描かれないのかもしれません。
十市皇女は大友皇子にたいして、悪い印象は抱いていないようですが、だからといって強い好意を抱いているわけでもなく、どちらかと言うと高市皇子の方が好ましい、といった程度の考えのようです。しかし、十市皇女は相変わらず父の大海人皇子をたいへん慕っているので、父の意向であれば喜んで大友皇子と結婚する、という考えのようです。この様子だと、作中では、壬申の乱の時に十市皇女は苦悩することなく、喜んで夫を裏切るというか、父のために動こうとしそうです。あるいは、十市皇女は大友皇子との結婚後に夫への愛を抱いていき、壬申の乱では苦悩することになるのでしょうか。
大友皇子は、定恵帰国編で背景の一人としてわずかに描かれたことはありましたが、本格的な登場は第41話以来となります。大友皇子は順調に成長しているようで、文武両道の優秀な青年と言えそうです。大友皇子に帝位への野心があるのか、まだ分かりませんが、父の中大兄皇子をはじめとして周囲に期待され、煽られて、帝位への野心を強めていき、おそらく現時点ではまだ慕っているだろう叔父の大海人皇子とも対立していくのでしょうか。大友皇子と十市皇女との夫婦関係がどのように描かれるのか、たいへん注目されます。
今回、描写はわずかでしたが、大田皇女が亡くなったことが明かされたのも注目されます。大海人皇子によると、大田皇女は出産の時期が朝鮮半島での戦いと重なり、不安でたまらなかったので、産後たちまち病弱になり、22歳という若さで死んでしまった、ということです。ただ、長女の大伯皇女を産み、その2年後に長男の大津皇子を産んで間もなくの頃と思われる663年夏の時点では、大田皇女はかなり元気そうに見えたのですが・・・。その直後に夫が出征し、倭(日本)軍は大敗したということで、心労が重なってしまったのでしょうか。今後、回想場面にて、妹の鸕野讚良皇女に毒殺された、という話が描かれるようなことがなければよいのですが・・・。
大田皇女は、子供の頃(単行本第1集)は大海人皇子に母方祖父の蘇我倉山田石川麻呂の仇討を頼むなど、存在感があったのですが、大海人皇子との結婚後はあまり目立たず、結局重要な役割を担うことなく退場となりました。結婚後の扱いがよくなかったので、大田皇女の死はほとんど描かれないかもしれない、とも予想していましたが(関連記事)、こうもあっさりと退場となると、残念でなりません。結婚後の大田皇女が父の中大兄皇子や祖父の仇である鎌足にたいしてどのような感情を抱いていたのか、語られるとよかったのですが。
その大田皇女の同父同母妹である鸕野讚良皇女は、大海人皇子との結婚後に登場しましたが、こちらも姉と同じく、これまで存在感の薄いところがありました。鸕野讚良皇女の数少ないこれまでの描写からは、気の強い性格が窺えました。上述したように、今回の鸕野讚良皇女は、以前と容貌が少し変わったように見えます。気の強さは相変わらずといった感じですが、冷酷さと嫉妬深さが新たに強く印象に残りました。どうも鸕野讚良皇女は、飛鳥時代の創作の多くで、このような人物造形になるようです。
鵲の発言からは、大海人皇子は十市皇女以外の子供たちとその母親をあまり訪ねていないのかな、とも考えられます。鸕野讚良皇女からすると、夫の大海人皇子があまり自分と息子の草壁皇子を訪ねて来ず、父の妻である額田王と「不義の関係」になったということで、不満に思い、額田王に嫉妬するのは当然なのかもしれません。その嫉妬が額田王の娘の十市皇女にも向けられ、十市皇女の早い死に関係しているという話になりそうな気もしますが、作中ではそこまでは描かれなさそうです。
作中では気が強くて嫉妬深く冷酷そうな鸕野讚良皇女は、夫の大海人皇子(天武帝)を政治的に支えた、と伝わっていますが、まだ鸕野讚良皇女の政治的手腕は描かれていません。鸕野讚良皇女は作中ではあまり目立たないのではないか、とも予想していたのですが、今回の描写を見ると、今後活躍していきそうなので、その政治的手腕や大海人皇子との関係がどう描かれるのか、楽しみです。また、鸕野讚良皇女が父の中大兄皇子や、祖父の仇として恨んでいる鎌足を今ではどう思っているのか、ということも気になります。
予告は、「中大兄皇子、いよいよ天皇へ。一矢報いたい大海人皇子の企みは?・・・・・・次号、大波瀾の即位式!!」となっています。次回いよいよ中大兄皇子が即位するようですが(天智帝)、「大波瀾の即位式」とのことですから、中大兄皇子と鎌足が大海人皇子を出し抜くのか、大海人皇子が中大兄皇子と鎌足に一矢報いるような行動に出るのか、注目されます。中大兄皇子の即位の翌月に倭姫王が皇后(大后)に立てられているので、倭姫王が登場するのか、ということも注目しています。倭姫王は、次回登場しなければ、作中で登場することはなさそうな気がするので、ぜひ次回登場してもらいたいものです。
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