フローレス島の更新世人類に関する生物地理学・生態学的考察
インドネシア領フローレス島の更新世人類についての研究(Dennell et al., 2014)が公表されました。フローレス島は、更新世以降に大陸や他の島々と陸続きになったことはなく(寒冷期に最短でも他の陸地と19km以上離れていました)、人類がフローレス島に移住するには渡海する必要があります。フローレス島では、中央南部のソア盆地と北西部のリアンブア洞窟で人類の痕跡が確認されています。ソア盆地では102万年前頃や88万年前頃の石器が発見されていますが、人骨は共伴していません。リアンブア洞窟では95000~12000年前頃の人骨・石器が発見されています。
リアンブア洞窟で発見された人骨群は、発見者たちによってホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と命名されました(正基準標本はLB1)。これにたいして、更新世リアンブア洞窟人は病変もしくは小柄な現生人類(Homo sapiens)集団である、との見解が発表当初から現在まで根強く主張され続けています。しかし、本論文でも指摘されているように、更新世リアンブア洞窟人が現生人類であると考えている研究者はほとんどいません。
では、更新世リアンブア洞窟人が現生人類ではなく新種フロレシエンシスだとして、その祖先集団がどのような人類種だったのかというと、大まかに見解は二分されている状況です。一つは、フロレシエンシスはエレクトス(Homo erectus)が島嶼化により小型化した系統である、との見解です。もう一つは、フロレシエンシスの原始的な特徴に注目し、その祖先集団としてエレクトスよりも原始的特徴を有する系統、たとえば(ホモ属もしくはアウストラロピテクス属に区分される)ハビリス(Homo habilis)的な人類集団から進化し、(島嶼化によるある程度の小型化はあったかもしれないにしても)当初より小柄な集団だったのではないか、との見解です。
仮に更新世リアンブア洞窟人が現生人類だとしても、102万年前頃や88万年前頃の石器が発見されているわけですから、フローレス島に現生人類ではない人類集団が渡海してきたことは間違いありません。現生人類ではない人類が渡海した明らかな証拠は、現時点ではフローレス島だけで確認されています。その他の場所では、まだ確定したとは言えないのですが、クレタ島へと現生人類ではない人類集団が渡海した可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文は、どこからどのように人類がフローレス島へと渡ってきたのか、またフローレス島において100万年以上人類集団が存続することができたのか(フローレス島で100万年以上前に石器を製作した人類集団はフロレシエンシスの祖先なのか否か)、という問題を生物地理学・生態学的観点から考察しています。上述したように、フローレス島は更新世以降ずっと他の陸地とは切り離されていたので(最短でも19km以上)、フローレス島に達するには渡海する必要があります。そこで、現生人類ではない人類はどのようにフローレス島に渡ったのか、ということが問題となります。
この問題について、エレクトスのような現生人類以外の人類も、100万年以上前から舟を作って意図的な航海を行なっていた、との見解が提示されています。舟は長い間木で作られていたので、古い時代の舟が発見される可能性はきわめて低いと言えるでしょう。そこで、実験考古学的な手法が用いられ、エレクトスが用いていたような石器でも舟を作ることができ、ティモールからオーストラリア大陸への1000kmに及ぶ長距離航海に耐え得ることが証明されています。
しかしながら、現代人がエレクトスの用いていたような石器で舟を作って長距離航海を達成したとしても、エレクトスにそれが可能だったことの証明にはなりません。舟を作っての航海を可能とするような認知能力がエレクトスにあったのか定かではない、というわけです。本論文は、現生人類以外の明らかな渡海の事例がフローレス島でしか確認されていないことから、100万年以上前に人類が舟を作って計画的に航海していた可能性は低い、との見解を提示しています。現時点では妥当だと言えそうですが、上述したクレタ島の事例が気になりますので、今後の研究の進展が期待されます。
100万年以上前の人類が舟を用いて計画的に航海した可能性に否定的な本論文は、人類が津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、意図せずフローレス島に漂着したのではないか、との見解を提示しています。こうした事例は、近年でも確認されています。少人数での偶然の漂着でも、集団が500年以上続くか、人口が500人に達することもあり得る、との見解も提示されています。さらに、短い間隔での漂着が連続して起きた場合は、集団が継続する可能性はもっと高くなります。
では、100万年以上前に人類集団がフローレス島に意図せず漂着したとして、どこからやって来たのか、ということが問題となります。本論文は、フローレス島の動物相に関する諸研究を参照し、人類はスラウェシ島からフローレス島へと漂着した可能性が高い、との見解を提示しています。地図を参照すると、ジャワ島→バリ島→ロンボク島→スンバワ島→フローレス島という経路の可能性が最も高そうですが、海流を考慮すると、スラウェシ島からの可能性が高いだろう、と本論文では指摘されています。また、地形効果などによりボルネオ島東部はスラウェシ島西部よりも津波の影響が弱くなるので、津波がフローレス島への人類の漂着をもたらしたとすると、ボルネオ島よりもスラウェシ島の方がフローレス島への起点である可能性が高いだろう、とも指摘されています。
更新世以降、他の島々・大陸と陸続きではないスラウェシ島へは、人間以外の動物の事例を参考に、ボルネオ島からマカッサル海峡を横断してスラウェシ島へという経路と、華南・台湾からフィリピン諸島を経てスラウェシ島へと至る経路が想定されています。鮮新世~更新世のスラウェシ島の動物相は、中華地域よりもネパールのシワリク山地の方に近いと考えられることから、本論文では、人類は南アジアからインドシナ半島とスラウェシ島を経てフローレス島へと到着したのではないか、と想定しています。
ここで問題となるのは、スラウェシ島では現生人類が到達した3万年前頃よりもさかのぼる人類の明確な痕跡が確認されていないことです。ボルネオ島でも、45000年前頃の現生人類の痕跡は確認されているものの、さらにさかのぼる人類の痕跡はまだ確認されていません。また、スラウェシ島の周囲にはフローレス島よりも広い島もあるのですが、フロレシエンシス的な人類の痕跡はまだ確認されていません。ただ、スラウェシ島の石器のなかには3万年前よりもさかのぼる可能性があるものも指摘されていますし、スラウェシ島やフローレス島の周囲の島々の考古学的調査はまだ充分ではないので、今後の発掘・研究の進展が期待されます。あるいは、フロレシエンシスの祖先集団やフロレシエンシスに類似した人類集団の痕跡の大半は、現在では海面下にあるのかもしれません。
また、フローレス島よりもさらに東方にあるティモール島で42000年前頃の現生人類の痕跡が確認されており、発達した航海技術を有していたと考えられていることも問題となります。なぜ現生人類は更新世のフローレス島に痕跡を残さず、一気にティモール島にまで進出したのか、という疑問です。これにたいして本論文は、この地域の考古学的発掘の不足により部分的に説明可能かもしれない、と指摘しています。リアンブア洞窟では更新世における明確な現生人類の痕跡が確認されていませんが、今後発掘・研究が進めば、他の遺跡で確認されるかもしれません。あるいは、現生人類は一時的にフローレス島に進出したものの、フロレシエンシスという先住人類が存在したため、数万年後に痕跡が確認されるほど長期間フローレス島に滞在しなかったのかもしれません。
本論文がフローレス島への経路とともに論じているのは、フローレス島において人類が100万年以上存続できたのか、という問題です。上述したように、フロレシエンシスは島嶼化により小型化した人類集団である、との見解が提示されています。小型化すると必要なエネルギー量が減少するので、フローレス島のような小さな島で長期間存続するのに有利となります。また他の動物の事例から、動物の小型化が急速に起こり得ることも明らかになっています。
フローレス島の更新世の石器の事例からは、フローレス島で100万年以上にわたって人類が存続した可能性が指摘されています。ソア盆地の100万年前頃や88万年前頃の石器群と更新世末期のリアンブア洞窟の石器群は類似している、というわけです。本論文は、アシューリアン(アシュール文化)における100万年以上の握斧の継続性に見られるような石器製作技術面での保守的傾向からすると、フローレス島での100万年以上の石器製作技術の継続は不思議ではないものの、人類集団の継続の決定的証拠ではない、と指摘しています。
フローレス島では、地震・津波・火山の噴火など、生存を脅かす災害が起き得ることが明らかになっており、生物が災害で絶滅する可能性は一定以上あると言えるでしょう。じっさい、フロレシエンシスとステゴドンは火山の噴火で絶滅した可能性が指摘されています。フローレス島での人口全体に及ぼす影響は、地形の効果もあって、津波よりも火山の方が大きかった可能性が高いそうです。津波などによる意図しないフローレス島への漂着は何度も起きた可能性があるわけで、フローレス島の更新世人類についても、100万年以上ずっと居住し続けたのではなく、他の動物のように、何度かの漂着と絶滅を繰り返した可能性が指摘されています。
フローレス島の更新世人類は意図せずスラウェシ島から漂着した可能性が高いものの、100万年以上フローレス島で集団を維持し続けたのか、現時点での証拠では判断が難しい、という慎重な姿勢を本論文は示しています。また本論文は、スラウェシ島でフローレス島の更新世人類の祖先集団の痕跡が確認されていないことや、フロレシエンシス的な人類の痕跡がフローレス島でしか発見されていないことや、フロレシエンシスの人類進化系統樹における位置づけなど、多くの問題が未解決であることも率直に認めています。私もフローレス島の更新世人類には大いに注目しており、今後研究が大きく進展することを期待しているのですが、そのためには、年代の確かな人骨・石器が新たに発見される必要があるでしょう。
参考文献:
Dennell RW. et al.(2014): The origins and persistence of Homo floresiensis on Flores: biogeographical and ecological perspectives. Quaternary Science Reviews, 96, 98–107.
http://dx.doi.org/10.1016/j.quascirev.2013.06.031
リアンブア洞窟で発見された人骨群は、発見者たちによってホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と命名されました(正基準標本はLB1)。これにたいして、更新世リアンブア洞窟人は病変もしくは小柄な現生人類(Homo sapiens)集団である、との見解が発表当初から現在まで根強く主張され続けています。しかし、本論文でも指摘されているように、更新世リアンブア洞窟人が現生人類であると考えている研究者はほとんどいません。
では、更新世リアンブア洞窟人が現生人類ではなく新種フロレシエンシスだとして、その祖先集団がどのような人類種だったのかというと、大まかに見解は二分されている状況です。一つは、フロレシエンシスはエレクトス(Homo erectus)が島嶼化により小型化した系統である、との見解です。もう一つは、フロレシエンシスの原始的な特徴に注目し、その祖先集団としてエレクトスよりも原始的特徴を有する系統、たとえば(ホモ属もしくはアウストラロピテクス属に区分される)ハビリス(Homo habilis)的な人類集団から進化し、(島嶼化によるある程度の小型化はあったかもしれないにしても)当初より小柄な集団だったのではないか、との見解です。
仮に更新世リアンブア洞窟人が現生人類だとしても、102万年前頃や88万年前頃の石器が発見されているわけですから、フローレス島に現生人類ではない人類集団が渡海してきたことは間違いありません。現生人類ではない人類が渡海した明らかな証拠は、現時点ではフローレス島だけで確認されています。その他の場所では、まだ確定したとは言えないのですが、クレタ島へと現生人類ではない人類集団が渡海した可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文は、どこからどのように人類がフローレス島へと渡ってきたのか、またフローレス島において100万年以上人類集団が存続することができたのか(フローレス島で100万年以上前に石器を製作した人類集団はフロレシエンシスの祖先なのか否か)、という問題を生物地理学・生態学的観点から考察しています。上述したように、フローレス島は更新世以降ずっと他の陸地とは切り離されていたので(最短でも19km以上)、フローレス島に達するには渡海する必要があります。そこで、現生人類ではない人類はどのようにフローレス島に渡ったのか、ということが問題となります。
この問題について、エレクトスのような現生人類以外の人類も、100万年以上前から舟を作って意図的な航海を行なっていた、との見解が提示されています。舟は長い間木で作られていたので、古い時代の舟が発見される可能性はきわめて低いと言えるでしょう。そこで、実験考古学的な手法が用いられ、エレクトスが用いていたような石器でも舟を作ることができ、ティモールからオーストラリア大陸への1000kmに及ぶ長距離航海に耐え得ることが証明されています。
しかしながら、現代人がエレクトスの用いていたような石器で舟を作って長距離航海を達成したとしても、エレクトスにそれが可能だったことの証明にはなりません。舟を作っての航海を可能とするような認知能力がエレクトスにあったのか定かではない、というわけです。本論文は、現生人類以外の明らかな渡海の事例がフローレス島でしか確認されていないことから、100万年以上前に人類が舟を作って計画的に航海していた可能性は低い、との見解を提示しています。現時点では妥当だと言えそうですが、上述したクレタ島の事例が気になりますので、今後の研究の進展が期待されます。
100万年以上前の人類が舟を用いて計画的に航海した可能性に否定的な本論文は、人類が津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、意図せずフローレス島に漂着したのではないか、との見解を提示しています。こうした事例は、近年でも確認されています。少人数での偶然の漂着でも、集団が500年以上続くか、人口が500人に達することもあり得る、との見解も提示されています。さらに、短い間隔での漂着が連続して起きた場合は、集団が継続する可能性はもっと高くなります。
では、100万年以上前に人類集団がフローレス島に意図せず漂着したとして、どこからやって来たのか、ということが問題となります。本論文は、フローレス島の動物相に関する諸研究を参照し、人類はスラウェシ島からフローレス島へと漂着した可能性が高い、との見解を提示しています。地図を参照すると、ジャワ島→バリ島→ロンボク島→スンバワ島→フローレス島という経路の可能性が最も高そうですが、海流を考慮すると、スラウェシ島からの可能性が高いだろう、と本論文では指摘されています。また、地形効果などによりボルネオ島東部はスラウェシ島西部よりも津波の影響が弱くなるので、津波がフローレス島への人類の漂着をもたらしたとすると、ボルネオ島よりもスラウェシ島の方がフローレス島への起点である可能性が高いだろう、とも指摘されています。
更新世以降、他の島々・大陸と陸続きではないスラウェシ島へは、人間以外の動物の事例を参考に、ボルネオ島からマカッサル海峡を横断してスラウェシ島へという経路と、華南・台湾からフィリピン諸島を経てスラウェシ島へと至る経路が想定されています。鮮新世~更新世のスラウェシ島の動物相は、中華地域よりもネパールのシワリク山地の方に近いと考えられることから、本論文では、人類は南アジアからインドシナ半島とスラウェシ島を経てフローレス島へと到着したのではないか、と想定しています。
ここで問題となるのは、スラウェシ島では現生人類が到達した3万年前頃よりもさかのぼる人類の明確な痕跡が確認されていないことです。ボルネオ島でも、45000年前頃の現生人類の痕跡は確認されているものの、さらにさかのぼる人類の痕跡はまだ確認されていません。また、スラウェシ島の周囲にはフローレス島よりも広い島もあるのですが、フロレシエンシス的な人類の痕跡はまだ確認されていません。ただ、スラウェシ島の石器のなかには3万年前よりもさかのぼる可能性があるものも指摘されていますし、スラウェシ島やフローレス島の周囲の島々の考古学的調査はまだ充分ではないので、今後の発掘・研究の進展が期待されます。あるいは、フロレシエンシスの祖先集団やフロレシエンシスに類似した人類集団の痕跡の大半は、現在では海面下にあるのかもしれません。
また、フローレス島よりもさらに東方にあるティモール島で42000年前頃の現生人類の痕跡が確認されており、発達した航海技術を有していたと考えられていることも問題となります。なぜ現生人類は更新世のフローレス島に痕跡を残さず、一気にティモール島にまで進出したのか、という疑問です。これにたいして本論文は、この地域の考古学的発掘の不足により部分的に説明可能かもしれない、と指摘しています。リアンブア洞窟では更新世における明確な現生人類の痕跡が確認されていませんが、今後発掘・研究が進めば、他の遺跡で確認されるかもしれません。あるいは、現生人類は一時的にフローレス島に進出したものの、フロレシエンシスという先住人類が存在したため、数万年後に痕跡が確認されるほど長期間フローレス島に滞在しなかったのかもしれません。
本論文がフローレス島への経路とともに論じているのは、フローレス島において人類が100万年以上存続できたのか、という問題です。上述したように、フロレシエンシスは島嶼化により小型化した人類集団である、との見解が提示されています。小型化すると必要なエネルギー量が減少するので、フローレス島のような小さな島で長期間存続するのに有利となります。また他の動物の事例から、動物の小型化が急速に起こり得ることも明らかになっています。
フローレス島の更新世の石器の事例からは、フローレス島で100万年以上にわたって人類が存続した可能性が指摘されています。ソア盆地の100万年前頃や88万年前頃の石器群と更新世末期のリアンブア洞窟の石器群は類似している、というわけです。本論文は、アシューリアン(アシュール文化)における100万年以上の握斧の継続性に見られるような石器製作技術面での保守的傾向からすると、フローレス島での100万年以上の石器製作技術の継続は不思議ではないものの、人類集団の継続の決定的証拠ではない、と指摘しています。
フローレス島では、地震・津波・火山の噴火など、生存を脅かす災害が起き得ることが明らかになっており、生物が災害で絶滅する可能性は一定以上あると言えるでしょう。じっさい、フロレシエンシスとステゴドンは火山の噴火で絶滅した可能性が指摘されています。フローレス島での人口全体に及ぼす影響は、地形の効果もあって、津波よりも火山の方が大きかった可能性が高いそうです。津波などによる意図しないフローレス島への漂着は何度も起きた可能性があるわけで、フローレス島の更新世人類についても、100万年以上ずっと居住し続けたのではなく、他の動物のように、何度かの漂着と絶滅を繰り返した可能性が指摘されています。
フローレス島の更新世人類は意図せずスラウェシ島から漂着した可能性が高いものの、100万年以上フローレス島で集団を維持し続けたのか、現時点での証拠では判断が難しい、という慎重な姿勢を本論文は示しています。また本論文は、スラウェシ島でフローレス島の更新世人類の祖先集団の痕跡が確認されていないことや、フロレシエンシス的な人類の痕跡がフローレス島でしか発見されていないことや、フロレシエンシスの人類進化系統樹における位置づけなど、多くの問題が未解決であることも率直に認めています。私もフローレス島の更新世人類には大いに注目しており、今後研究が大きく進展することを期待しているのですが、そのためには、年代の確かな人骨・石器が新たに発見される必要があるでしょう。
参考文献:
Dennell RW. et al.(2014): The origins and persistence of Homo floresiensis on Flores: biogeographical and ecological perspectives. Quaternary Science Reviews, 96, 98–107.
http://dx.doi.org/10.1016/j.quascirev.2013.06.031
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