Azar Gat『文明と戦争』上・下(再版)
今日はもう1本掲載します。アザー=ガット(Azar Gat)著、石津朋之・永末聡・山本文史監訳、歴史と戦争研究会訳で、中央公論新社より2012年9月に刊行されました。初版の刊行は2012年8月です。原書の刊行は2006年です。本書は、歴史学・考古学・政治学・進化学など広範な見地から戦争について考察し、奥深い洞察を提示しています。著者の広い学識・視野と多大な努力には敬意を払わなければならないでしょう。戦争について考えるにあたって、本書は必読と言えるのではないかと思います。
本書は、農耕開始以降について、国家の形成・変容に戦争がどのような影響を及ぼし、また国家の形成・変容が戦争の様相をどのように変えたのか、ということを検証していきます。首長社会から国家の形成へといたる過程や、都市国家についての本書の検証には、注目すべき点が多々あります。都市国家の求心力の高さが重装歩兵的な運用を可能にし、それは「ヨーロッパ」だけではなくメソポタミアやイスラーム興隆期のアラビア半島でも見られることや、政治権力たる国家は拡大・集権化していく傾向にあり、(大規模な領域国家・帝国と比較して)小規模な都市国家がその構成員からの高い求心力を長期にわたって維持していくことが難しい点を指摘したことなど、興味深い論点が多く提示されています。
封建制に関する議論も興味深いものです。封建制は国家組織の完全崩壊を導いたのではなく、たとえ部分的にせよ、国家組織を残したものであり、大きな国家の内部で生み出されたものだ、というのが本書の見解です。封建制と、土着の血縁に基づいた首長社会的な非国家組織や、前近代の地方における貴族支配とを混同すべきではない、というわけです。馬が戦備として優遇された初期段階の小規模農耕経済を有する大きな国家において、軍役奉仕の代価としての土地配分を除いて、国家にとって軍事的には望ましかったものの金銭的に高くつく騎乗部隊を維持・管理するための経済的・官僚的基盤を欠き、「地代」が「税金」に取って代わられた場合においてのみ、封建制は生まれた、というのが本書の見解です。ただ、殷(商)・周代の中華地域も封建制の事例としていることには、本書の封建制の定義からしても疑問が残ります。漢語の「封建」と「Feudalism」を同一視してしまったのではないか、と思います。
近現代における戦争と国家・社会の変容に関する議論も注目されます。近現代において実現された豊かな自由主義社会では、マルサスの罠の消滅によりゼロサムゲーム的世界から相互依存を通じての富の拡大がもたらされる世界へと変容したことで、戦争を忌避する傾向が強まった、と本書は指摘します。暴力的な手段が競争的な協力という平和的手段と比較して、人間の欲求を満たす手段として有効ではなくなったからだ、というわけです。このような社会では、戦争の有用性と発生数が顕著に低下します。現代の(おもに先進国の)人間は、この豊かで相互依存的な社会こそ「自然状態」だと認識するため、戦争が不可解な現象だと考えるようになりました。本書は、現代の戦争論の問題点はそこにある、と指摘します。
このように大部となる本書の論点は多岐にわたっているので、私の今の見識・気力では、とてもその全てを取り上げて的確に整理することはできません。今後時間を作って再読していくとともに、自分なりに国家形成と戦争に関する見解を整理していこう、と考えています。この記事では、おもに戦争の起源に関して本書の見解を取り上げることにしますが、日本語訳の本書を読んでの疑問を最初に述べておくと、戦闘と戦争をどう区分しているのか、どうもよく分かりませんでした。本書を読んだ限りでは、戦闘の延長線上が戦争なのであり、両者は連続した事象なのだから、厳密に区別しなくとも論旨にはさほど影響しない、ということなのかもしれません。以下、そのような理解で述べていくことにします。
人間がなぜ戦争を行なうのかという問題は長く議論されてきましたが、現時点では多くの人が納得するような説明は提示されていない、と言うべきでしょう。この議論でよく問題になるというか、論点の中心の一つとなるのは、人間はいつから戦争を始めたのか、ということです。これは、戦争が人間の「本性」によるものなのか、それとも「文化的(後天的)」なものなのか、という伝統的な論争とも関わってきます。戦争が始まったのは農耕の開始もしくは国家形成以降だ、との見解は有力視されていると言えるでしょう。戦争は(人類史のうえでは)最近の文化的な「発明」だ、というわけです。多くの人が認めるような、更新世における戦争の明確な痕跡は発見されていませんので、この見解を支持する人は多いだろう、と思います。
しかし本書は、人類学・考古学・進化学などの研究成果を引用し、戦争(もしくは戦闘)は更新世の狩猟採集社会においてすでに行なわれていた、と主張します(ただ、農耕の開始・国家の形成が戦争と社会の在り様を大きく変えたことも強調されています)。本書は、人類史(本書は基本的に、ホモ属以降を想定しているようです)において圧倒的に長い年代を占める小規模な血縁集団としての狩猟採集社会を、「自然状態の社会」と呼びます。人間の生物学的な特徴の多くは、農耕社会ではなく狩猟採集社会における適応として形成されてきた、との見解が本書の根底にはあるようです。
戦争の究極的な原因は希少な資源の獲得をめぐって行なわれる競争という根本的現実にあり、それをもう少し具体的に述べると、生存・生殖への欲望である、というのが本書の基本的な見解です。人間以外の動物でもこれらをめぐっての同種間の激しい争いは珍しくなく、生存のための暴力を伴う競争(紛争)は自然界の全てを支配する現象なのだから、人間社会の戦争も「自然状態」の社会において起きていたとしても、とくに不思議な事象ではない、というわけです。本書は、人間を戦争へと導くメカニズムについて、以下のように説明します。
人間を戦争へと導く攻撃性は長い淘汰圧の結果の産物で、人間を含む生物に先天的に備わっており、常に活用されます。攻撃性は選択的ですが、絶えず主要な選択肢であり続けたため、表層にきわめて近い場所にあり、容易に現出します。しかし、同時に攻撃性を惹起する条件がさほど顕著でないか、代替手段の選択・追及が可能ならば、場合によっては行動形態がほとんど表面に現れないほど低いレベルにまで攻撃性は低下し得ます。したがって、暴力的な攻撃のレベルは条件に応じて変化します(上述した近現代の豊かな自由主義社会における戦争を忌避する傾向はその実例です)。
戦闘に訴えるか否かの決定は、本質的には進化の過程で形成された費用便益比の計算に基づいています。得られるであろう利益と、払わなければいけない犠牲の評価ということです。多くの利害関係が複雑に絡み合う、大きな危険と利得を特徴とする戦闘行為にたいして、多くの人間が見せる時には好戦的で時には厭戦的な矛盾する態度は、ともに進化を通じて形成された人間生来の性質から生まれたものです。ただ、人間の認知能力とそれ(技術革新など他の要因もあるわけですが)にも起因する情報の限界により、常に「適切な判断」ができるとは限らない、ということには注意しないといけないでしょう(これは通時的に当てはまることです)。「自然状態」にある人間が戦ったりそれを避けたりしようとするのは、生存・生殖上のためであり、それは人間が本来持つ動機や派生的な動機です。人間の「自然状態」は、一般的な自然状態と根本的にはそれほど違いません。
ただ、人間社会には他の動物とは異なる特徴も認められます。それは、身体能力の低下と道具(武器)による攻撃能力の向上です(進化学的には、道具の発達が頑丈な肉体への選択圧を弱め、消費エネルギーの点からも、華奢な身体が選択されてきたのだろう、と思います)。これにより、人間社会では不意を襲う戦闘が行なわれてきました。人間社会では、真の第一撃能力が最初に攻撃する側に甚大な有利性を与えるので、論理的にはすべての軍事力が先制的な要素を持ちます。これは、現代社会における先制攻撃論にも大きく関わってきます。
好戦的な社会が存在し、歴史上一般的に戦争が好まれていたからといって、戦争が生物学的に必然だと証明されるわけではありません。しかしそれ以上に言えるのは、「平和的な社会」の存在が戦争は発明されたものだと証明するわけではない、ということです。破滅的な攻撃行為は、正しい状況下でこれまで容易に発動されてきた、進化を遂げた先天的で主要な選択肢です。人間社会においては、戦争の発生と普及は周囲の状況に左右され、きわめて変化に富むものでした。戦闘とは自然や社会の個体数増加に対応するための統制原理ではなく、むしろ個体数の増加に伴って生じ得る激化した競争において比較優位を占めるために、人々や他の生物がとる戦略です。
本書は人間を戦争へと導くメカニズムをこのように説明しますが、本書が「自然状態」と呼ぶところの狩猟採集社会において、更新世の時点から本当に戦争(もしくは戦闘)が起きていたのか、上述したように多くの人が納得するような明確な証拠は提示されていませんので、疑問を抱く人は多いだろう、と思います。そこで本書は、おもに人類学の研究成果を引用し、人間が「自然状態」において頻繁に戦争(もしくは戦闘)を行なっていた、と主張していきます。そのさいに根拠となるのは、文献記録に残り始めた時点では、外部の影響がきわめて小さかったと考えられる狩猟採集社会です。そうした社会は「自然状態」的性格を濃厚に残していた、との前提で本書は議論を進めていきます。
その具体例として本書が提示しているのは、オーストラリア大陸と北アメリカ大陸北西部沿岸の先住民社会です。どちらも、戦争(もしくは戦闘)も含めて暴力による死の珍しくない社会でした。両社会とも、そうした暴力による死亡率に関して、他の狩猟採集社会と大きく異なるわけではありません。農耕社会や近代以降の産業社会の影響が小さいと考えられる狩猟採集社会の殺人率は、致命的な大規模戦争に関わる産業社会の殺人率よりも高い(本書は、国家の形成にともない、暴力の一元化・集中化を経て殺人率が低下していったことを強調しています)のだから、「自然状態」たる人間の狩猟採集社会は、更新世の頃より暴力も戦争もありふれていたのだろう、というのが本書の見解です。本書は、狩猟採集社会の90%では暴力を伴う紛争が生じており、ほとんどの集団では少なくとも2年に1回の割合で集団間の戦争が起きていた、との研究報告を引用しています。
しかし本書は、こうした見解が弱点を抱えていることも率直に認めています。それは、「接触の逆説」の問題です。完新世以降の農耕・(近代以降の)産業社会との接触により、狩猟採集社会本来の「純粋な」生活様式が歪められた可能性がある、というわけです。オーストラリア大陸と北アメリカ大陸北西部沿岸の先住民社会はそうした影響を概して免れてきたのであり、人口密度が低くても競争や縄張り争いは起きる、と本書は指摘しますが、この「接触の逆説」という観点からの批判に反論するのが難しいことは否めません。
本書は、考古学や人類学の研究成果を引用し、直接的に更新世における戦闘の事例を証明しようとも試みています。旧ユーゴスラビアの第二サンダルジャでは、上部旧石器時代の29体の人骨が頭蓋骨を打ち砕かれており、旧チェコスロバキアの上部旧石器時代の墓所でも暴力による負傷はありふれていて、エジプト領ヌビアのゲベルサハバの後期旧石器時代の墓所では、埋葬された男性・女性・子供の40%以上は石の飛び道具で落命し、一部は複数の傷を負っていた、との事例を本書は引用しています。さらに本書は、上部旧石器時代より前(本書では35000年前以前とされます)の単純狩猟採集社会においても戦闘が行なわれ、かなりの死傷者が出た証拠がある、と指摘していますが、こうした証拠に異議が唱えられていることも認めています。
今回は本書の参照した文献を直接確認する気力はなかったので、本書のこうした引用が適切なのか、判断を保留しておきます。「上部旧石器時代」と「後期旧石器時代」との混用から判断すると、翻訳過程で混乱・錯誤が生じている可能性も想定されます。上述しましたが、更新世における明らかな戦争(もしくは戦闘)の痕跡は確認されていない、と私は認識していました。そのため、本書の提示した更新世の戦闘とも解釈できそうな事例については、やや驚いたのですが、この問題については今後少しずつ調べていくつもりです。
更新世における戦争を肯定する本書は、更新世の狩猟採集民について、広大な「共有地」を自由に移動してまわったのではなく、油断なく守られた境界線に取り囲まれた自らの居住地のなかに「閉じ込められた遊動民」だったのではないか、との見解を提示しています。こうした小規模な狩猟採集社会は、血縁関係で結びつけられていただろう、と本書は想定しています。血縁関係が濃いほど、人間は味方の命を守るために自己を危険にさらすか、自己を犠牲にする傾向が強くなる、というわけです。
人間の場合はさらに、文化を同じくする人々の側に立とうとする傾向が顕著です。地域的な狩猟採集社会においては、共有の文化は血縁関係を示す識別可能な印であると共に、社会的な協調性を生み出すための強力な基盤ともなっており、我々に深く埋め込まれた、自民族中心主義・外国人恐怖症・愛郷心・ナショナリズムの進化学的原点だ、と本書は指摘します。文化を共有する小さな血縁集団のなかで暮らしていたこうした狩猟採集民集団が、後に拡大家族からより大きな地域集団(部族)へと発展していき、やがては国家の形成へといたる、との見通しを本書は提示しています。社会の変容・技術革新により、近代(もしくは近世)以降に文化を同じくする「想像の共同体」が広がっていった、とも指摘されています。
本書は人類社会の画期を完新世の農耕の始まりと産業革命に認めていますが、更新世においては、複合狩猟採集社会の出現を重視しています。その嚆矢は2万年前頃の上部旧石器時代末期の南フランスのドルドーニュ地方だ、というのが本書の見解です。複合狩猟採集社会のような環境を効果的に利用して永続的な人口の集中を支える能力を有していたのは現生人類(Homo sapiens)のみだった、と本書は指摘しています。しかし、現生人類といえども、そうした社会を築けたのはせいぜい上部旧石器時代(サハラ砂漠以南では後期石器時代)以降であり、本格的に進行したのが完新世以降であることを考えると、完新世の温暖で(更新世と比較して)安定した気候の影響が大きいのではないか、とも思います。
これと関連するのですが、更新世のように人口密度の低い社会において、本書が主張するように死亡率の高い戦闘が頻繁に生じ得るのだろうか、との疑問は残ります。更新世の人間社会(本書の云う「自然状態」)がそうであるならば、すでに260万年前頃より石器は製作・使用されていたのですから、人間集団が存続することもなかなか難しかったのではないか、と思います。本書は、民族誌的な詳細な文献記録に残る(したがってせいぜい近代直前頃からの)狩猟採集社会の様相から更新世の人間社会を推定しています。本書も率直に認めるように、そこには「接触の逆説」という問題が残ります。
しかし、より根本的な問題は、更新世と近代直前の間には1万年以上の時間が経過しており、その間に、農耕社会や産業社会との接触による影響が小さかったとしても、狩猟採集社会が大きく変容していた可能性がある、ということです。この問題は、このブログにてたびたび述べてきましたが、「未開社会」の現在もしくは文献記録に残る近代直前以降の様相から、更新世の人間社会の様相を復元するのはきわめて難しいというか、それには慎重になるべきではないか、と私はずっと考えてきました。
完新世は温暖な気候であり、それが農耕社会とそれを基盤とした産業社会の形成を可能にした、と言えるでしょう。しかし、現在より温暖な気候は、たとえば更新世の12万年前頃にもあったわけで、やはり農耕の開始は、完新世の気候が更新世と比較して安定していたことが大きかったのではないか、と思います。そこには、人類が蓄積してきた社会的経験(技術・社会的規範など)も大きく、その画期はアフリカの中期石器時代にあるのかもしれません。
ただ、人類社会の画期をアフリカの中期石器時代か、さらに遅らせてユーラシア西部の上部旧石器時代に置くとしても、そこから数万年間は(現在考古学的に検知できるような持続的な)農耕が行なわれなかった可能性が高いことは否定できないでしょう。更新世のような気候が続いていたとしたら、農耕が本格的に行なわれていたのか、人口密度が農耕開始以降ほどに上昇していたのか、狩猟採集社会は文献記録に残るような「未開社会」と「同水準」に達していたのか、疑問の残るところです。
その意味で、更新世から人間社会では戦争が行なわれていた、とする本書の見解には疑問が残ります。とはいえ、私程度の見識では本書の見解に有効な反論ができていないことも否定できず、せいぜい本書も想定済みの疑問を述べたにすぎません。しかし、本書が「接触の逆説」の問題をおおむね免れてきたと想定しているオーストラリア大陸において、完新世になって人口が緩やかに増加していき、ヨーロッパ人と接触した頃には、その少し前の時期よりは減っていたとはいえ、完新世よりもはるかに人口が多かったと推定している研究(関連記事)からも、文献記録に残る狩猟採集社会から更新世の狩猟採集社会を推定する本書の方法論には、危ういところもあるように思います。
このように疑問点もありますが、本書には教えられるところが多々あり、読んで大正解だったと思います。本書を読んで、私も見解を改めたところが少なからずあります。上述したように、更新世における明らかな戦闘の証拠がない(本書によると、違うようですが)ことから、戦争が始まったのは完新世になって人口が増加したからであり、その要因は農耕の開始だろう、というのが本書を読む前までの私の見解でした。狩猟採集社会の戦争(もしくは戦闘)の事例も一応知っていましたが、これも完新世になって人口が増加したからだろう、と考えていました。
戦争は人間が進化の過程(その大半が小規模な狩猟採集社会)で(適応というか選択圧の結果として)獲得した諸々の脳のメカニズムに起因するとしても、それが社会に現出するにあたっては、人口が大きな要因になっていたのではないか、というわけです。人間が進化の過程で獲得した諸々の脳のメカニズムが社会の進展を水路づけ、ある結果により向かいやすくする可能性を高めるわけで、戦争もその一例となります。しかし、戦争は人類の適応というより、大規模な集団と高い人口密度に適応するような選択圧をまだ充分経てきてはいないために起きる不協和音とも言うべき事象であり、むしろ飽食・肥満(脂肪・糖分・塩分の過剰摂取)と通ずる問題だろう、と本書を読むまで私は考えていました。
しかし本書を読むと、本書が想定しているような頻度には及ばないかもしれないにしても、更新世の時点である程度戦争(というか戦闘)は起きていたのかもしれない、と考えを改めました。また、戦争には適応的行為という側面が多分にあることも、認めざるを得ないように思います。この点でも、私はかなり考えを改めました。本書は、現代の豊かな自由主義社会では戦争を忌避する傾向が強くなると指摘し、高度経済成長以降の日本社会はその典型例かもしれません。しかし、この戦争を忌避する傾向は、豊かな自由主義社会という前提が失われると容易に変わりそうですし、本書が指摘するように、現代世界において豊かな自由主義社会ではない地域・国はありふれています。その意味でも、戦争は日本社会において今後もずっと考えていかねばならない問題と言えるでしょうし、本書はその重要な手がかりになると思います。
参考文献:
Gat A.著(2012)、石津朋之・永末聡・山本文史監訳、歴史と戦争研究会訳『文明と戦争』上・下(再版、中央公論新社、初版の刊行は2012年、原書の刊行は2006年)
本書は、農耕開始以降について、国家の形成・変容に戦争がどのような影響を及ぼし、また国家の形成・変容が戦争の様相をどのように変えたのか、ということを検証していきます。首長社会から国家の形成へといたる過程や、都市国家についての本書の検証には、注目すべき点が多々あります。都市国家の求心力の高さが重装歩兵的な運用を可能にし、それは「ヨーロッパ」だけではなくメソポタミアやイスラーム興隆期のアラビア半島でも見られることや、政治権力たる国家は拡大・集権化していく傾向にあり、(大規模な領域国家・帝国と比較して)小規模な都市国家がその構成員からの高い求心力を長期にわたって維持していくことが難しい点を指摘したことなど、興味深い論点が多く提示されています。
封建制に関する議論も興味深いものです。封建制は国家組織の完全崩壊を導いたのではなく、たとえ部分的にせよ、国家組織を残したものであり、大きな国家の内部で生み出されたものだ、というのが本書の見解です。封建制と、土着の血縁に基づいた首長社会的な非国家組織や、前近代の地方における貴族支配とを混同すべきではない、というわけです。馬が戦備として優遇された初期段階の小規模農耕経済を有する大きな国家において、軍役奉仕の代価としての土地配分を除いて、国家にとって軍事的には望ましかったものの金銭的に高くつく騎乗部隊を維持・管理するための経済的・官僚的基盤を欠き、「地代」が「税金」に取って代わられた場合においてのみ、封建制は生まれた、というのが本書の見解です。ただ、殷(商)・周代の中華地域も封建制の事例としていることには、本書の封建制の定義からしても疑問が残ります。漢語の「封建」と「Feudalism」を同一視してしまったのではないか、と思います。
近現代における戦争と国家・社会の変容に関する議論も注目されます。近現代において実現された豊かな自由主義社会では、マルサスの罠の消滅によりゼロサムゲーム的世界から相互依存を通じての富の拡大がもたらされる世界へと変容したことで、戦争を忌避する傾向が強まった、と本書は指摘します。暴力的な手段が競争的な協力という平和的手段と比較して、人間の欲求を満たす手段として有効ではなくなったからだ、というわけです。このような社会では、戦争の有用性と発生数が顕著に低下します。現代の(おもに先進国の)人間は、この豊かで相互依存的な社会こそ「自然状態」だと認識するため、戦争が不可解な現象だと考えるようになりました。本書は、現代の戦争論の問題点はそこにある、と指摘します。
このように大部となる本書の論点は多岐にわたっているので、私の今の見識・気力では、とてもその全てを取り上げて的確に整理することはできません。今後時間を作って再読していくとともに、自分なりに国家形成と戦争に関する見解を整理していこう、と考えています。この記事では、おもに戦争の起源に関して本書の見解を取り上げることにしますが、日本語訳の本書を読んでの疑問を最初に述べておくと、戦闘と戦争をどう区分しているのか、どうもよく分かりませんでした。本書を読んだ限りでは、戦闘の延長線上が戦争なのであり、両者は連続した事象なのだから、厳密に区別しなくとも論旨にはさほど影響しない、ということなのかもしれません。以下、そのような理解で述べていくことにします。
人間がなぜ戦争を行なうのかという問題は長く議論されてきましたが、現時点では多くの人が納得するような説明は提示されていない、と言うべきでしょう。この議論でよく問題になるというか、論点の中心の一つとなるのは、人間はいつから戦争を始めたのか、ということです。これは、戦争が人間の「本性」によるものなのか、それとも「文化的(後天的)」なものなのか、という伝統的な論争とも関わってきます。戦争が始まったのは農耕の開始もしくは国家形成以降だ、との見解は有力視されていると言えるでしょう。戦争は(人類史のうえでは)最近の文化的な「発明」だ、というわけです。多くの人が認めるような、更新世における戦争の明確な痕跡は発見されていませんので、この見解を支持する人は多いだろう、と思います。
しかし本書は、人類学・考古学・進化学などの研究成果を引用し、戦争(もしくは戦闘)は更新世の狩猟採集社会においてすでに行なわれていた、と主張します(ただ、農耕の開始・国家の形成が戦争と社会の在り様を大きく変えたことも強調されています)。本書は、人類史(本書は基本的に、ホモ属以降を想定しているようです)において圧倒的に長い年代を占める小規模な血縁集団としての狩猟採集社会を、「自然状態の社会」と呼びます。人間の生物学的な特徴の多くは、農耕社会ではなく狩猟採集社会における適応として形成されてきた、との見解が本書の根底にはあるようです。
戦争の究極的な原因は希少な資源の獲得をめぐって行なわれる競争という根本的現実にあり、それをもう少し具体的に述べると、生存・生殖への欲望である、というのが本書の基本的な見解です。人間以外の動物でもこれらをめぐっての同種間の激しい争いは珍しくなく、生存のための暴力を伴う競争(紛争)は自然界の全てを支配する現象なのだから、人間社会の戦争も「自然状態」の社会において起きていたとしても、とくに不思議な事象ではない、というわけです。本書は、人間を戦争へと導くメカニズムについて、以下のように説明します。
人間を戦争へと導く攻撃性は長い淘汰圧の結果の産物で、人間を含む生物に先天的に備わっており、常に活用されます。攻撃性は選択的ですが、絶えず主要な選択肢であり続けたため、表層にきわめて近い場所にあり、容易に現出します。しかし、同時に攻撃性を惹起する条件がさほど顕著でないか、代替手段の選択・追及が可能ならば、場合によっては行動形態がほとんど表面に現れないほど低いレベルにまで攻撃性は低下し得ます。したがって、暴力的な攻撃のレベルは条件に応じて変化します(上述した近現代の豊かな自由主義社会における戦争を忌避する傾向はその実例です)。
戦闘に訴えるか否かの決定は、本質的には進化の過程で形成された費用便益比の計算に基づいています。得られるであろう利益と、払わなければいけない犠牲の評価ということです。多くの利害関係が複雑に絡み合う、大きな危険と利得を特徴とする戦闘行為にたいして、多くの人間が見せる時には好戦的で時には厭戦的な矛盾する態度は、ともに進化を通じて形成された人間生来の性質から生まれたものです。ただ、人間の認知能力とそれ(技術革新など他の要因もあるわけですが)にも起因する情報の限界により、常に「適切な判断」ができるとは限らない、ということには注意しないといけないでしょう(これは通時的に当てはまることです)。「自然状態」にある人間が戦ったりそれを避けたりしようとするのは、生存・生殖上のためであり、それは人間が本来持つ動機や派生的な動機です。人間の「自然状態」は、一般的な自然状態と根本的にはそれほど違いません。
ただ、人間社会には他の動物とは異なる特徴も認められます。それは、身体能力の低下と道具(武器)による攻撃能力の向上です(進化学的には、道具の発達が頑丈な肉体への選択圧を弱め、消費エネルギーの点からも、華奢な身体が選択されてきたのだろう、と思います)。これにより、人間社会では不意を襲う戦闘が行なわれてきました。人間社会では、真の第一撃能力が最初に攻撃する側に甚大な有利性を与えるので、論理的にはすべての軍事力が先制的な要素を持ちます。これは、現代社会における先制攻撃論にも大きく関わってきます。
好戦的な社会が存在し、歴史上一般的に戦争が好まれていたからといって、戦争が生物学的に必然だと証明されるわけではありません。しかしそれ以上に言えるのは、「平和的な社会」の存在が戦争は発明されたものだと証明するわけではない、ということです。破滅的な攻撃行為は、正しい状況下でこれまで容易に発動されてきた、進化を遂げた先天的で主要な選択肢です。人間社会においては、戦争の発生と普及は周囲の状況に左右され、きわめて変化に富むものでした。戦闘とは自然や社会の個体数増加に対応するための統制原理ではなく、むしろ個体数の増加に伴って生じ得る激化した競争において比較優位を占めるために、人々や他の生物がとる戦略です。
本書は人間を戦争へと導くメカニズムをこのように説明しますが、本書が「自然状態」と呼ぶところの狩猟採集社会において、更新世の時点から本当に戦争(もしくは戦闘)が起きていたのか、上述したように多くの人が納得するような明確な証拠は提示されていませんので、疑問を抱く人は多いだろう、と思います。そこで本書は、おもに人類学の研究成果を引用し、人間が「自然状態」において頻繁に戦争(もしくは戦闘)を行なっていた、と主張していきます。そのさいに根拠となるのは、文献記録に残り始めた時点では、外部の影響がきわめて小さかったと考えられる狩猟採集社会です。そうした社会は「自然状態」的性格を濃厚に残していた、との前提で本書は議論を進めていきます。
その具体例として本書が提示しているのは、オーストラリア大陸と北アメリカ大陸北西部沿岸の先住民社会です。どちらも、戦争(もしくは戦闘)も含めて暴力による死の珍しくない社会でした。両社会とも、そうした暴力による死亡率に関して、他の狩猟採集社会と大きく異なるわけではありません。農耕社会や近代以降の産業社会の影響が小さいと考えられる狩猟採集社会の殺人率は、致命的な大規模戦争に関わる産業社会の殺人率よりも高い(本書は、国家の形成にともない、暴力の一元化・集中化を経て殺人率が低下していったことを強調しています)のだから、「自然状態」たる人間の狩猟採集社会は、更新世の頃より暴力も戦争もありふれていたのだろう、というのが本書の見解です。本書は、狩猟採集社会の90%では暴力を伴う紛争が生じており、ほとんどの集団では少なくとも2年に1回の割合で集団間の戦争が起きていた、との研究報告を引用しています。
しかし本書は、こうした見解が弱点を抱えていることも率直に認めています。それは、「接触の逆説」の問題です。完新世以降の農耕・(近代以降の)産業社会との接触により、狩猟採集社会本来の「純粋な」生活様式が歪められた可能性がある、というわけです。オーストラリア大陸と北アメリカ大陸北西部沿岸の先住民社会はそうした影響を概して免れてきたのであり、人口密度が低くても競争や縄張り争いは起きる、と本書は指摘しますが、この「接触の逆説」という観点からの批判に反論するのが難しいことは否めません。
本書は、考古学や人類学の研究成果を引用し、直接的に更新世における戦闘の事例を証明しようとも試みています。旧ユーゴスラビアの第二サンダルジャでは、上部旧石器時代の29体の人骨が頭蓋骨を打ち砕かれており、旧チェコスロバキアの上部旧石器時代の墓所でも暴力による負傷はありふれていて、エジプト領ヌビアのゲベルサハバの後期旧石器時代の墓所では、埋葬された男性・女性・子供の40%以上は石の飛び道具で落命し、一部は複数の傷を負っていた、との事例を本書は引用しています。さらに本書は、上部旧石器時代より前(本書では35000年前以前とされます)の単純狩猟採集社会においても戦闘が行なわれ、かなりの死傷者が出た証拠がある、と指摘していますが、こうした証拠に異議が唱えられていることも認めています。
今回は本書の参照した文献を直接確認する気力はなかったので、本書のこうした引用が適切なのか、判断を保留しておきます。「上部旧石器時代」と「後期旧石器時代」との混用から判断すると、翻訳過程で混乱・錯誤が生じている可能性も想定されます。上述しましたが、更新世における明らかな戦争(もしくは戦闘)の痕跡は確認されていない、と私は認識していました。そのため、本書の提示した更新世の戦闘とも解釈できそうな事例については、やや驚いたのですが、この問題については今後少しずつ調べていくつもりです。
更新世における戦争を肯定する本書は、更新世の狩猟採集民について、広大な「共有地」を自由に移動してまわったのではなく、油断なく守られた境界線に取り囲まれた自らの居住地のなかに「閉じ込められた遊動民」だったのではないか、との見解を提示しています。こうした小規模な狩猟採集社会は、血縁関係で結びつけられていただろう、と本書は想定しています。血縁関係が濃いほど、人間は味方の命を守るために自己を危険にさらすか、自己を犠牲にする傾向が強くなる、というわけです。
人間の場合はさらに、文化を同じくする人々の側に立とうとする傾向が顕著です。地域的な狩猟採集社会においては、共有の文化は血縁関係を示す識別可能な印であると共に、社会的な協調性を生み出すための強力な基盤ともなっており、我々に深く埋め込まれた、自民族中心主義・外国人恐怖症・愛郷心・ナショナリズムの進化学的原点だ、と本書は指摘します。文化を共有する小さな血縁集団のなかで暮らしていたこうした狩猟採集民集団が、後に拡大家族からより大きな地域集団(部族)へと発展していき、やがては国家の形成へといたる、との見通しを本書は提示しています。社会の変容・技術革新により、近代(もしくは近世)以降に文化を同じくする「想像の共同体」が広がっていった、とも指摘されています。
本書は人類社会の画期を完新世の農耕の始まりと産業革命に認めていますが、更新世においては、複合狩猟採集社会の出現を重視しています。その嚆矢は2万年前頃の上部旧石器時代末期の南フランスのドルドーニュ地方だ、というのが本書の見解です。複合狩猟採集社会のような環境を効果的に利用して永続的な人口の集中を支える能力を有していたのは現生人類(Homo sapiens)のみだった、と本書は指摘しています。しかし、現生人類といえども、そうした社会を築けたのはせいぜい上部旧石器時代(サハラ砂漠以南では後期石器時代)以降であり、本格的に進行したのが完新世以降であることを考えると、完新世の温暖で(更新世と比較して)安定した気候の影響が大きいのではないか、とも思います。
これと関連するのですが、更新世のように人口密度の低い社会において、本書が主張するように死亡率の高い戦闘が頻繁に生じ得るのだろうか、との疑問は残ります。更新世の人間社会(本書の云う「自然状態」)がそうであるならば、すでに260万年前頃より石器は製作・使用されていたのですから、人間集団が存続することもなかなか難しかったのではないか、と思います。本書は、民族誌的な詳細な文献記録に残る(したがってせいぜい近代直前頃からの)狩猟採集社会の様相から更新世の人間社会を推定しています。本書も率直に認めるように、そこには「接触の逆説」という問題が残ります。
しかし、より根本的な問題は、更新世と近代直前の間には1万年以上の時間が経過しており、その間に、農耕社会や産業社会との接触による影響が小さかったとしても、狩猟採集社会が大きく変容していた可能性がある、ということです。この問題は、このブログにてたびたび述べてきましたが、「未開社会」の現在もしくは文献記録に残る近代直前以降の様相から、更新世の人間社会の様相を復元するのはきわめて難しいというか、それには慎重になるべきではないか、と私はずっと考えてきました。
完新世は温暖な気候であり、それが農耕社会とそれを基盤とした産業社会の形成を可能にした、と言えるでしょう。しかし、現在より温暖な気候は、たとえば更新世の12万年前頃にもあったわけで、やはり農耕の開始は、完新世の気候が更新世と比較して安定していたことが大きかったのではないか、と思います。そこには、人類が蓄積してきた社会的経験(技術・社会的規範など)も大きく、その画期はアフリカの中期石器時代にあるのかもしれません。
ただ、人類社会の画期をアフリカの中期石器時代か、さらに遅らせてユーラシア西部の上部旧石器時代に置くとしても、そこから数万年間は(現在考古学的に検知できるような持続的な)農耕が行なわれなかった可能性が高いことは否定できないでしょう。更新世のような気候が続いていたとしたら、農耕が本格的に行なわれていたのか、人口密度が農耕開始以降ほどに上昇していたのか、狩猟採集社会は文献記録に残るような「未開社会」と「同水準」に達していたのか、疑問の残るところです。
その意味で、更新世から人間社会では戦争が行なわれていた、とする本書の見解には疑問が残ります。とはいえ、私程度の見識では本書の見解に有効な反論ができていないことも否定できず、せいぜい本書も想定済みの疑問を述べたにすぎません。しかし、本書が「接触の逆説」の問題をおおむね免れてきたと想定しているオーストラリア大陸において、完新世になって人口が緩やかに増加していき、ヨーロッパ人と接触した頃には、その少し前の時期よりは減っていたとはいえ、完新世よりもはるかに人口が多かったと推定している研究(関連記事)からも、文献記録に残る狩猟採集社会から更新世の狩猟採集社会を推定する本書の方法論には、危ういところもあるように思います。
このように疑問点もありますが、本書には教えられるところが多々あり、読んで大正解だったと思います。本書を読んで、私も見解を改めたところが少なからずあります。上述したように、更新世における明らかな戦闘の証拠がない(本書によると、違うようですが)ことから、戦争が始まったのは完新世になって人口が増加したからであり、その要因は農耕の開始だろう、というのが本書を読む前までの私の見解でした。狩猟採集社会の戦争(もしくは戦闘)の事例も一応知っていましたが、これも完新世になって人口が増加したからだろう、と考えていました。
戦争は人間が進化の過程(その大半が小規模な狩猟採集社会)で(適応というか選択圧の結果として)獲得した諸々の脳のメカニズムに起因するとしても、それが社会に現出するにあたっては、人口が大きな要因になっていたのではないか、というわけです。人間が進化の過程で獲得した諸々の脳のメカニズムが社会の進展を水路づけ、ある結果により向かいやすくする可能性を高めるわけで、戦争もその一例となります。しかし、戦争は人類の適応というより、大規模な集団と高い人口密度に適応するような選択圧をまだ充分経てきてはいないために起きる不協和音とも言うべき事象であり、むしろ飽食・肥満(脂肪・糖分・塩分の過剰摂取)と通ずる問題だろう、と本書を読むまで私は考えていました。
しかし本書を読むと、本書が想定しているような頻度には及ばないかもしれないにしても、更新世の時点である程度戦争(というか戦闘)は起きていたのかもしれない、と考えを改めました。また、戦争には適応的行為という側面が多分にあることも、認めざるを得ないように思います。この点でも、私はかなり考えを改めました。本書は、現代の豊かな自由主義社会では戦争を忌避する傾向が強くなると指摘し、高度経済成長以降の日本社会はその典型例かもしれません。しかし、この戦争を忌避する傾向は、豊かな自由主義社会という前提が失われると容易に変わりそうですし、本書が指摘するように、現代世界において豊かな自由主義社会ではない地域・国はありふれています。その意味でも、戦争は日本社会において今後もずっと考えていかねばならない問題と言えるでしょうし、本書はその重要な手がかりになると思います。
参考文献:
Gat A.著(2012)、石津朋之・永末聡・山本文史監訳、歴史と戦争研究会訳『文明と戦争』上・下(再版、中央公論新社、初版の刊行は2012年、原書の刊行は2006年)
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