西秋良宏「ネアンデルタール人の成長と学習─子供期仮説をめぐって─」
西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人2─考古学からみた学習』所収の論文です(関連記事)。本論文は、子供期の長さの違いがネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との学習の違いの決定的要因になり、両者の文化革新の速度の違いが生じたのではないか、とする「子供期仮説」を検証していきます。本論文というか本書は、子供期仮説に云う、定まったやり方を他人からそのまま学ぶこと(一方的学習)を社会学習、自分で試行錯誤したり疑問を持ったりしながら学ぶこと(自立的学習)を個体学習と呼んでいます。
子供期仮説では、個体学習が可能なのは子供期が長い場合のみなので、現生人類と比較して子供期の短い(より若い年齢での自立を要求される)ネアンデルタール人では学習はもっぱら社会学習となるので、新たな技術革新は起きにくいのではないか、と主張されています。ただ、ネアンデルタール人の子供期が現生人類と比較して短いのか、まだ確証はない、と本論文は指摘します。また、学習とはいっても、生得的な能力およびその成長と、年齢構成・人口などといった社会構造の双方が重要になってくる、とも指摘されています。
ネアンデルタール人の子供がどのように学習していたのか、考古学的に検証するには、石器の分析が重要となります(というか、石器研究への依存度が極めて高くなります)。ネアンデルタール人の子供による石器製作という観点からの研究は、まだあまり蓄積されていないようです。これは、他系統の人類の場合にも見られることですが、子供と成人とでは石器の分布が違う場合があるからではないか、と指摘されています。たとえば、子供が製作したと考えられる石器が洞窟内生活空間外のテラスで発見されています。
ただ、石器製作技術に関しては経験が重要になるので、未熟な石器だから子供の製作とは限らない、と本論文は注意を喚起しています。それを考慮に入れずに、ネアンデルタール人と現生人類の石器群を比較することも可能ですが、成人が製作したと考えられる石器と、子供が製作したと考えられる石器との比率から子供期の長さを推定できるかというと、今度は寿命も関わってくるので難しい、と本論文は指摘します。寿命が短くて成人が早く死ぬようだと、子供が製作する石器の比率が高くなるので、子供期の長さを判断するのは難しい、というわけです。
そこで本論文は、直接的な証拠となる人骨に注目します。ネアンデルタール人が埋葬を行なっていたことは、今では広く認められていると言ってよいでしょう。ただ、副葬品があったのかとなると、否定的見解が主流なのではないか、と思います。しかし近年になって、ネアンデルタール人の子供には副葬品が認められるとする見解が、以前の研究も引用しつつ改めて主張されている、と本論文は紹介します。
ネアンデルタール人社会において子供の墓にだけ副葬品が多いのは、子供がきわめて大切に扱われていたからではないか、との見解が提示されています。人口密度も低く、他集団の子供と出会う機会も少ないなか、子供は上の世代と密着した環境で成長したのではないか、というわけです。ネアンデルタール人の生活単位集団についても、考古学的証拠から推測されていますが、10~25人程度だった、とされています。
ネアンデルタール人社会の人口密度が低かったのは、1日あたりの必要カロリー量が現生人類より高く、肉食に依存していたからであり、ネアンデルタール人の子供は他集団の見知らぬ子供と接触することはあまりなかっただろう、と本論文は推測しています。また本論文は、ネアンデルタール人も現生人類と同様に、広範な時空間に存在した人類種なので、均質な集団ではなく、生活史も多様だった可能性がある、と指摘しています。
本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の生活史がその出現期から見られると仮定すると、子供期仮説は両集団の学習・文化革新速度の違いを説明できない、と指摘します。なぜならば、20万~5万年前頃の間は、現生人類社会の文化革新速度がネアンデルタール人社会を上回っている、という確実な考古学的証拠がないからです。さらに本論文は、子供期仮説では子供期の学習が重視されるが、ネアンデルタール人と現生人類との成長速度に関して研究者の見解が分かれるような曖昧で微妙な違いだとすると、同意しがたい、との見解を提示しています。
本論文は、文化革新に関わってくる個体学習に最も大きな影響を与えるのは社会環境だったのではないか、と指摘します。寿命が延び、最も創造的で革新を起こす成人の現役期間が長くなると、社会の文化革新が速くなるのではないか、というわけです。人口増大は、新たな文化革新が生まれて定着する可能性を高め、交流を促進するのでその点でも技術革新の可能性を高める、とされます。また、定住・農耕により分業化が進んで文化革新が速くなる可能性も指摘されています。
本論文はまとめとして、子供期仮説・生活史仮説は一面を突いているものの、主要因と言えるのか疑問であり、社会環境の違いも考慮しなくてはいけないだろう、との結論を提示しています。現時点では、穏当な見解ではないか、と思います。今後、石器製作者の区分(成人なのか子供なのか)やネアンデルタール人の生活史に関する研究が進み、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因が何なのか、解明が進むことを期待しています。
参考文献:
西秋良宏(2014C)「ネアンデルタール人の成長と学習─子供期仮説をめぐって─」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人2─考古学からみた学習』(六一書房)P163-174
子供期仮説では、個体学習が可能なのは子供期が長い場合のみなので、現生人類と比較して子供期の短い(より若い年齢での自立を要求される)ネアンデルタール人では学習はもっぱら社会学習となるので、新たな技術革新は起きにくいのではないか、と主張されています。ただ、ネアンデルタール人の子供期が現生人類と比較して短いのか、まだ確証はない、と本論文は指摘します。また、学習とはいっても、生得的な能力およびその成長と、年齢構成・人口などといった社会構造の双方が重要になってくる、とも指摘されています。
ネアンデルタール人の子供がどのように学習していたのか、考古学的に検証するには、石器の分析が重要となります(というか、石器研究への依存度が極めて高くなります)。ネアンデルタール人の子供による石器製作という観点からの研究は、まだあまり蓄積されていないようです。これは、他系統の人類の場合にも見られることですが、子供と成人とでは石器の分布が違う場合があるからではないか、と指摘されています。たとえば、子供が製作したと考えられる石器が洞窟内生活空間外のテラスで発見されています。
ただ、石器製作技術に関しては経験が重要になるので、未熟な石器だから子供の製作とは限らない、と本論文は注意を喚起しています。それを考慮に入れずに、ネアンデルタール人と現生人類の石器群を比較することも可能ですが、成人が製作したと考えられる石器と、子供が製作したと考えられる石器との比率から子供期の長さを推定できるかというと、今度は寿命も関わってくるので難しい、と本論文は指摘します。寿命が短くて成人が早く死ぬようだと、子供が製作する石器の比率が高くなるので、子供期の長さを判断するのは難しい、というわけです。
そこで本論文は、直接的な証拠となる人骨に注目します。ネアンデルタール人が埋葬を行なっていたことは、今では広く認められていると言ってよいでしょう。ただ、副葬品があったのかとなると、否定的見解が主流なのではないか、と思います。しかし近年になって、ネアンデルタール人の子供には副葬品が認められるとする見解が、以前の研究も引用しつつ改めて主張されている、と本論文は紹介します。
ネアンデルタール人社会において子供の墓にだけ副葬品が多いのは、子供がきわめて大切に扱われていたからではないか、との見解が提示されています。人口密度も低く、他集団の子供と出会う機会も少ないなか、子供は上の世代と密着した環境で成長したのではないか、というわけです。ネアンデルタール人の生活単位集団についても、考古学的証拠から推測されていますが、10~25人程度だった、とされています。
ネアンデルタール人社会の人口密度が低かったのは、1日あたりの必要カロリー量が現生人類より高く、肉食に依存していたからであり、ネアンデルタール人の子供は他集団の見知らぬ子供と接触することはあまりなかっただろう、と本論文は推測しています。また本論文は、ネアンデルタール人も現生人類と同様に、広範な時空間に存在した人類種なので、均質な集団ではなく、生活史も多様だった可能性がある、と指摘しています。
本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の生活史がその出現期から見られると仮定すると、子供期仮説は両集団の学習・文化革新速度の違いを説明できない、と指摘します。なぜならば、20万~5万年前頃の間は、現生人類社会の文化革新速度がネアンデルタール人社会を上回っている、という確実な考古学的証拠がないからです。さらに本論文は、子供期仮説では子供期の学習が重視されるが、ネアンデルタール人と現生人類との成長速度に関して研究者の見解が分かれるような曖昧で微妙な違いだとすると、同意しがたい、との見解を提示しています。
本論文は、文化革新に関わってくる個体学習に最も大きな影響を与えるのは社会環境だったのではないか、と指摘します。寿命が延び、最も創造的で革新を起こす成人の現役期間が長くなると、社会の文化革新が速くなるのではないか、というわけです。人口増大は、新たな文化革新が生まれて定着する可能性を高め、交流を促進するのでその点でも技術革新の可能性を高める、とされます。また、定住・農耕により分業化が進んで文化革新が速くなる可能性も指摘されています。
本論文はまとめとして、子供期仮説・生活史仮説は一面を突いているものの、主要因と言えるのか疑問であり、社会環境の違いも考慮しなくてはいけないだろう、との結論を提示しています。現時点では、穏当な見解ではないか、と思います。今後、石器製作者の区分(成人なのか子供なのか)やネアンデルタール人の生活史に関する研究が進み、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因が何なのか、解明が進むことを期待しています。
参考文献:
西秋良宏(2014C)「ネアンデルタール人の成長と学習─子供期仮説をめぐって─」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人2─考古学からみた学習』(六一書房)P163-174
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