門脇誠二「ホモ・サピエンス拡散期の東アフリカにおける石器文化」

 本報告は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2010-2014「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」(領域番号1201「交替劇」)研究項目A01「考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究」の2013年度研究報告書(研究項目A01研究報告書No.4)に所収されています。公式サイトにて本報告をPDFファイルで読めます。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。

 本報告は、現生人類(ホモ=サピエンス)がアフリカからユーラシア(さらにはその先の、オーストリア大陸とニューギニア島が陸続きだった時代のサフルランドや、アメリカ大陸)へと拡散していった様相・要因を解明するにあたって、アフリカ東部の中期石器時代~後期石器時代にかけての移行期が重要な鍵になるのではないか、と指摘しています。そこで本報告は、中期石器時代~後期石器時代のアフリカ東部における文化の様相を検証するとともに、同時代~やや後の時代の他地域の文化との比較も試みています。

 アフリカにおける考古学的研究が進むと、アフリカにおいて他地域よりも早く「現代的行動」が出現する、との主張が強くなっていき、形質人類学・遺伝学だけではなく考古学も、現生人類アフリカ単一起源説が有力と認められるにあたって重要な役割を果たしました。アフリカにおける他地域に先んじての「現代的行動」の出現は、現生人類のユーラシアへの拡散にさいして、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)などの先住人類との競合で有利に働いただろう、というわけです。

 しかし本報告は、この問題に関して終始慎重な姿勢を崩しません。アフリカ南部やアフリカ北部における中期石器時代に見られる早期の「現代的行動」は、後期石器時代へと連続せず、一度断絶している、というわけです。さらに本報告は、アフリカ南部やアフリカ北部の中期石器時代・中部旧石器時代における「現代的行動」とされる要素と類似したものが、南アジアやイタリア半島の中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期において見られるものの、アフリカと南アジアやイタリア半島の中間の地域においては、同時代にアフリカの中期石器・中部旧石器文化とは異なる文化が確認される、とも指摘しています。

 このことから、アフリカの北部・南部でいち早く「現代的行動」を確立した現生人類集団が、その利点を活かしてユーラシアへと拡散したという仮説はまだ証明されたとは言えない、と本報告は指摘します。さらに本報告は、人間の行動が自然・社会環境の影響を受けて変化するのだとしたら、多様な環境に適応していった現生人類の行動の産物たる考古学的記録の継続性や類似性に拡散の痕跡を期待することはそもそも妥当なのか、との疑問が呈されていることにも言及しています。ただ、本報告はそこまできょくたんに懐疑的ではなく、考古学的な検証を進めることで、現生人類拡散の様相を解明していく姿勢を放棄してはいません。

 現生人類のユーラシアへの拡散の様相という問題について本報告が注目するのは、中期石器時代~後期石器時代への連続性が明らかな、アフリカ東部のいくつかの遺跡です。アフリカ東部は、現生人類のユーラシアへの拡散の出発点として有力視されています。その場合、ユーラシア南岸沿いに現生人類は拡散したのではないか、と想定されることが多いので、たとえば中期石器時代のアフリカと5万年前以降の南アジアとで石器が類似していながら、その中間地域には系統的に異なる石器が存在する、という問題についても、当時の沿岸地域は現在水没していて痕跡を見つけるのが困難なのだ、と説明することが可能となります。ただ、本報告は全体的に慎重な姿勢を崩さないので、この沿岸仮説を断定調で取り上げているわけではありません。

 本報告は、 ケニア南部のエンカプネヤムト遺跡のナサンポライ伝統やタンザニア北部のムンバ岩陰遺跡のムンバ伝統やオルドヴァイ渓谷ナイシウシウ層出土の石器群といった6万~5万年前頃の中期石器時代の石器伝統と、後期石器時代のそれとの類性の高さを指摘します(ナサンポライ伝統などを後期石器時代に区分し、これらの地域では後期石器時代への移行がいち早く起きた、とする見解もあるそうです)。これら中期石器時代の石器伝統は幾何学形石器や背付き石刃によって特徴づけられます。

 非アフリカ系現代人は、ミトコンドリアDNAのハプログループでいうと、L3から派生したMおよびN系統に属するのですが、その派生年代が72100~50400年前と推定されているので、この時期のアフリカ東部の文化の検証が重要になるだろう、というのが本報告の見通しです。本報告はこの見通しのもとに、日本ではあまり知られていないものの、重要と思われるケニアの東海岸に位置するムトングウェ(Mtongwe)遺跡をやや詳しく取り上げています。

 ムトングウェ遺跡では3つの文化層が確認されています。最下層となる第1層からはおもにハンドアックス・大型剥片・削器・石核削器が発見されており、アシューリアン(アシュール文化)の中期~後期とされています。その上の第2層からは、小型化した両面調整石器・ルヴァロワ石核および剥片・円盤型石核が発見されているのが特徴で、アシューリアン後期~その「発展形態の一様相」とされています。第3層からはルヴァロワ石核・剥片に加えて、石刃・細石刃やその石核および細石刃を素材とした幾何学形細石器や背付き細石刃が発見されています。第3層のさらなる細分化からは、アフリカ東部における中期石器時代~後期石器時代への変化の一部との共通点が指摘されています。

 ムトングウェ遺跡第3層で注目されるのは、イタリア半島のウルツィアンや南アジアの類例と同様に、細石刃製作を土台として背付き石器や幾何学形石器が製作されていることです。一方、南アジアやイタリア半島の移行期的文化との比較において、石器以外で注目されるビーズなどの装身具や骨器については、移行期のアフリカ東部ではダチョウ卵殻製のビーズが出土しているものの、まだ骨器は報告されていません。しかし本報告は、アフリカ東部の石灰岩洞窟の遺跡以外では動物骨がほとんど出土しないことから、装身具や骨器がなかったと断定する前に保存条件の影響が検討されなければならない、と指摘しています。

 本報告は、移行期のアフリカ東部が現生人類拡散の起点になったとしたら、気候も要因になったのではないか、と指摘します。55000~50000年前頃、アフリカ南部・北部が乾燥していたのに対して、東アフリカは比較的湿潤だった、との見解が提示されています。この時期に石器技術の変化が起きていたとすれば、好適環境下において人口が増え、技術や文化の革新と定着が促進されるという文化進化モデルに合うようにも見える、というわけです。また本報告は、ムトングウェ遺跡では水産資源の利用も可能であり、高い人口密度を維持するポテンシャルがある地域の一部と見込まれる、とも指摘しています。そうした意味でも、ムトングウェ遺跡も含めてアフリカ東部が現生人類拡散の起点として注目される、というわけです。

 ただ、上述したように本報告は終始慎重な姿勢を崩しません。本報告は、現生人類の拡散に関してアフリカ東部を注目するよう喚起しているものの、現生人類がアフリカで誕生した当初から他地域の人類よりも適応的な技術や行動を有しており、その技術や行動が出アフリカ集団へ継承されたということ示す明らかな証拠が、現時点ではないことも指摘しています。現生人類の出アフリカの様相・要因に関しては、今後さらに、8万~4万年前頃のアフリカ東部やアラビア半島や南アジアの遺跡の研究を深めていく必要があるでしょう。


参考文献:
門脇誠二(2014B)「ホモ・サピエンス拡散期の東アフリカにおける石器文化」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2013年度研究報告書(No.4)』P8-19

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