『天智と天武~新説・日本書紀~』第51話「救出作戦」
『ビッグコミック』2014年10月25日号掲載分の感想です。 前回は、大海人皇子が中大兄皇子と豊璋を救出するために準備を進めているところで終了しました。今回は、大海人皇子が救出のための材料を揃えたところから始まります。少しは休むよう大海人皇子に勧める新羅の文武王(金法敏)ですが、日没までに準備を終えようとする大海人皇子は休もうとしません。金庾信は文武王に、好きにさせましょう、と進言します。大海人皇子にとって、中大兄皇子は憎い敵でありながら、兄でもあるので、自ら殺すために助けねばならないのだろう、というわけです。
その頃、檻に閉じ込められた中大兄皇子と豊璋(豊王)を、扶余隆が訪ねていました。このままでは豊璋は殺されてしまうので、唐に恭順の意を示すよう、改めて説得に来たわけです。しかし豊璋は、兄の扶余隆の申し出を断り、先刻の暴言(兄上のように祖国を滅ぼした国に尻尾を振って追従するような犬の如き真似だけは絶対にできない)を謝罪します。豊璋は、自身のことはもうよいので、唐にいる息子の定恵(真人)のことを頼みます、と兄に言います。
中大兄皇子は、定恵が孝徳帝の御落胤ではないかと疑い、豊璋は息子を救うため、大海人皇子の手引きで遣唐使の一員として倭(日本)から送り出したのでした。定恵はもう21歳になるだろうか、と言う豊璋にたいして、ならば意地を張らずに唐に飼い馴らされて息子と暮らせばよいではないか、と中大兄皇子は話しかけます。豊璋はこの発言に驚き、本気ですか?と尋ねますが、中大兄皇子は、どうでもよい、どうせ死ぬのだから、と言います。中大兄皇子は、激昂はせず落ち着いているようですが、さすがに前途を悲観しているようです。
扶余隆は、中大兄皇子の言う通り、息子のために考え直してくれ、と改めて弟の豊璋を説得しますが、豊璋は、お元気で、死ぬ前に会えて嬉しかった、ありがとう、と答えます。扶余隆は涙を流しながらその場を去ります。私に遠慮はいらないぞ、と中大兄皇子に話しかけられた豊璋は、百済人として最期を迎えたい、それが戦死した百済人や大和兵たちへのせめてもの手向けだ、と心境を打ち明けます。そなたは良い王になれただろうな、と中大兄皇子に言われた豊璋は、あの世で百済王となり力を発揮します、と言います。すると中大兄皇子は、それはならぬ、そなたは私に借りがあるのだから、その手腕をあの世でも百済でもなく、私のために使ってもらいたい、と豊璋に言います。檻に閉じ込められた二人は、ふっきれたような表情で微笑を浮かべます。
その頃、新羅の陣地では大海人皇子が中大兄皇子と豊璋を救出するための準備を完了させていました。大海人皇子は文武王に、新羅兵の装備一式・精鋭の兵士数人・馬数頭・樽に入った酒を用意してもらい、唐の陣地へと向かいます。大海人皇子は文武王と金庾信に、このご恩は一生忘れない、と謝意を述べ、文武王は、幸運を祈っている、と言って大海人皇子を送り出します。その夜は流れ星が多く、唐の兵士たちは不吉なことの前触れではないか、と懸念していました。
そこへ大海人皇子と新羅兵の一行が現れ、新羅の使い者で文武王の書状も持っている、と唐の兵士たちに伝えます。唐の兵士が劉仁軌に書状を届けると、確かに文武王からのものだったので、劉仁軌も信用し、開門して酒を受け取るよう命じます。新羅の兵士は唐の兵士たちに酒を振る舞い、大海人皇子は、新羅の陣から凧が揚がったら唐の兵士たちを煽るように、と新羅の兵士に命じます。大海人皇子は凧の揚がる前に中大兄皇子と豊璋を見つけようとしますが、なかなか見つかりません。
その頃、大海人皇子との約束の刻限になったということで、文武王と金庾信は、火をつけた薪をくくりつけた状態の凧を揚げるよう、兵士たちに命じます。その凧は墨色だったので、夜中には遠くから見えづらくなっていました。すると、唐の陣地からは、流星が空に戻っていくように見えます。新羅の兵士たちは、大海人皇子に命じられた通り、流れ星が空に戻っていく、災いの前兆だ、と煽ります。凧が揚がったのに、まだ監禁されている中大兄皇子と豊璋を見つけてない大海人皇子が焦る、というところで今回は終了です。
今回は、予想通り大海人皇子による中大兄皇子と豊璋の救出が主題となりました。新羅で起きた毘曇の乱の時の対応を文武王の父の金春秋(武烈王)から聞いていた大海人皇子は、それを参考にして救出作戦を敢行しました。この救出作戦は次回かその次で完了し、それで長く続いた白村江の戦い編も終わることになりそうです。正直なところ、中大兄皇子と大海人皇子が朝鮮半島へと到着してからがかなり長いので、早く白村江の戦い編が終わって新章に突入しないかな、との思いもあります。しかし、大海人皇子と中大兄皇子・豊璋との関係がこの救出作戦によりどう変わるのか、ということも気になりますので、次回も楽しみです。
今回は、大海人皇子による救出作戦よりも、中大兄皇子と豊璋との関係の方が気になりました。母親を殺してまで強引に朝鮮半島へと出陣して新羅と戦い、領土を獲得しようと考えているのみならず、定恵・史(不比等)という二人の息子も危地に追いやりかねない中大兄皇子にたいして、乙巳の変の直前以来ずっと付き従ってきた豊璋も、さすがに距離を置いて大海人皇子に接近している感もありました。しかし今回、中大兄皇子も豊璋も絶望的な状況下で吹っ切れたというか悟ったようなところが見られ、二人の絆が初期の如くしっかりとしたものになったように思われます。
豊璋は倭(日本)に戻ってからも、中大兄皇子に従い続けるのでしょう。作中では豊璋と藤原(中臣)鎌足は同一人物という設定なので、豊璋は中大兄皇子よりも先に死ぬことになりそうです。ただ、気になるのは、通説では中臣鎌足の従兄弟とされている中臣金が、近江朝で重臣(右大臣)となり、壬申の乱において重臣層で唯一処刑になっていることです。今回、豊璋が中大兄皇子にたいして改めて強く忠誠を誓ったように思えることから、あるいは、豊璋は中臣鎌足だけではなく中臣金の役割も作中では担うのかな、とも思いました。
ただ、そうなると、豊璋の息子の藤原不比等が天武(大海人皇子)朝で逼塞していたように見えることは説明できるものの、重臣層で唯一処刑になったほどの人物の息子が後に朝廷で大出世することを説明するのは難しいようにも思います。まあ、左大臣の巨勢徳太(徳多)は第2話で少し登場しただけですし、右大臣の大伴長徳も登場していませんし、『扶桑略記』によるとすでに右大臣に任じられているはずの蘇我連(武羅自)もまだ描かれておらず、おそらくこのまま登場しないでしょうから、近江朝の重臣でモブキャラ扱いにならないのはすでに登場している蘇我赤兄くらいで、中臣金も登場しないのかもしれません。
まあ、近江への遷都はまだかなり先でしょうから、色々と予想するのは早すぎるかもしれません。今は、白村江の戦い編が終わった後の新章において、唐・新羅との交渉や防衛体制・政治秩序の構築も絡めて、人間模様がどう描かれるのか、注目しています。作中では健康そうな大田皇女が若くして亡くなったことがどう描かれるのか、それに妹の鸕野讚良皇女(持統天皇)がどう関わっているのか、天智帝(中大兄皇子)の皇后(大后)となった倭姫王は登場するのか、大友皇子と十市皇女との関係はどう描かれるのか、帰国した定恵の運命はどうなるのかなど、気になる点が多数あります。こうした点が丁寧に描かれるためにも、連載が長く続くとよいな、と願っています。
その頃、檻に閉じ込められた中大兄皇子と豊璋(豊王)を、扶余隆が訪ねていました。このままでは豊璋は殺されてしまうので、唐に恭順の意を示すよう、改めて説得に来たわけです。しかし豊璋は、兄の扶余隆の申し出を断り、先刻の暴言(兄上のように祖国を滅ぼした国に尻尾を振って追従するような犬の如き真似だけは絶対にできない)を謝罪します。豊璋は、自身のことはもうよいので、唐にいる息子の定恵(真人)のことを頼みます、と兄に言います。
中大兄皇子は、定恵が孝徳帝の御落胤ではないかと疑い、豊璋は息子を救うため、大海人皇子の手引きで遣唐使の一員として倭(日本)から送り出したのでした。定恵はもう21歳になるだろうか、と言う豊璋にたいして、ならば意地を張らずに唐に飼い馴らされて息子と暮らせばよいではないか、と中大兄皇子は話しかけます。豊璋はこの発言に驚き、本気ですか?と尋ねますが、中大兄皇子は、どうでもよい、どうせ死ぬのだから、と言います。中大兄皇子は、激昂はせず落ち着いているようですが、さすがに前途を悲観しているようです。
扶余隆は、中大兄皇子の言う通り、息子のために考え直してくれ、と改めて弟の豊璋を説得しますが、豊璋は、お元気で、死ぬ前に会えて嬉しかった、ありがとう、と答えます。扶余隆は涙を流しながらその場を去ります。私に遠慮はいらないぞ、と中大兄皇子に話しかけられた豊璋は、百済人として最期を迎えたい、それが戦死した百済人や大和兵たちへのせめてもの手向けだ、と心境を打ち明けます。そなたは良い王になれただろうな、と中大兄皇子に言われた豊璋は、あの世で百済王となり力を発揮します、と言います。すると中大兄皇子は、それはならぬ、そなたは私に借りがあるのだから、その手腕をあの世でも百済でもなく、私のために使ってもらいたい、と豊璋に言います。檻に閉じ込められた二人は、ふっきれたような表情で微笑を浮かべます。
その頃、新羅の陣地では大海人皇子が中大兄皇子と豊璋を救出するための準備を完了させていました。大海人皇子は文武王に、新羅兵の装備一式・精鋭の兵士数人・馬数頭・樽に入った酒を用意してもらい、唐の陣地へと向かいます。大海人皇子は文武王と金庾信に、このご恩は一生忘れない、と謝意を述べ、文武王は、幸運を祈っている、と言って大海人皇子を送り出します。その夜は流れ星が多く、唐の兵士たちは不吉なことの前触れではないか、と懸念していました。
そこへ大海人皇子と新羅兵の一行が現れ、新羅の使い者で文武王の書状も持っている、と唐の兵士たちに伝えます。唐の兵士が劉仁軌に書状を届けると、確かに文武王からのものだったので、劉仁軌も信用し、開門して酒を受け取るよう命じます。新羅の兵士は唐の兵士たちに酒を振る舞い、大海人皇子は、新羅の陣から凧が揚がったら唐の兵士たちを煽るように、と新羅の兵士に命じます。大海人皇子は凧の揚がる前に中大兄皇子と豊璋を見つけようとしますが、なかなか見つかりません。
その頃、大海人皇子との約束の刻限になったということで、文武王と金庾信は、火をつけた薪をくくりつけた状態の凧を揚げるよう、兵士たちに命じます。その凧は墨色だったので、夜中には遠くから見えづらくなっていました。すると、唐の陣地からは、流星が空に戻っていくように見えます。新羅の兵士たちは、大海人皇子に命じられた通り、流れ星が空に戻っていく、災いの前兆だ、と煽ります。凧が揚がったのに、まだ監禁されている中大兄皇子と豊璋を見つけてない大海人皇子が焦る、というところで今回は終了です。
今回は、予想通り大海人皇子による中大兄皇子と豊璋の救出が主題となりました。新羅で起きた毘曇の乱の時の対応を文武王の父の金春秋(武烈王)から聞いていた大海人皇子は、それを参考にして救出作戦を敢行しました。この救出作戦は次回かその次で完了し、それで長く続いた白村江の戦い編も終わることになりそうです。正直なところ、中大兄皇子と大海人皇子が朝鮮半島へと到着してからがかなり長いので、早く白村江の戦い編が終わって新章に突入しないかな、との思いもあります。しかし、大海人皇子と中大兄皇子・豊璋との関係がこの救出作戦によりどう変わるのか、ということも気になりますので、次回も楽しみです。
今回は、大海人皇子による救出作戦よりも、中大兄皇子と豊璋との関係の方が気になりました。母親を殺してまで強引に朝鮮半島へと出陣して新羅と戦い、領土を獲得しようと考えているのみならず、定恵・史(不比等)という二人の息子も危地に追いやりかねない中大兄皇子にたいして、乙巳の変の直前以来ずっと付き従ってきた豊璋も、さすがに距離を置いて大海人皇子に接近している感もありました。しかし今回、中大兄皇子も豊璋も絶望的な状況下で吹っ切れたというか悟ったようなところが見られ、二人の絆が初期の如くしっかりとしたものになったように思われます。
豊璋は倭(日本)に戻ってからも、中大兄皇子に従い続けるのでしょう。作中では豊璋と藤原(中臣)鎌足は同一人物という設定なので、豊璋は中大兄皇子よりも先に死ぬことになりそうです。ただ、気になるのは、通説では中臣鎌足の従兄弟とされている中臣金が、近江朝で重臣(右大臣)となり、壬申の乱において重臣層で唯一処刑になっていることです。今回、豊璋が中大兄皇子にたいして改めて強く忠誠を誓ったように思えることから、あるいは、豊璋は中臣鎌足だけではなく中臣金の役割も作中では担うのかな、とも思いました。
ただ、そうなると、豊璋の息子の藤原不比等が天武(大海人皇子)朝で逼塞していたように見えることは説明できるものの、重臣層で唯一処刑になったほどの人物の息子が後に朝廷で大出世することを説明するのは難しいようにも思います。まあ、左大臣の巨勢徳太(徳多)は第2話で少し登場しただけですし、右大臣の大伴長徳も登場していませんし、『扶桑略記』によるとすでに右大臣に任じられているはずの蘇我連(武羅自)もまだ描かれておらず、おそらくこのまま登場しないでしょうから、近江朝の重臣でモブキャラ扱いにならないのはすでに登場している蘇我赤兄くらいで、中臣金も登場しないのかもしれません。
まあ、近江への遷都はまだかなり先でしょうから、色々と予想するのは早すぎるかもしれません。今は、白村江の戦い編が終わった後の新章において、唐・新羅との交渉や防衛体制・政治秩序の構築も絡めて、人間模様がどう描かれるのか、注目しています。作中では健康そうな大田皇女が若くして亡くなったことがどう描かれるのか、それに妹の鸕野讚良皇女(持統天皇)がどう関わっているのか、天智帝(中大兄皇子)の皇后(大后)となった倭姫王は登場するのか、大友皇子と十市皇女との関係はどう描かれるのか、帰国した定恵の運命はどうなるのかなど、気になる点が多数あります。こうした点が丁寧に描かれるためにも、連載が長く続くとよいな、と願っています。
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