2014年の古人類学界

 あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。

(1)現代人と古人類のDNA解析および比較は着実に進展しています。

(2)現生人類(Homo sapiens)以外の象徴的行動と解釈できそうな事例が増えてきており、そもそも象徴的思考・行動や「現代的行動」とはどう定義されるべきなのか、という根本的な問いかけが今後は重要な論点になりそうです。

(3)ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅年代に関する研究は、これまでの研究成果を総合する段階に入りつつあります。


(1)昨年、高精度のネアンデルタール人のゲノム配列が得られたことで、現生人類とネアンデルタール人との遺伝子の違いや、現生人類の各地域集団がどのような遺伝子をネアンデルタール人から継承したのかという点について、より精確な研究が次々と提示されています。また、現生人類やネアンデルタール人と同じく、化石人骨からDNAが解析されているデニソワ人(種区分未定)についても、ネアンデルタール人の場合と同様に、現生人類との遺伝子の違いや、デニソワ人から現生人類への遺伝子流動について、研究が進んでいます。現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人との間に交雑があったとの見解は、今ではすっかり定説になったと言えるでしょう。新たな分析法を用いた研究でも、改めてネアンデルタール人と現生人類との交雑が確認されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201404article_12.html

 ネアンデルタール人やデニソワ人から現生人類へと継承された遺伝子については、免疫に関する研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201401article_40.html
ケラチン繊維に影響するもの・肌の表現型に関わるものや、
https://sicambre.seesaa.net/article/201401article_42.html
脂質異化作用過程に関わるものや、
https://sicambre.seesaa.net/article/201404article_5.html
高地適応に関わるもの
https://sicambre.seesaa.net/article/201407article_4.html
などが報告されています。

 これらネアンデルタール人から現生人類へと交雑により継承されたと推定されている諸遺伝子については、現代人の地域集団間で頻度に差があることも判明しています。そうした諸遺伝子のなかには、適応的であったので正の淘汰が働いたという場合もあるでしょうし、遺伝的浮動によるものだったという場合もあるでしょう。デニソワ人から継承されたと推測されている、現代チベット人における高地適応遺伝子は前者なのでしょう。

 一方、ネアンデルタール人と現生人類との間の遺伝的相違についても報告されています。現代人の、発話に関係するFOXP2遺伝子を取り囲んでいる膨大な領域や、精巣に関わる領域や、X染色体上の男性雑種不稔性遺伝子がとくに密集している領域などは、ネアンデルタール人からの遺伝的継承がないと推定されています。これは、遺伝的浮動によるものというよりは、何らかの負の淘汰が働いた可能性が高そうです。
https://sicambre.seesaa.net/article/201401article_42.html

 現代人に見られる多動や攻撃性に関わる遺伝子がネアンデルタール人には欠けていた可能性も指摘されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201404article_29.html
また、ネアンデルタール人の遺伝的多様性は低く、長期にわたって小規模な集団だったのではないか、とも指摘されています。ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類間の遺伝的相違については、エピジェネティックな分野でも研究が進んでいますが、ネアンデルタール人・デニソワ人については、まだ一般化できるだけの解析例を蓄積できていないことも否定できません。
https://sicambre.seesaa.net/article/201404article_27.html

 ネアンデルタール人・デニソワ人だけではなく、化石現生人類のDNA解析も進展しており、西シベリアの45000年前頃の現生人類のゲノムが解析され(解析された人間のゲノムとしては最古のものとなります)、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の年代が6万~5万年前頃に絞り込まれています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201410article_26.html
36000年以上前のヨーロッパロシアの現生人類のゲノムが解析されたことも注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201411article_9.html


(2)象徴的行動が可能だったのは現生人類のみである、との見解は今でも根強いようです。さらに、更新世の間は、壁画・彫像といった具象芸術の痕跡がヨーロッパにおいて豊富で、他地域、とくにユーラシア東部や東南アジア島嶼部では乏しいことから、ヨーロッパこそが人類史上初めて芸術の開花した地域だった、との見解も根強いようです。一方で、ヨーロッパは更新世の遺跡の発掘・研究が進んでいる地域なので、そうした見解はヨーロッパ中心主義ではないのか、との批判もあり得るでしょう。

 そうした中で、インドネシアのスラウェシ島における4万年前頃までさかのぼりそうな壁画や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201410article_12.html
イベリア半島南部のゴーラム洞窟におけるネアンデルタール人の所産と考えられる幾何学模様の線刻や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201409article_4.html
ジャワ島のトリニールで発見された遺物のなかで見つけられた、エレクトス(Homo erectus)の所産と考えられる貝に刻まれた幾何学模様の線
https://sicambre.seesaa.net/article/201412article_5.html
が報告されたことは、大きな意味をもつと思います。

 幾何学模様の線刻は、象徴的思考(時には芸術)の考古学的痕跡と認識され、その意義が高く評価されてきました。これが可能なのは現生人類のみである、との見解は今でも根強いのですが、ネアンデルタール人のみならずエレクトスの遺物にも幾何学模様の線刻が確認されたのですから、大きな見直しが必要になってくるのは間違いないでしょう。そもそも芸術など象徴的思考とはどう定義されるのか、また考古学的にはどう認定すべきなのか、といった根本的な問題が今後は議論の中心になるのではないか、と思います。また、ヨーロッパと比較して更新世の具象芸術が著しく貧弱だと考えられていた東南アジア島嶼部において、4万年前頃までさかのぼりそうな壁画が発見されたことも注目され、今後ヨーロッパ以外の地域における更新世の芸術の痕跡の発見例が増加していくのではないか、と思います。


(3)この10年ほど、ヨーロッパでは中部旧石器時代末~上部旧石器時代にかけての年代の見直しが盛んに進められてきました。じゅうらいの放射性炭素年代測定法による年代値は、試料汚染によりじっさいよりも新しく出ているのではないか、というわけです。この期間は、現生人類のヨーロッパへの進出とネアンデルタール人の絶滅が起きているので、たいへん注目されています。この観点から、既知のさまざまな遺跡の遺物が新たな手法で再度分析され、じゅうらいよりも年代がさかのぼる事例が蓄積されてきました。その結果、ネアンデルタール人の絶滅年代も繰り上がる傾向にあります。そうした中で、今年8月に公表された研究は、広範な地域のネアンデルタール人の痕跡を再検証し、ネアンデルタール人の痕跡はおおむね較正年代で4万年前頃に途絶えている、と主張しています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201408article_24.html

 ただ、広範な地域を対象にしているとはいっても、イベリア半島南部に関しては判断が保留されているように、空白地域もまだかなり残されているので、ネアンデルタール人の絶滅年代に関しては、まだ確定的なことは言えない状況です。ネアンデルタール人の絶滅に関しては、年代とともにその要因も大きな関心を集めており、ネアンデルタール人の絶滅要因に関する諸研究を網羅的に取り上げ、考古学的に検証した論文が公表されたのも注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201405article_26.html


 この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。ここ数年同様のことを述べていますが、今年は昨年よりは古人類学に関する情報を収集できたように思います。とはいえ、明らかに勉強不足なのは否定できません。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。


2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_27.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_28.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_29.html

2007年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/200712article_28.html

2008年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/200812article_25.html

2009年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/200912article_25.html

2010年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_26.html

2011年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/201112article_24.html

2012年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_26.html

2013年の古人類学界
https://sicambre.seesaa.net/article/201312article_33.html

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    Excerpt: これは12月29日分の記事として掲載しておきます。あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2017年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿っ.. Weblog: 雑記帳 racked: 2017-12-28 16:52
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    Excerpt: あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2018年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。 Weblog: 雑記帳 racked: 2018-12-28 16:00