ネアンデルタール人の線刻との見解への疑問

 今日はもう1本掲載します。このブログにて先日、ジブラルタルのゴーラム洞窟で発見された岩盤上の線刻の制作者をネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と推定した研究を取り上げました(関連記事)。この見解にたいして疑問を呈する解説記事が掲載されたので、読んでみました。この解説記事は、ゴーラム洞窟の線刻をネアンデルタール人の所産とする根拠への疑問だけではなく、人類進化における認知能力の進化についての諸見解にたいしても、疑問を呈しているというか、問題提起を行なっています。

 この解説記事は、39000年以上前(この記事では基本的に較正年代を用います)と推定されたゴーラム洞窟の線刻が、人為的なものであることは基本的に認めています。しかし、ネアンデルタール人の所産と推定するには疑問が残る、というわけです。まず指摘されているのが、線刻の年代は本当に39000年以上前なのか、ということです。線刻は38500~30500年前のゴーラム洞窟第4層の下で発見され、第4層の堆積前に刻まれたと判断されたため、39000年以上前と推定されました。しかし、この解説記事は、第4層では遺物の年代が上層から順に古くなっているわけではなく、逆転していることもあるため、第4層は最も新しい年代の後で再堆積したと考えることも可能だとして、線刻が39000年以上前までさかのぼらない可能性を指摘しています。

 次にこの解説記事は、第4層で発見された石器は少なく断片的で、どのインダストリーか判断できそうな破片が少ないことから、第4層の石器をムステリアンと断定することはできない、と指摘します。もっとも、第4層の石器群がムステリアンである可能性が高いことも認められてはいます。また、ムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみではなく、レヴァントでは現生人類がムステリアンの担い手だったこともある、と指摘されています。最近の研究からネアンデルタール人の絶滅は41000~39000年前の間で確定した(関連記事)、とも指摘されています(上の関連記事でも述べたように、私は疑問に思っていますが)。

 こうしたことからも、ゴーラム洞窟の線刻がネアンデルタール人の所産と断定することは容易ではなく時期尚早である、というのがこの解説記事の見解です。ネアンデルタール人が現生人類(Homo sapiens)の能力を全て有していたとは断言できない、とも指摘されているのですが、ゴーラム洞窟の線刻を取り上げた研究ではそこまでは主張されておらず、ネアンデルタール人に抽象的思考能力が備わっていたことが証明された(あくまでも関わった研究者たちの見解です。また、現生人類のそれと同等だ、と断定されているわけでもありません)意義が強調されているだけだと思います。

 この解説記事はさらに、そもそも抽象的思考能力とはどう定義され、考古学的にどう証明されるべきなのか、という根本的な問題を提起しています。これまで、抽象的とはどのようなことなのか、しっかりと定義されていなかったではないか、というわけです。また、南アフリカのブロンボス洞窟でも線刻が発見されていますが、こうした線刻について、具象的ではないのだから抽象的であり、したがって抽象的思考能力の証拠となり得る、との安易な判断があったのではないか、とこの解説記事は指摘します。こうした線刻については他の解釈も可能であり、たとえば数える能力の出現に関連しているのではないか、との見解も提示されています。

 この解説記事は全体的に、慎重な検証が必要だと強調しており、それ自体は正論だと思います。しかし、更新世の人類進化という証拠がかなり限定されてしまう問題において過剰に厳密さを要求してしまえば、研究者たちを委縮させてしまうのではないか、との懸念は残ります。この解説記事を読んでも、ゴーラム洞窟の線刻の制作者がネアンデルタール人である、という見解には説得力があるのではないか、と私は考えています。今後の論点となるのは、ネアンデルタール人と現生人類との認知能力にどのような違いがあるのか、もしくは基本的に違いはないのか、という問題だと思います。

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