神田千里『織田信長』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2014年10月に刊行されました。本書は、これまでの信長像の見直しを提言しています。これまでの信長像とは、戦前であれば勤王家、戦後であれば、旧来の権威を打破し、画期的な政策を実行し、新たな秩序を樹立していく革新的・合理的な人物、というものです。こうした人物像は、その時代の価値観が反映されたものです。この問題については、このブログでも言及したことがあります(関連記事)。著者は専門家らしく堅実に、じゅうらいの信長像に疑問を呈していきます。

 旧来の権威の打破という信長像については、信長と幕府(将軍)・朝廷との関係の検証が重要になってきます。本書は、将軍と信長との関係についてまず、永禄11年の上洛のさいの主役が信長ではなく足利義昭だったことを指摘します。信長を主役と考えるのは後世の結果論というわけです。義昭の都からの追放まで、信長は基本的に義昭の臣下として振る舞おうとしました。また、信長が将軍を必要としており、それは義昭追放後もしばらく変わらなかったことが指摘されます。

 信長と朝廷との関係についても、本書は近年の研究動向を反映して、基本的には協調的だった、としています。信長と朝廷との関係を敵対的に把握し、信長には朝廷を超越したり廃止したりする志向があり、それが本能寺の変の要因になった、という見解が一時流行しました。本書の見解は、それとは大きく異なります。信長は先例を重視して朝廷の秩序を維持し、基本的には朝廷の枠内で振る舞おうとしました。信長は、権威を無視する「革新的な」人物ではなく、将軍・天皇・朝廷を自明の権威と考えていた、というのが本書の見解です。

 信長は、遅くとも「天下布武」の朱印状を用いて以降は、全国を武力で統一する方針を固めていた、との見解は今でも一般には根強く浸透しているようです。さらに、戦国大名全員が全国統一を志向していたとの通念は間違っている、との見解(これ自体は基本的には妥当なのですが)が一般にも浸透すると、戦国大名では信長のみが全国統一という明確な目標を掲げて当初から戦っていた、との見解が定着していき(この他には、せいぜい晩年の武田信玄のみが全国統一を意識していた、とされます)、信長の革新性・先見性がますます強調されることになりました。

 しかし本書は、「天下布武」にも用いられている「天下」とは、当時は将軍と関連して用いられ、地理的にはおおむね畿内を指すことが多かった、と指摘します。信長の「天下布武」とは、武力による「全国統一」ではなく、天下人たる将軍(天正3年の右近衛大将任官以降、信長が天下人としての地位を固めていくわけですが)のもと畿内の秩序を安定化させることでした。この「天下」の範囲外の武田家や毛利家と織田家との対立にしても、基本的には大名間の境界争いから発展したものであることが指摘されています。大名間の境界争いこそ、戦国大名間の戦いの要因でした。

 信長はその晩年に武田家を滅亡に追い込みますが、これは武田家の孤立・疲弊という偶然的状況によるものであり、信長には当初から武田家領国を征服する意図があったわけではない、と指摘されています。織田家と毛利家との争いも同様で、信長が「全国統一」の方針のもと、当初から毛利両国の征服を考えていたわけではありませんでした。じっさい、信長は毛利家と敵対的関係になってからも、毛利家との和睦を模索したこともありました。

 このような信長と諸大名との関係は、室町幕府将軍と諸大名との関係と通ずるものがありました。(近年では疑問も呈されていますが)有名な豊臣秀吉による惣無事令の源流は、信長や室町幕府将軍と諸大名との関係にあり、その本質は天下人による諸大名の共存の調停にあった、と本書は指摘します。武力制裁による有効性はさておくとすると、こうした諸大名共存の方針は室町時代から存在したものであり、信長も秀吉もその延長戦上にあったので、信長の大名政策は同時代の他の人々からは奇異には見られなかっただろう、というわけです。

 信長の革新性・先見性として、キリスト教を受け入れて理解し、仏教に厳しい姿勢をとったこともよく挙げられます。しかし本書は、信長がキリスト教をとくに優遇したわけでも、仏教を敵視したり迫害したりしたわけでもないことを指摘しています。信長の宗教への対応は、当時の人々にとってはおおむね常識的なものだったようです。戦国時代の宗教に関しては、著者には他の著書(『宗教で読む戦国時代』など)もあり、そちらを読むとより理解が深まると思います。同書をこのブログで取り上げたこともあります(関連記事)。

 信長の革新性・先見性との評価とも関連しているのでしょうが、信長は独裁的な大名だった、と一般には思われているようです。また、信長は能力だけを基準にして家臣を登用し、将棋の駒のように冷酷に扱った、とも言われています。しかし本書は、この通念に疑問を呈しています。信長は家臣の独断や諫言を受け入れることもあり、家臣を冷酷に扱った事例として有名な佐久間信盛の追放にしても、信盛の家臣団の主君信盛への不満に対処したものだった可能性が指摘されています。家臣団統制にしても、幕府・朝廷への対応にしても、信長は世評をひじょうに気にかけた大名でした。それは、独善的だという通俗的な信長像とは大きく異なるところです。

 本書はこのように、革新的・独裁的といった通俗的な信長像に疑問を呈しています。本書から窺える信長像は、世評をたいへん気にかけ、既存の権威・習慣を尊重する守旧的なところもある人物というものです。本書は、新たな時代を築く人物は既存の秩序を破壊していくものだ、との観念が近代の産物であり、それが信長に投影された可能性を指摘しています。本書の提示する信長像は堅実で、私には説得力のあるものに思えました。現代日本社会では、信長がひじょうに高い人気を得ています。しかしそれは、「実像」とは大きくかけ離れているように思える人物像に起因するのではないか、と私は以前から考えていました。それ故に、現代日本社会においてこそ、本書のような良書は広く読まれてほしいものです。

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