『天智と天武~新説・日本書紀~』第52話「苦い帰国」
『ビッグコミック』2014年11月10日号掲載分の感想です。前回は、新羅の兵士になりすました大海人皇子が、中大兄皇子・豊璋(豊王)を探しているところで終了しました。今回は、唐の兵士たちが新羅軍の工作に動揺している場面から始まります。唐の兵士たちは、新羅軍の工作を見て流れ星が空に戻っていくと勘違いし、凶事の前兆に違いない、と動揺します。大海人皇子は、唐軍が混乱している隙に中大兄皇子・豊璋を見つけ出そうとします。
大海人皇子も、流れ星が空に戻っている、今度は地面が動くかもしれないから早く逃げろ、と煽って唐の兵士たちを混乱させます。しかし、ある陣の前では、唐の兵士2人が逃げずに立哨を続けていました。地面が動くから早く逃げろ、と大海人皇子が促すと、中に囚人がいるので離れられない、と監視兵は答えます。この中に中大兄皇子・豊璋がいると確信した大海人皇子は、外の監視兵2人と陣の中の監視兵2人を気絶させ、中大兄皇子と豊璋を救出します。異父弟の大海人皇子に気づいた中大兄皇子は、不敵な笑みを浮かべます。
唐軍が混乱するなか、流れ星が空に戻っていくのは災いの前兆だと兵士たちが騒いでいる、と劉仁軌に報告が届きます。それを聞いても、劉仁軌はただ困惑しているだけでしたが、扶余隆は直ちに行動に移り、それは災いの前兆ではない、と言って兵士たちの動揺を鎮めようとします。新羅で毘曇の乱の時に、金春秋(武烈王)たちは火をつけた大凧を飛ばし、場内に落下した流れ星がいかにも空に戻っていくように見せかけて人心を掌握したそうだ、悪知恵の働く奴らだから我々も気をつけねばならない、とかつて父の義慈王から聞いたことのある扶余隆は、ただちに大海人皇子と新羅の策略を見抜いた、というわけです。
新羅の目的は捕虜となった中大兄皇子・豊璋を奪うことだと見抜いた扶余隆は、2人を幽閉している陣へと急行します。するとすでに、大海人皇子が中大兄皇子・豊璋を逃がそうとしているところでした。扶余隆は剣に手をかけますが、豊璋と目が合うと、しばし躊躇した後、豊璋の逃亡を見逃します。扶余隆は中大兄皇子・豊璋を追ってきた唐の兵士に、捕虜の2人は北へ逃げた、高句麗に助けを求めるつもりだ、と偽りの情報を伝えます。
大海人皇子は用意していた馬に中大兄皇子とともに乗り、港まで向かい乗船します。この船を用意したのは新羅でしょうか。こうして、大海人皇子は中大兄皇子・豊璋の救出に成功しました。663年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)9月7日、百済復興軍の拠点たる周留城が陥落し、倭(日本)の将軍である阿曇比邏夫(安曇比羅夫)らが行方不明であることと、『日本書紀』には豊璋が高句麗へと逃走したと記されていることが、語りにて説明されています。なお、作中では語られていませんが、『新唐書』では、豊璋は行方不明になったとされています。阿曇比邏夫はキャラが立っていただけに、消息が気になっていたのですが、おそらく戦死扱いで退場ということなのでしょう。
乗船した大海人皇子は安堵したのか、これまでの疲労からすぐに眠ってしまいます。大海人皇子は我々を助けるために精根尽き果てたようだ、と豊璋は言います。しかし中大兄皇子は、誰も助けてくれと頼んでいない、と冷たい反応を示します。中大兄皇子も豊璋も疲れており、すぐに眠ってしまいます。やがて大海人皇子は目が覚め、その時に音を立てたため、中大兄皇子も目を覚まします。中大兄皇子は大海人皇子に、いい気になるなよ、帰国した暁には恩に感じた私がお前と仲良く手を取って国を治めていくとでも思っているのか、と挑発するように冷酷な表情で言います。
大海人皇子は中大兄皇子に、恩を売る気はさらさらないが、政治は協力し合うに越したことはない、と反論します。しかし中大兄皇子は大海人皇子に、我々は敵同士だと言ったはずだ、いずれ衝突するのだから協力には何の意味もない、私に情けをかけたことを必ず後悔させてやる、と宣言します。大海人皇子は中大兄皇子に、情けではない、自ら兄を殺して復讐するために助けたのだ、と反論します。しかし中大兄皇子は愚弄したような表情で、本当に私を殺せるのか、と大海人皇子に挑発的に問いかけます。
すると豊璋が、ずっと気になっていることがある、と言って大海人皇子に問いかけます。大海人皇子の父の蘇我入鹿を殺そうと中大兄皇子に提案したのは豊璋なのに、なぜ大海人皇子は窮地の豊璋を救おうとするのか、というわけです。大海人皇子は、豊璋の息子の定恵(真人)・史(不比等)を救ったことがありました。定恵を唐へ逃がす手助けをし、復興百済と新羅との和平を条件に史を匿ったわけです。豊璋から史を信頼できる相手に預けたと聞いていたものの、それが大海人皇子だとは聞かされていなかった中大兄皇子は怒り、それしかなかったのです、と言って豊璋は中大兄皇子に謝ります。
中大兄皇子は、史の件は後で聞くと言い、そこまでして豊璋を助けるとはおかしな話ではないか、と大海人皇子に尋ねます。すべては計算あってのことだ、と大海人皇子は答えます。百済は唐の侵略を食い止めるためにも韓の地に残ってもらわねば困るし、定恵・史の生死の鍵を握っていれば、いざという時に豊璋への切り札となる、というわけです。その返答で納得できない中大兄皇子は、豊璋はもう百済王ではないので利用価値はないに等しく、それどころか唐が侵略してくる火種になりかねないのだから、さっさと殺した方が国のためにもお前のためにもよいのではないか、と大海人皇子に尋ねます。
いつ殺すのだ、いつ殺せるのだ、と中大兄皇子に挑発的に問われた大海人皇子は、殺害だけが復讐ではない、時が経てば何事も、人の心も変わりゆく、と答えます。すると中大兄皇子は笑いだし、さすがは入鹿の落とし胤だ、甘いにも程がある、と言います。お前は筋金入りの平和主義者だな、いずれ改心するという希望に賭けるのか、私にしても豊璋にしてもそんなことがあり得るのか、と中大兄皇子は大海人皇子に挑発的に問いかけます。
中大兄皇子は大海人皇子に、あいにくだが、豊璋はあの世でも私に忠義を貫くと誓った、お前の思う通りにはもう動かない、いや私が動かなくしてみせる、と自信と狂気を浮かべた表情で宣言します。大海人皇子に視線を向けられた豊璋が、中大兄皇子様の仰る通りで、あなたは我々を助けてはならなかったのだ、と大海人皇子に冷酷に言い、大海人皇子が愕然とした表情を浮かべるというところで、今回は終了です。
今回で、長く続いた白村江の戦い編も終わったことになるのでしょう。合計で28話となりますから、1年以上続いたことになります。大海人皇子による中大兄皇子・豊璋の救出は、史書の記述を上手く活かした創作になっていたと思います。弟の豊璋を見逃した扶余隆は、則天武后(武則天)に弟の首を取ると約束しており、それが果たせなかったら自分の首を差し出すことになっています。大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、扶余隆は今後も処罰されることはないのでしょう。作中ではそのことで何らかの話が描かれるのか、注目しています。扶余隆・豊璋の兄弟関係は、中大兄皇子・大海人皇子のそれと比較するとずっとまともで、兄弟愛を感じさせる良いものだったように思います。
今回は、この作品の主題である中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦が描かれ、次回以降もそれが軸になって話が展開することを予感させる終わり方になっていました。予告で大海人皇子は大甘だと書かれていましたが、作中では、大海人皇子の名前の由来が「大甘」とされています。乙巳の変後に大海人皇子(月皇子)は父方祖父の蘇我毛人(蝦夷)の造った隠れ里に落ち延びたのですが、その時は甘ったれだったので、隠れ里の統領は月皇子を「オオアマ」と呼び、それが大海人という名前の由来となったのでした。
確かに、中大兄皇子・豊璋と比較すると、大海人皇子の甘さが印象づけられた回となりました。まあ、この大海人皇子の甘さというか優しさも、大海人皇子が多くの人を惹きつける一因となっているのでしょう。豊璋は今回の最後になって、久々に初期の切れ者で冷酷なところが復活したように思います。今後、中大兄皇子と大海人皇子との心理戦がどのように展開していくのか、そこに豊璋がどう関わっていくのか、たいへん楽しみです。
豊璋は中大兄皇子に改めて忠誠を誓い、大海人皇子に敵対していくと宣言したように見えます。しかし、大海人皇子が酒宴で槍を板に突き刺し、中大兄皇子(天智帝)が激怒して大海人皇子を殺そうとしたところ、中臣鎌足(作中では豊璋と同一人物)がとりなした、という有名な逸話も描かれるでしょうから、豊璋と大海人皇子との関係も単純に敵対的なものとはならないでしょう。また、作中で描かれるのか分かりませんが、鎌足の娘二人(氷上娘・五百重娘)が大海人皇子の妻となっていることからも、豊璋がその死までずっと大海人皇子と敵対するというわけではないでしょう。
私は、大海人皇子と豊璋との関係では定恵が重要な役割を果たすことになるのではないか、と予想しています。定恵は665年に唐から帰国し、その年の12月23日に定恵の才能を妬んだ百済の士人により毒殺されました(『藤氏家伝』)。しかし作中では、定恵は大海人皇子に匿われて生き延び、粟田真人として後半生を生きるのではないか、と予想しています。作中での定恵(真人)の名前・人物像・出家して唐に渡ったという経歴は、粟田真人と重なります。この件で大海人皇子と豊璋は再度接近するのではないか、というわけです。
この予想はさておき、中大兄皇子・大海人皇子・豊璋が帰国した後の展開はひじょうに楽しみです。しばらく国内の重要人物は登場していませんが、大友皇子・額田王・大海人皇子の妻子は重要な役割を果たすでしょう。とくに、父の中大兄皇子に忠実であるものの、叔父の大海人皇子を慕っている大友皇子と、かつて大海人皇子と結ばれて娘の十市皇女を産み、今は中大兄皇子の妻である額田王の動向は注目されます。大友皇子は作中の山場となるだろう壬申の乱の一方の主役となりますから、今後どのように描かれるのか、たいへん気になるところです。
中大兄皇子の娘で大海人皇子の妻である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹の動向も気になるところです。作中では、2人とも蘇我倉山田石川麻呂の自害以降は母の遠智媛とともに中大兄皇子から冷遇されたようですし、母が発狂した件で豊璋を恨んでいるでしょうから、父ではなく夫を優先することになりそうです。この姉妹に関しては、おそらく通説にしたがって若くして死ぬだろう大田皇女の最期がどう描かれるのか、ということが注目されます。
大海人皇子の子供のうち、十市皇女・高市皇子・大伯皇女・草壁皇子・大津皇子が作中ではすでに登場しています。十市皇女はすでに人物像もそれなりに描かれていますし、大友皇子の妻となるので、重要な役割を担うことになりそうです。その他の子供たちはほとんど描かれないのかもしれませんが、中大兄皇子に可愛がられたとされる大津皇子は、作中では重要人物かもしれません。入鹿→大海人皇子と受け継がれてきた容貌は大津皇子に受け継がれ、それ故に中大兄皇子は大津皇子を可愛がったのでないか、というのが私の予想です。
予告は、「兄弟和解の目は無く、大海人はもはや大甘か。帰国後の日本で容赦の無い内乱の嵐が吹く。次号へ!!」となっています。さすがに、次回いきなり10年近く経過して、壬申の乱が描かれることはないでしょう。おそらく、中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦と国政での主導権争いが中心になって描かれるのでしょう。今回、危地から脱した中大兄皇子は意気軒昂で、早くも完膚なきまでの敗戦から立ち直ったようにも見えます。中大兄皇子は、お調子者というよりは徹底して自己中心的な人物造形になっている、と解釈するのがよいのかもしれません。
ただ、倭は白村江の戦いで惨敗したわけですから、作中での話の展開からすると、百済救援を強硬に主張して実行させた中大兄皇子の権威が低下し、百済救援に終始慎重だった大海人皇子の権威が上昇することになりそうです。これにより、中大兄皇子も簡単に政治的主導権を握れない、という展開になるのかもしれません。作中では、国内の防衛体制の整備や近江への遷都や戸籍の作成(庚午年籍)などは、中大兄皇子(天智帝)が政治的権威・権力を回復・確立するためだった、という話になるのでしょうか。ともかく、今後の展開も大いに楽しみであり、長く連載が続くことを願っています。
大海人皇子も、流れ星が空に戻っている、今度は地面が動くかもしれないから早く逃げろ、と煽って唐の兵士たちを混乱させます。しかし、ある陣の前では、唐の兵士2人が逃げずに立哨を続けていました。地面が動くから早く逃げろ、と大海人皇子が促すと、中に囚人がいるので離れられない、と監視兵は答えます。この中に中大兄皇子・豊璋がいると確信した大海人皇子は、外の監視兵2人と陣の中の監視兵2人を気絶させ、中大兄皇子と豊璋を救出します。異父弟の大海人皇子に気づいた中大兄皇子は、不敵な笑みを浮かべます。
唐軍が混乱するなか、流れ星が空に戻っていくのは災いの前兆だと兵士たちが騒いでいる、と劉仁軌に報告が届きます。それを聞いても、劉仁軌はただ困惑しているだけでしたが、扶余隆は直ちに行動に移り、それは災いの前兆ではない、と言って兵士たちの動揺を鎮めようとします。新羅で毘曇の乱の時に、金春秋(武烈王)たちは火をつけた大凧を飛ばし、場内に落下した流れ星がいかにも空に戻っていくように見せかけて人心を掌握したそうだ、悪知恵の働く奴らだから我々も気をつけねばならない、とかつて父の義慈王から聞いたことのある扶余隆は、ただちに大海人皇子と新羅の策略を見抜いた、というわけです。
新羅の目的は捕虜となった中大兄皇子・豊璋を奪うことだと見抜いた扶余隆は、2人を幽閉している陣へと急行します。するとすでに、大海人皇子が中大兄皇子・豊璋を逃がそうとしているところでした。扶余隆は剣に手をかけますが、豊璋と目が合うと、しばし躊躇した後、豊璋の逃亡を見逃します。扶余隆は中大兄皇子・豊璋を追ってきた唐の兵士に、捕虜の2人は北へ逃げた、高句麗に助けを求めるつもりだ、と偽りの情報を伝えます。
大海人皇子は用意していた馬に中大兄皇子とともに乗り、港まで向かい乗船します。この船を用意したのは新羅でしょうか。こうして、大海人皇子は中大兄皇子・豊璋の救出に成功しました。663年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)9月7日、百済復興軍の拠点たる周留城が陥落し、倭(日本)の将軍である阿曇比邏夫(安曇比羅夫)らが行方不明であることと、『日本書紀』には豊璋が高句麗へと逃走したと記されていることが、語りにて説明されています。なお、作中では語られていませんが、『新唐書』では、豊璋は行方不明になったとされています。阿曇比邏夫はキャラが立っていただけに、消息が気になっていたのですが、おそらく戦死扱いで退場ということなのでしょう。
乗船した大海人皇子は安堵したのか、これまでの疲労からすぐに眠ってしまいます。大海人皇子は我々を助けるために精根尽き果てたようだ、と豊璋は言います。しかし中大兄皇子は、誰も助けてくれと頼んでいない、と冷たい反応を示します。中大兄皇子も豊璋も疲れており、すぐに眠ってしまいます。やがて大海人皇子は目が覚め、その時に音を立てたため、中大兄皇子も目を覚まします。中大兄皇子は大海人皇子に、いい気になるなよ、帰国した暁には恩に感じた私がお前と仲良く手を取って国を治めていくとでも思っているのか、と挑発するように冷酷な表情で言います。
大海人皇子は中大兄皇子に、恩を売る気はさらさらないが、政治は協力し合うに越したことはない、と反論します。しかし中大兄皇子は大海人皇子に、我々は敵同士だと言ったはずだ、いずれ衝突するのだから協力には何の意味もない、私に情けをかけたことを必ず後悔させてやる、と宣言します。大海人皇子は中大兄皇子に、情けではない、自ら兄を殺して復讐するために助けたのだ、と反論します。しかし中大兄皇子は愚弄したような表情で、本当に私を殺せるのか、と大海人皇子に挑発的に問いかけます。
すると豊璋が、ずっと気になっていることがある、と言って大海人皇子に問いかけます。大海人皇子の父の蘇我入鹿を殺そうと中大兄皇子に提案したのは豊璋なのに、なぜ大海人皇子は窮地の豊璋を救おうとするのか、というわけです。大海人皇子は、豊璋の息子の定恵(真人)・史(不比等)を救ったことがありました。定恵を唐へ逃がす手助けをし、復興百済と新羅との和平を条件に史を匿ったわけです。豊璋から史を信頼できる相手に預けたと聞いていたものの、それが大海人皇子だとは聞かされていなかった中大兄皇子は怒り、それしかなかったのです、と言って豊璋は中大兄皇子に謝ります。
中大兄皇子は、史の件は後で聞くと言い、そこまでして豊璋を助けるとはおかしな話ではないか、と大海人皇子に尋ねます。すべては計算あってのことだ、と大海人皇子は答えます。百済は唐の侵略を食い止めるためにも韓の地に残ってもらわねば困るし、定恵・史の生死の鍵を握っていれば、いざという時に豊璋への切り札となる、というわけです。その返答で納得できない中大兄皇子は、豊璋はもう百済王ではないので利用価値はないに等しく、それどころか唐が侵略してくる火種になりかねないのだから、さっさと殺した方が国のためにもお前のためにもよいのではないか、と大海人皇子に尋ねます。
いつ殺すのだ、いつ殺せるのだ、と中大兄皇子に挑発的に問われた大海人皇子は、殺害だけが復讐ではない、時が経てば何事も、人の心も変わりゆく、と答えます。すると中大兄皇子は笑いだし、さすがは入鹿の落とし胤だ、甘いにも程がある、と言います。お前は筋金入りの平和主義者だな、いずれ改心するという希望に賭けるのか、私にしても豊璋にしてもそんなことがあり得るのか、と中大兄皇子は大海人皇子に挑発的に問いかけます。
中大兄皇子は大海人皇子に、あいにくだが、豊璋はあの世でも私に忠義を貫くと誓った、お前の思う通りにはもう動かない、いや私が動かなくしてみせる、と自信と狂気を浮かべた表情で宣言します。大海人皇子に視線を向けられた豊璋が、中大兄皇子様の仰る通りで、あなたは我々を助けてはならなかったのだ、と大海人皇子に冷酷に言い、大海人皇子が愕然とした表情を浮かべるというところで、今回は終了です。
今回で、長く続いた白村江の戦い編も終わったことになるのでしょう。合計で28話となりますから、1年以上続いたことになります。大海人皇子による中大兄皇子・豊璋の救出は、史書の記述を上手く活かした創作になっていたと思います。弟の豊璋を見逃した扶余隆は、則天武后(武則天)に弟の首を取ると約束しており、それが果たせなかったら自分の首を差し出すことになっています。大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、扶余隆は今後も処罰されることはないのでしょう。作中ではそのことで何らかの話が描かれるのか、注目しています。扶余隆・豊璋の兄弟関係は、中大兄皇子・大海人皇子のそれと比較するとずっとまともで、兄弟愛を感じさせる良いものだったように思います。
今回は、この作品の主題である中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦が描かれ、次回以降もそれが軸になって話が展開することを予感させる終わり方になっていました。予告で大海人皇子は大甘だと書かれていましたが、作中では、大海人皇子の名前の由来が「大甘」とされています。乙巳の変後に大海人皇子(月皇子)は父方祖父の蘇我毛人(蝦夷)の造った隠れ里に落ち延びたのですが、その時は甘ったれだったので、隠れ里の統領は月皇子を「オオアマ」と呼び、それが大海人という名前の由来となったのでした。
確かに、中大兄皇子・豊璋と比較すると、大海人皇子の甘さが印象づけられた回となりました。まあ、この大海人皇子の甘さというか優しさも、大海人皇子が多くの人を惹きつける一因となっているのでしょう。豊璋は今回の最後になって、久々に初期の切れ者で冷酷なところが復活したように思います。今後、中大兄皇子と大海人皇子との心理戦がどのように展開していくのか、そこに豊璋がどう関わっていくのか、たいへん楽しみです。
豊璋は中大兄皇子に改めて忠誠を誓い、大海人皇子に敵対していくと宣言したように見えます。しかし、大海人皇子が酒宴で槍を板に突き刺し、中大兄皇子(天智帝)が激怒して大海人皇子を殺そうとしたところ、中臣鎌足(作中では豊璋と同一人物)がとりなした、という有名な逸話も描かれるでしょうから、豊璋と大海人皇子との関係も単純に敵対的なものとはならないでしょう。また、作中で描かれるのか分かりませんが、鎌足の娘二人(氷上娘・五百重娘)が大海人皇子の妻となっていることからも、豊璋がその死までずっと大海人皇子と敵対するというわけではないでしょう。
私は、大海人皇子と豊璋との関係では定恵が重要な役割を果たすことになるのではないか、と予想しています。定恵は665年に唐から帰国し、その年の12月23日に定恵の才能を妬んだ百済の士人により毒殺されました(『藤氏家伝』)。しかし作中では、定恵は大海人皇子に匿われて生き延び、粟田真人として後半生を生きるのではないか、と予想しています。作中での定恵(真人)の名前・人物像・出家して唐に渡ったという経歴は、粟田真人と重なります。この件で大海人皇子と豊璋は再度接近するのではないか、というわけです。
この予想はさておき、中大兄皇子・大海人皇子・豊璋が帰国した後の展開はひじょうに楽しみです。しばらく国内の重要人物は登場していませんが、大友皇子・額田王・大海人皇子の妻子は重要な役割を果たすでしょう。とくに、父の中大兄皇子に忠実であるものの、叔父の大海人皇子を慕っている大友皇子と、かつて大海人皇子と結ばれて娘の十市皇女を産み、今は中大兄皇子の妻である額田王の動向は注目されます。大友皇子は作中の山場となるだろう壬申の乱の一方の主役となりますから、今後どのように描かれるのか、たいへん気になるところです。
中大兄皇子の娘で大海人皇子の妻である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹の動向も気になるところです。作中では、2人とも蘇我倉山田石川麻呂の自害以降は母の遠智媛とともに中大兄皇子から冷遇されたようですし、母が発狂した件で豊璋を恨んでいるでしょうから、父ではなく夫を優先することになりそうです。この姉妹に関しては、おそらく通説にしたがって若くして死ぬだろう大田皇女の最期がどう描かれるのか、ということが注目されます。
大海人皇子の子供のうち、十市皇女・高市皇子・大伯皇女・草壁皇子・大津皇子が作中ではすでに登場しています。十市皇女はすでに人物像もそれなりに描かれていますし、大友皇子の妻となるので、重要な役割を担うことになりそうです。その他の子供たちはほとんど描かれないのかもしれませんが、中大兄皇子に可愛がられたとされる大津皇子は、作中では重要人物かもしれません。入鹿→大海人皇子と受け継がれてきた容貌は大津皇子に受け継がれ、それ故に中大兄皇子は大津皇子を可愛がったのでないか、というのが私の予想です。
予告は、「兄弟和解の目は無く、大海人はもはや大甘か。帰国後の日本で容赦の無い内乱の嵐が吹く。次号へ!!」となっています。さすがに、次回いきなり10年近く経過して、壬申の乱が描かれることはないでしょう。おそらく、中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦と国政での主導権争いが中心になって描かれるのでしょう。今回、危地から脱した中大兄皇子は意気軒昂で、早くも完膚なきまでの敗戦から立ち直ったようにも見えます。中大兄皇子は、お調子者というよりは徹底して自己中心的な人物造形になっている、と解釈するのがよいのかもしれません。
ただ、倭は白村江の戦いで惨敗したわけですから、作中での話の展開からすると、百済救援を強硬に主張して実行させた中大兄皇子の権威が低下し、百済救援に終始慎重だった大海人皇子の権威が上昇することになりそうです。これにより、中大兄皇子も簡単に政治的主導権を握れない、という展開になるのかもしれません。作中では、国内の防衛体制の整備や近江への遷都や戸籍の作成(庚午年籍)などは、中大兄皇子(天智帝)が政治的権威・権力を回復・確立するためだった、という話になるのでしょうか。ともかく、今後の展開も大いに楽しみであり、長く連載が続くことを願っています。
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