門脇誠二「アフリカの中期・後期石器時代の編年と初期ホモ・サピエンスの文化変化に関する予備的考察」
本報告は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2010-2014「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」(領域番号1201「交替劇」)研究項目A01「考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究」の2011年度研究報告書(研究項目A01研究報告書No.2)に所収されています。公式サイトにて本報告をPDFファイルで読めます。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。
本報告では、アフリカおよびレヴァントの考古学的編年表(前者は中期石器時代・後期石器時代、後者は中部旧石器時代・上部旧石器時代ですが、前者の前期石器時代~中期石器時代、後者の下部旧石器時代~中部旧石器時代の移行期も対象となっています)が提示されており、たいへん有益です。もちろん、これは決定版ではなく、今後さらに改善されていくことが前提となっています。じっさい、空白になっている時空間は多いのですが、遺跡や遺物は発見されていてもその考古学的文化の帰属が明らかでなかったり、考古学的文化の帰属が明らかでも、その年代が不明のため編年に含まれていなかったりする場合があるとのことで、今後の研究の進展が期待されます。
本報告はおもに、地域的にはアフリカおよびレヴァントを、年代的には、現時点では最古の現生人類(Homo sapiens)化石の年代となる20万年前頃から、石器技術の段階区分では第4様式(Mode 4)あるいは第5様式(Mode 5)がアフリカ各地に出現した4万年前頃までを対象としています。前期石器時代や後期石器時代との移行期も含んでいますが、おおむね中期石器時代を扱っていると言えるでしょう。本報告はこの年代を3期に区分しています。第1期は海洋酸素同位体ステージ(MIS)7~6の20万~15万年前頃、第2期はMIS6~5の15万~9万年前頃、第3期はMIS5後半~3前半の9万~4万年前頃です。
第1期は、その年代に確実に位置づけられる石器文化が少なく、不明な点が少なくありません。この時期は、石器技術の段階区分としては第2様式(Mode 2)・第3様式(Mode 3)の移行期もしくは第3様式となります。第2・第3様式移行期の文化として考古学的記録が蓄積されているのはサンゴアン(Sangoan)とルペンバン(Lupemban)で、地理的にはアフリカ中央部・中央南部・東部・ナイル渓谷という広範囲に及んでいます。しかし、確かな人骨はまだ共伴していません。南アフリカの中期石器時代前期の文化として、フロリスバド(Florisbad)の最下文化層から石核調整技術が未発達で不定形な剥片主体の石器群が報告されています。同時期の年代値が得られた人骨片も出土していますが、その種同定は確定していないそうです。レヴァントではタブンD型が見られますが、まだ共伴人骨は発見されていません。
第2期はおおむね中期石器時代・中部旧石器時代となり、まだ考古学的には空白の時空間が多いのですが、第3様式が定着します。アフリカ北東部ではヌビア複合前期(Early Nubian Complex)の考古学的記録の蓄積が進んでいます。これは、ルヴァロワ石核からのポイント製作が特徴です。アフリカ南部では、調整石核から縦長剥片・石刃などを剥離する技術を特徴とするクラシーズリヴァー(Klasies River)伝統とモッセルベイ(Mossel Bay)伝統の研究が進んでいます。前者は、二次加工の頻度が低い大型の石刃がルヴァロワ・角錐状石核から剥離される技術を特徴とするのに対して、後者は、石刃が小型化した一方で、単方向収束調整のルヴァロワ石核から短いルヴァロワ様のポイントが剥離される技術を特徴とします。
タンザニアでは、ムンバ(Mumba)洞窟で確認されたサンザンコ(Sanzanko)が13万年前頃とされており、大型で幅広の削器や小型の両面加工石器が含まれ、尖頭器は少ないそうです。タンザニアのキセレ(Kisele)伝統の年代は、本報告で云う第2期説と第3期説があり、現生人類の人骨が共伴します。この時期のレヴァントではタブンC型が代表的で、スフール(Skhul)とカフゼー(Qafzeh)では現生人類の人骨が発見されています。こうした多様な石器文化が、各地に拡散した現生人類の文化地域的多様化を示す可能性もありますが、その検証には、人骨の発見や他地域の文化との比較の進展が必要になりそうです。
第3期になると、アフリカ各地で文化の変化が数多く観察されます。アフリカ南部ではスティルベイ(Stillbay)伝統が出現し、その後7万年前頃にハウィソンズプールト(Howieson’s Poort)伝統が出現します。ハウィソンズプールトは6万年前頃に後ハウィソンズプールト(Post-Howeson’s Poort)という中期石器文化伝統に代わっており、後期石器文化と連続していない、とされます。現在確認されている限りでは、ボツワナでは第3期になって初めて中期石器文化が出現し、65000~48000年前頃に調整石核による大型石刃技術から細石器技術へと変わっていき、中期石器時代~後期石器時代の移行期と評価されています。
アフリカ東部では、エンカプネヤムト(Enkapune ya Muto)遺跡でエンディンギ(Endingi)からナサンポライ(Nasampolai)への移行が5万年前頃に起き、これをアフリカ最古の中期石器時代~後期石器時代への移行とする見解も提示されています。ナサンポライは黒曜石製の背付き石刃と幾何学形細石器が主体の石刃技術伝統であり、エンディンギを特徴づける円盤型石核と打面調整は見られないそうです。
タンザニアでは上述したようにキセレ伝統の年代が確定しておらず、キセレ伝統からムンバ伝統への移行年代も確定していません。ムンバ伝統はナセラン(Naseran)を経て後期石器時代のレムタ(Lemuta)へと移行していきます。ムンバ伝統には大型の半月形石器や背付きナイフ・小型削器といった後期石器文化的要素があり、ナセランを経て後期石器時代へと連続的に移行していくのがこの地域の特徴となっています。アフリカ北東部では、第2期の後半に出現したヌビア複合後期に続いて、第3・第4様式移行技術とされるタラムサン(Taramsan)伝統が6万年前以降に出現しました。同時期のルヴァロワ剥片主体の様々な石器群は下部ナイル渓谷複合(Lower Nile Valley Complex)と分類されています。
アフリカ北西部のマグレブ地方では、第3様式のアテリアン(Aterian)伝統が出現します。その最古の年代は、タフォラルト(Taforalt)とラファス岩陰(Grotte du Rhafas)出土の石器群の8万年前頃とされています。サハラ地域とキレナイカ地域のアテリアンの年代はより新しいようです。これに関して、西方起源のアテリアンが東方へ拡散したという見解と、アテリアンは東方起源との見解が提示されているそうです。
レヴァントでは、タブンC型からタブンB型への移行が75000年前頃に起きました。タブンB型石器群に伴うネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の骨がアムッド(Amud)やデデリエ(Dederiyeh)やケバラ(Kebara)やタブン(Tabun)などから発見されているので、この変化は寒冷期のMIS4におけるネアンデルタール人の南進を示している、と解釈されています。タブンB型に続いて、第3・第4様式移行技術と評価される上部旧石器初頭(Initial UpperPalaeolithic)またはエミラン(Emiran)と呼ばれる石器伝統がレヴァントで出現しました。その最古の例として頻繁に引用されるボーカータクチト(Boker Tachtit)の石器群よりも、それと類似するタラムサンの年代の方が古いことから、レヴァントの上部旧石器初頭の起源が北東アフリカであった可能性が指摘されています。
本報告はこのように20万~4万年前頃のアフリカとレヴァントの考古学的様相をまとめ、今後の課題を提言しています。アフリカの中期石器時代の特徴として文化の地域的多様性が指摘されていますが、本報告は、それを実証するにはとくに第2期の文化編年をもっと詳細に明らかにする必要がある、と提言しています。第3期ではアフリカ北部・南部・東部において地域的特色を有する石器伝統の存在が明確であるものの、それが第2期までさかのぼるのかどうかが問題だ、というわけです。第2期は第1期と比較して第3様式の地域的多様性が北部と南部に現れるものの、それ以外の地域の技術的特色がまだ明らかではない、と本報告は指摘しています。
本報告は「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」の一環なので、その観点からも今後の課題が提言されています。ユーラシアでは、現生人類が担い手だった上部旧石器文化は、その前の中部旧石器文化と比較して変化の速度が速かった、と指摘されています。それとの関連でアフリカの中期石器時代を見直していこう、というわけです。ただ、現状では年代的にはっきりと位置づけられない文化もあり、本報告で提示されている考古学的編年表にしても、空白が少なくありません。そのような限界はありますが、現時点では、文化の変化は第3期に加速化したようだ、と本報告は指摘しています。少なくともアフリカ北東部と南部ではそう言えそうなので、今後は他地域での編年の充実が必要となります。
一方、第3期のアフリカ北東部・南部と比較すると、同時期のレヴァントでは、ネアンデルタール人が担い手と考えられるタブンB型が長期にわたって継続する、と本報告は指摘します。これはネアンデルタール人と初期現生人類の文化変化パターンの違いを示す考古学的証拠ではないか、というのが本報告の見解です。ただ、タブンB型においても石器技術の変化がなかったわけではなく、石器技術・象徴遺物・資源利用など文化変化の内容の比較が今後必要だ、とも指摘されています。
また本報告は、文化変化のパターンと環境変化との関係にも注目しており、中期石器時代における変革期がMIS6中頃とMIS 5後半~MIS 3前半であることから、寒冷・乾燥期に技術変化が起きたのではないか、との仮説を提示しています。ただ、これを実証していくには、今後各文化層の石器群と古環境との対応を明らかにする必要がある、とも指摘されています。アフリカの中期石器時代に関してはまだ時空間的に空白が多いようで、それだけに、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
門脇誠二(2012)「アフリカの中期・後期石器時代の編年と初期ホモ・サピエンスの文化変化に関する予備的考察」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2011年度研究報告書(No.2)』P7-15
本報告では、アフリカおよびレヴァントの考古学的編年表(前者は中期石器時代・後期石器時代、後者は中部旧石器時代・上部旧石器時代ですが、前者の前期石器時代~中期石器時代、後者の下部旧石器時代~中部旧石器時代の移行期も対象となっています)が提示されており、たいへん有益です。もちろん、これは決定版ではなく、今後さらに改善されていくことが前提となっています。じっさい、空白になっている時空間は多いのですが、遺跡や遺物は発見されていてもその考古学的文化の帰属が明らかでなかったり、考古学的文化の帰属が明らかでも、その年代が不明のため編年に含まれていなかったりする場合があるとのことで、今後の研究の進展が期待されます。
本報告はおもに、地域的にはアフリカおよびレヴァントを、年代的には、現時点では最古の現生人類(Homo sapiens)化石の年代となる20万年前頃から、石器技術の段階区分では第4様式(Mode 4)あるいは第5様式(Mode 5)がアフリカ各地に出現した4万年前頃までを対象としています。前期石器時代や後期石器時代との移行期も含んでいますが、おおむね中期石器時代を扱っていると言えるでしょう。本報告はこの年代を3期に区分しています。第1期は海洋酸素同位体ステージ(MIS)7~6の20万~15万年前頃、第2期はMIS6~5の15万~9万年前頃、第3期はMIS5後半~3前半の9万~4万年前頃です。
第1期は、その年代に確実に位置づけられる石器文化が少なく、不明な点が少なくありません。この時期は、石器技術の段階区分としては第2様式(Mode 2)・第3様式(Mode 3)の移行期もしくは第3様式となります。第2・第3様式移行期の文化として考古学的記録が蓄積されているのはサンゴアン(Sangoan)とルペンバン(Lupemban)で、地理的にはアフリカ中央部・中央南部・東部・ナイル渓谷という広範囲に及んでいます。しかし、確かな人骨はまだ共伴していません。南アフリカの中期石器時代前期の文化として、フロリスバド(Florisbad)の最下文化層から石核調整技術が未発達で不定形な剥片主体の石器群が報告されています。同時期の年代値が得られた人骨片も出土していますが、その種同定は確定していないそうです。レヴァントではタブンD型が見られますが、まだ共伴人骨は発見されていません。
第2期はおおむね中期石器時代・中部旧石器時代となり、まだ考古学的には空白の時空間が多いのですが、第3様式が定着します。アフリカ北東部ではヌビア複合前期(Early Nubian Complex)の考古学的記録の蓄積が進んでいます。これは、ルヴァロワ石核からのポイント製作が特徴です。アフリカ南部では、調整石核から縦長剥片・石刃などを剥離する技術を特徴とするクラシーズリヴァー(Klasies River)伝統とモッセルベイ(Mossel Bay)伝統の研究が進んでいます。前者は、二次加工の頻度が低い大型の石刃がルヴァロワ・角錐状石核から剥離される技術を特徴とするのに対して、後者は、石刃が小型化した一方で、単方向収束調整のルヴァロワ石核から短いルヴァロワ様のポイントが剥離される技術を特徴とします。
タンザニアでは、ムンバ(Mumba)洞窟で確認されたサンザンコ(Sanzanko)が13万年前頃とされており、大型で幅広の削器や小型の両面加工石器が含まれ、尖頭器は少ないそうです。タンザニアのキセレ(Kisele)伝統の年代は、本報告で云う第2期説と第3期説があり、現生人類の人骨が共伴します。この時期のレヴァントではタブンC型が代表的で、スフール(Skhul)とカフゼー(Qafzeh)では現生人類の人骨が発見されています。こうした多様な石器文化が、各地に拡散した現生人類の文化地域的多様化を示す可能性もありますが、その検証には、人骨の発見や他地域の文化との比較の進展が必要になりそうです。
第3期になると、アフリカ各地で文化の変化が数多く観察されます。アフリカ南部ではスティルベイ(Stillbay)伝統が出現し、その後7万年前頃にハウィソンズプールト(Howieson’s Poort)伝統が出現します。ハウィソンズプールトは6万年前頃に後ハウィソンズプールト(Post-Howeson’s Poort)という中期石器文化伝統に代わっており、後期石器文化と連続していない、とされます。現在確認されている限りでは、ボツワナでは第3期になって初めて中期石器文化が出現し、65000~48000年前頃に調整石核による大型石刃技術から細石器技術へと変わっていき、中期石器時代~後期石器時代の移行期と評価されています。
アフリカ東部では、エンカプネヤムト(Enkapune ya Muto)遺跡でエンディンギ(Endingi)からナサンポライ(Nasampolai)への移行が5万年前頃に起き、これをアフリカ最古の中期石器時代~後期石器時代への移行とする見解も提示されています。ナサンポライは黒曜石製の背付き石刃と幾何学形細石器が主体の石刃技術伝統であり、エンディンギを特徴づける円盤型石核と打面調整は見られないそうです。
タンザニアでは上述したようにキセレ伝統の年代が確定しておらず、キセレ伝統からムンバ伝統への移行年代も確定していません。ムンバ伝統はナセラン(Naseran)を経て後期石器時代のレムタ(Lemuta)へと移行していきます。ムンバ伝統には大型の半月形石器や背付きナイフ・小型削器といった後期石器文化的要素があり、ナセランを経て後期石器時代へと連続的に移行していくのがこの地域の特徴となっています。アフリカ北東部では、第2期の後半に出現したヌビア複合後期に続いて、第3・第4様式移行技術とされるタラムサン(Taramsan)伝統が6万年前以降に出現しました。同時期のルヴァロワ剥片主体の様々な石器群は下部ナイル渓谷複合(Lower Nile Valley Complex)と分類されています。
アフリカ北西部のマグレブ地方では、第3様式のアテリアン(Aterian)伝統が出現します。その最古の年代は、タフォラルト(Taforalt)とラファス岩陰(Grotte du Rhafas)出土の石器群の8万年前頃とされています。サハラ地域とキレナイカ地域のアテリアンの年代はより新しいようです。これに関して、西方起源のアテリアンが東方へ拡散したという見解と、アテリアンは東方起源との見解が提示されているそうです。
レヴァントでは、タブンC型からタブンB型への移行が75000年前頃に起きました。タブンB型石器群に伴うネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の骨がアムッド(Amud)やデデリエ(Dederiyeh)やケバラ(Kebara)やタブン(Tabun)などから発見されているので、この変化は寒冷期のMIS4におけるネアンデルタール人の南進を示している、と解釈されています。タブンB型に続いて、第3・第4様式移行技術と評価される上部旧石器初頭(Initial UpperPalaeolithic)またはエミラン(Emiran)と呼ばれる石器伝統がレヴァントで出現しました。その最古の例として頻繁に引用されるボーカータクチト(Boker Tachtit)の石器群よりも、それと類似するタラムサンの年代の方が古いことから、レヴァントの上部旧石器初頭の起源が北東アフリカであった可能性が指摘されています。
本報告はこのように20万~4万年前頃のアフリカとレヴァントの考古学的様相をまとめ、今後の課題を提言しています。アフリカの中期石器時代の特徴として文化の地域的多様性が指摘されていますが、本報告は、それを実証するにはとくに第2期の文化編年をもっと詳細に明らかにする必要がある、と提言しています。第3期ではアフリカ北部・南部・東部において地域的特色を有する石器伝統の存在が明確であるものの、それが第2期までさかのぼるのかどうかが問題だ、というわけです。第2期は第1期と比較して第3様式の地域的多様性が北部と南部に現れるものの、それ以外の地域の技術的特色がまだ明らかではない、と本報告は指摘しています。
本報告は「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」の一環なので、その観点からも今後の課題が提言されています。ユーラシアでは、現生人類が担い手だった上部旧石器文化は、その前の中部旧石器文化と比較して変化の速度が速かった、と指摘されています。それとの関連でアフリカの中期石器時代を見直していこう、というわけです。ただ、現状では年代的にはっきりと位置づけられない文化もあり、本報告で提示されている考古学的編年表にしても、空白が少なくありません。そのような限界はありますが、現時点では、文化の変化は第3期に加速化したようだ、と本報告は指摘しています。少なくともアフリカ北東部と南部ではそう言えそうなので、今後は他地域での編年の充実が必要となります。
一方、第3期のアフリカ北東部・南部と比較すると、同時期のレヴァントでは、ネアンデルタール人が担い手と考えられるタブンB型が長期にわたって継続する、と本報告は指摘します。これはネアンデルタール人と初期現生人類の文化変化パターンの違いを示す考古学的証拠ではないか、というのが本報告の見解です。ただ、タブンB型においても石器技術の変化がなかったわけではなく、石器技術・象徴遺物・資源利用など文化変化の内容の比較が今後必要だ、とも指摘されています。
また本報告は、文化変化のパターンと環境変化との関係にも注目しており、中期石器時代における変革期がMIS6中頃とMIS 5後半~MIS 3前半であることから、寒冷・乾燥期に技術変化が起きたのではないか、との仮説を提示しています。ただ、これを実証していくには、今後各文化層の石器群と古環境との対応を明らかにする必要がある、とも指摘されています。アフリカの中期石器時代に関してはまだ時空間的に空白が多いようで、それだけに、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
門脇誠二(2012)「アフリカの中期・後期石器時代の編年と初期ホモ・サピエンスの文化変化に関する予備的考察」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2011年度研究報告書(No.2)』P7-15
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