オラフ=イェリス「ネアンデルタール人の利き腕と学習行動」

 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人2─考古学からみた学習』所収の論文です(関連記事)。本論文は、オラフ=イェリス(Olaf Jöris)氏による講演録の一部加筆訂正を本書の編者の西秋良宏氏が翻訳したものです。原題は“Evidence for Neanderthal hand-preferences from the late Middle Paleolithic site of Buhlen,Germany─insights into Neanderthal learning behaviour”です。

 本論文は、カイルメッサー(Keilmesser)グループの分析から、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の利き腕や学習行動に関する見解を提示しています。カイルメッサーとは、酸素同位体ステージ(OIS)5後半~3半ばまで中部ヨーロッパにおいてネアンデルタール人が使用していたと考えられている石器です。カイルメッサーは、一側縁に直線的な刃部を、他方に背部を有する両面加工石器で、左右非対称であることが特徴となっています。その最初期は、握斧(ハンドアックス)と厳密に区分するのが難しいこともありますが、OIS5後半以降に定型化していきます。

 カイルメッサーは、何度も刃部が再生されて長く使われ続けることも特徴となっています。このことから、小型のカイルメッサーの使用歴は長いと考えられます。カイルメッサーは、二次加工の工程はかなり定式化しているものの、長く使われ続けるので、石器の形態はかなり多様になっています。また、さまざまな用途で使われたと考えられています。

 カイルメッサーはその形態・輪郭を基準にいくつかのタイプに分類されます。その一つにプロドニック型があり、両面加工石器の先端部から一つもしくは複数の削片を剥離して、刃部を鋭くする技術です。これはプロドニック方式と呼ばれており、カイルメッサー石器群のみならず、各種の削器にも用いられています。そうした削器はプロドニック削器と呼ばれています。これは、カイルメッサーよりも粗雑な作りとなっています。

 上述したようにカイルメッサーは非対称の形状をしており、プロドニック削器も同様なので、石器の左右性を同定することができます。ドイツ共和国ヘッセン州(Land Hessen)のブーレン(Buhlen)遺跡第3層出土の、プロドニック方式の両面加工石器・プロドニック削器・プロドニック削片の分析からは、全体の13.83%が左利きの、86.06%が右利きの製作者の所産だと推測されます(0.11%は不明)。使い勝手の悪さから、石器製作者の利き腕と石器使用者の利き腕は同じであり、おそらく同一人物が製作して使用していたのだろう、と考えられています。

 本論文は、カイルメッサーと比較して粗雑な作りのプロドニック削器について、適当に作られたカイルメッサーの一群という解釈と、石器製作に習熟していない人間、たとえば子供が熟練者を模倣して作った、という解釈が想定されることを指摘しています。もしプロドニック削器を作ったのが子供だとすると、左利きの人間の製作と分類できる割合が全体よりも低いことから、まだ利き腕がしっかり定まらないうちに、熟練者を模倣して作っていき、右利きに矯正されていたことを示すのではないか、との解釈を本論文は提示しています。このことから本論文は、ネアンデルタール人社会において石器製作の教育が行なわれていた可能性を指摘しています。


参考文献:
Jöris O. 、西秋良宏翻訳(2014)「ネアンデルタール人の利き腕と学習行動─ドイツ、ブレーン遺跡出土中期旧石器時代削器の分析より─」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人2─考古学からみた学習』(六一書房)P28-43

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