インドネシアのスラウェシ島の更新世の洞窟壁画の年代(追記有)

 インドネシアのスラウェシ島で発見された更新世の洞窟壁画についての研究(Aubert et al., 2014)が報道されました。BBCAFPナショナルジオグラフィックでも取り上げられています。この洞窟壁画は、『ネイチャー』の今週号の表紙で取り上げられています。フロレシエンシス(Homo floresiensis)の発見・研究でも有名で、昨年亡くなったモーウッド(Michael J. Morwood)博士(関連記事)も本論文の著者の一人として記載されています。フロレシエンシスはインドネシア領フローレス島のリアンブア洞窟の更新世後期~末期の層で発見されました。

 モーウッド博士は晩年に、フローレス島の他の洞窟やフローレス島の近隣の島々にフロレシエンシスの痕跡を探す計画を立てて研究を進めており、スラウェシ島もその対象でした(関連記事)。このスラウェシ島の洞窟壁画はフロレシエンシスの痕跡ではないでしょうが、モーウッド博士の計画からこのような素晴らしい成果が得られたことは、なんとも嬉しいものです。しかしやはり、モーウッド博士が若くして亡くなったことが本当に惜しまれます。

 この研究は、スラウェシ島で発見された洞窟壁画とその年代を報告しています。この壁画の担い手がどの人類種なのか、確定していませんが、この研究も諸報道も、現生人類(Homo sapiens)の所産という前提で議論を展開しているようです。それはまず間違いのないところでしょう。スラウェシ島はウォレス線の東側に位置し、スンダランドとは陸続きではありませんでしたから、スラウェシ島の更新世人類は何らかの方法で渡海したことになります。スラウェシ島南西部の半島にある町マロス(Maros)の近郊にはカルスト地形が広がっており、この洞窟群では1950年代に壁画が発見されています。しかし、これまで正確な年代測定は行なわれていませんでした。本論文は、この洞窟群の各遺跡の年代を以下のように報告しています。


Leang Timpuseng
バビルサ(イノシシ科の野生動物)・・・35400年前
手形・・・39900年前

Leang Jarie
野生動物?・・・30700年前
野生動物?・・・39400年前
野生動物?・・・34000年前
野生動物?・・・36400年前

Leang Lompoa
同一の手形の中指の上部・・・26000年前
同一の手形の中指の下部・・・27400年前
野生動物?・・・17400年前
野生動物?・・・28200年前

Leang Barugayya
手形・・・21900年前
手形・・・18700年前
手形・・・26000年前
同一の野生動物?・・・35700年前
同一の野生動物?・・・30900年前

Gua Jing
手形・・・29100年前
手形・・・22900年前

Leang Sampeang
手形・・・28300年前
手形・・・31800年前


 この年代は、洞窟壁画としては世界最古級になる、と指摘されています。この年代に匹敵する洞窟壁画としては、イベリア半島北部のエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟のものがあります(関連記事)。エルカスティーヨ洞窟の壁画は、赤い点状のものが遅くとも40800年前、手形が33700年前とされていますから、手形ではスラウェシ島のものが現時点で世界最古となります。スラウェシ島の洞窟壁画の年代は、洞窟内のサンゴ状堆積物を試料としたウラン系列年代測定法に基づいています。年代測定に用いられた炭酸カルシウムは上層のものだったので、壁画は測定年代以前のものとなります。

 この研究の意義は、ヨーロッパから遠く離れた地域において、4万年前頃に芸術(と解釈できる痕跡)が確認されたことです。年代の確実な初期の芸術の痕跡はヨーロッパに集中しています。そのため、ヨーロッパが芸術の起源地だった、との見解は根強くあるようです。しかし、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説が優勢になった頃より、現代人の各地域集団の比較からも、現生人類集団は出アフリカを果たす前より芸術活動を行なうことのできる潜在的能力を有していたと想定するのが妥当だろう、と考えられるようになりました。

 しかし、この想定で問題となるのは、更新世の間、ヨーロッパ以外の地域、とくにスンダランド・日本列島も含むユーラシア東部や、スラウェシ島・サフルランドなどウォレス線の東側に位置する地域において、芸術活動の痕跡が乏しいことです。発掘密度の違い、1万年以上残存しにくい物質での芸術活動、生活様式に起因する心性の違い、これらの地域の遺跡の多くは現在海面下にあるとの想定など、さまざまな可能性が考えられますが、決定的な見解は提示されていないのが現状です。

 こうした事情なので、ユーラシア東部の更新世後期~末期における現生人類の芸術活動の痕跡の乏しさは、その時期のユーラシア東部の現生人類が象徴的思考能力の点でヨーロッパの現生人類よりも劣っている証拠とは解釈されないのに、同時期のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の場合は、芸術活動の証拠の欠如(もしくは乏しさ)が、現生人類と比較して象徴的思考能力が劣ることの証拠とされるのはおかしいのではないか、との疑問も提示されています。この疑問にはもっともなところもある、と言えるでしょう。

 しかし、スラウェシ島の洞窟群の壁画の年代が4万年前頃までさかのぼるとなると、その他の芸術活動の痕跡の「空白地域」でも同様の発見(新たな年代測定による「再発見」や解釈の変更も含めて)があっても不思議ではありません。エルカスティーヨ洞窟の壁画の研究で主導的役割を果たしてきたパイク(Alistair Pike)博士は、こうした最古級の壁画を探すならばインドが有望であり、東南アジアも注目される、とも指摘しています。

 上記報道では、芸術活動の能力について、ヨーロッパとは独自に東南アジアでも生じたか、出アフリカの時点で現生人類が有していた、との研究者たちの見解が取り上げられています。現時点での証拠からひじょうに慎重に検討するとそうなりますが、これまで多くの研究者たちが想定していたであろうように、現生人類には出アフリカ以前の時点で芸術活動を行なえるような潜在的能力が備わっていたのでしょう。問題は、そうした潜在的能力がどの時点までさかのぼるのか、ということです。

 この問題で参考になりそうなのは、ネアンデルタール人の事例です。パイク博士は、イベリア半島北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画に関する研究が公表された時、その担い手は現生人類とネアンデルタール人のどちらなのか、確証はない、と述べていました(関連記事)。しかしパイク博士は、スラウェシ島の壁画の手形がエルカスティーヨ洞窟のそれと酷似しており、スラウェシ島にはネアンデルタール人が存在していないことから、ネアンデルタール人が壁画を描いた可能性が低くなったことを示唆しています。なお、スラウェシ島の壁画とエルカスティーヨ洞窟のそれとの相違点としては、前者が筆で描かれたかのようなのにたいして、後者が指で塗るように描かれていることが挙げられています。もちろん、題材となる野生動物も異なります。

 ネアンデルタール人にも壁画を描く能力があるとしたら、それは現生人類とは独立して(遺伝的変異により)獲得したものではなく、両者の共通祖先の段階で存在していた可能性が高いでしょう。ただ、そうだとしても、その時点で現代人の能力とどの程度の違いがあったのかは不明です。エルカスティーヨ洞窟以外にも、ネアンデルタール人の所産の可能性が考えられる洞窟壁画はあります。それはイベリア半島南部のネルジャ(Nerja)洞窟で、年代は43500~42300年前と推定されています(関連記事)。

 これが本当ならば、ネアンデルタール人の描いた壁画の可能性が高いのですが、この調査に関しては資金難が報道されており、私もまだ報道でしか知らず、論文を見つけられていません。あるいは、詳細な報告がなされているかもしれませんので、見つけたらこのブログで取り上げるつもりですが、現時点では、ネアンデルタール人が壁画を描いていた可能性もあるものの、確定していないし、その可能性が高いとも言えない、としておくのが妥当なところでしょうか。

 この研究で改めて、発見されていないことは存在しないことを保証しないのだ、と痛感しました。上述したように、ユーラシア東部では確認されている更新世の芸術行動(と解釈できそうな痕跡)が乏しいのですが、それはまだ発見できていないか、このスラウェシ島の壁画の事例のように、発見していても適切に解釈できていないだけなのかもしれません。上述したように、南アジアや東南アジアは今後そうした痕跡の発見を期待できそうな有望地域と言えるかもしれませんが(アフリカも有望で、6万年以上前の壁画が発見されても不思議ではない、と思います)、その痕跡の多くは、現在海面下にあるのかもしれません。

 同様の事例に埋葬があり、中部旧石器時代の西アジアでは現生人類でもネアンデルタール人でも確認されているのにたいして、同じ頃の中期石器時代のサハラ砂漠以南のアフリカでは、確たる埋葬の事例が確認されていません。あるいは、生物学的な違いを超えた、地域的な文化の違いなのかもしれませんが、今後アフリカでも中期石器時代の埋葬が発見される可能性は高いのではないか、とも思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:インドネシア・スラウェシ島の更新世の洞窟壁画
熱帯で見つかった氷河期の芸術:インドネシアの洞窟壁画は、更新世後期の世界の両端に具象芸術が存在したことを示している

 表紙は、インドネシアのスラウェシ島の洞窟で見つかった壁画で、小型の水牛の一種であるアノアとヒトの手形が描かれている。今回新たに、これらの壁画の年代が決定され、現生人類の知能的および文化的進化で重要な段階の中心は西ヨーロッパであったという従来の見方に疑問が投げ掛けられた。従来のこうした考え方は、ほぼ4万年前の洞窟絵画や彫刻に見られる具象的、または形象的な芸術の出現に主に基づいている。インドネシア・スラウェシ島のマロス県にあるカルスト地帯の洞窟群で発見された手形と野生動物の壁画に関して新たに得られた年代データは、更新世後期の世界ではその両端に当たる場所でほぼ同じ年代に具象芸術が出現したことを示唆している。それとも、それらの年代より数万年前に、最初のホモ・サピエンスとともに彼らが描く洞窟壁画がアフリカから他の地域へと広がったのだろうか。



参考文献:
Aubert M. et al.(2014): Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia. Nature, 514, 7521, 223–227.
http://dx.doi.org/10.1038/nature13422


追記(2014年10月14日)
 ナショナルジオグラフィックで追加報道がありました。



追記(2014年11月21日)
 上記報道翻訳が『Nature ダイジェスト』のサイトで公開されました。



追記(2014年12月19日)
 2014年度の『サイエンス』の科学的ブレークスルートップ10にこの研究が選ばれました(解説記事)。1位ではありませんでしたが、この研究の衝撃はやはり大きかったのだ、と改めて思ったものです。

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