採集民社会における暴力と戦争の起源
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、遊動的な採集民バンド社会(mobile forager band societies 、以下省略してMFBS)における殺人事例と、戦争の起源に関する見解を再検証した研究(Fry, and Söderberg., 2013)が報道されました。本論文は21のMFBSの殺人事例を詳細に再検証して区分し、MFBSにおける「暴力性」も根拠としている、更新世の人間社会においてすでに戦争は行なわれていた、とする説に否定的な見解を提示しています。
更新世の人間社会における戦争を肯定する説として本論文が取り上げているのは、たとえば、チンパンジーの事例を根拠として、人間の進化には他集団の構成員を殺す傾向があった、とするものです。そこでは戦争は、政治的に独立した単位である集団の構成員の連合により、身体的危害を他集団の(1人もしくは複数の)構成員に及ぼすことである、と定義されています。また本論文が取り上げている別の説では、検証対象の6MFBSの全てで戦争が確認されたことから、戦争は人間の進化の過程で広まったのだ、とされています。
これにたいして本論文は、21のMFBSにおける(傷害致死も含む)殺人事例を検証し、それらがおおむね戦争の定義には当てはまらないことから、戦争の起源は更新世の人間社会にある、とする見解に疑問を呈しています。本論文が強調しているのが、MFBSにおける殺人事例はおおむね個人的な動機に基づくきわめて小規模なものであり、MFBSは平和的だった、ということです。
加害者および犠牲者に関する明らかな情報のある殺人事例のうち、55%は単独の加害者と単独の犠牲者という事例で、23%は複数人が1人を殺害した事例で、22%は複数人が複数人を殺害した事例でした。調査対象のMFBSのうちおよそ半数は、複数の加害者のいる事例が存在しませんでした。ごく身近な関係での殺人事例もあり、それはたとえば、兄弟間・親子間・夫婦間・友人間などです。なお、性別で区分すると、加害者のほとんどは単独・複数を問わず男性で、女性が加害者(の一員)となったのは全殺人事件のうち4%のみでした。
異なる集団間での争いは、全殺人事例のうち1/3程度となります。ただ本論文は、検証対象としたMFBSのうち、オーストラリア北部のティウィ(Tiwi)島の先住民集団は他の20のMFBSと比較して殺人件数が突出して多い、と強調しています。ティウィ島の先住民集団を除くと、異なる集団間での紛争は全体の15%程度にしか達しませんし、単独の加害者と単独の犠牲者という事例も64%になります。
本論文はこうした調査結果から、MFBSは戦争を好んでいるとは言えない、との見解を提示しています。単独の加害者と単独の犠牲者という事例は、動機が個人的であることを示しており、それはたとえば特定の女性をめぐる争いや侮辱などである、というわけです。単独の加害者と単独の犠牲者という事例はとくにそうですが、MFBSにおける殺人の事例を検証していくと、集団間の複数人同士が参加する紛争のような、一般的な戦争の定義に当てはまるかもしれない事例は少なく、集団間の対立ではなく個人的動機に基づくものが多いのではないか、と本論文は指摘します。
こうして本論文は、人類社会において更新世から戦争が一般的に行なわれていた、という説に否定的な見解を提示します。そうしたじゅうらいの見解は、個人的な動機に基づく個人間の争いによる殺人を、戦争と結びつくような事例として解釈していたのではないか、というわけです。また本論文は、MFBSで確認されている・予測され得る特徴の多くは、戦争を遂行するのに適していないので、その意味でもMFBSで戦争が一般的だったとは言えないだろう、と指摘しています。本論文の指摘するMFBSの特徴とは、以下のようなものです。
集団規模が小さいのに採集領域は広大です。したがって、領域を防衛するような戦争の遂行は困難だろう、と本論文は指摘しています。戦利品となり得るような物質・蓄積された食料が不足しているので、戦争が起きにくいのではないか、とも指摘されています。また、MFBSは平等主義的なので、構成員に戦争を遂行させるような権威のある指導者が存在しないし、戦争で人間を捕虜として奴隷や(女性の場合は)妻とすることも難しいだろう、と指摘されています。さらに、居住地の点では多地域的になり、夫方居住にならない傾向があるので、戦争遂行に有利な男性親族の連携が難しいのではないか、とも指摘されています。
以上、本論文の見解についてざっと見てきました。民族誌学的記録の解釈は難しいので、私には本論文の見解の是非を詳細かつ的確に論じることはとてもできません。ただ、あえて疑問を述べると、妻となるような女性を戦いの結果として連行してくるような行為は、MFBSの平等主義の傾向からして難しいのではないか、との本論文の指摘については、繁殖という根本的な欲望に関して、平等主義は抑制要因たり得ないのではないか、と思います。
また、民族誌学的記録から更新世の人間社会を推測することには慎重でなければならないでしょうし、更新世の人間社会の痕跡が、現在考古学的にどの程度確認できるのか、ということを考えると、更新世の人間社会の特徴を的確に推測するのは難しいだろう、とも思います。さらに、更新世のユーラシア大陸では、大型獣の狩猟への依存度が高かった人間集団が存在していた可能性は高いでしょうから、そうした集団では現代の(もしくは民族誌学的記録の残る)MFBSとはかなり異なる社会構造だったのではないか、と思います。
たとえば、後の首長制社会ほどではないにしても、指導者の権威が強く浸透し、狩猟者に高い社会的地位が認められているような社会を想定しています。そうした社会では勇敢さの尊重といった心性が育まれていき、他の人間集団と遭遇した時に、狩猟で培われた技術が人間に対しても行使されやすかったのではないか、というわけです。これはまだ私の妄想にすぎませんが、さまざまな文献を読んでいると、更新世の時点で集団間の紛争はある程度以上起きていた可能性が高いのではないだろうか、と私は考えています
参考文献:
Fry DP, and Söderberg P.(2013): Lethal Aggression in Mobile Forager Bands and Implications for the Origins of War. Science, 341, 6143, 270-273.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1235675
更新世の人間社会における戦争を肯定する説として本論文が取り上げているのは、たとえば、チンパンジーの事例を根拠として、人間の進化には他集団の構成員を殺す傾向があった、とするものです。そこでは戦争は、政治的に独立した単位である集団の構成員の連合により、身体的危害を他集団の(1人もしくは複数の)構成員に及ぼすことである、と定義されています。また本論文が取り上げている別の説では、検証対象の6MFBSの全てで戦争が確認されたことから、戦争は人間の進化の過程で広まったのだ、とされています。
これにたいして本論文は、21のMFBSにおける(傷害致死も含む)殺人事例を検証し、それらがおおむね戦争の定義には当てはまらないことから、戦争の起源は更新世の人間社会にある、とする見解に疑問を呈しています。本論文が強調しているのが、MFBSにおける殺人事例はおおむね個人的な動機に基づくきわめて小規模なものであり、MFBSは平和的だった、ということです。
加害者および犠牲者に関する明らかな情報のある殺人事例のうち、55%は単独の加害者と単独の犠牲者という事例で、23%は複数人が1人を殺害した事例で、22%は複数人が複数人を殺害した事例でした。調査対象のMFBSのうちおよそ半数は、複数の加害者のいる事例が存在しませんでした。ごく身近な関係での殺人事例もあり、それはたとえば、兄弟間・親子間・夫婦間・友人間などです。なお、性別で区分すると、加害者のほとんどは単独・複数を問わず男性で、女性が加害者(の一員)となったのは全殺人事件のうち4%のみでした。
異なる集団間での争いは、全殺人事例のうち1/3程度となります。ただ本論文は、検証対象としたMFBSのうち、オーストラリア北部のティウィ(Tiwi)島の先住民集団は他の20のMFBSと比較して殺人件数が突出して多い、と強調しています。ティウィ島の先住民集団を除くと、異なる集団間での紛争は全体の15%程度にしか達しませんし、単独の加害者と単独の犠牲者という事例も64%になります。
本論文はこうした調査結果から、MFBSは戦争を好んでいるとは言えない、との見解を提示しています。単独の加害者と単独の犠牲者という事例は、動機が個人的であることを示しており、それはたとえば特定の女性をめぐる争いや侮辱などである、というわけです。単独の加害者と単独の犠牲者という事例はとくにそうですが、MFBSにおける殺人の事例を検証していくと、集団間の複数人同士が参加する紛争のような、一般的な戦争の定義に当てはまるかもしれない事例は少なく、集団間の対立ではなく個人的動機に基づくものが多いのではないか、と本論文は指摘します。
こうして本論文は、人類社会において更新世から戦争が一般的に行なわれていた、という説に否定的な見解を提示します。そうしたじゅうらいの見解は、個人的な動機に基づく個人間の争いによる殺人を、戦争と結びつくような事例として解釈していたのではないか、というわけです。また本論文は、MFBSで確認されている・予測され得る特徴の多くは、戦争を遂行するのに適していないので、その意味でもMFBSで戦争が一般的だったとは言えないだろう、と指摘しています。本論文の指摘するMFBSの特徴とは、以下のようなものです。
集団規模が小さいのに採集領域は広大です。したがって、領域を防衛するような戦争の遂行は困難だろう、と本論文は指摘しています。戦利品となり得るような物質・蓄積された食料が不足しているので、戦争が起きにくいのではないか、とも指摘されています。また、MFBSは平等主義的なので、構成員に戦争を遂行させるような権威のある指導者が存在しないし、戦争で人間を捕虜として奴隷や(女性の場合は)妻とすることも難しいだろう、と指摘されています。さらに、居住地の点では多地域的になり、夫方居住にならない傾向があるので、戦争遂行に有利な男性親族の連携が難しいのではないか、とも指摘されています。
以上、本論文の見解についてざっと見てきました。民族誌学的記録の解釈は難しいので、私には本論文の見解の是非を詳細かつ的確に論じることはとてもできません。ただ、あえて疑問を述べると、妻となるような女性を戦いの結果として連行してくるような行為は、MFBSの平等主義の傾向からして難しいのではないか、との本論文の指摘については、繁殖という根本的な欲望に関して、平等主義は抑制要因たり得ないのではないか、と思います。
また、民族誌学的記録から更新世の人間社会を推測することには慎重でなければならないでしょうし、更新世の人間社会の痕跡が、現在考古学的にどの程度確認できるのか、ということを考えると、更新世の人間社会の特徴を的確に推測するのは難しいだろう、とも思います。さらに、更新世のユーラシア大陸では、大型獣の狩猟への依存度が高かった人間集団が存在していた可能性は高いでしょうから、そうした集団では現代の(もしくは民族誌学的記録の残る)MFBSとはかなり異なる社会構造だったのではないか、と思います。
たとえば、後の首長制社会ほどではないにしても、指導者の権威が強く浸透し、狩猟者に高い社会的地位が認められているような社会を想定しています。そうした社会では勇敢さの尊重といった心性が育まれていき、他の人間集団と遭遇した時に、狩猟で培われた技術が人間に対しても行使されやすかったのではないか、というわけです。これはまだ私の妄想にすぎませんが、さまざまな文献を読んでいると、更新世の時点で集団間の紛争はある程度以上起きていた可能性が高いのではないだろうか、と私は考えています
参考文献:
Fry DP, and Söderberg P.(2013): Lethal Aggression in Mobile Forager Bands and Implications for the Origins of War. Science, 341, 6143, 270-273.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1235675
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