竹岡俊樹『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』
勉誠出版より2014年9月に刊行されました。著者には『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』という著書もあり、以前このブログで取り上げました(関連記事)。著者は旧石器捏造事件の発覚前より捏造を指摘していたというか、旧石器捏造事件の発覚に重要な役割を果たし、いわば捏造発覚の起点になった研究者です。その著者が捏造発覚から十数年経過して改めて本書を執筆しようとした背景には、当事者の一人として感情を清算するのにそれだけ時間を要したということと、捏造事件を許してしまった日本の考古学界の問題点が、捏造発覚後もまったく改善されていないという危機意識を抱いていることがあるようです。
本書は、日本における(おもに前期の)旧石器をめぐる研究史にも言及しつつ、藤村新一氏(現在は再婚して苗字を変えているそうです)による旧石器捏造事件を検証していきます。本書の検証対象は、捏造発覚後の日本考古学協会による検証作業も含まれ、日本の(おもに旧石器の)考古学界の水準・体質が厳しく批判されています。著者は、意図的にそうしているところが多分にあるようですが、日本の考古学界と距離を置いているようです。日本の考古学界の一員として研究・業務を行なっている人々だと、著者のように根本的なところから徹底的に検証・批判するのは難しいという事情があるのでしょう。
本書は、旧石器捏造事件の要因は日本の(おもに前期旧石器専攻の)考古学界の未熟さにあり、藤村新一氏による卓越した捏造技術はその本質ではない、と指摘します。その未熟さとは、石器そのものの形状を分析する形式学が根づいていないことです。そのため、「層位は形式に優先する」という自然科学(地質学・古気候学・植物学など)への依存を強めた方法論では、何よりも「発掘事実」が優先された結果、藤村氏による捏造を見抜くことが困難になりました。明らかに前期旧石器としてはおかしい石器・発掘状況でも、「層位は形式に優先する」のだから、「発掘事実」が「証明」している、というわけです。
この「層位は形式に優先する」という方法論で日本列島における前期旧石器時代の存在を証明しようとしたのが、東北大学教授の芹沢長介氏(出身は明治大学)でした。芹沢氏の「御膝元」の宮城県において、芹沢氏の弟子も深く関わり、藤村氏も所属した石器文化談話会(1992年に藤村氏たちは東北旧石器文化研究所を設立します)が「華々しい発掘成果」により前期旧石器時代の存在を「証明」した(もちろん、藤村氏の関与した前期旧石器は捏造だったのですが)のは、偶然ではなかったわけです。藤村氏による捏造は、「華々しい発掘成果」により藤村氏の名声が高まるにつれて、宮城県や岩手県といった東北地方にとどまらず、関東にも広がっていきました。
一方、明治大学を中心に芹沢氏と激しく対立した側や、そこまで激しく対立せずとも、芹沢氏の見解に否定的だった側も、石器形式学に関しては未熟であり、唯物史観や生態適応といった「物語」により解釈した旧石器時代像を提示していき、捏造事件を見抜けなかった、と本書は厳しく指摘します。明らかに出土状況が不自然でも、唯物史観・生態適応のような「物語」により、捏造石器は「合理的」に解釈され、研究者たちがお墨付きを与えていった、というわけです。本書は、分析を伴わない解釈研究が学説史的には日本の石器研究に馴染むものだったことも指摘しています。
本書はさらに、日本の考古学界が「行政考古学」と「学問考古学」の二重構造になっていることも、旧石器捏造事件の要因になった、と指摘します。日本が経済大国になっていくにつれて、開発工事に伴う緊急発掘調査の件数・予算規模が増大し、「行政考古学」は肥大化していきます。「行政考古学」は期間が限られていることもあり、その学問的性格は低下していきます。
さらに、税金が費やされていることもあり、住民対策として「一般受け」するような発見・発表を志向したことから、マスコミを通じての「派手な」発表が常態化していきます。マスコミ報道の影響力は大きいので、「学問考古学」の側でも、マスコミ報道が実績となるような風潮が形成されていき、学問性は低下していきます。これに町おこしが結びつくと、学問性はさらに低下します。こうした問題は、旧石器時代や捏造事件の舞台となった東日本だけではなく、旧石器捏造事件を他人事のように把握する傾向もある他の地域・時代の研究でも同様だ、と本書は厳しく指摘します。
本書の重要な特徴として挙げられるのが、藤村新一氏の評価だと思います。旧石器捏造事件発覚直後は、藤村氏の人柄を悪く言う人は皆無に近かったように思います。また今でも、藤村氏の石器に関する見識はたいへんお粗末だった、というのが一般的見解でしょう。そのため、研究者たちが望むような石器を適切な場所に埋めることは藤村氏には不可能であり、藤村氏に近い研究者(たち)が捏造の共犯だったのではないか、との憶測は根強くあります。
しかし本書は、日本の旧石器考古学はきわめて未熟だったのであり、藤村氏はそうした未熟な研究者たちと同程度には石器を「見る」ことができたのではないか、と指摘します。藤村氏は旧石器研究者たちの力量に応じて捏造を行なっていったのであり、石器を発見することだけではなく、研究者たちを騙して賞賛を受けることも喜びだったのではないか、というのが本書の見解です。本書はこの見解の根拠の一つとして、岩宿遺跡を発見したにも関わらず、研究者たちに「利用」されて「不遇」だった相澤忠洋氏に、藤村氏が自分を重ね合わせていたことを挙げています。藤村氏は筋金入りの詐欺師だったのであり、日本の旧石器時代の考古学者たちは未熟だったので騙されたのだ、というのが本書の見解です。
本書は学説史にも言及しつつ旧石器捏造事件を検証し、捏造事件の根本的要因となった日本の考古学界の問題点が現在でも解決されていないことを強く訴えています。本書は旧石器捏造事件の検証本としてたいへん有益だと思います。やや気になったのは、著者の以前の著書『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』よりも弱くなっているとはいえ、石器製作技術と人類の進化とを直接的に結びつける傾向があることです。これは、生態適応による石器の変化という見解に本書がかなり否定的であることとも関わってきます。
確かに、石器製作技術は手首の解剖学的構造や認知能力などといった生物学的特徴に制約されますが、石器に共伴する人骨はきわめて少ないので、人類種と石器製作技術との対応はかなり複雑なものだった可能性があるでしょう。じっさい、最初期の現生人類(Homo sapiens)とされるヘルト人(サピエンスの亜種イダルツとされています)の骨と共伴していた石器の一部はアシューリアンでした。アシューリアンからその製作者集団や年代を推定することには慎重でなければならないだろう、と思います。
また中部旧石器時代のレヴァントでは、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の骨のどちらも、ムステリアン(ムスティエ文化)と共伴していました。レヴァントの事例は、中部旧石器時代においてすでに、石器製作技術の違いが環境変化に対応した場合もあったことを示唆しています(関連記事)。ここからも、石器製作技術を根拠にその製作者集団を推定することの難しさが窺えます。本書の見解には肯けるところが多いのですが、石器製作技術と人類の進化とを直接的に結びつける傾向には疑問が残ります。
参考文献:
竹岡俊樹(2014)『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』(勉誠出版)
本書は、日本における(おもに前期の)旧石器をめぐる研究史にも言及しつつ、藤村新一氏(現在は再婚して苗字を変えているそうです)による旧石器捏造事件を検証していきます。本書の検証対象は、捏造発覚後の日本考古学協会による検証作業も含まれ、日本の(おもに旧石器の)考古学界の水準・体質が厳しく批判されています。著者は、意図的にそうしているところが多分にあるようですが、日本の考古学界と距離を置いているようです。日本の考古学界の一員として研究・業務を行なっている人々だと、著者のように根本的なところから徹底的に検証・批判するのは難しいという事情があるのでしょう。
本書は、旧石器捏造事件の要因は日本の(おもに前期旧石器専攻の)考古学界の未熟さにあり、藤村新一氏による卓越した捏造技術はその本質ではない、と指摘します。その未熟さとは、石器そのものの形状を分析する形式学が根づいていないことです。そのため、「層位は形式に優先する」という自然科学(地質学・古気候学・植物学など)への依存を強めた方法論では、何よりも「発掘事実」が優先された結果、藤村氏による捏造を見抜くことが困難になりました。明らかに前期旧石器としてはおかしい石器・発掘状況でも、「層位は形式に優先する」のだから、「発掘事実」が「証明」している、というわけです。
この「層位は形式に優先する」という方法論で日本列島における前期旧石器時代の存在を証明しようとしたのが、東北大学教授の芹沢長介氏(出身は明治大学)でした。芹沢氏の「御膝元」の宮城県において、芹沢氏の弟子も深く関わり、藤村氏も所属した石器文化談話会(1992年に藤村氏たちは東北旧石器文化研究所を設立します)が「華々しい発掘成果」により前期旧石器時代の存在を「証明」した(もちろん、藤村氏の関与した前期旧石器は捏造だったのですが)のは、偶然ではなかったわけです。藤村氏による捏造は、「華々しい発掘成果」により藤村氏の名声が高まるにつれて、宮城県や岩手県といった東北地方にとどまらず、関東にも広がっていきました。
一方、明治大学を中心に芹沢氏と激しく対立した側や、そこまで激しく対立せずとも、芹沢氏の見解に否定的だった側も、石器形式学に関しては未熟であり、唯物史観や生態適応といった「物語」により解釈した旧石器時代像を提示していき、捏造事件を見抜けなかった、と本書は厳しく指摘します。明らかに出土状況が不自然でも、唯物史観・生態適応のような「物語」により、捏造石器は「合理的」に解釈され、研究者たちがお墨付きを与えていった、というわけです。本書は、分析を伴わない解釈研究が学説史的には日本の石器研究に馴染むものだったことも指摘しています。
本書はさらに、日本の考古学界が「行政考古学」と「学問考古学」の二重構造になっていることも、旧石器捏造事件の要因になった、と指摘します。日本が経済大国になっていくにつれて、開発工事に伴う緊急発掘調査の件数・予算規模が増大し、「行政考古学」は肥大化していきます。「行政考古学」は期間が限られていることもあり、その学問的性格は低下していきます。
さらに、税金が費やされていることもあり、住民対策として「一般受け」するような発見・発表を志向したことから、マスコミを通じての「派手な」発表が常態化していきます。マスコミ報道の影響力は大きいので、「学問考古学」の側でも、マスコミ報道が実績となるような風潮が形成されていき、学問性は低下していきます。これに町おこしが結びつくと、学問性はさらに低下します。こうした問題は、旧石器時代や捏造事件の舞台となった東日本だけではなく、旧石器捏造事件を他人事のように把握する傾向もある他の地域・時代の研究でも同様だ、と本書は厳しく指摘します。
本書の重要な特徴として挙げられるのが、藤村新一氏の評価だと思います。旧石器捏造事件発覚直後は、藤村氏の人柄を悪く言う人は皆無に近かったように思います。また今でも、藤村氏の石器に関する見識はたいへんお粗末だった、というのが一般的見解でしょう。そのため、研究者たちが望むような石器を適切な場所に埋めることは藤村氏には不可能であり、藤村氏に近い研究者(たち)が捏造の共犯だったのではないか、との憶測は根強くあります。
しかし本書は、日本の旧石器考古学はきわめて未熟だったのであり、藤村氏はそうした未熟な研究者たちと同程度には石器を「見る」ことができたのではないか、と指摘します。藤村氏は旧石器研究者たちの力量に応じて捏造を行なっていったのであり、石器を発見することだけではなく、研究者たちを騙して賞賛を受けることも喜びだったのではないか、というのが本書の見解です。本書はこの見解の根拠の一つとして、岩宿遺跡を発見したにも関わらず、研究者たちに「利用」されて「不遇」だった相澤忠洋氏に、藤村氏が自分を重ね合わせていたことを挙げています。藤村氏は筋金入りの詐欺師だったのであり、日本の旧石器時代の考古学者たちは未熟だったので騙されたのだ、というのが本書の見解です。
本書は学説史にも言及しつつ旧石器捏造事件を検証し、捏造事件の根本的要因となった日本の考古学界の問題点が現在でも解決されていないことを強く訴えています。本書は旧石器捏造事件の検証本としてたいへん有益だと思います。やや気になったのは、著者の以前の著書『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』よりも弱くなっているとはいえ、石器製作技術と人類の進化とを直接的に結びつける傾向があることです。これは、生態適応による石器の変化という見解に本書がかなり否定的であることとも関わってきます。
確かに、石器製作技術は手首の解剖学的構造や認知能力などといった生物学的特徴に制約されますが、石器に共伴する人骨はきわめて少ないので、人類種と石器製作技術との対応はかなり複雑なものだった可能性があるでしょう。じっさい、最初期の現生人類(Homo sapiens)とされるヘルト人(サピエンスの亜種イダルツとされています)の骨と共伴していた石器の一部はアシューリアンでした。アシューリアンからその製作者集団や年代を推定することには慎重でなければならないだろう、と思います。
また中部旧石器時代のレヴァントでは、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の骨のどちらも、ムステリアン(ムスティエ文化)と共伴していました。レヴァントの事例は、中部旧石器時代においてすでに、石器製作技術の違いが環境変化に対応した場合もあったことを示唆しています(関連記事)。ここからも、石器製作技術を根拠にその製作者集団を推定することの難しさが窺えます。本書の見解には肯けるところが多いのですが、石器製作技術と人類の進化とを直接的に結びつける傾向には疑問が残ります。
参考文献:
竹岡俊樹(2014)『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』(勉誠出版)
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