コイサン語族の人口史
コイサン語族の人口史についての研究(Kim et al., 2014)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。本論文は、アフリカ系集団のコイサン語族5人・バンツー語族1人・ヨルバ人3人と、非アフリカ系集団のヨーロッパ人2人・南インド人1人・日本人1人・韓国人1人の計14人の完全なゲノム配列と、世界各地の1448人から得られた419969の一塩基多型の遺伝子型判定データセットを用いて、現生人類の各集団の人口史を復元しています。
コイサン語族は、現代の「民族集団」のなかで、最も遺伝的多様性が高いことで知られています。なお、本論文では、コイサン語族が古代の生活様式を維持してきた、と述べられているのですが、コイサン語族やその祖先集団も(他集団と程度の差はあるかもしれないにしても)ずっと変容してきたでしょうから、この問題に関しては慎重な検証が必要になると思います。コイサン語族のうち「Ju/’hoansi」集団の2人は、カラハリ北部のコイサン語族の祖先集団からのみDNAを継承しており、その祖先集団が非コイサン語族系集団と交雑した証拠は検出されませんでした。これは、コイサン語族集団では、集団間で結婚が行なわれるか、非コイサン語族男性との結婚の後に女性構成員が部族を離れるような社会慣行があることと関連しているのかもしれません。
各集団(およびその祖先集団)の推定された人口史に関しては、興味深い結果が得られています。コイサン語族・ヨルバ人・ヨーロッパ人・アジア人の人口史に共通しているのは、200万年前頃~50万年前頃までは人口が減少し、50万年前頃~20万年前頃までは増加(回復)している、ということです。この頃までは、現代の各地域集団は遺伝的に分化していなかった、ということなのでしょう。しかし、20万年前頃以降の各地域集団の人口史に関しては、大きな違いが見られます。
コイサン語族の祖先集団は、15万~10万年前頃の間に一度人口のピークを迎え、それと比較すると、12万年前頃以降に最小で74%まで減少した、と推定されています。同様に他の地域集団の祖先集団も、12万年前頃以降にそれ以前のピーク時と比較して人口が減少していますが、その最大時と最小時との比較での人口減少程度は、コイサン語族の祖先集団とは大きく異なります。ヨルバ人の祖先集団は31%にまで、ヨーロッパ人は9%にまで、アジア人は8%にまで減少しています。こうして、非コイサン語族集団(の祖先集団)は遺伝的多様性を失っていきました。
これは、気候の影響が大きかったのではないか、というのが本論文の見解です。古気候記録によると、総じて15万~25000年前頃まで、アフリカ東部・中央部・西部では降水量が減少して乾燥化することが多かったのにたいして、アフリカ南部では湿潤な気候の時期が多かったようです。これが、アフリカ南部に拡散したコイサン語族の祖先集団の人口減少を緩やかなものとし、アフリカ東部・中央部・西部にいた他の祖先集団の人口を大きく減少させたのではないか、と本論文は推測しています。
本論文は、現生人類(Homo sapiens)の人口史の大半において、コイサン語族集団およびその祖先集団は最大の人口規模を有していたのではないか、と推測しています。これは、コイサン語族集団の遺伝的多様性が高いことからも、有力な見解と言えるでしょう。ところがコイサン語族の祖先集団はその後、過去2万年間に大きな人口減少を経験しました。これは、バンツー語族の農耕民が4000年前にアフリカで拡散を始めたことが大きかったようで、近代のヨーロッパ勢力によるアフリカの植民地化も影響しているようです。現在では、コイサン語族集団の人口は10万人程度と少なく、バンツー語族集団よりもずっと少なくなっています。本論文は、以下のように仮説をまとめています。
現生人類の起源はアフリカのどこかにあり、集団間の継続的な遺伝子流動を伴いアフリカで拡散していきました。15万~10万年前頃、現生人類集団はそれぞれアフリカで地理的に孤立していき、限定的な遺伝子流動のために遺伝的に分化していきました。現生人類が各集団に分化した頃かその後に、アフリカでは南部以外の気候が乾燥化し始め、コイサン語族の祖先集団以外は深刻な人口減少を経験しました。現代では圧倒的な多数派となっている非アフリカ人は、非コイサン語族アフリカ集団より分岐し、その遺伝的多様性は、アフリカからユーラシアへの小規模な集団による移住の間にさらに激しく減少しました。
この研究に対して、アフリカ人のゲノム標本はまだ少ないので、コイサン語族の祖先集団がある時点で最大の人口集団だったのか、確信を持てない研究者もいるし、コイサン語族集団の遺伝的多様性の一部は最近の他集団との交雑によるものであり、それを見逃している可能性があるかもしれない、とポンタス=スコグランド(Pontus Skoglund)博士は指摘しています。本論文の著者の一人であるシュテファン=シャスター(Stephan Schuster)博士は、その祖先に他集団との交雑の痕跡の認められない個人が世界の他の地域で見つかるだろう、との展望を述べ、具体的には、南アジア・南アメリカ大陸のように「無接触部族」の存在する地域を挙げています。「無接触部族」については慎重な検証が必要でしょうが、この問題に関しては今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Kim HL. et al.(2014): Khoisan hunter-gatherers have been the largest population throughout most of modern-human demographic history. Nature Communications, 5, 5692.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms6692
コイサン語族は、現代の「民族集団」のなかで、最も遺伝的多様性が高いことで知られています。なお、本論文では、コイサン語族が古代の生活様式を維持してきた、と述べられているのですが、コイサン語族やその祖先集団も(他集団と程度の差はあるかもしれないにしても)ずっと変容してきたでしょうから、この問題に関しては慎重な検証が必要になると思います。コイサン語族のうち「Ju/’hoansi」集団の2人は、カラハリ北部のコイサン語族の祖先集団からのみDNAを継承しており、その祖先集団が非コイサン語族系集団と交雑した証拠は検出されませんでした。これは、コイサン語族集団では、集団間で結婚が行なわれるか、非コイサン語族男性との結婚の後に女性構成員が部族を離れるような社会慣行があることと関連しているのかもしれません。
各集団(およびその祖先集団)の推定された人口史に関しては、興味深い結果が得られています。コイサン語族・ヨルバ人・ヨーロッパ人・アジア人の人口史に共通しているのは、200万年前頃~50万年前頃までは人口が減少し、50万年前頃~20万年前頃までは増加(回復)している、ということです。この頃までは、現代の各地域集団は遺伝的に分化していなかった、ということなのでしょう。しかし、20万年前頃以降の各地域集団の人口史に関しては、大きな違いが見られます。
コイサン語族の祖先集団は、15万~10万年前頃の間に一度人口のピークを迎え、それと比較すると、12万年前頃以降に最小で74%まで減少した、と推定されています。同様に他の地域集団の祖先集団も、12万年前頃以降にそれ以前のピーク時と比較して人口が減少していますが、その最大時と最小時との比較での人口減少程度は、コイサン語族の祖先集団とは大きく異なります。ヨルバ人の祖先集団は31%にまで、ヨーロッパ人は9%にまで、アジア人は8%にまで減少しています。こうして、非コイサン語族集団(の祖先集団)は遺伝的多様性を失っていきました。
これは、気候の影響が大きかったのではないか、というのが本論文の見解です。古気候記録によると、総じて15万~25000年前頃まで、アフリカ東部・中央部・西部では降水量が減少して乾燥化することが多かったのにたいして、アフリカ南部では湿潤な気候の時期が多かったようです。これが、アフリカ南部に拡散したコイサン語族の祖先集団の人口減少を緩やかなものとし、アフリカ東部・中央部・西部にいた他の祖先集団の人口を大きく減少させたのではないか、と本論文は推測しています。
本論文は、現生人類(Homo sapiens)の人口史の大半において、コイサン語族集団およびその祖先集団は最大の人口規模を有していたのではないか、と推測しています。これは、コイサン語族集団の遺伝的多様性が高いことからも、有力な見解と言えるでしょう。ところがコイサン語族の祖先集団はその後、過去2万年間に大きな人口減少を経験しました。これは、バンツー語族の農耕民が4000年前にアフリカで拡散を始めたことが大きかったようで、近代のヨーロッパ勢力によるアフリカの植民地化も影響しているようです。現在では、コイサン語族集団の人口は10万人程度と少なく、バンツー語族集団よりもずっと少なくなっています。本論文は、以下のように仮説をまとめています。
現生人類の起源はアフリカのどこかにあり、集団間の継続的な遺伝子流動を伴いアフリカで拡散していきました。15万~10万年前頃、現生人類集団はそれぞれアフリカで地理的に孤立していき、限定的な遺伝子流動のために遺伝的に分化していきました。現生人類が各集団に分化した頃かその後に、アフリカでは南部以外の気候が乾燥化し始め、コイサン語族の祖先集団以外は深刻な人口減少を経験しました。現代では圧倒的な多数派となっている非アフリカ人は、非コイサン語族アフリカ集団より分岐し、その遺伝的多様性は、アフリカからユーラシアへの小規模な集団による移住の間にさらに激しく減少しました。
この研究に対して、アフリカ人のゲノム標本はまだ少ないので、コイサン語族の祖先集団がある時点で最大の人口集団だったのか、確信を持てない研究者もいるし、コイサン語族集団の遺伝的多様性の一部は最近の他集団との交雑によるものであり、それを見逃している可能性があるかもしれない、とポンタス=スコグランド(Pontus Skoglund)博士は指摘しています。本論文の著者の一人であるシュテファン=シャスター(Stephan Schuster)博士は、その祖先に他集団との交雑の痕跡の認められない個人が世界の他の地域で見つかるだろう、との展望を述べ、具体的には、南アジア・南アメリカ大陸のように「無接触部族」の存在する地域を挙げています。「無接触部族」については慎重な検証が必要でしょうが、この問題に関しては今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Kim HL. et al.(2014): Khoisan hunter-gatherers have been the largest population throughout most of modern-human demographic history. Nature Communications, 5, 5692.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms6692
この記事へのコメント