吉川浩満 『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』初版第2刷

 朝日出版社より2014年12月に刊行されました。初版第1刷の刊行は2014年10月です。生物種の大半は絶滅してきた、との冒頭の指摘を読み、絶滅という視点からの進化史・進化学解説なのかと思ったら、科学哲学史・思想史的な解説が主題になっており、これは予想外でした。本書の特徴は、なぜ非専門家の一般層は進化論を誤解するのか、専門家同士の論争(とくに適応主義をめぐる論争)における「敗者」の躓きの要因は何だったのか、という「否定的側面」から進化論の魅力・有効性を解説していることです。いわば逆説的な進化論解説であり、私が科学哲学史・思想史に疎いこともあり、新鮮でした。

 本書を読んで改めて、非専門家の間では今でも進化論が誤って理解されている傾向が強いのだな、と痛感しました。ダーウィン(Charles Robert Darwin)の登場により、人々の思想は非ダーウィン的な(ダーウィン以前の)進化論的世界へと刷新されたのである、との本書の指摘は妥当だろうと思います。非ダーウィン的な進化論とは発展的進化論であり、生物はある目標に向かって順序正しく前進的に変わっていく、とされます。日本も含めて近代社会に大きな影響を及ぼしたスペンサー(Herbert Spencer)の主張した社会ダーウィニズム(社会進化論)は、まさにそうした非ダーウィン的な進化論でした。

 専門家の間の進化に関する論争では、適応主義をめぐる議論が大きく取り上げられています。本書は、その論争における代表的人物として、ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)氏とグールド(Stephen Jay Gould)氏を取り上げ、とくにグールド氏の見解とその蹉跌の経緯・要因を詳しく解説しています。つまり本書は、適応主義論争で敗北したのはグールド氏の側だ、との認識を提示しているわけです。それも、決定的な敗北だった、と評価されています。私はこの論争に詳しくないのですが、本書によると、専門家の間の評価でもグールド氏の側の決定的敗北との認識が確立しているそうです。

 では、なぜグールド氏は敗北し、劣勢にも関わらずグールド氏が最期まで自らの敗北を認めなかったのか、ということを本書は検証していきます。グールド氏の問題意識は進化論の基本的な構造の擁護に起因するものであり、一方で、それを擁護しようとするあまりに、「説明と理解」のジレンマに陥って、その解決策として(意図せず)上位にもう一つの「説明と理解」の哲学的問題を再生産してしまったのであり、この点でグールド氏は混乱してしまっている、と本書は指摘します。しかし一方で、進化論の二本柱である進化のメカニズムと生命の歴史はそれぞれ論理的に独立した事柄なのであり、後者が前者(とくに適応主義)に包摂される危険性というグールド氏の問題意識が否定されたわけではなさそうであり、今後も重要であり続けるのでしょう。

 本書は一般向けであり、使われている用語も文体も、基本的には難解ではないと思います。もちろん、専門的な用語も使われていますし、専門家同士の論争についても一般向けにしてはやや詳しく取り上げられているのですが、解説が行き届いているので、対象とする読者層が置いて行かれるということは少ないのではないか、と思います。本書は、専門的な内容も取り上げながら、一般層の読者にも深く考えさせるような解説に成功しているのではないか、と思います。索引も参考文献も一般向けにしてはなかなか充実していますので、進化とそれに関する論争についてさらに詳しく知りたい、という人にも親切と言えるでしょう。本書はかなりの良書と言えるのではないか、と思います。


参考文献:
吉川浩満(2014) 『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』初版第2刷(朝日出版社、初版第1刷の刊行は2014年)

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