大河ドラマ『軍師官兵衛』第35回「秀吉のたくらみ」
今日はもう1本掲載します。秀吉の九州攻めはやはりあっさりとした描写でしたが、石垣原の戦いがしっかりと描かれればそれでよいかな、とも思います。今回の注目点の一つは初登場の宇都宮鎮房です。鎮房は、名族意識が強く古い価値規範に囚われた人物として描かれるようです。陳腐ではありますが、分かりやすさを志向するこの作品らしい人物造形と言えるでしょう。茶々と秀吉との関係の変化も注目されます。秀吉を「受け入れる」覚悟を決めた茶々の心境が語られましたが、ここでも村重(道薫)が重要な役割を担った、ということになります。
官兵衛と秀吉・三成との対立が顕在化してきたことや、秀吉が権力者として横暴になっていく様も注目されます。とくに、秀吉が権力者としての凄みを見せていくところは、たいへんよかったのではないか、と思います。迫力・威厳のある秀吉を大河ドラマで見るのは久々のような気もします。近年の大河ドラマでは、秀吉は矮小化された悪役として描かれる傾向にあっただけに、この作品の秀吉の描写はよいと思います。演者の実力に依拠している感もありますが、脚本も悪くはない、と私は考えています。
また、秀吉がなぜキリスト教を危険視したのか、秀吉側の視点で多少なりとも説明されたのもよかったと思います。官兵衛が主人公だけに、1978年放送の大河ドラマ『黄金の日日』のように、キリスト教が一方的に美化されるのではないか、と懸念していました。できれば、住民の強制改宗や寺社の焼打といった、当時の日本のキリスト教の危険性も取り上げてもらいたかったものです。長政が家康に傾倒する場面は、秀吉没後の政局の伏線なのでしょう。ただ、家康の魅力・凄みが今のところあまり強調されていないので、結果論的解釈にも思えます。また、長政の未熟さと官兵衛の読みの深さが強調された場面でもありました。
官兵衛と秀吉・三成との対立が顕在化してきたことや、秀吉が権力者として横暴になっていく様も注目されます。とくに、秀吉が権力者としての凄みを見せていくところは、たいへんよかったのではないか、と思います。迫力・威厳のある秀吉を大河ドラマで見るのは久々のような気もします。近年の大河ドラマでは、秀吉は矮小化された悪役として描かれる傾向にあっただけに、この作品の秀吉の描写はよいと思います。演者の実力に依拠している感もありますが、脚本も悪くはない、と私は考えています。
また、秀吉がなぜキリスト教を危険視したのか、秀吉側の視点で多少なりとも説明されたのもよかったと思います。官兵衛が主人公だけに、1978年放送の大河ドラマ『黄金の日日』のように、キリスト教が一方的に美化されるのではないか、と懸念していました。できれば、住民の強制改宗や寺社の焼打といった、当時の日本のキリスト教の危険性も取り上げてもらいたかったものです。長政が家康に傾倒する場面は、秀吉没後の政局の伏線なのでしょう。ただ、家康の魅力・凄みが今のところあまり強調されていないので、結果論的解釈にも思えます。また、長政の未熟さと官兵衛の読みの深さが強調された場面でもありました。
この記事へのコメント
悪役っぽく描かれてる所も、近年の秀吉では珍しく、それ並に評価されます。
余り目立たなかった三成も、今回からそれ並に、見所もありました。
官兵衛と秀吉・三成との対立が始まりましたが、肝心の官兵衛(主役)に余り魅力が感じられないのが残念。
茶々と寧々のホームドラマパートは、珍しく興味深かったです。
この2人はかなり魅力があり、見てて面白かったです。
茶々と秀吉の関係も気になります。
それに比べ、黒田家の女衆は、余り品が無く、殆ど魅力がないのはどう言う事か。
九州攻めはあっさりとした描写だったのが残念。
まあ、ここまで来て、合戦シーンが殆ど無かったので、期待してませんでしたが(汗)。
それでは~
演者に依拠している感もありますが、話の方もなかなか面白くなっていると思います。