吉村武彦『シリーズ日本古代史2 ヤマト王権』第4刷
岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年1月に刊行されました。第1刷の刊行は2010年11月です。本書は、ヤマト王権の成立から6世紀末の崇峻の暗殺までを対象としますが、ヤマト王権成立の前提として、『漢書』や『三国志』に見える倭の情勢にも1章を割いて言及しています。本書は、ヤマト王権の初代の王は崇神(ミマキイリヒコイニヱ)であり、宮内庁が比定するようにその陵墓は行燈山古墳だろうから、行燈山古墳が築造されたと推定される4世紀前半にヤマト王権は成立した、との見解を提示しています。
また本書は、邪馬台国の所在地と考えられる纏向遺跡はヤマト王権成立の頃には衰退しているのだから、邪馬台国とヤマト王権に直接の関係はないだろう、とも主張しています。定型的な前方後円墳の成立とヤマト王権の成立とは同一視できない、というわけです。正直なところ、『古事記』や『日本書紀』が依拠した史料もしくは伝承の中に、崇神を初代天皇(王)と位置づけるものがあっただろう、とまでは言えるにしても、その実在性や陵墓や年代にどこまで史実性を認めてよいのかと考えると、本書の見解には疑問が残ります。
信頼性が低かったり情報量が少なかったりする文字記録や、解釈の難しい考古学的証拠に頼らねばならない時代を本書は扱っているだけに、批判しようと思えば色々とできるわけで、多くの人が納得するような叙述が難しいのは否めないと思います。上述したように、崇神の件など、私も疑問に思った点は少なからずあります。ただ、そうした厳しい条件のなか、著者は文献史学・考古学の諸研究を引用して、有益な一般向けの本に上手くまとめていると思います。
また本書は、邪馬台国の所在地と考えられる纏向遺跡はヤマト王権成立の頃には衰退しているのだから、邪馬台国とヤマト王権に直接の関係はないだろう、とも主張しています。定型的な前方後円墳の成立とヤマト王権の成立とは同一視できない、というわけです。正直なところ、『古事記』や『日本書紀』が依拠した史料もしくは伝承の中に、崇神を初代天皇(王)と位置づけるものがあっただろう、とまでは言えるにしても、その実在性や陵墓や年代にどこまで史実性を認めてよいのかと考えると、本書の見解には疑問が残ります。
信頼性が低かったり情報量が少なかったりする文字記録や、解釈の難しい考古学的証拠に頼らねばならない時代を本書は扱っているだけに、批判しようと思えば色々とできるわけで、多くの人が納得するような叙述が難しいのは否めないと思います。上述したように、崇神の件など、私も疑問に思った点は少なからずあります。ただ、そうした厳しい条件のなか、著者は文献史学・考古学の諸研究を引用して、有益な一般向けの本に上手くまとめていると思います。
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