フロレシエンシスの発表から10年
今月(2014年10月)でフロレシエンシス(Homo floresiensis)の発見が公表されてから10年ということで、特設サイトが設置されています。このサイトからは、『ネイチャー』の過去のフロレシエンシス関連の論文・ニュース解説へのリンクが貼られています。新規の記事としては、今週号の『ネイチャー』に物語風の解説記事(Callaway., 2014 B)とストリンガー(Chris Stringer)博士の解説記事(Stringer., 2014)が掲載されており、『ネイチャー』のサイトにも解説記事(Callaway., 2014C)が掲載されています。
インドネシア領フローレス島のリアンブア洞窟の更新世後期~末期の層で発見された人骨群が公表されたのは、2004年10月のことでした。発見チームは、この人骨群を人類の新種「Homo floresiensis」と分類しました。フロレシエンシスは形態・年代ともにあまりにも予想外の存在だったため、その反響はひじょうに大きなものでした。フロレシエンシスの発見は、私が古人類学に興味を抱いてからの16年ほどの間で最も衝撃を受けた出来事であり、今でも、フロレシエンシスの第一報を知った時の驚きをよく覚えています。
Callaway., 2014 Bは、フロレシエンシスに関わった研究者たちの証言を中心に、フロレシエンシスの発見前史から公表後の反響・論争まで紹介しています。フロレシエンシスをめぐっては醜聞めいた事態にまで発展したこともあるのですが、それに関する言及は少なくなっています。フロレシエンシスを発見した研究チームの当初の目的は、人類の新種の発見ではなく、古代の人類がアジア大陸からオーストラリア大陸までどのように移住していったのか、調査することでした。リアンブア洞窟を発掘し始めた時点でもそれは変わりませんでしたが、予想外の大発見があった、というわけです。
フロレシエンシスの命名については、興味深い証言が紹介されています。正基準標本たるLB1も含めてフローレス島の更新世人類は当初、現在のようにホモ属には分類されておらず、新たな属が設定されていました(Sundanthropus floresianus)が、査読者たちの提言により現在の分類(Homo floresiensis)となりました。昨年亡くなったモーウッド(Michael J. Morwood)博士(関連記事)は一時、愛称のホビット(hobbit)にちなんだ種名(Homo hobbitus)を考えていたそうです。
Callaway., 2014 Cは、発表から10年以上経過しても、更新世フローレス島人の人類進化における位置づけが定まっておらず、議論が続いていることを紹介しています。更新世フローレス島人は病変の現生人類(Homo sapiens)である、との見解も一部で根強く主張されていますが、更新世フローレス島人を新種(Homo floresiensis)と認め、その起源はどの人類系統にあるのか、という議論の方がはるかに活発なように思います。
Stringer., 2014は、そうしたこの10年間の論争を整理し、わずかながら醜聞めいた事態にも言及しつつ、フロレシエンシス発見の意義について解説しています。他のほとんどの古人類学者と同じくストリンガー博士も、2004年の時点では、過去6万年間に東南アジアからさらに東へと進出した人類は現生人類のみだ、と考えていました。なぜならば、そのためには船を用いた航海が必要だと考えられていたからです。
フロレシエンシスは当初、ジャワ島から渡海してきたエレクトスが島嶼化により進化した、と主張されました。その後、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との形態学的類似性が指摘されるようになりました。フロレシエンシスの小さな脳に関してはとくに激しい論争を惹起し、エレクトスが島嶼化により脳も含めて小型化したのだとする見解や、脳は島嶼化で説明できないほど小さく、病変の現生人類だとする見解も提示されました。
ストリンガー博士は、LB1の形態の中には病変で説明できるものもあると認めつつ、総合的にLB1の形態を判断すると、病変現生人類説は成立しない、と指摘します。上述したように、LB1も含むフロレシエンシスは、当初発見チームにより新たな属に分類されていました。フロレシエンシスの起源・人類進化史における位置づけとも関係してくる問題であり、現在でもどの見解が妥当なのか判断するのはたいへん難しい、とストリンガー博士は率直に認めます。
フロレシエンシスがジャワ島(スンダランド)のエレクトスから進化したという見解は最も広く受け入れられているだろうが、アウストラロピテクス属とも類似しているようなフロレシエンシスの原始的特徴の再出現を説明する必要がある、とストリンガー博士は指摘しています。これは、ジャワ島のエレクトスよりも原始的な、たとえば180万年前頃のドマニシ人(やその近縁集団)がフロレシエンシスの祖先集団だとしても、同様に難問だ、というのがストリンガー博士の見解です。
一方、ドマニシ人よりもさらに原始的なハビリス(Homo habilis)やアウストラロピテクス属をフロレシエンシスの祖先集団と想定すると、小さな脳・低身長・手首の構造といった原始的特徴の説明はつくものの、頭蓋の厚さ・顔面の後退・歯の縮小といった後期ホモ属の特徴の説明が難しくなる、とストリンガー博士は指摘します。けっきょく、もっと多くの人骨の発見が必要であり、現状ではフロレシエンシスの性的二型の程度も不明だ、とストリンガー博士は指摘します。
ストリンガー博士は、ウォレス線とウェーバー線の間のウォレシアにおいて新たな発見があるのではないか、と考えています。フロレシエンシスの祖先集団はフローレス島だけではなくスラウェシ島などにも進出したのではないか、というわけです。さらに、モーウッド博士が指摘していたように、海流から推測すると、フローレス島へはジャワ島からよりもスラウェシ島からの方が渡海しやすかったのではないか、とストリンガー博士は考えています。そうだとすると、どのような手段で渡海したのか、ひじょうに興味深いものの、残念ながら証拠の発見は期待できそうにありません。
フロレシエンシスがエレクトスからではなくもっと原始的な人類から進化したとすると、人類のアフリカからの拡散も再考しなければならないかもしれない、とストリンガー博士は指摘します。現在では、180万年前頃のドマニシ人の少し前に人類のアフリカからの拡散が始まったのだろう、と想定する見解が主流です。しかし、フロレシエンシスの起源がエレクトスよりも原始的な人類にあるとすると、人類の出アフリカと拡散はもっと早く、複雑だった可能性がある、とストリンガー博士は指摘しています。
参考文献:
Callaway E.(2014B): The discovery of Homo floresiensis: Tales of the hobbit. Nature, 514, 7523, 422–426.
http://dx.doi.org/10.1038/514422a
Callaway E.(2014C): Hobbit mystery endures a decade on. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature.2014.16204
Stringer C.(2014): Human evolution: Small remains still pose big problems. Nature, 514, 7523, 427–429.
http://dx.doi.org/10.1038/514427a
インドネシア領フローレス島のリアンブア洞窟の更新世後期~末期の層で発見された人骨群が公表されたのは、2004年10月のことでした。発見チームは、この人骨群を人類の新種「Homo floresiensis」と分類しました。フロレシエンシスは形態・年代ともにあまりにも予想外の存在だったため、その反響はひじょうに大きなものでした。フロレシエンシスの発見は、私が古人類学に興味を抱いてからの16年ほどの間で最も衝撃を受けた出来事であり、今でも、フロレシエンシスの第一報を知った時の驚きをよく覚えています。
Callaway., 2014 Bは、フロレシエンシスに関わった研究者たちの証言を中心に、フロレシエンシスの発見前史から公表後の反響・論争まで紹介しています。フロレシエンシスをめぐっては醜聞めいた事態にまで発展したこともあるのですが、それに関する言及は少なくなっています。フロレシエンシスを発見した研究チームの当初の目的は、人類の新種の発見ではなく、古代の人類がアジア大陸からオーストラリア大陸までどのように移住していったのか、調査することでした。リアンブア洞窟を発掘し始めた時点でもそれは変わりませんでしたが、予想外の大発見があった、というわけです。
フロレシエンシスの命名については、興味深い証言が紹介されています。正基準標本たるLB1も含めてフローレス島の更新世人類は当初、現在のようにホモ属には分類されておらず、新たな属が設定されていました(Sundanthropus floresianus)が、査読者たちの提言により現在の分類(Homo floresiensis)となりました。昨年亡くなったモーウッド(Michael J. Morwood)博士(関連記事)は一時、愛称のホビット(hobbit)にちなんだ種名(Homo hobbitus)を考えていたそうです。
Callaway., 2014 Cは、発表から10年以上経過しても、更新世フローレス島人の人類進化における位置づけが定まっておらず、議論が続いていることを紹介しています。更新世フローレス島人は病変の現生人類(Homo sapiens)である、との見解も一部で根強く主張されていますが、更新世フローレス島人を新種(Homo floresiensis)と認め、その起源はどの人類系統にあるのか、という議論の方がはるかに活発なように思います。
Stringer., 2014は、そうしたこの10年間の論争を整理し、わずかながら醜聞めいた事態にも言及しつつ、フロレシエンシス発見の意義について解説しています。他のほとんどの古人類学者と同じくストリンガー博士も、2004年の時点では、過去6万年間に東南アジアからさらに東へと進出した人類は現生人類のみだ、と考えていました。なぜならば、そのためには船を用いた航海が必要だと考えられていたからです。
フロレシエンシスは当初、ジャワ島から渡海してきたエレクトスが島嶼化により進化した、と主張されました。その後、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との形態学的類似性が指摘されるようになりました。フロレシエンシスの小さな脳に関してはとくに激しい論争を惹起し、エレクトスが島嶼化により脳も含めて小型化したのだとする見解や、脳は島嶼化で説明できないほど小さく、病変の現生人類だとする見解も提示されました。
ストリンガー博士は、LB1の形態の中には病変で説明できるものもあると認めつつ、総合的にLB1の形態を判断すると、病変現生人類説は成立しない、と指摘します。上述したように、LB1も含むフロレシエンシスは、当初発見チームにより新たな属に分類されていました。フロレシエンシスの起源・人類進化史における位置づけとも関係してくる問題であり、現在でもどの見解が妥当なのか判断するのはたいへん難しい、とストリンガー博士は率直に認めます。
フロレシエンシスがジャワ島(スンダランド)のエレクトスから進化したという見解は最も広く受け入れられているだろうが、アウストラロピテクス属とも類似しているようなフロレシエンシスの原始的特徴の再出現を説明する必要がある、とストリンガー博士は指摘しています。これは、ジャワ島のエレクトスよりも原始的な、たとえば180万年前頃のドマニシ人(やその近縁集団)がフロレシエンシスの祖先集団だとしても、同様に難問だ、というのがストリンガー博士の見解です。
一方、ドマニシ人よりもさらに原始的なハビリス(Homo habilis)やアウストラロピテクス属をフロレシエンシスの祖先集団と想定すると、小さな脳・低身長・手首の構造といった原始的特徴の説明はつくものの、頭蓋の厚さ・顔面の後退・歯の縮小といった後期ホモ属の特徴の説明が難しくなる、とストリンガー博士は指摘します。けっきょく、もっと多くの人骨の発見が必要であり、現状ではフロレシエンシスの性的二型の程度も不明だ、とストリンガー博士は指摘します。
ストリンガー博士は、ウォレス線とウェーバー線の間のウォレシアにおいて新たな発見があるのではないか、と考えています。フロレシエンシスの祖先集団はフローレス島だけではなくスラウェシ島などにも進出したのではないか、というわけです。さらに、モーウッド博士が指摘していたように、海流から推測すると、フローレス島へはジャワ島からよりもスラウェシ島からの方が渡海しやすかったのではないか、とストリンガー博士は考えています。そうだとすると、どのような手段で渡海したのか、ひじょうに興味深いものの、残念ながら証拠の発見は期待できそうにありません。
フロレシエンシスがエレクトスからではなくもっと原始的な人類から進化したとすると、人類のアフリカからの拡散も再考しなければならないかもしれない、とストリンガー博士は指摘します。現在では、180万年前頃のドマニシ人の少し前に人類のアフリカからの拡散が始まったのだろう、と想定する見解が主流です。しかし、フロレシエンシスの起源がエレクトスよりも原始的な人類にあるとすると、人類の出アフリカと拡散はもっと早く、複雑だった可能性がある、とストリンガー博士は指摘しています。
参考文献:
Callaway E.(2014B): The discovery of Homo floresiensis: Tales of the hobbit. Nature, 514, 7523, 422–426.
http://dx.doi.org/10.1038/514422a
Callaway E.(2014C): Hobbit mystery endures a decade on. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature.2014.16204
Stringer C.(2014): Human evolution: Small remains still pose big problems. Nature, 514, 7523, 427–429.
http://dx.doi.org/10.1038/514427a
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