ネアンデルタール人の13万年前頃の装飾品
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の装飾品についての研究(Radovčić et al., 2015)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。本論文は、ネアンデルタール人の遺跡として有名なクラピナ(Krapina)で発見された、オジロワシ(Haliaëtus [Haliaeetus] albicilla)の鉤爪を分析し、報告しています。クロアチアにあるクラピナ遺跡では19世紀末~20世紀初頭にかけて発掘が行なわれ、ネアンデルタール人と人間以外の動物の骨・歯やムステリアン(Mousterian)石器が多数発見されています。
本論文は、少なくとも3個体分のオジロワシ(尾白鷲)の鉤爪8個と、同じ層のオジロワシの趾骨1個を分析しています。その年代は、電子スピン共鳴法とウラン系列法により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5eの13万年前頃と推定されています。この年代は、同じ層のホラアナグマ(Ursus spelaeus)の骨のサイズと形態からも支持される、とのことです。ヨーロッパの旧石器時代の遺跡でワシの鉤爪はめったに発見されておらず、ネアンデルタール人の遺跡で8個も発見されているのはクラピナ遺跡だけです。ワシの鉤爪が発見されているネアンデルタール人の遺跡には、フランスのペシュドゥラゼ(Pech-de-l'Azé)遺跡やイタリアのフマネ(Fumane)洞窟遺跡があり、前者では10万年前頃のものが、後者では44000年以上前のものが発見されています。
クラピナ遺跡のオジロワシの鉤爪の表面には磨かれた痕跡もしくは磨滅が見られます。オジロワシの鉤爪8個のうち4個には、複数の端でカットマーク(解体痕)が確認されています。これらの鉤爪のうち大きなもの3個には、底側表面に沿っておおまかに同じ場所に小さな刻み目が見られます。オジロワシの趾骨は鉤爪のうち1個と関節でつながっていて、多くのカットマークが見られます。これらのオジロワシの鉤爪と趾骨の分析から、オジロワシは食料としてではなく、鉤爪を入手するために解体された、との見解を本論文は提示しています。
また本論文は、どのように鉤爪が入手されたのか、現時点では不明としつつも、少なくともオジロワシ3個体分の鉤爪が発見されており、オジロワシの死体を見つけるのは難しいだろうということから、オジロワシの死体から入手したのではなく、生きていたオジロワシを捕獲したのだろう、と推測しています。本論文の著者の一人であるフレイヤー(David W. Frayer)博士は、オジロワシはヨーロッパ最大の捕食鳥なので、捕えるにはある程度以上の勇敢さと軽率さが必要だったのではないか、と指摘しています。
さらに本論文は、オジロワシの鉤爪のカットマークや磨かれた痕跡などから、鉤爪は首飾りまたは腕輪のような装飾品として用いられていたのだろう、と指摘しています。これは何らかの象徴的行為のために用いられており、それが宗教的なものだった可能性を本論文は提示しています。本論文は、現生人類(Homo sapiens)がヨーロッパに到達する(45000年前頃)はるか前に、現生人類の影響を受けなかっただろうネアンデルタール人の象徴的活動が存在したのだろう、ということを協調しています。
ネアンデルタール人の象徴的思考能力については長年議論されていますが、近年ではネアンデルタール人の象徴的行為を示唆する事例の報告が増えてきています。現在議論になっているのは、そうした事例に現生人類の影響がどれだけあったのか、ネアンデルタール人と現生人類とでは象徴的思考能力にどの程度の違いがあったのか、または基本的にはなかったのか、という問題です。本論文の解釈が妥当なのだとすると、年代と地域から考えて現生人類の影響は考えにくいので、ネアンデルタール人にも少なくともある程度以上の象徴的思考能力が存在した新たな証拠が追加された、と言えそうです。
ジブラルタルのゴーラム洞窟(Gorham's Cave)を長年調査してきたフィンレイソン(Clive Finlayson)博士は、ジブラルタルで発見された、ネアンデルタール人が存在していた時代のものと考えられるワシやハゲタカの鉤爪についても、ネアンデルタール人が同様に装飾品として用いていたのではないか、と考えており、ネアンデルタール人は現生人類に近い象徴的能力を有していたのではないか、と指摘しています。ゴーラム洞窟ではネアンデルタール人の所産と考えられる線刻も発見されており(関連記事)、大いに注目されます。
現時点では、現生人類の影響がなかったと考えられるネアンデルタール人の象徴的行為の事例はまだ少なく、そこにネアンデルタール人現生人類との違いを認める見解は根強いかもしれません。ただ、同時代の比較で言えば、10万年以上前にはアフリカの現生人類(この時代にはまだ現生人類とは異なる系統の人類がアフリカに存在していた可能性もありますが)とヨーロッパのネアンデルタール人との間で象徴的行動に大きな違いがある、との確実な考古学的証拠はまだ得られていないと思います。今後の研究の進展が期待されますが、新たな考古学的発見だけではなく、この研究のような既知の資料の見直しも大きな役割を果たすでしょう。
したがって、ネアンデルタール人の文化と後期石器時代・上部旧石器時代以降の現生人類の文化との違いは、潜在的(遺伝的)要因ではなく、人口密度など後天的要因のためだったのかもしれません。もちろん、ネアンデルタール人と現生人類との形態的・遺伝的違いは間違いなく存在しますので、両者の間に認知能力に関して何らかの潜在的な違いが存在し、それは人口密度が低い状況では大きな意味を持たなかったものの、人口の増えた状況においては決定的な役割を果たした、ということも考えられます。また、集団内の個体差も考慮しなければならないでしょう。現時点では、さまざまな可能性を想定しておく必要があるのだと思います。
参考文献:
Radovčić D, Sršen AO, Radovčić J, Frayer DW (2015) Evidence for Neandertal Jewelry: Modified White-Tailed Eagle Claws at Krapina. PLoS ONE 10(3): e0119802.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0119802
本論文は、少なくとも3個体分のオジロワシ(尾白鷲)の鉤爪8個と、同じ層のオジロワシの趾骨1個を分析しています。その年代は、電子スピン共鳴法とウラン系列法により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5eの13万年前頃と推定されています。この年代は、同じ層のホラアナグマ(Ursus spelaeus)の骨のサイズと形態からも支持される、とのことです。ヨーロッパの旧石器時代の遺跡でワシの鉤爪はめったに発見されておらず、ネアンデルタール人の遺跡で8個も発見されているのはクラピナ遺跡だけです。ワシの鉤爪が発見されているネアンデルタール人の遺跡には、フランスのペシュドゥラゼ(Pech-de-l'Azé)遺跡やイタリアのフマネ(Fumane)洞窟遺跡があり、前者では10万年前頃のものが、後者では44000年以上前のものが発見されています。
クラピナ遺跡のオジロワシの鉤爪の表面には磨かれた痕跡もしくは磨滅が見られます。オジロワシの鉤爪8個のうち4個には、複数の端でカットマーク(解体痕)が確認されています。これらの鉤爪のうち大きなもの3個には、底側表面に沿っておおまかに同じ場所に小さな刻み目が見られます。オジロワシの趾骨は鉤爪のうち1個と関節でつながっていて、多くのカットマークが見られます。これらのオジロワシの鉤爪と趾骨の分析から、オジロワシは食料としてではなく、鉤爪を入手するために解体された、との見解を本論文は提示しています。
また本論文は、どのように鉤爪が入手されたのか、現時点では不明としつつも、少なくともオジロワシ3個体分の鉤爪が発見されており、オジロワシの死体を見つけるのは難しいだろうということから、オジロワシの死体から入手したのではなく、生きていたオジロワシを捕獲したのだろう、と推測しています。本論文の著者の一人であるフレイヤー(David W. Frayer)博士は、オジロワシはヨーロッパ最大の捕食鳥なので、捕えるにはある程度以上の勇敢さと軽率さが必要だったのではないか、と指摘しています。
さらに本論文は、オジロワシの鉤爪のカットマークや磨かれた痕跡などから、鉤爪は首飾りまたは腕輪のような装飾品として用いられていたのだろう、と指摘しています。これは何らかの象徴的行為のために用いられており、それが宗教的なものだった可能性を本論文は提示しています。本論文は、現生人類(Homo sapiens)がヨーロッパに到達する(45000年前頃)はるか前に、現生人類の影響を受けなかっただろうネアンデルタール人の象徴的活動が存在したのだろう、ということを協調しています。
ネアンデルタール人の象徴的思考能力については長年議論されていますが、近年ではネアンデルタール人の象徴的行為を示唆する事例の報告が増えてきています。現在議論になっているのは、そうした事例に現生人類の影響がどれだけあったのか、ネアンデルタール人と現生人類とでは象徴的思考能力にどの程度の違いがあったのか、または基本的にはなかったのか、という問題です。本論文の解釈が妥当なのだとすると、年代と地域から考えて現生人類の影響は考えにくいので、ネアンデルタール人にも少なくともある程度以上の象徴的思考能力が存在した新たな証拠が追加された、と言えそうです。
ジブラルタルのゴーラム洞窟(Gorham's Cave)を長年調査してきたフィンレイソン(Clive Finlayson)博士は、ジブラルタルで発見された、ネアンデルタール人が存在していた時代のものと考えられるワシやハゲタカの鉤爪についても、ネアンデルタール人が同様に装飾品として用いていたのではないか、と考えており、ネアンデルタール人は現生人類に近い象徴的能力を有していたのではないか、と指摘しています。ゴーラム洞窟ではネアンデルタール人の所産と考えられる線刻も発見されており(関連記事)、大いに注目されます。
現時点では、現生人類の影響がなかったと考えられるネアンデルタール人の象徴的行為の事例はまだ少なく、そこにネアンデルタール人現生人類との違いを認める見解は根強いかもしれません。ただ、同時代の比較で言えば、10万年以上前にはアフリカの現生人類(この時代にはまだ現生人類とは異なる系統の人類がアフリカに存在していた可能性もありますが)とヨーロッパのネアンデルタール人との間で象徴的行動に大きな違いがある、との確実な考古学的証拠はまだ得られていないと思います。今後の研究の進展が期待されますが、新たな考古学的発見だけではなく、この研究のような既知の資料の見直しも大きな役割を果たすでしょう。
したがって、ネアンデルタール人の文化と後期石器時代・上部旧石器時代以降の現生人類の文化との違いは、潜在的(遺伝的)要因ではなく、人口密度など後天的要因のためだったのかもしれません。もちろん、ネアンデルタール人と現生人類との形態的・遺伝的違いは間違いなく存在しますので、両者の間に認知能力に関して何らかの潜在的な違いが存在し、それは人口密度が低い状況では大きな意味を持たなかったものの、人口の増えた状況においては決定的な役割を果たした、ということも考えられます。また、集団内の個体差も考慮しなければならないでしょう。現時点では、さまざまな可能性を想定しておく必要があるのだと思います。
参考文献:
Radovčić D, Sršen AO, Radovčić J, Frayer DW (2015) Evidence for Neandertal Jewelry: Modified White-Tailed Eagle Claws at Krapina. PLoS ONE 10(3): e0119802.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0119802
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