日本史史料研究会編『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』
歴史新書の一冊として洋泉社より2014年10月に刊行されました。織田信長は現代日本社会において一・二を争う人気の高い歴史上の人物です。その大きな理由として考えられるのは、信長は革新的な人物である、との認識が広く浸透していることです。信長の「強い革新性」が戦国時代研究の進展により否定されつつあるのに、一般向け書籍では依然として「超人的な信長像」が提示されており、信長はたいへん革新的な人物との認識が一般では主流であることから、そうした一般の認識を改めることを目的として、複数の執筆者による解説が14本掲載された一般向けの本書が刊行された、という経緯のようです。
日本史史料研究会は、一般層に最新の歴史学の研究成果を分かりやすく伝えることも目的としているとのことで、本書もそうした高い志のもとに編纂されたようです。私は、十数年以上前より通俗的に言われている信長の「革新性」・「先進性」に疑問を抱いており、10年くらい前までは素人なりにわりと熱心に調べていたので、たいへん期待して本書を読み始めました。全体的には、研究史の把握・整理にそれなりの分量が割かれているのが特徴となっています。どのようにじゅうらいの信長像が形成されてきたのか、それらが近年の研究によりどのように変容してきたのか、ということがなかなか分かりやすく説明されていると思います。ただ、各論考により差はありますが。兵農分離の問題について論じられていないのが残念でしたが、全体的にはなかなかの良書だと思います。以下、本書で面白いと思った見解を備忘録として述べておきます。
●足利義昭が将軍の時の室町幕府は、それ以前の戦国時代の将軍・幕府と同様に機能しており、信長の傀儡と理解されるようなものではありませんでした。また、義昭と信長との関係は特別なものではなく、戦国時代を通じて見られる将軍・幕府と諸大名との権力構造の延長線上にありました。
●織田家と徳川(松平)家との「同盟」についても見直しが進んでいるようです。桶狭間の戦い後の徳川家康(松平元康)の動向についてはまだ議論が続いているようですが、本書は、家康は桶狭間の戦いの直後に織田家と領土協定を締結し、今川家と戦った可能性が高い、との見解を提示しています。また、織田家と徳川家の同盟は元亀3年以前と天正3年以降とでは異なっており、前者は対等に近い関係で、家康の信長への軍事協力は義昭を介したものだったのにていして、後者は家康が信長の臣下であるという関係だった、と指摘されています。本書は、徳川家を美化してきた、江戸時代以降の「松平(徳川)中心史観」を克服しなければならない、と提言しています。
●信長に一度は従属しながら離反した勢力は少なくありませんが、たとえば別所長治は、信長直臣という扱いだったのに、秀吉により信長の陪臣(信長配下の秀吉の直臣)扱いにされそうになったことが、その大きな理由だったのではないか、と指摘されています。この長治にしても、同じく信長に従いながら後に離反した松永久秀や荒木村重にしても、信長から冷遇されたことが離反の要因だっただろう、とされています。
日本史史料研究会は、一般層に最新の歴史学の研究成果を分かりやすく伝えることも目的としているとのことで、本書もそうした高い志のもとに編纂されたようです。私は、十数年以上前より通俗的に言われている信長の「革新性」・「先進性」に疑問を抱いており、10年くらい前までは素人なりにわりと熱心に調べていたので、たいへん期待して本書を読み始めました。全体的には、研究史の把握・整理にそれなりの分量が割かれているのが特徴となっています。どのようにじゅうらいの信長像が形成されてきたのか、それらが近年の研究によりどのように変容してきたのか、ということがなかなか分かりやすく説明されていると思います。ただ、各論考により差はありますが。兵農分離の問題について論じられていないのが残念でしたが、全体的にはなかなかの良書だと思います。以下、本書で面白いと思った見解を備忘録として述べておきます。
●足利義昭が将軍の時の室町幕府は、それ以前の戦国時代の将軍・幕府と同様に機能しており、信長の傀儡と理解されるようなものではありませんでした。また、義昭と信長との関係は特別なものではなく、戦国時代を通じて見られる将軍・幕府と諸大名との権力構造の延長線上にありました。
●織田家と徳川(松平)家との「同盟」についても見直しが進んでいるようです。桶狭間の戦い後の徳川家康(松平元康)の動向についてはまだ議論が続いているようですが、本書は、家康は桶狭間の戦いの直後に織田家と領土協定を締結し、今川家と戦った可能性が高い、との見解を提示しています。また、織田家と徳川家の同盟は元亀3年以前と天正3年以降とでは異なっており、前者は対等に近い関係で、家康の信長への軍事協力は義昭を介したものだったのにていして、後者は家康が信長の臣下であるという関係だった、と指摘されています。本書は、徳川家を美化してきた、江戸時代以降の「松平(徳川)中心史観」を克服しなければならない、と提言しています。
●信長に一度は従属しながら離反した勢力は少なくありませんが、たとえば別所長治は、信長直臣という扱いだったのに、秀吉により信長の陪臣(信長配下の秀吉の直臣)扱いにされそうになったことが、その大きな理由だったのではないか、と指摘されています。この長治にしても、同じく信長に従いながら後に離反した松永久秀や荒木村重にしても、信長から冷遇されたことが離反の要因だっただろう、とされています。
この記事へのコメント
近年では、信長の一方的な命令ではなく、徳川家中の内紛と考えている見解をネットでよく見かけますが、研究者の間ではどうなのでしょうね。
著書も売れているようで、近所の中規模書店では大量に入荷されていました。
私はあの方の著書を読んだことはないのですが、ネットでは酷評が目につきます。