『天智と天武~新説・日本書紀~』第50話「国際軍事裁判」
『ビッグコミック』2014年10月10日号掲載分の感想です。前回は、大海人皇子が劉仁軌に、弁護の機会を与えていただきたい、と訴えるところで終了しました。今回は、新羅の文武王(金法敏)と金庾信が大海人皇子に弁護の機会を与えることに賛成したため、劉仁軌が仕方なく認める場面から始まります。劉仁軌は、どう弁護しようと豊璋(豊王)は我々唐のものだ、と憤慨しながら言います。
劉仁軌に則天武后(武則天)との約束(忠誠の証として豊璋の首を取ること)を忘れてはいないだろうな、と問われた扶余隆は、もちろんです、と答えます。唐の力を思い知っただろう、自分がとりなすから悪いようにはしない、お前が唐に恭順の意を表せばよいのだ、と扶余隆は弟の豊璋を説得します。寛大な唐がお前の明晰な頭脳を知れば、自分のように活かせる道を与えてくれるだろう、というわけです。しかし豊璋は、唐への恭順はあり得ない、と言って断ります。
扶余隆は驚き、首がかかっているのだぞ、と豊璋を必死に説得しますが、豊璋は冷静に、私の首なのか、それとも兄上の首なのか、と問い、扶余隆は返答に詰まります。自分の首なら献上するので、塩漬けにしてもかまわないが、兄上のように祖国を滅ぼした国に尻尾を振って追従するような犬の如き真似だけは絶対にできない、と豊璋は意を決した表情で言います。このところ情けない姿の目立つ豊璋ですが、久々に冷酷な完璧超人だった初期の頃が甦った感があります。
扶余隆はあまりの衝撃に茫然としますが、劉仁軌は笑い、豊璋の首を塩漬けにして唐に持ち帰り、則天武后に献上することでよいな、と文武王・金庾信に確認します。すると大海人皇子が反論し、豊璋は王であり、韓の地では王族の命だけは取らないという規則があって、豊璋の父の義慈王も扶余隆などその息子たちも命を奪われなかったのだから、豊璋もその例に倣わなければならない、と訴えます。道理である、と言った文武王は、倭の皇子二人を唐に差し上げるので豊璋は新羅で面倒をみることでどうか、と劉仁軌に提案します。
自身の首もかかっていることから必死な扶余隆は慌ててこれに反対し、豊璋は唐のものであり、必ず恭順させる、と強く訴えます。すると文武王は、それほど言うなら倭の皇子二人は新羅がもらいうける、と言います。しかし、劉仁軌は納得しません。倭(日本)水軍を壊滅させたのは唐水軍であり、少なくとも倭の総大将は唐に連行する、というわけです。劉仁軌は、帆柱に登ってまで自分を殺そうとした中大兄皇子に強い関心を持ち、則天武后に献上しようと考えているようです。
文武王が反対しようとすると、大海人皇子を得たのでよしとしましょう、と金庾信が耳打ちします。文武王と金庾信は、大海人皇子を絶対に救うという目的で当初から駆け引きしていたのでしょう。文武王は、唐が豊璋と中大兄皇子を、新羅が大海人皇子をもらい受けるということで妥協します。この状況でも中大兄皇子は強気で、勝手なことを言っている、と不満を漏らし、お前の首を取ることをまだ諦めていない、と劉仁軌に言います。劉仁軌は、たいした負け惜しみだ、といって嘲笑し、やってみろ、それまでにお前の首がつながっていればの話だがな、と見下すような表情で中大兄皇子に言います。中大兄皇子は傲然と、離れろ、臭い息をかけるな、と劉仁軌に言います。
すると劉仁軌は侮辱されたとして激昂し、剣を抜こうとします。そこへ大海人皇子が割って入り、劉仁軌を制止します。そもそも我々を物のように扱って侮辱したのはそちらだ、なぜ我々はこのように裁かれねばならないのだ、戦を始めたのは唐・新羅・百済ではないか、と劉仁軌に問い質します。我々は気の毒な百済の復興要請に応えただけであり、多くの兵や船を失うという損害を受けた被害者だ、と大海人皇子は劉仁軌に訴えます。
劉仁軌は、よくもそんな屁理屈を、と言って呆れますが、大海人皇子はなおも、中大兄皇子を倭国に帰していただきたい、と要請し、二度と唐や韓の国に刀を向けることをさせないと誓う、との条件を提示します。中大兄皇子はその大海人皇子の様子を見て、大海人皇子が海上に漂う船板の上で、我々は生きて帰るのだ、と力強く誓ったことを思い出します。劉仁軌は、ふざけるな、なぜ戦利品を返さねばならないのだ、と激昂します。
すると、文武王と金庾信も劉仁軌に同調します。兄が処刑されれば、兄の中大兄皇子に復讐したいという大海人皇子の望みも叶い、王(大君)の座に就くこともできるのに、なぜそうまでして中大兄皇子のために命乞いをするのか分からない、というわけです。劉仁軌は中大兄皇子・大海人皇子兄弟の関係をよく知らないので、弟が兄のために命乞いしても当然だろう、と考えています。そこで文武王は、中大兄皇子と大海人皇子は異父兄弟であり、大海人皇子は中大兄皇子に父と親族を皆殺しにされたのだ、と説明します。
すると大海人皇子は、だからこそ兄の息の根は自分が止めなければならない、と決意を秘めたような表情で言います。劉仁軌は、軍を統率すべき司令官と副官が敵同士では負けて当然だし、そもそも戦う以前の問題ではないか、よくそれで戦に介入しようとした、呆れたものだ、と言って大笑します。とにかく豊璋と中大兄皇子はもらっていく、と劉仁軌が言うと、金庾信も同意し、これで裁きは終わりと致します、と宣言します。劉仁軌は豊璋と中大兄皇子を別室に連れて行くよう命じ、文武王と金庾信も、大海人皇子に新羅の陣地でゆっくり休むよう勧めますが、休んではいられない、と大海人皇子は言います。
文武王と金庾信は、大海人皇子の気持ちは理解しつつも、唐の大軍が駐屯するなか、中大兄皇子を救出するのは不可能だ、と大海人皇子を諭します。すると大海人皇子は、中大兄皇子だけではなく豊璋も救出するつもりだと言い、文武王と金庾信はさらに驚きます。大海人皇子にとって、豊璋も父(蘇我入鹿)の仇だからというわけです。大海人皇子が救出の方策を考えようとして空を見ると、鳥が飛んでいました。あのように空でも飛べれば何とかなるかもしれない、と文武王が言うと、大海人皇子は文武王の父の金春秋(武烈王)がかつて倭にいる自分を訪れたことを思い出します。その時、倭は孝徳帝の治世で、金庾信は金春秋に同行していました。
金春秋が倭の大海人皇子を訪ねた年、新羅では善徳女王の退位を求めて上級貴族の毘曇たちが反乱を起こしました。金春秋・金庾信の率いる女王軍の城に流れ星が落下するという不幸があり、善徳女王と兵士たちはこれを敗北の前兆と考えて激しく動揺し、戦意を喪失しそうになりました。このままでは反乱軍に制圧されると考えた金春秋は、「星を天に返した」ことにより、動揺を鎮めました。大海人皇子は金春秋から聞いたこの話を思い出し、文武王と金庾信に語ります。文武王は、あの毘曇の乱の時に考え抜けば道は開けると教わった、と言い、金庾信は、反乱軍は我々以上に狼狽して愉快だった、と懐かしそうに言います。すると大海人皇子は、何か名案を思い付いたようです。
唐の捕虜となった中大兄皇子と豊璋は、檻に閉じ込められていました。こんなことになって申し訳ありません、と豊璋は中大兄皇子に謝りますが、中大兄皇子は何の反応もせず、黙ったままです。劉仁軌の前では強気な態度を見せていた中大兄皇子ですが、さすがに前途を思って意気消沈しているのでしょうか。その頃、新羅軍の陣地にて、大海人皇子が(文武王と金庾信の協力を得て)紙と竹と縄をできるだけ多く集めようとしているところで、今回は終了です。
今回は人物相関図が更新されており、鬼室福信と阿曇比邏夫(安曇比羅夫)がいなくなり、新たに則天武后が登場しました。鬼室福信は作中ではすでに殺害されましたが、阿曇比邏夫の動向は不明です。史実でも阿曇比邏夫の最期は不明で、白村江の戦いで戦死したのかもしれませんが、作中では白村江の戦いに参加していませんから、このままその動向が語られずに退場になるのでしょうか。今回の人物相関図では、大友皇子と十市皇女との夫婦関係(作中ではまだ夫婦関係ではありませんが)を図示できなさそうですが、白村江の戦い編が終わったら、また人物相関図は更新されるのでしょう。
さて、今回の内容ですが、大海人皇子と文武王・金庾信(さらには文武王の父の武烈王も含めて)との個人的友好関係という創作を背景にした、中大兄皇子・豊璋の救出劇の前編といった感じでした。この創作を活かし、さらにはこの数回で描かれてきた大海人皇子と中大兄皇子との関係や両者の相互への想いを踏まえたうえで、面白い救出劇になることを期待しています。この救出劇に毘曇の乱を絡めてきたところは、歴史創作ものとして工夫されているな、と思います。
これまで、扶余隆は唐に心酔しているように描かれてきましたが、腹に一物あるのかな、とも私には思えました。しかし今回を読むと、やはり扶余隆は唐に完全に心酔しているようです。大海人皇子がどのように中大兄皇子と豊璋を救出しようとしているのか、次回を読んでみないと分かりませんが、劉仁軌も扶余隆も白村江の戦いの後に処罰された形跡はないので、大海人皇子は、劉仁軌と扶余隆を恐慌状態に陥れたうえで、交渉により中大兄皇子と豊璋を救出するつもりなのかな、と思います。『新唐書』によると、豊璋は行方不明になったとされていますが(『日本書紀』では高句麗に亡命したとあります)、それでは扶余隆が則天武后に処罰されるので、豊璋の偽の首を献上するか、豊璋は戦死してその遺体は海中に没した、と報告するのかもしれません。
長かった白村江の戦い編も、ようやく終わりが見えてきました。大海人皇子が中大兄皇子と豊璋を救出して三人で帰国した後、どのような人間模様が描かれるのか、注目されます。この後、防衛体制の構築・甲子の宣・飛鳥から近江への遷都・中大兄皇子の即位(天智帝)・庚午年籍とあるわけで、まだ自暴自棄に見える中大兄皇子も立ち直ってくるでしょう。中大兄皇子が立ち直る契機は、やはり異父弟の大海人皇子への敵意を改めて強く確認することではないかな、と思います。
祖国復興の望みが絶たれてすっかり心が折れたように見える豊璋は子煩悩なので、定恵(真人)と史(不比等)のために生き長らえようとして立ち直るのではないか、と思います。白村江の戦い編の後も、豊璋の死(作中では大海人皇子が殺すのでしょうか?)までは、中大兄皇子・大海人皇子・豊璋の三人が中心になって話が動きそうです。そこに、中大兄皇子の後継者問題も絡んできて、大友皇子やその妻となる大海人皇子の長女の十市皇女も重要人物として描かれるでしょう。
大海人皇子にとって、豊璋は今でも父の仇であり、復讐の対象なのですが、どの時点かは不明にしても、大海人皇子は豊璋(この作品では藤原鎌足と同一人物)の娘二人(氷上娘・五百重娘)を妻としています。すでに史を匿ってもらうために大海人皇子に接近していた豊璋は、息子二人のために大海人皇子にさらに接近することになるのかもしれません。そうすると、豊璋を母の仇と考えている大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹(大田皇女の現時点での心境は明示されていないのですが)と大海人皇子との良好そうに見える関係も変わってきそうです。病弱ではなく元気だという設定になっている大田皇女の早い死は、どう描かれるのでしょうか。
大友皇子と十市皇女との結婚をめぐっては、中大兄皇子・大海人皇子・額田王という三者の人間模様も描かれるでしょうから、今後も中大兄皇子・大海人皇子・豊璋の三人が中心になって話が動くとしても、話のネタは尽きないでしょう。どこまで詳しく描かれるのか分かりませんが、白村江の戦い編以降の話も大いに楽しみです。本当は、中大兄皇子の妹で孝徳帝の皇后(大后)だった間人皇女もそこに絡めてもらいたいものですが、孝徳帝置き去りの時にも登場せず、これまで言及さえされていないくらいですから、登場することはないのでしょう。
また、以前から何度か述べていますが、古人大兄皇子の娘で天智帝の皇后(大后)となった倭姫王も是非登場させてもらいたいものです。中大兄皇子は子供の頃、古人大兄皇子と楽しく魚捕りをしていたようですから、蘇我入鹿だけではなく古人大兄皇子も、中大兄皇子の渇いていた心を潤してくれた存在だったのではないか、とも思います。中大兄皇子にとって、異母兄の古人大兄皇子を殺したことはトラウマにもなっているようなので、倭姫王を絡めたら面白い話になりそうなのですが。また、中大兄皇子と大海人皇子との最後の駆け引きにおいて、倭姫王も重要になってきますから、その意味でも、倭姫王を登場させてもらいたいものです。
劉仁軌に則天武后(武則天)との約束(忠誠の証として豊璋の首を取ること)を忘れてはいないだろうな、と問われた扶余隆は、もちろんです、と答えます。唐の力を思い知っただろう、自分がとりなすから悪いようにはしない、お前が唐に恭順の意を表せばよいのだ、と扶余隆は弟の豊璋を説得します。寛大な唐がお前の明晰な頭脳を知れば、自分のように活かせる道を与えてくれるだろう、というわけです。しかし豊璋は、唐への恭順はあり得ない、と言って断ります。
扶余隆は驚き、首がかかっているのだぞ、と豊璋を必死に説得しますが、豊璋は冷静に、私の首なのか、それとも兄上の首なのか、と問い、扶余隆は返答に詰まります。自分の首なら献上するので、塩漬けにしてもかまわないが、兄上のように祖国を滅ぼした国に尻尾を振って追従するような犬の如き真似だけは絶対にできない、と豊璋は意を決した表情で言います。このところ情けない姿の目立つ豊璋ですが、久々に冷酷な完璧超人だった初期の頃が甦った感があります。
扶余隆はあまりの衝撃に茫然としますが、劉仁軌は笑い、豊璋の首を塩漬けにして唐に持ち帰り、則天武后に献上することでよいな、と文武王・金庾信に確認します。すると大海人皇子が反論し、豊璋は王であり、韓の地では王族の命だけは取らないという規則があって、豊璋の父の義慈王も扶余隆などその息子たちも命を奪われなかったのだから、豊璋もその例に倣わなければならない、と訴えます。道理である、と言った文武王は、倭の皇子二人を唐に差し上げるので豊璋は新羅で面倒をみることでどうか、と劉仁軌に提案します。
自身の首もかかっていることから必死な扶余隆は慌ててこれに反対し、豊璋は唐のものであり、必ず恭順させる、と強く訴えます。すると文武王は、それほど言うなら倭の皇子二人は新羅がもらいうける、と言います。しかし、劉仁軌は納得しません。倭(日本)水軍を壊滅させたのは唐水軍であり、少なくとも倭の総大将は唐に連行する、というわけです。劉仁軌は、帆柱に登ってまで自分を殺そうとした中大兄皇子に強い関心を持ち、則天武后に献上しようと考えているようです。
文武王が反対しようとすると、大海人皇子を得たのでよしとしましょう、と金庾信が耳打ちします。文武王と金庾信は、大海人皇子を絶対に救うという目的で当初から駆け引きしていたのでしょう。文武王は、唐が豊璋と中大兄皇子を、新羅が大海人皇子をもらい受けるということで妥協します。この状況でも中大兄皇子は強気で、勝手なことを言っている、と不満を漏らし、お前の首を取ることをまだ諦めていない、と劉仁軌に言います。劉仁軌は、たいした負け惜しみだ、といって嘲笑し、やってみろ、それまでにお前の首がつながっていればの話だがな、と見下すような表情で中大兄皇子に言います。中大兄皇子は傲然と、離れろ、臭い息をかけるな、と劉仁軌に言います。
すると劉仁軌は侮辱されたとして激昂し、剣を抜こうとします。そこへ大海人皇子が割って入り、劉仁軌を制止します。そもそも我々を物のように扱って侮辱したのはそちらだ、なぜ我々はこのように裁かれねばならないのだ、戦を始めたのは唐・新羅・百済ではないか、と劉仁軌に問い質します。我々は気の毒な百済の復興要請に応えただけであり、多くの兵や船を失うという損害を受けた被害者だ、と大海人皇子は劉仁軌に訴えます。
劉仁軌は、よくもそんな屁理屈を、と言って呆れますが、大海人皇子はなおも、中大兄皇子を倭国に帰していただきたい、と要請し、二度と唐や韓の国に刀を向けることをさせないと誓う、との条件を提示します。中大兄皇子はその大海人皇子の様子を見て、大海人皇子が海上に漂う船板の上で、我々は生きて帰るのだ、と力強く誓ったことを思い出します。劉仁軌は、ふざけるな、なぜ戦利品を返さねばならないのだ、と激昂します。
すると、文武王と金庾信も劉仁軌に同調します。兄が処刑されれば、兄の中大兄皇子に復讐したいという大海人皇子の望みも叶い、王(大君)の座に就くこともできるのに、なぜそうまでして中大兄皇子のために命乞いをするのか分からない、というわけです。劉仁軌は中大兄皇子・大海人皇子兄弟の関係をよく知らないので、弟が兄のために命乞いしても当然だろう、と考えています。そこで文武王は、中大兄皇子と大海人皇子は異父兄弟であり、大海人皇子は中大兄皇子に父と親族を皆殺しにされたのだ、と説明します。
すると大海人皇子は、だからこそ兄の息の根は自分が止めなければならない、と決意を秘めたような表情で言います。劉仁軌は、軍を統率すべき司令官と副官が敵同士では負けて当然だし、そもそも戦う以前の問題ではないか、よくそれで戦に介入しようとした、呆れたものだ、と言って大笑します。とにかく豊璋と中大兄皇子はもらっていく、と劉仁軌が言うと、金庾信も同意し、これで裁きは終わりと致します、と宣言します。劉仁軌は豊璋と中大兄皇子を別室に連れて行くよう命じ、文武王と金庾信も、大海人皇子に新羅の陣地でゆっくり休むよう勧めますが、休んではいられない、と大海人皇子は言います。
文武王と金庾信は、大海人皇子の気持ちは理解しつつも、唐の大軍が駐屯するなか、中大兄皇子を救出するのは不可能だ、と大海人皇子を諭します。すると大海人皇子は、中大兄皇子だけではなく豊璋も救出するつもりだと言い、文武王と金庾信はさらに驚きます。大海人皇子にとって、豊璋も父(蘇我入鹿)の仇だからというわけです。大海人皇子が救出の方策を考えようとして空を見ると、鳥が飛んでいました。あのように空でも飛べれば何とかなるかもしれない、と文武王が言うと、大海人皇子は文武王の父の金春秋(武烈王)がかつて倭にいる自分を訪れたことを思い出します。その時、倭は孝徳帝の治世で、金庾信は金春秋に同行していました。
金春秋が倭の大海人皇子を訪ねた年、新羅では善徳女王の退位を求めて上級貴族の毘曇たちが反乱を起こしました。金春秋・金庾信の率いる女王軍の城に流れ星が落下するという不幸があり、善徳女王と兵士たちはこれを敗北の前兆と考えて激しく動揺し、戦意を喪失しそうになりました。このままでは反乱軍に制圧されると考えた金春秋は、「星を天に返した」ことにより、動揺を鎮めました。大海人皇子は金春秋から聞いたこの話を思い出し、文武王と金庾信に語ります。文武王は、あの毘曇の乱の時に考え抜けば道は開けると教わった、と言い、金庾信は、反乱軍は我々以上に狼狽して愉快だった、と懐かしそうに言います。すると大海人皇子は、何か名案を思い付いたようです。
唐の捕虜となった中大兄皇子と豊璋は、檻に閉じ込められていました。こんなことになって申し訳ありません、と豊璋は中大兄皇子に謝りますが、中大兄皇子は何の反応もせず、黙ったままです。劉仁軌の前では強気な態度を見せていた中大兄皇子ですが、さすがに前途を思って意気消沈しているのでしょうか。その頃、新羅軍の陣地にて、大海人皇子が(文武王と金庾信の協力を得て)紙と竹と縄をできるだけ多く集めようとしているところで、今回は終了です。
今回は人物相関図が更新されており、鬼室福信と阿曇比邏夫(安曇比羅夫)がいなくなり、新たに則天武后が登場しました。鬼室福信は作中ではすでに殺害されましたが、阿曇比邏夫の動向は不明です。史実でも阿曇比邏夫の最期は不明で、白村江の戦いで戦死したのかもしれませんが、作中では白村江の戦いに参加していませんから、このままその動向が語られずに退場になるのでしょうか。今回の人物相関図では、大友皇子と十市皇女との夫婦関係(作中ではまだ夫婦関係ではありませんが)を図示できなさそうですが、白村江の戦い編が終わったら、また人物相関図は更新されるのでしょう。
さて、今回の内容ですが、大海人皇子と文武王・金庾信(さらには文武王の父の武烈王も含めて)との個人的友好関係という創作を背景にした、中大兄皇子・豊璋の救出劇の前編といった感じでした。この創作を活かし、さらにはこの数回で描かれてきた大海人皇子と中大兄皇子との関係や両者の相互への想いを踏まえたうえで、面白い救出劇になることを期待しています。この救出劇に毘曇の乱を絡めてきたところは、歴史創作ものとして工夫されているな、と思います。
これまで、扶余隆は唐に心酔しているように描かれてきましたが、腹に一物あるのかな、とも私には思えました。しかし今回を読むと、やはり扶余隆は唐に完全に心酔しているようです。大海人皇子がどのように中大兄皇子と豊璋を救出しようとしているのか、次回を読んでみないと分かりませんが、劉仁軌も扶余隆も白村江の戦いの後に処罰された形跡はないので、大海人皇子は、劉仁軌と扶余隆を恐慌状態に陥れたうえで、交渉により中大兄皇子と豊璋を救出するつもりなのかな、と思います。『新唐書』によると、豊璋は行方不明になったとされていますが(『日本書紀』では高句麗に亡命したとあります)、それでは扶余隆が則天武后に処罰されるので、豊璋の偽の首を献上するか、豊璋は戦死してその遺体は海中に没した、と報告するのかもしれません。
長かった白村江の戦い編も、ようやく終わりが見えてきました。大海人皇子が中大兄皇子と豊璋を救出して三人で帰国した後、どのような人間模様が描かれるのか、注目されます。この後、防衛体制の構築・甲子の宣・飛鳥から近江への遷都・中大兄皇子の即位(天智帝)・庚午年籍とあるわけで、まだ自暴自棄に見える中大兄皇子も立ち直ってくるでしょう。中大兄皇子が立ち直る契機は、やはり異父弟の大海人皇子への敵意を改めて強く確認することではないかな、と思います。
祖国復興の望みが絶たれてすっかり心が折れたように見える豊璋は子煩悩なので、定恵(真人)と史(不比等)のために生き長らえようとして立ち直るのではないか、と思います。白村江の戦い編の後も、豊璋の死(作中では大海人皇子が殺すのでしょうか?)までは、中大兄皇子・大海人皇子・豊璋の三人が中心になって話が動きそうです。そこに、中大兄皇子の後継者問題も絡んできて、大友皇子やその妻となる大海人皇子の長女の十市皇女も重要人物として描かれるでしょう。
大海人皇子にとって、豊璋は今でも父の仇であり、復讐の対象なのですが、どの時点かは不明にしても、大海人皇子は豊璋(この作品では藤原鎌足と同一人物)の娘二人(氷上娘・五百重娘)を妻としています。すでに史を匿ってもらうために大海人皇子に接近していた豊璋は、息子二人のために大海人皇子にさらに接近することになるのかもしれません。そうすると、豊璋を母の仇と考えている大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹(大田皇女の現時点での心境は明示されていないのですが)と大海人皇子との良好そうに見える関係も変わってきそうです。病弱ではなく元気だという設定になっている大田皇女の早い死は、どう描かれるのでしょうか。
大友皇子と十市皇女との結婚をめぐっては、中大兄皇子・大海人皇子・額田王という三者の人間模様も描かれるでしょうから、今後も中大兄皇子・大海人皇子・豊璋の三人が中心になって話が動くとしても、話のネタは尽きないでしょう。どこまで詳しく描かれるのか分かりませんが、白村江の戦い編以降の話も大いに楽しみです。本当は、中大兄皇子の妹で孝徳帝の皇后(大后)だった間人皇女もそこに絡めてもらいたいものですが、孝徳帝置き去りの時にも登場せず、これまで言及さえされていないくらいですから、登場することはないのでしょう。
また、以前から何度か述べていますが、古人大兄皇子の娘で天智帝の皇后(大后)となった倭姫王も是非登場させてもらいたいものです。中大兄皇子は子供の頃、古人大兄皇子と楽しく魚捕りをしていたようですから、蘇我入鹿だけではなく古人大兄皇子も、中大兄皇子の渇いていた心を潤してくれた存在だったのではないか、とも思います。中大兄皇子にとって、異母兄の古人大兄皇子を殺したことはトラウマにもなっているようなので、倭姫王を絡めたら面白い話になりそうなのですが。また、中大兄皇子と大海人皇子との最後の駆け引きにおいて、倭姫王も重要になってきますから、その意味でも、倭姫王を登場させてもらいたいものです。
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