コーカサス南部の33万年前頃のルヴァロワ技術
コーカサス南部の33万年前頃のルヴァロワ技術についての研究(Adler et al., 2014)が報道されました。本論文は、アルメニアのノルゲギ(Nor Geghi)1遺跡で、335000~325000年前頃というユーラシアでは最古となるルヴァロワ技術による黒曜石製の石器が確認されたことを報告しています。この年代のノルゲギ1遺跡では、様式2と様式3(後述)が共に見られます。伝統的な石器製作技術の区分は5段階とされています。
様式1(Mode 1)
小さな礫から2~3片の剥片をはがす簡単な石器製作技術です。さかのぼるほど、自然石(偽石器)との区別をつけにくくなります。オルドワン(オルドヴァイ文化)に代表されます。
様式2(Mode 2)
様式1より周到な計画と調整が必要とされる両面加工握斧などを製作します。アシューリアン(アシュール文化)が代表的です。
様式3(Mode 3)
ルヴァロワ技術などにより調整された石核から剥片を剥離します。ムステリアン(ムスティエ文化)が代表的です。
様式4(Mode 4)
周到に調整された石核から細長い石刃を連続的にはがしていきます(石刃技法)。大量生産と二次的に加工して多様な石器を製作することが可能となりました。オーリナシアン(オーリニャック文化)が有名です。
様式5(Mode 5)
細石刃のような小さく微細な細石器を製作します。更新世末期に世界で広範に使用されるようになります。
ヨーロッパ・西アジア・(地中海沿岸の)アフリカ北部では(中央アジアも?)、様式1と様式2が下部旧石器時代、様式3が中部旧石器時代、様式4と様式5が上部旧石器時代とされます。サハラ砂漠以南のアフリカでは、様式1と様式2が前期石器時代、様式3が中期石器時代、様式4と様式5が後期石器時代とされます。様式1から様式5へと順に出現していくのですが、じっさいにはこのようにすっきりと区分できない場合が多々あります。たとえば、各地域によりそれぞれの様式の出現年代は異なっています。アフリカでは様式3や様式4と解釈できそうな石器が50万年前頃までさかのぼり(関連記事)、後期石器時代の始まる前に様式5と解釈できそうな石器が発見されています(関連記事)。
様式3から様式4への移行は、人類史における重要な転換とされてきました(上部旧石器革命)。確かに、芸術の出現や人口の増大などヨーロッパではこの時期に大きな変化が生じています。それは「創造の爆発」とも言われ、認知能力に関する現生人類(Homo sapiens)の進化を伴う重要な変化ではないか、ともされています。「現代的行動」が一括して出現しているように見えるのはそのためだ、というわけです。しかし、この見解はヨーロッパに偏重しており、もはや説得力を欠くと言うべきでしょう(関連記事)。
様式2から様式3への移行も注目されます。それは、調整石核技術には現代人に通ずるような計画性・未来予測性が認められるからです。もっとも、それが現代人とどの程度同じだったのかは、推測の難しいところです。ただ、様式3の出現を人類の認知能力向上の指標としても、まったくの的外れとも言えないだろうな、とは思います。中には、様式3から様式4への移行よりも、様式2から様式3への移行の方が人類史において画期的だった、とする見解もあります(Oppenheimer.,2007,P124-126)。その意味で、本論文が取り上げたアルメニアのルヴァロワ技術は注目されます。
本論文は、じゅうらいは30万~20万年前頃とされていたユーラシアでのルヴァロワ技術の出現が、アルメニアのノルゲギ1遺跡における調査により遅くとも335000~325000年前頃までさかのぼることになったとして、その意義を指摘しています。ユーラシアにおける下部旧石器時代~中部旧石器時代の移行期は40万~20万年前頃とされており、ノルゲギ1遺跡は貴重な事例を提供した、と言えそうです。本論文は、古代型サピエンスのアフリカからの拡散に伴い、ルヴァロワ技術がユーラシアへと拡散したというよりは、各地で独自に発展していき、下部旧石器時代~中部旧石器時代への移行が起きたのではないか、と指摘しています。
ただ、ルヴァロワ技術の出現は、やはり現時点ではアフリカの方がずっと早いわけで(関連記事)、本論文も、技術面で共通の祖先集団を有する人類集団が各地で独自にルヴァロワ技術を発展させていった、という見解を提示しています。現時点では、ルヴァロワ技術のような調整石核技術がアフリカで60万~50万年前頃に開発され、そうした技術を有する集団が各地へと拡散したり、交流などで技術を伝えたりして調整石核技術が広まっていき、各地域集団が相互に交流しつつもそれを独自に発展させていった結果、次第に様式2から様式3への移行(下部旧石器時代~中部旧石器時代への移行、もしくは前期石器時代~中期石器時代への移行)が広範に起きた、と考えるのがよさそうです。したがって、現時点での考古学的成果からも推測されますが、様式2がどの程度どの年代まで残存していたかということは、各地域により異なっていたのでしょう。
参考文献:
Adler DS. et al.(2014): Early Levallois technology and the Lower to Middle Paleolithic transition in the Southern Caucasus. Science, 345, 6204, 1609-1613.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1256484
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事
様式1(Mode 1)
小さな礫から2~3片の剥片をはがす簡単な石器製作技術です。さかのぼるほど、自然石(偽石器)との区別をつけにくくなります。オルドワン(オルドヴァイ文化)に代表されます。
様式2(Mode 2)
様式1より周到な計画と調整が必要とされる両面加工握斧などを製作します。アシューリアン(アシュール文化)が代表的です。
様式3(Mode 3)
ルヴァロワ技術などにより調整された石核から剥片を剥離します。ムステリアン(ムスティエ文化)が代表的です。
様式4(Mode 4)
周到に調整された石核から細長い石刃を連続的にはがしていきます(石刃技法)。大量生産と二次的に加工して多様な石器を製作することが可能となりました。オーリナシアン(オーリニャック文化)が有名です。
様式5(Mode 5)
細石刃のような小さく微細な細石器を製作します。更新世末期に世界で広範に使用されるようになります。
ヨーロッパ・西アジア・(地中海沿岸の)アフリカ北部では(中央アジアも?)、様式1と様式2が下部旧石器時代、様式3が中部旧石器時代、様式4と様式5が上部旧石器時代とされます。サハラ砂漠以南のアフリカでは、様式1と様式2が前期石器時代、様式3が中期石器時代、様式4と様式5が後期石器時代とされます。様式1から様式5へと順に出現していくのですが、じっさいにはこのようにすっきりと区分できない場合が多々あります。たとえば、各地域によりそれぞれの様式の出現年代は異なっています。アフリカでは様式3や様式4と解釈できそうな石器が50万年前頃までさかのぼり(関連記事)、後期石器時代の始まる前に様式5と解釈できそうな石器が発見されています(関連記事)。
様式3から様式4への移行は、人類史における重要な転換とされてきました(上部旧石器革命)。確かに、芸術の出現や人口の増大などヨーロッパではこの時期に大きな変化が生じています。それは「創造の爆発」とも言われ、認知能力に関する現生人類(Homo sapiens)の進化を伴う重要な変化ではないか、ともされています。「現代的行動」が一括して出現しているように見えるのはそのためだ、というわけです。しかし、この見解はヨーロッパに偏重しており、もはや説得力を欠くと言うべきでしょう(関連記事)。
様式2から様式3への移行も注目されます。それは、調整石核技術には現代人に通ずるような計画性・未来予測性が認められるからです。もっとも、それが現代人とどの程度同じだったのかは、推測の難しいところです。ただ、様式3の出現を人類の認知能力向上の指標としても、まったくの的外れとも言えないだろうな、とは思います。中には、様式3から様式4への移行よりも、様式2から様式3への移行の方が人類史において画期的だった、とする見解もあります(Oppenheimer.,2007,P124-126)。その意味で、本論文が取り上げたアルメニアのルヴァロワ技術は注目されます。
本論文は、じゅうらいは30万~20万年前頃とされていたユーラシアでのルヴァロワ技術の出現が、アルメニアのノルゲギ1遺跡における調査により遅くとも335000~325000年前頃までさかのぼることになったとして、その意義を指摘しています。ユーラシアにおける下部旧石器時代~中部旧石器時代の移行期は40万~20万年前頃とされており、ノルゲギ1遺跡は貴重な事例を提供した、と言えそうです。本論文は、古代型サピエンスのアフリカからの拡散に伴い、ルヴァロワ技術がユーラシアへと拡散したというよりは、各地で独自に発展していき、下部旧石器時代~中部旧石器時代への移行が起きたのではないか、と指摘しています。
ただ、ルヴァロワ技術の出現は、やはり現時点ではアフリカの方がずっと早いわけで(関連記事)、本論文も、技術面で共通の祖先集団を有する人類集団が各地で独自にルヴァロワ技術を発展させていった、という見解を提示しています。現時点では、ルヴァロワ技術のような調整石核技術がアフリカで60万~50万年前頃に開発され、そうした技術を有する集団が各地へと拡散したり、交流などで技術を伝えたりして調整石核技術が広まっていき、各地域集団が相互に交流しつつもそれを独自に発展させていった結果、次第に様式2から様式3への移行(下部旧石器時代~中部旧石器時代への移行、もしくは前期石器時代~中期石器時代への移行)が広範に起きた、と考えるのがよさそうです。したがって、現時点での考古学的成果からも推測されますが、様式2がどの程度どの年代まで残存していたかということは、各地域により異なっていたのでしょう。
参考文献:
Adler DS. et al.(2014): Early Levallois technology and the Lower to Middle Paleolithic transition in the Southern Caucasus. Science, 345, 6204, 1609-1613.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1256484
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事
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