『太陽にほえろ!』387話~391話
387話「雨の中の女」6
ボン殉職後、ますます影が薄くなった感のあるロッキーの主演作です。復讐のために次々と人を殺していく女性と、ロッキーが対決します。ロッキーが犯人の動機を知り、犯人に同情しつつも、犯人を追い詰めていくという設定は、『太陽にほえろ!』の定番と言えます。話自体はまずまず面白かったのですが、地味な感は否めません。そうしたあたりも、視聴率が低迷していった一因なのかもしれません。
388話「ゴリラ」6
ゴリさん主演作ですが、セミレギュラーの吉野巡査が準主役として話が展開していきます。直情径行の吉野巡査がゴリさんに憧れ、ゴリさんに助けられ殴られつつ成長していくという、若手刑事の成長物語にもなっています。こうした役割はこれまで新人刑事が担ってきたのですが、スニーカーのキャラの弱さというか、この時期の山下真司氏の役者としての未熟さが、セミレギュラーの若手の重用になったのではないか、とも思うものの、これは邪推かもしれません。話は、拳銃密輸事件を軸に、警察内部に通報者がおり、吉野が関与しているのではないか、という疑惑もからんで、まずまず面白くなっています。
389話「心の重荷」6
青年の屈折した心情を軸に、謎めいた殺人事件の謎解きが進んでいくのですが、かなり早い段階で青年の屈折した心情の理由が明らかになったのは意外でした。この理由を明らかにするのは、もっと後でもよかったように思うのですが、話自体はそれなりに面白く、いかにも青春ドラマといった感じも、原点回帰のようでかえって新鮮かな、と思います。主演はスニーカーなのですが、やはりまだこの時点では演技力が足りないなあ、と改めて思ったものです。山下真司氏に後年のような演技力があれば、もっと面白くなったのになあ、と少しもったいない気もしますが、これはないものねだりと言うべきでしょうか。
390話「二十歳の殺人」5
刑法の規定が重要な背景となって話が進んでいきます。犯人の青年とその妻に感情移入させようというのが脚本の意図だと思うのですが、犯人役の方の演技がいまいちだということもあり、やや同情しづらくなっています。この頃の話は、すべて一度は視聴しているのですが、多くは内容を忘れてしまっています。しかしこの390話は、かなりの程度内容を覚えていました。刑法の規定が重要な背景になっていたということで、印象に残っていたのでしょう。話の構成が平凡でやや雑多な感がありましたし、主演の殿下に次いで目立つ役割を担ったスニーカーの演技が相変わらずいまいちなので、全体的な出来はもうひとつかな、というのが率直な感想です。
391話「黄色いボタン」9
公園で殺人事件が発生し、老人が自首します。老人は、被害者が金をゆすろうとしてきたので殺害した、と淡々と状況を説明します。しかし、被害者は金には困っておらず、老人の娘夫婦の話からも、心臓に持病のある老人が被害者を撃退して殺害することは難しい、ということが分かります。ロッキーは、老人が真犯人を庇っているのではないか、と疑いますが、なかなか特定はできません。捜査がやや行き詰まってきたなか、ロッキーは聞き込みのさいに動揺した女性に注目します。
一方、池を捜索していた長さんとスニーカーは本当の凶器を見つけ、一係は老人が犯人ではないと確信します。しかし、老人はあくまでも自分が犯人だと言い張ります。ロッキーは怪しいと睨んだ女性を探り、ついに女性と被害者と老人との関係をつかみます。話がよく練られていて、なかなか面白くなっています。老人の孤独という社会問題を扱った作品になっており、現代にも通ずるところがあると思います。メインゲストの加藤嘉氏の演技が質を高めています。
ボン殉職後、ますます影が薄くなった感のあるロッキーの主演作です。復讐のために次々と人を殺していく女性と、ロッキーが対決します。ロッキーが犯人の動機を知り、犯人に同情しつつも、犯人を追い詰めていくという設定は、『太陽にほえろ!』の定番と言えます。話自体はまずまず面白かったのですが、地味な感は否めません。そうしたあたりも、視聴率が低迷していった一因なのかもしれません。
388話「ゴリラ」6
ゴリさん主演作ですが、セミレギュラーの吉野巡査が準主役として話が展開していきます。直情径行の吉野巡査がゴリさんに憧れ、ゴリさんに助けられ殴られつつ成長していくという、若手刑事の成長物語にもなっています。こうした役割はこれまで新人刑事が担ってきたのですが、スニーカーのキャラの弱さというか、この時期の山下真司氏の役者としての未熟さが、セミレギュラーの若手の重用になったのではないか、とも思うものの、これは邪推かもしれません。話は、拳銃密輸事件を軸に、警察内部に通報者がおり、吉野が関与しているのではないか、という疑惑もからんで、まずまず面白くなっています。
389話「心の重荷」6
青年の屈折した心情を軸に、謎めいた殺人事件の謎解きが進んでいくのですが、かなり早い段階で青年の屈折した心情の理由が明らかになったのは意外でした。この理由を明らかにするのは、もっと後でもよかったように思うのですが、話自体はそれなりに面白く、いかにも青春ドラマといった感じも、原点回帰のようでかえって新鮮かな、と思います。主演はスニーカーなのですが、やはりまだこの時点では演技力が足りないなあ、と改めて思ったものです。山下真司氏に後年のような演技力があれば、もっと面白くなったのになあ、と少しもったいない気もしますが、これはないものねだりと言うべきでしょうか。
390話「二十歳の殺人」5
刑法の規定が重要な背景となって話が進んでいきます。犯人の青年とその妻に感情移入させようというのが脚本の意図だと思うのですが、犯人役の方の演技がいまいちだということもあり、やや同情しづらくなっています。この頃の話は、すべて一度は視聴しているのですが、多くは内容を忘れてしまっています。しかしこの390話は、かなりの程度内容を覚えていました。刑法の規定が重要な背景になっていたということで、印象に残っていたのでしょう。話の構成が平凡でやや雑多な感がありましたし、主演の殿下に次いで目立つ役割を担ったスニーカーの演技が相変わらずいまいちなので、全体的な出来はもうひとつかな、というのが率直な感想です。
391話「黄色いボタン」9
公園で殺人事件が発生し、老人が自首します。老人は、被害者が金をゆすろうとしてきたので殺害した、と淡々と状況を説明します。しかし、被害者は金には困っておらず、老人の娘夫婦の話からも、心臓に持病のある老人が被害者を撃退して殺害することは難しい、ということが分かります。ロッキーは、老人が真犯人を庇っているのではないか、と疑いますが、なかなか特定はできません。捜査がやや行き詰まってきたなか、ロッキーは聞き込みのさいに動揺した女性に注目します。
一方、池を捜索していた長さんとスニーカーは本当の凶器を見つけ、一係は老人が犯人ではないと確信します。しかし、老人はあくまでも自分が犯人だと言い張ります。ロッキーは怪しいと睨んだ女性を探り、ついに女性と被害者と老人との関係をつかみます。話がよく練られていて、なかなか面白くなっています。老人の孤独という社会問題を扱った作品になっており、現代にも通ずるところがあると思います。メインゲストの加藤嘉氏の演技が質を高めています。
この記事へのコメント
また、一係のみんなの目の前でナーコをデートに誘う場面をみると、若いっていいなあ・・・当時の私は小学生だったはずですが、現在の41歳目線での感情が優位になり・・・ただただ羨ましく思いました。
それでも、『俺たちは天使だ!』の役よりはましに描かれていたように思います。
勝野洋 沖雅也のツーショットは個人的にはたまりません!
あの作風はドック登場以降の『太陽にほえろ!』に大きな影響を与えたというか、雛形になったような気がします。