佐々木克『幕末史』
ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2014年11月に刊行されました。本書は第1章~第5章にかけていわゆる幕末史(ペリー来航から王政復古まで)を、第6章で明治時代前半(大日本帝国憲法の発布まで)を扱っており、新書としてはかなりの分厚さになっています。本書は基本的に政治史を扱っており、経済史への言及はきわめて少なく、文化史・思想史への言及はほぼ皆無となっています。この点は残念でしたが、重要人物の個性が鮮やかに描き出されており、単に勉強になるというだけではなく、読み物としてなかなか面白くなっていると思います。門外漢の私には、薩長にやや甘くて幕府側にはやや厳しい視点に思えたのですが、この点については機会があれば詳しい方に伺ってみたいものです。
本書は、「屈辱」と「挙国一致」の観点から幕末史を概観しています。また、開国と攘夷、倒幕(討幕)と佐幕といった通俗的で単純な二項対立的図式で幕末史を把握していないことも本書の特徴です。たとえば開国と攘夷について本書は、幕末には「条約改正」という言葉がないこともあり、条約の改正を意図した動きも含めて「攘夷」という言葉が用いられているとして、幕末の「攘夷」には多様な意味がある、と注意を喚起しています。こうしたところは、一度「常識」が形成されてしまったら、一般層はなかなか気づきにくいところでしょうから、専門家による指摘が必要になってくると思います。
本書でやや驚いたのは、八月十八日の政変に関する記述です(P117)。近年、政変は高崎左太郎(正風)個人の計画によるもので、結果として大成功となり薩摩藩首脳部も喜び、高崎は褒美にあずかったという、出来の悪い時代小説まがいの論文が学術誌に掲載された、と本書は指摘します。さらに本書は、この論文は史料の読解を誤り、敬語表現を理解する力がなかったことを露呈しているが、問題なのは審査にあたった編集委員も同じような水準であり欠陥を見抜けなかったことだ、と続けたうえで、漫画やアニメの読みすぎ・見すぎではないかと笑ってすまされない、歴史研究の基本にかかわる問題だ、と厳しく批判しています。どうも、本書で批判されている論文は町田明広「文久三年中央政局における薩摩藩の動向について―8月18日政変を中心に」『日本史研究』539号のようなのですが、本書のこの評価が妥当なのか、機会があれば専門家に伺ってみたいものです。
本書は、「屈辱」と「挙国一致」の観点から幕末史を概観しています。また、開国と攘夷、倒幕(討幕)と佐幕といった通俗的で単純な二項対立的図式で幕末史を把握していないことも本書の特徴です。たとえば開国と攘夷について本書は、幕末には「条約改正」という言葉がないこともあり、条約の改正を意図した動きも含めて「攘夷」という言葉が用いられているとして、幕末の「攘夷」には多様な意味がある、と注意を喚起しています。こうしたところは、一度「常識」が形成されてしまったら、一般層はなかなか気づきにくいところでしょうから、専門家による指摘が必要になってくると思います。
本書でやや驚いたのは、八月十八日の政変に関する記述です(P117)。近年、政変は高崎左太郎(正風)個人の計画によるもので、結果として大成功となり薩摩藩首脳部も喜び、高崎は褒美にあずかったという、出来の悪い時代小説まがいの論文が学術誌に掲載された、と本書は指摘します。さらに本書は、この論文は史料の読解を誤り、敬語表現を理解する力がなかったことを露呈しているが、問題なのは審査にあたった編集委員も同じような水準であり欠陥を見抜けなかったことだ、と続けたうえで、漫画やアニメの読みすぎ・見すぎではないかと笑ってすまされない、歴史研究の基本にかかわる問題だ、と厳しく批判しています。どうも、本書で批判されている論文は町田明広「文久三年中央政局における薩摩藩の動向について―8月18日政変を中心に」『日本史研究』539号のようなのですが、本書のこの評価が妥当なのか、機会があれば専門家に伺ってみたいものです。
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