出アフリカ時の現生人類社会(続編)

 取り上げるのがたいへん遅れましたが、出アフリカ時の現生人類社会についての研究(Moreno., 2013)を読みました。本論文は、以前取り上げた論文(関連記事)の続編となります。本論文も、世界各地の狩猟採集民集団とミトコンドリアDNAの各ハプログループとを結びつけて、出アフリカ時の現生人類(Homo sapiens)社会の特徴を推測し、それが現生人類の世界への拡散のさいにどのような役割を果たしたのか、ということを論じています。

 本論文でも指摘されているように、本論文のこうした方法論には問題があります。ミトコンドリアDNAの系統樹に各地域集団を当てはめていってよいのか、また(技術も含めて)文化は異なる集団間で伝播するものでないのか、というわけです。本論文は、近年の研究では遺伝的移動が文化的伝播と同様に一般的であることを指摘するとともに、孤立的な地域集団を検証対象とすることで、そうした方法の問題点をできるかぎり少なくできる、と主張しています。

 本論文はそうした方法に基づき、以前からの仮説を改めて検証しています。その仮説とは、出アフリカを果たした現生人類集団は、アフリカに留まった現生人類集団よりも好戦的であり、それは武器などの技術的革新にも裏づけられていたため、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やデニソワ人(種区分未定)のような他系統の先住人類にたいして優位に立ち、そうした先住人類を駆逐もしくは交雑により吸収していきつつ、世界各地に拡散していった、というものです。

 本論文はこうした観点から、槍・弓矢・儀式的戦い・盾や鎧のような防具・石斧・吹き矢・カヌーに注目して、それぞれがいつ出現したのか、また現生人類の出アフリカにどのような役割を果たしたのか、ということを検証していきます。本論文の見解は以下の通りです。


(1)槍
 突き刺したり投げたりします(歴史時代に関しては、殴るという使用法も一般的だったようですが)。狩猟や人間同士の戦いで用いられます。調査対象とした全狩猟採集民集団で確認されるので、その起源はかなり古く、現生人類の出現に先行する可能性が考えられます。じっさい、最古の槍は40万年前頃までさかのぼる、とされます(Klein, and Edgar., 2004,P171-176)。

(2)弓矢
 調査対象の狩猟採集民集団のほとんどで確認されるので、その起源は槍と同じくかなり古い可能性が高いと考えられます。ただ、いくつかの集団では確認されていません。これは、ブーメランや吹き矢といった弓矢と競合し得る武器の使用が要因と考えられます。ブーメランや吹き矢を採用したため、弓矢を使用しなくなった、というわけです。

(3)儀式的戦い
 レスリングなどを含む、男性間のあらゆるタイプの戦いです。儀式的戦いはアフリカの全狩猟採集民集団で確認されず、逆に非アフリカ地域の全狩猟採集民集団で確認されます。元々現生人類集団は、物語・歌・踊りを含む儀式的集会を行なっていたものの、そこでは儀式的戦いは行なわれておらず、それが始まったのは9万~7万年前頃と推定されます。

(4)防具
 盾や鎧などです。防具はアフリカの狩猟採集民集団では確認されず、非アフリカ地域の狩猟採集民集団の多くで確認されます。盾の使用は12万~6万年前頃に始まった、と推定されます。盾の出現前には防具は存在しなかったと考えられます。

(5)石斧
 柄に装着して用います。槍と同じく調査対象とした全狩猟採集民集団で確認されるので、その起源はかなり古いと考えられます。

(6)吹き矢
 アフリカの狩猟採集民集団では確認されず、非アフリカ地域の狩猟採集民集団の一部(本論文の調査対象のなかでは東南アジアと南アメリカ大陸)で確認されます。その起源は新しく、非アフリカ系現生人類集団が分岐し始めた後の6万年前頃以降と推定されます。吹き矢と同じく非アフリカ地域の一部の狩猟採集民集団にしか確認されないブーメランも、同様にその起源は新しいと考えられます。吹き矢やブーメランが用いられている狩猟採集民集団では、弓矢が用いられない場合もあり、吹き矢やブーメランと弓矢は時として競合するのではないか、と考えられます。吹き矢やブーメランは、現生人類ではない系統の先住人類集団から継承した可能性も考えられます。

(7)小型カヌーおよび大型の戦闘カヌー
 本論文は、小型のカヌーと大型の「戦闘カヌー」とを区別します。小型カヌーは、アフリカおよび非アフリカ地域の一部の狩猟採集民集団で、戦闘カヌーは非アフリカ地域の多くの狩猟採集民集団で確認されます。小型カヌーは13万~7万年前頃、大型の戦闘カヌーは9万~6万年前頃に出現したと推定されます。本論文は、大型の戦闘カヌーの利点を強調します。海岸・大河川・湖沿いでは、高速での大人数の移動を可能としたため、他集団の襲撃にたいへん有利だった、というわけです。また、この大型戦闘カヌーの使用は、現生人類アフリカ単一起源説での出アフリカ経路として有力視されている、アフリカ→アラビア半島→インド→東南アジアという海岸沿いの経路で有効に作用した可能性も考えられます。


 こうした分析から本論文は、現生人類の出アフリカの始まる直前の9万~7万年前頃に、現生人類の出アフリカ集団において、狩猟採集社会から戦争を遂行し得る・好戦的な社会への移行が起きたのではないか、と主張します。その指標は上述した儀式的戦い・大型の戦闘カヌー・防具です。これらの開発により、現生人類はネアンデルタール人やデニソワ人といったユーラシア各地の先住人類にたいして優位に立ち、世界各地に拡散していったのではないか、というのが本論文の見通しです。

 また本論文は、出アフリカ現生人類集団の属するミトコンドリアDNAハプログループL3系統(非アフリカ系現代人は全員、L3から派生したMもしくはN系統に属します)のうち、アフリカに残った集団も上述した優位性によりアフリカ内で拡散した可能性を指摘しています。本論文の仮説が妥当なのだとしたら、なぜ(その一部が)出アフリカを果たすに至るミトコンドリアDNAハプログループL3系統の現生人類集団において、「平和的な」狩猟採集社会から「好戦的な」社会への移行が9万~7万年前頃に起きたのか、という疑問の解明が今後の課題になるでしょう。

 ただ、本論文でも認められているように、本論文の仮説や方法に弱点があることは否定できません。現代の各地域の狩猟採集民集団と、ミトコンドリアDNAハプログループの系統樹を重ね合わせることには慎重でなければならないでしょうし、比較的孤立している狩猟採集民集団とはいっても、完新世以降に農耕社会や近代産業社会からの影響が無視できる程度に小さいのかというと、判断の難しいところがあるのは否定できないでしょう。

 また、本論文でも認められている、(技術も含めて)文化は異なる集団間で伝播するという問題もありますが、たとえば農耕がそうであるように、本論文が検証したさまざまな特徴は各地で独自に発達した可能性も想定されます。さらに、本論文が弓矢の事例で推測しているように、本論文で検証された技術・文化が、かつては存在していたのに、人口減や生息地域から追われたなどの理由により、どこかの時点で失われた可能性も考えられます。これらは、今後の考古学的検証により、ある程度明らかになることもあるでしょう。

 そう考えると、現代の各地域の狩猟採集民集団とミトコンドリアDNAハプログループの系統樹とを重ね合わせるのがかなり妥当だとしても、現在(もしくは民族誌学的記録)の各地域の狩猟採集民集団の技術・文化の特徴から、系統発生学的にそうした技術・文化の出現を推測するという方法がどこまで信頼できるのか、という疑問も残ります。本論文が提示した仮説は壮大で魅力的ではあるものの、現時点ではあまり同意できないというか、判断を保留しておきたい、というのが私の率直な感想です。


参考文献:
Klein RG, and Edgar B.著(2004)、鈴木淑美訳『5万年前に人類に何が起きたか?(第2版第2刷)』(新書館、第1版1刷の刊行は2004年、原書の刊行は2002年)
https://sicambre.seesaa.net/article/200801article_20.html

Moreno E.(2013): The “Out of Africa Tribe” (II)Paleolithic warriors with big canoes and protective weapons. Communicative & Integrative Biology, 6, 3, e24145.
http://dx.doi.org/10.4161/cib.24145

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