飯田洋介『ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術』
中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年1月に刊行されました。本書は、ドイツ建国の英雄と称賛されたことも、ヒトラーの先駆者と断罪されたこともあるビスマルクの伝記です。本書は、そうした賞賛と断罪から距離を置き、一人の人間・政治家としてビスマルクを把握する近年の研究動向を踏まえ、ビスマルクの二面性に着目して、その等身大の姿に迫ろうとしています。「鉄血宰相」などさまざまな「神話」に彩られているビスマルクの「脱神話化」を企図している、というわけです。
ビスマルクの二面性とは、ビスマルクが成し遂げようとしたことと、結果的に成し遂げたこととの対比から導かれる、ビスマルクにはそれまでの時代の伝統的な価値観と、それに真っ向から相対する新たな時代潮流に合致した革新的要素が入り混じっていた、とする見解です。両者は一方が他方を支配するという関係ではなく、相互補完的にビスマルクの立身出世を助け、数々の政策が生み出された、と本書では評価されています。
具体的には、ビスマルクは伝統的なプロイセン君主主義者であり、本来的にはヨーロッパにおけるプロイセンの強化を目的としていたのであって、ドイツナショナリズムに基づく(オーストリアを除外したうえでの)ドイツ統一を当初から目的としていたのではなく、それを採用したのはプロイセン強化のためだった、ということです。しかし、ビスマルクにとっては方便・手段としてのドイツナショナリズムに、結局は引きずられてしまった、という側面もあるようです。
この問題に限らず、ビスマルクは政治的に高邁な理想を掲げて邁進するタイプの政治家ではなく、逆にそうしたものに冷笑的な視線を向け、あくまでも自己の権益を含めて物質的な利益に貪欲なまでに執着する、俗っぽいタイプの政治家だったたようです。基本的には保守的な価値観を抱きながら、現実の政治状況に一定以上柔軟に対応するというビスマルクの「術(クンスト)」は卓越したものであり、これこそが多くの人にビスマルクを偉大な政治家と評価させることになりました。
ビスマルクの基本的な価値観は自由主義や社会主義とは相いれませんが、必要とあれば一時的に妥協することを厭いませんでした。また、ビスマルクがとくに高く評価されている外交面でも、成立した統一ドイツが孤立しないよう、特定の国との提携路線に固執するのではなく、ヨーロッパ列強との調整に慎重であり続けました。もちろん、ヨーロッパ列強間の利害対立は頻繁に生じますので、その都度ビスマルクは対応を余儀なくされます。それはビスマルクにとって「急場しのぎ」であり、ビスマルクの宰相在任中は、大きく破綻することはありませんでした。
しかし本書は、ビスマルクの「急場しのぎ」の手腕たる「術」を高く評価する一方で、それがビスマルクとごく一部の人々にのみ把握されているものであり、ロシアやオーストリアとの関係など、矛盾を内包するものであったことも指摘しています。そこから、第一次世界大戦においてドイツが外交的に不利な情勢での開戦を余儀なくされ、結局敗戦に至った原因がビスマルクに帰せられることもあるわけですが、本書は、ビスマルクの退任から第一次世界大戦の勃発まで24年あることを指摘し、そうした見解には慎重な姿勢を示しています。
本書を読むと、ビスマルクは基本的に保守的・伝統的な価値観を抱いているものの、議会・新聞・ナショナリズムなど新たな要素を活用することも厭わず、内政・外交ともに「急場しのぎ」でしのぐ柔軟さも兼ね備えていた人物のようです。この「急場しのぎ」でしのぐ柔軟さこそ、ビスマルクが政治家として高く評価されてきた要因であり、本書を読むと、とくに外交において高く評価すべきところが多々あるだろう、と思います。
しかし一方で、本書を読むと、ビスマルクがその優れた「急場しのぎ」の「術」の結果に振り回されて当初の目論見を達成できなかったり、状況を悪化させてしまったりしたこともあったことが了解されます。ビスマルクが優れた政治家であったことは本書からもうかがえますが、一方で、ビスマルク退任後に盛り上がり、現在のビスマルク評価に影響を与えているような「ビスマルク崇拝」もまた、実像から遠い、と言うべきなのでしょう。
本書の提示するビスマルク像は、肯定的に語るにせよ否定的に語るにせよ、ビスマルクを巨人とみなす言説からすると、ある意味では退屈かもしれません。しかし、それこそが新書においても求められる執筆姿勢なのでしょう。本書は、時代背景についての解説も疎かにならずに、ビスマルクの生涯を上手く解説しており、新書の伝記として優れていて、私のようにドイツ史に詳しくない人にも、読みやすくて分かりやすいとも思います。これは当たりの一冊と言えるでしょう。
ビスマルクの二面性とは、ビスマルクが成し遂げようとしたことと、結果的に成し遂げたこととの対比から導かれる、ビスマルクにはそれまでの時代の伝統的な価値観と、それに真っ向から相対する新たな時代潮流に合致した革新的要素が入り混じっていた、とする見解です。両者は一方が他方を支配するという関係ではなく、相互補完的にビスマルクの立身出世を助け、数々の政策が生み出された、と本書では評価されています。
具体的には、ビスマルクは伝統的なプロイセン君主主義者であり、本来的にはヨーロッパにおけるプロイセンの強化を目的としていたのであって、ドイツナショナリズムに基づく(オーストリアを除外したうえでの)ドイツ統一を当初から目的としていたのではなく、それを採用したのはプロイセン強化のためだった、ということです。しかし、ビスマルクにとっては方便・手段としてのドイツナショナリズムに、結局は引きずられてしまった、という側面もあるようです。
この問題に限らず、ビスマルクは政治的に高邁な理想を掲げて邁進するタイプの政治家ではなく、逆にそうしたものに冷笑的な視線を向け、あくまでも自己の権益を含めて物質的な利益に貪欲なまでに執着する、俗っぽいタイプの政治家だったたようです。基本的には保守的な価値観を抱きながら、現実の政治状況に一定以上柔軟に対応するというビスマルクの「術(クンスト)」は卓越したものであり、これこそが多くの人にビスマルクを偉大な政治家と評価させることになりました。
ビスマルクの基本的な価値観は自由主義や社会主義とは相いれませんが、必要とあれば一時的に妥協することを厭いませんでした。また、ビスマルクがとくに高く評価されている外交面でも、成立した統一ドイツが孤立しないよう、特定の国との提携路線に固執するのではなく、ヨーロッパ列強との調整に慎重であり続けました。もちろん、ヨーロッパ列強間の利害対立は頻繁に生じますので、その都度ビスマルクは対応を余儀なくされます。それはビスマルクにとって「急場しのぎ」であり、ビスマルクの宰相在任中は、大きく破綻することはありませんでした。
しかし本書は、ビスマルクの「急場しのぎ」の手腕たる「術」を高く評価する一方で、それがビスマルクとごく一部の人々にのみ把握されているものであり、ロシアやオーストリアとの関係など、矛盾を内包するものであったことも指摘しています。そこから、第一次世界大戦においてドイツが外交的に不利な情勢での開戦を余儀なくされ、結局敗戦に至った原因がビスマルクに帰せられることもあるわけですが、本書は、ビスマルクの退任から第一次世界大戦の勃発まで24年あることを指摘し、そうした見解には慎重な姿勢を示しています。
本書を読むと、ビスマルクは基本的に保守的・伝統的な価値観を抱いているものの、議会・新聞・ナショナリズムなど新たな要素を活用することも厭わず、内政・外交ともに「急場しのぎ」でしのぐ柔軟さも兼ね備えていた人物のようです。この「急場しのぎ」でしのぐ柔軟さこそ、ビスマルクが政治家として高く評価されてきた要因であり、本書を読むと、とくに外交において高く評価すべきところが多々あるだろう、と思います。
しかし一方で、本書を読むと、ビスマルクがその優れた「急場しのぎ」の「術」の結果に振り回されて当初の目論見を達成できなかったり、状況を悪化させてしまったりしたこともあったことが了解されます。ビスマルクが優れた政治家であったことは本書からもうかがえますが、一方で、ビスマルク退任後に盛り上がり、現在のビスマルク評価に影響を与えているような「ビスマルク崇拝」もまた、実像から遠い、と言うべきなのでしょう。
本書の提示するビスマルク像は、肯定的に語るにせよ否定的に語るにせよ、ビスマルクを巨人とみなす言説からすると、ある意味では退屈かもしれません。しかし、それこそが新書においても求められる執筆姿勢なのでしょう。本書は、時代背景についての解説も疎かにならずに、ビスマルクの生涯を上手く解説しており、新書の伝記として優れていて、私のようにドイツ史に詳しくない人にも、読みやすくて分かりやすいとも思います。これは当たりの一冊と言えるでしょう。
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