義江明子『日本史リブレット人006 天武天皇と持統天皇 律令国家を確立した二人の君主』
山川出版社より2014年6月に刊行されました。本書は、天武天皇と持統天皇の二代にわたって、どのように律令国家が形成されていったのか、近年の研究成果も取り入れつつ、簡潔に解説しています。分量はさほど多くなく、きわだって目新しい見解が提示されているわけではありませんが、地方行政・宗教政策・氏族再編・皇位継承・史書編纂など、国家制度が天武・持統の二代(およびその前後の時代)にわたって整備されていく様が、簡潔かつ丁寧に解説されていると思います。律令国家の形成について基本的な知識・流れを把握するうえで、ひじょうに有益と言えるでしょう。
天武・持統の頃よりもずっとさかのぼりますが、王位継承方式の変遷について、5世紀以前は複数王系間で伝えられていた、とする見解が注目されます。こうした見解はさほど珍しくないでしょうが、『宋書』に見える「子」や「弟」についても、中華的な理念にそったものであり、必ずしも父子・兄弟関係を示すとは言えない、と本書では指摘されています。これは、「王統断絶」という観念自体がまだ存在しないことを意味する、というのが本書の見解です。
継体以降、世襲王権が成立し、王位継承方式は、群臣推戴制度から先帝の遺志の比重が高くなる方式へと変わっていき、持統朝には神話に基づいた普遍的・体系的な方式が成立した、との見通しを本書は提示しています。もっとも、だからといって群臣推戴的性格が消失したわけではなく、皇太子制度が成立したため、その皇太子選定をめぐって群臣が関与する、とも本書は指摘しています。また、王位継承方式が制度化されていくことで、大王(天皇)と群臣との一代ごとの相互依存関係に替わり、制度的な君臣関係が確立していったことも指摘されています。
天武・持統の頃よりもずっとさかのぼりますが、王位継承方式の変遷について、5世紀以前は複数王系間で伝えられていた、とする見解が注目されます。こうした見解はさほど珍しくないでしょうが、『宋書』に見える「子」や「弟」についても、中華的な理念にそったものであり、必ずしも父子・兄弟関係を示すとは言えない、と本書では指摘されています。これは、「王統断絶」という観念自体がまだ存在しないことを意味する、というのが本書の見解です。
継体以降、世襲王権が成立し、王位継承方式は、群臣推戴制度から先帝の遺志の比重が高くなる方式へと変わっていき、持統朝には神話に基づいた普遍的・体系的な方式が成立した、との見通しを本書は提示しています。もっとも、だからといって群臣推戴的性格が消失したわけではなく、皇太子制度が成立したため、その皇太子選定をめぐって群臣が関与する、とも本書は指摘しています。また、王位継承方式が制度化されていくことで、大王(天皇)と群臣との一代ごとの相互依存関係に替わり、制度的な君臣関係が確立していったことも指摘されています。
この記事へのコメント