エルカスティーヨ洞窟の壁画の年代

 エルカスティーヨ(El Castillo)洞窟の壁画の年代に関する研究(García-Diez et al., 2015)が公表されました。エルカスティーヨ洞窟はスペイン北部のカンタブリア(Cantabria)州にある遺跡で、その壁画の年代が4万年以上前までさかのぼるのではないか、との研究が3年前に公表されて注目を集めました(関連記事)。その論文の著者の何人かは、筆頭著者だったパイク(Alistair Pike)博士も含めて、本論文の著者でもあります。なお本論文には、ヨーロッパの壁画の年代およびその測定法の一覧表が掲載されており、有益だと思います。

 エルカスティーヨ洞窟では、中世から下部旧石器時代にいたる長期の人類の痕跡が確認されています。旧石器時代では、上(新しい年代)から順にマグダレニアン(Magdalenian)→リュートレアン(Solutrean)→グラヴェティアン(Gravettian)→オーリナシアン(Aurignacian)と続きます。ここまでは現生人類(Homo sapiens)が担い手と考えられる上部旧石器時代となります。初期マグダレニアンの層からは多数の動産美術品が発見されています。

 中部旧石器時代となるその下のムステリアン(Mousterian)は長く続いたようで、文化的変動が観察されます。その担い手は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と考えられています。その下は下部旧石器時代となり、アシューリアン(Acheulian)石器群が発見されています。このアシューリアン石器群の発見されている層が人類の痕跡の最下層となります。

 本論文は、エルカスティーヨ洞窟の壁画の年代とその特徴を改めて検証しています。エルカスティーヨ洞窟の壁画には、手形や野牛(bison)などがあります。木炭など有機物で描かれた壁画に関しては、放射性炭素年代測定法を用いることができます。近年の放射性炭素年代測定法では、もっぱらAMS法が用いられています。ところが、手形には鉱物性の顔料(おもに赤色)がおもに用いられているので、放射性炭素年代測定法を適用できません。

 そこで、壁画と関連した方解石にウラン系列年代測定法を適用し、年代を測定する方法が採用されています。今ではたいへん小さな方解石でも年代測定が可能になった、とのことです。こうして年代測定されたエルカスティーヨ洞窟の壁画の手形は、人間が赤い鉱物性の顔料を口に含んで、直接または空洞の道具を用いて噴霧することで作られました。

 本論文が指摘しているのは、エルカスティーヨ洞窟の壁画は長期にわたって描かれた、ということです。赤い円盤状の壁画は遅くとも40800年前にさかのぼることから、早期オーリナシアンに先行する可能性が指摘されています。一方、手形の確実な年代の下限は27000年前頃で、これは後期グラヴェティアンに相当するだろう、と推測されています。これが同一系統の人類集団の所産だったのか、気になるところです。

 さらに本論文が指摘するのは、動物のような形象的(感覚で把握したものや心に浮かぶ観念などの具象化)壁画が出現するのが、手形のような非形象的壁画よりも遅く、32000年前頃以降ではないか、ということです。本論文は、これと壁画の描き手との関係について推測しています。手形は早期オーリナシアンに先行する可能性があることから、ネアンデルタール人の所産とも考えられる、と本論文は指摘しています。

 近年になって、オーリナシアンよりも古く、ネアンデルタール人の所産と考えられる「芸術品」が再評価されています。それらは簡単な線刻や骨器など直線的なものであり、この延長線上に壁画の手形も考えられるのではないか、というわけです。エルカスティーヨ洞窟の壁画の手形のうちのいくつかがネアンデルタール人の所産だと証明するには、43000~42000年前頃とされる現生人類のイベリア半島北部への到達に先行する年代を確定させる必要がある、と本論文は指摘しています。


 以上、本論文についてざっと見てきました。エルカスティーヨ洞窟の壁画の手形のうちのいくつかは、ネアンデルタール人の所産かもしれない、と本論文は推測しています。そうだとすると、少なからぬ研究者が想定していたよりは、ネアンデルタール人と現生人類との認知能力の違いが小さかったことになりそうですし、何よりも、ネアンデルタール人にも「芸術」活動が可能な象徴的思考能力が存在したことの証明になりますから、その意義は大きいと思います。

 その意味で、エルカスティーヨ洞窟の壁画の研究は今後も大いに期待されるのですが、気になる点もあります。それは、昨年(2014年)10月に公表されたインドネシアのスラウェシ島の更新世の洞窟壁画(関連記事)について言及されていないことです。スラウェシ島の手形は最古のもので39900年前頃とされているので、37630±340年前とされるエルカスティーヨ洞窟の最古の手形よりやや古くなります。

 おそらく、スラウェシ島の壁画に関しては本論文に取り入れる時間的余裕がなかったのでしょう。エルカスティーヨ洞窟の壁画の研究で主導的役割を果たしてきて、本論文の著者の一人でもあるパイク博士は、スラウェシ島の壁画の手形がエルカスティーヨ洞窟のそれと酷似しており、スラウェシ島にはネアンデルタール人が存在していなかったことから、ネアンデルタール人が壁画を描いた可能性が低くなったことを示唆しています(関連記事)。

 本論文からは、洞窟壁画の一部がネアンデルタール人の所産である可能性をかなり前向きに検証していこうとしているというか、ネアンデルタール人の所産である可能性が高いと著者たちは考えている、と受け取れただけに、スラウェシ島の壁画の年代に関する研究を踏まえたうえでの、著者たちの見解は気になるところです。私は、ネアンデルタール人の一部が洞窟壁画を描いていた可能性は低くない、と考えているだけに、ともかくエルカスティーヨ洞窟の壁画に関する研究の進展を期待しています。

 エルカスティーヨ洞窟以外でネアンデルタール人の所産の可能性が考えられる洞窟壁画は、イベリア半島南部のネルジャ(Nerja)洞窟のもので、年代は43500~42300年前と推定されています(関連記事)。ネルジャ洞窟の壁画には私も大いに注目しているのですが、3年前の報道以降、これといって目新しい情報を入手していません。最近も検索してみたのですが、目新しい情報は得られませんでした。ネルジャ洞窟の壁画に関して何か新たな情報を入手できたら、このブログで取り上げるつもりです。


参考文献:
García-Diez M. et al.(2015): The chronology of hand stencils in European Palaeolithic rock art: implications of new U-series results from El Castillo Cave (Cantabria, Spain). Journal of Anthropological Sciences, 93, 135-152.

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