『天智と天武~新説・日本書紀~』第48話「告白」
『ビッグコミック』2014年9月10日号掲載分の感想です。前回は、なぜ自分を殺さないのだ、と中大兄皇子に問い質された大海人皇子が、お前は俺のものだからだ、と告白するところで終了しました。今回はその場面の続きから始まります。異父弟の告白に一瞬茫然とした中大兄皇子は、どういう意味だ、と問い詰めます。大海人皇子は意を決したような表情を浮かべ、ずっとお前のことだけを考えて生きてきた、と告白を始めます。
父の蘇我入鹿も祖父の蘇我毛人(蝦夷)も殺され、蘇我本宗家で独り生きのこった大海人皇子は、毛人の造った隠れ里に落ち延び、武術の修行に励みました。一族の敵を討つことしか考えておらず、異父兄の中大兄皇子を殺す妄想を繰り返す日々を送っていた大海人皇子は、ある日、母の宝皇女(皇極・斉明帝)と共にある村を訪れた中大兄皇子を待ち伏せし、弓矢で殺害しようとしました。しかし、大海人皇子は矢を放つことでできませんでした。中大兄皇子を殺すことが生きがいだった大海人皇子は、その中大兄皇子がいなくなったらどうすればよいのか、悩み恐ろしくなった、というわけです。
大海人皇子の告白を聞いた中大兄皇子は、大海人皇子を抱きしめ、入鹿は自分のものだった、と告白します。中大兄皇子は、入鹿そっくりの容貌の大海人皇子に、これ以上惑わすな、入鹿そっくりのその顔が私を狂わせるのが分からないのか、追えば追うほど離れていく、あの苦しみは二度といらない、初めてお前を見て心の臓を抉られた日から、お前が何をしようと、何を言おうとも、私は決して心を動かさない、と心に誓ったのだ、と打ち明け、大海人皇子の顔を手で抱き見つめます。中大兄皇子が茫然としている大海人皇子に、たとえそれで国が滅びようとな、と言って口づけをするところで、今回は終了です。
今回もほとんど時間が進まず、兄弟の愛憎劇が語られました。不安なのは、創作として把握した場合、長く対立してきた両者が本音を曝け出して殴りあい罵りあったすえに、抱擁を交わしたということで、最終回が近いのではないか、とも考えられることです。もっとも、創作とはいっても、一応大枠では通説に従ってきた歴史ものなので、これ以降も兄弟の対立が描かれていくだろう、とも考えられます。白村江の戦い後の船板上での兄弟の愛憎劇をこれだけ長く描き、なかなか帰国まで行かないのですから、長期連載は確定しているのかな、と楽観的に考えたいところではあります。
中大兄皇子の大海人皇子への想いは、おおむね予想通りでした。これは「巡り物語」や中大兄皇子が母の斉明帝と言い争って絞殺してしまった場面でも描かれていたことなので、予想しやすかったと思います。中大兄皇子の入鹿への想いと、その入鹿のために母から愛情得られなかったという中大兄皇子の屈折した想いと狂気がこの作品の基調になっており、主要な人間関係の原動力となっています。ここまで中大兄皇子(とその母の斉明帝と入鹿)の業が話を動かしてきた感がありますが、今後は、大海人皇子の業がどのように描かれていくのか、注目されます。
その大海人皇子の、お前は俺のものだ、という中大兄皇子への告白をどう考えたらよいのか、前回を読んで以降ずっと気になっていました。中大兄皇子から大海人皇子への一方向だけではなく、大海人皇子から中大兄皇子へも、憎悪だけではなく何らかの性愛的な感情があるのかな、と私は解釈しました。また、兄を完全に屈服させたい(支配・権力欲)のか、家族愛に飢えていたので兄を身内と認めたいのか、心理戦の一環なのか、との可能性も想定していました。もっとも、激昂した大海人皇子の様子から、心理戦を仕掛ける余裕はさすがにないかな、とも考えていました。
今回を読んでの私の解釈は、大海人皇子は父の仇である異父兄の中大兄皇子を殺すことだけを目標としてきたので、その中大兄皇子を殺してしまったら、人生の目標というか、自分の存在意義を見失ってしまうのが怖かったということなのかな、と思います。第1話「関連記事」(関連記事)と第9話「月皇子」(関連記事)で描かれた、大海人皇子(当時は月皇子)が父の入鹿と異父兄の中大兄皇子とのやり取りを覗いていて父に声をかけた場面は、大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情・憧憬と解釈できるのかもしれませんが、今回を読んだ限りでは、大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情はなさそうかな、というのが私の見解です。
これまでの描写からすると、その場面以外で大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情・憧憬は読み取れなかったので、今回の描写は、私にとってはさほど不自然ではありませんでした。中大兄皇子と大海人皇子との関係は、性愛的な側面で見ていくと、これまでは純真な中大兄皇子と経験豊富で性悪な大海人皇子といった印象を受けてきました。飛鳥に還都したさいに、大海人皇子が中大兄皇子に涙目で抱き着くと、中大兄皇子はその後しばらく大海人皇子が気になり、豊璋の報告も上の空で大海人皇子に視線を向けていたこともありました。中大兄皇子はどこの中学生なのか、と言いたくなります。
それはともかくとして話を戻すと、私の解釈が妥当だったとすると、自分の読解力・推理力の低さを改めて痛感させられます。前回を読むまで、大海人皇子が、中大兄皇子を殺したり、二人の母の斉明帝を中大兄皇子が絞殺したと見抜いたさいに中大兄皇子を執拗に追及したり、白村江の戦いで窮地の兄を見殺しにしたりしなかったのは、まだその「時」ではないという大海人皇子の判断なのだろう、というのが私の解釈でした。
大海人皇子の当面の目標は、父である入鹿の名誉回復とその理想(中大兄皇子は「太平の世」と言っています)の実現であり、紀伊の牟婁の湯での発言(関連記事)からは、中大兄皇子を殺すのではなく、失脚させればよいと考えており、白村江の戦いの時点までは、中大兄皇子の権力・権威が自分をずっと上回っているので、「時」が訪れるのを待っていたのではないか、と私は考えていました。
大海人皇子は、真に事を成したければ、充分な時間をかけて相手を研究し、緻密な計画を立てたうえで待つのだ、さすればその「時」は必ず訪れる、との新羅の武烈王(金春秋)の教えに忠実に従っていこうとしている、というわけです。大海人皇子が白村江の戦いで窮地の中大兄皇子を救ったのも、この時点で見殺しにして自分だけ帰還したら、中大兄皇子が母殺しを疑われたように、敗戦の混乱のなかで兄を殺したのではないか、と自分が疑われることを警戒したから、というのが前回を読むまでの私の解釈でした。
しかし、今回を読むと、大海人皇子は中大兄皇子を失うことを怖れていた、ということになります。長く続いている白村江の戦い編で、中大兄皇子と大海人皇子が朝鮮半島へと渡海したという創作を入れてきたのは、兄弟の愛憎劇にひとまず何らかの区切りをつけ、新たな展開への導入にしよう、という作者の意図なのだろう、と思います。次回以降を読んでみないと、中大兄皇子と大海人皇子との関係にとりあえずどう区切りがつけられるのか、分かりませんが、大枠では史実に従うでしょうから、二人とも無事帰還するだろうと考えると、少なくともある程度は和解が成立するのかもしれません。
しかし、作中でも結局は中大兄皇子(天智帝)の死後に壬申の乱が起きるのでしょうから、中大兄皇子と大海人皇子とが完全に和解することもないのでしょう。重要人物となるだろう大友皇子が父の中大兄皇子および叔父(義父ともなる)の大海人皇子とどのような関係を築いていくのかが、今後の展開を予想するうえで鍵となりそうです。上述したように、これまでは中大兄皇子の業が話を動かしてきた感がありますが、これからは大海人皇子の業も大きな役割を果たしそうで、それが壬申の乱へとつながるのではないかな、とも思います。
壬申の乱へと至る経過がこの作品でどのように描かれるのか、まだほとんど予想のつかない段階ですが、大枠では通説に従っても、設定や史書に見えないところでは大胆な創作を取り入れる作風ですから、通説とはかなり異なる話になりそうな気もします。もっとも、通説とはいっても、壬申の乱へといたる経過にはさまざまな説が提示されているので、確たる通説はないのが現状かもしれません。ほぼ間違いないのは、壬申の乱は中大兄皇子(天智帝)の後継者争いだった、ということでしょうか。
古典的な説明だと、弟の大海人皇子を東宮としていた天智帝(中大兄皇子)は、息子に帝(大王)位を継承させたくなって大海人皇子を冷遇して出家に追いやり、その死後に(即位したか否かはさておき)大友皇子を首班とする近江朝廷が大海人皇子を討とうとしたため、大海人皇子はやむなく挙兵し、その人望により近江朝廷に勝利した、となります。この古典的な説明の修正版として、大海人皇子は追い詰められてやむなく挙兵したのではなく、出家して吉野に隠退したさいから挙兵を計画していた、という説もあります。近江遷都~壬申の乱にいたるまで、作中でどのように描かれるのか、楽しみです。
今後は大海人皇子の業も大きな役割を果たしそうだという私の予想が的中する場合は、大海人皇子が何らかの理由で権力への野心を強めていくのかもしれません。それには、自分の息子(草壁皇子)を後々には即位させたい、という鸕野讚良皇女(持統天皇)の野心も関わっているのかもしれません。また、『ダ・ヴィンチ』2013年4月号(関連記事)にて原案監修者が、救世観音像は隠れ主人公で、入鹿・天智・天武・鎌足・不比等ら歴史上の主要プレイヤーの間を彷徨い続ける、と述べていることを考えると、白村江の戦いから帰還後に、中大兄皇子が何らかの手段で救世観音像を奪ったことが、壬申の乱の一因になるのかもしれません。
壬申の乱に関して私は、大海人皇子が即位の野心を抱いて天智帝を裏切ったのが直接の原因なのかな、と現時点では考えています。大海人皇子は天智朝で東宮ではなく(そもそも、当時皇太子制のような継承の仕組みは確立していなかったでしょう)、単なる「大皇弟(太皇弟)」つまり帝(大王)の弟であるにすぎず、即位資格もほとんど認められていなかったのではないか、と思います。この見解は、欽明帝~称徳帝の頃まで、即位資格が原則として認められていたのは母親の長男だけだったのではないか、との推測に基づいています(関連記事)。
天智帝の後継構想は、自身のように一定期間の称制の後にある程度の年齢に達したら大友皇子を即位させるか、大后(皇后)だった倭姫王を即位させた後、自身と弟の大海人皇子の共通の孫でもある葛野王(あるいは、自身の孫で大海人皇子の息子である草壁皇子・大津皇子)にその地位を継承させる、というものだったのかもしれません。この場合、大海人皇子は大友皇子や倭姫王を補佐する立場ということになります。
しかし大海人皇子は、即位への野心だけではなく、白村江の戦いでの大敗・その後の防衛体制の構築・近江への遷都などでの負担のために豪族・民衆から不満を抱かれていた近江(天智)朝の後見人となることで、自身が標的になることを避けるためにも、天智帝の構想に従わず、出家して吉野に隠退し、豪族・民衆の不満を自身への支持に結集させることで政権転覆の機を窺っていたのではないか、というのが私の推測です。まあ、以上の私見は推測と言うよりは憶測で、まったく立証されていないのですが、創作として盛り込むにあたってはそんなに無理のない設定かな、とは思います。
前回を読むまでは、この作品では中大兄皇子(天智帝)の死まで兄弟の心理戦が続くのかな、と予想していたのですが、前回と今回を読むと、兄弟の関係が大きく変わってきそうなので、予想も大幅な修正が必要になりそうです。現在は良好そうな大海人皇子と大友皇子との関係も、中大兄皇子と大海人皇子との関係の変化の影響を受けるのでしょうか。大友皇子は大海人皇子の娘の十市皇女と結婚しますので、これも朝廷要人の人間関係に大きな影響を及ぼすかもしれません。今後の展開も大いに注目されますので、ともかく今は、打ち切りにならないことを願うばかりです。
父の蘇我入鹿も祖父の蘇我毛人(蝦夷)も殺され、蘇我本宗家で独り生きのこった大海人皇子は、毛人の造った隠れ里に落ち延び、武術の修行に励みました。一族の敵を討つことしか考えておらず、異父兄の中大兄皇子を殺す妄想を繰り返す日々を送っていた大海人皇子は、ある日、母の宝皇女(皇極・斉明帝)と共にある村を訪れた中大兄皇子を待ち伏せし、弓矢で殺害しようとしました。しかし、大海人皇子は矢を放つことでできませんでした。中大兄皇子を殺すことが生きがいだった大海人皇子は、その中大兄皇子がいなくなったらどうすればよいのか、悩み恐ろしくなった、というわけです。
大海人皇子の告白を聞いた中大兄皇子は、大海人皇子を抱きしめ、入鹿は自分のものだった、と告白します。中大兄皇子は、入鹿そっくりの容貌の大海人皇子に、これ以上惑わすな、入鹿そっくりのその顔が私を狂わせるのが分からないのか、追えば追うほど離れていく、あの苦しみは二度といらない、初めてお前を見て心の臓を抉られた日から、お前が何をしようと、何を言おうとも、私は決して心を動かさない、と心に誓ったのだ、と打ち明け、大海人皇子の顔を手で抱き見つめます。中大兄皇子が茫然としている大海人皇子に、たとえそれで国が滅びようとな、と言って口づけをするところで、今回は終了です。
今回もほとんど時間が進まず、兄弟の愛憎劇が語られました。不安なのは、創作として把握した場合、長く対立してきた両者が本音を曝け出して殴りあい罵りあったすえに、抱擁を交わしたということで、最終回が近いのではないか、とも考えられることです。もっとも、創作とはいっても、一応大枠では通説に従ってきた歴史ものなので、これ以降も兄弟の対立が描かれていくだろう、とも考えられます。白村江の戦い後の船板上での兄弟の愛憎劇をこれだけ長く描き、なかなか帰国まで行かないのですから、長期連載は確定しているのかな、と楽観的に考えたいところではあります。
中大兄皇子の大海人皇子への想いは、おおむね予想通りでした。これは「巡り物語」や中大兄皇子が母の斉明帝と言い争って絞殺してしまった場面でも描かれていたことなので、予想しやすかったと思います。中大兄皇子の入鹿への想いと、その入鹿のために母から愛情得られなかったという中大兄皇子の屈折した想いと狂気がこの作品の基調になっており、主要な人間関係の原動力となっています。ここまで中大兄皇子(とその母の斉明帝と入鹿)の業が話を動かしてきた感がありますが、今後は、大海人皇子の業がどのように描かれていくのか、注目されます。
その大海人皇子の、お前は俺のものだ、という中大兄皇子への告白をどう考えたらよいのか、前回を読んで以降ずっと気になっていました。中大兄皇子から大海人皇子への一方向だけではなく、大海人皇子から中大兄皇子へも、憎悪だけではなく何らかの性愛的な感情があるのかな、と私は解釈しました。また、兄を完全に屈服させたい(支配・権力欲)のか、家族愛に飢えていたので兄を身内と認めたいのか、心理戦の一環なのか、との可能性も想定していました。もっとも、激昂した大海人皇子の様子から、心理戦を仕掛ける余裕はさすがにないかな、とも考えていました。
今回を読んでの私の解釈は、大海人皇子は父の仇である異父兄の中大兄皇子を殺すことだけを目標としてきたので、その中大兄皇子を殺してしまったら、人生の目標というか、自分の存在意義を見失ってしまうのが怖かったということなのかな、と思います。第1話「関連記事」(関連記事)と第9話「月皇子」(関連記事)で描かれた、大海人皇子(当時は月皇子)が父の入鹿と異父兄の中大兄皇子とのやり取りを覗いていて父に声をかけた場面は、大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情・憧憬と解釈できるのかもしれませんが、今回を読んだ限りでは、大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情はなさそうかな、というのが私の見解です。
これまでの描写からすると、その場面以外で大海人皇子から中大兄皇子への性愛的な感情・憧憬は読み取れなかったので、今回の描写は、私にとってはさほど不自然ではありませんでした。中大兄皇子と大海人皇子との関係は、性愛的な側面で見ていくと、これまでは純真な中大兄皇子と経験豊富で性悪な大海人皇子といった印象を受けてきました。飛鳥に還都したさいに、大海人皇子が中大兄皇子に涙目で抱き着くと、中大兄皇子はその後しばらく大海人皇子が気になり、豊璋の報告も上の空で大海人皇子に視線を向けていたこともありました。中大兄皇子はどこの中学生なのか、と言いたくなります。
それはともかくとして話を戻すと、私の解釈が妥当だったとすると、自分の読解力・推理力の低さを改めて痛感させられます。前回を読むまで、大海人皇子が、中大兄皇子を殺したり、二人の母の斉明帝を中大兄皇子が絞殺したと見抜いたさいに中大兄皇子を執拗に追及したり、白村江の戦いで窮地の兄を見殺しにしたりしなかったのは、まだその「時」ではないという大海人皇子の判断なのだろう、というのが私の解釈でした。
大海人皇子の当面の目標は、父である入鹿の名誉回復とその理想(中大兄皇子は「太平の世」と言っています)の実現であり、紀伊の牟婁の湯での発言(関連記事)からは、中大兄皇子を殺すのではなく、失脚させればよいと考えており、白村江の戦いの時点までは、中大兄皇子の権力・権威が自分をずっと上回っているので、「時」が訪れるのを待っていたのではないか、と私は考えていました。
大海人皇子は、真に事を成したければ、充分な時間をかけて相手を研究し、緻密な計画を立てたうえで待つのだ、さすればその「時」は必ず訪れる、との新羅の武烈王(金春秋)の教えに忠実に従っていこうとしている、というわけです。大海人皇子が白村江の戦いで窮地の中大兄皇子を救ったのも、この時点で見殺しにして自分だけ帰還したら、中大兄皇子が母殺しを疑われたように、敗戦の混乱のなかで兄を殺したのではないか、と自分が疑われることを警戒したから、というのが前回を読むまでの私の解釈でした。
しかし、今回を読むと、大海人皇子は中大兄皇子を失うことを怖れていた、ということになります。長く続いている白村江の戦い編で、中大兄皇子と大海人皇子が朝鮮半島へと渡海したという創作を入れてきたのは、兄弟の愛憎劇にひとまず何らかの区切りをつけ、新たな展開への導入にしよう、という作者の意図なのだろう、と思います。次回以降を読んでみないと、中大兄皇子と大海人皇子との関係にとりあえずどう区切りがつけられるのか、分かりませんが、大枠では史実に従うでしょうから、二人とも無事帰還するだろうと考えると、少なくともある程度は和解が成立するのかもしれません。
しかし、作中でも結局は中大兄皇子(天智帝)の死後に壬申の乱が起きるのでしょうから、中大兄皇子と大海人皇子とが完全に和解することもないのでしょう。重要人物となるだろう大友皇子が父の中大兄皇子および叔父(義父ともなる)の大海人皇子とどのような関係を築いていくのかが、今後の展開を予想するうえで鍵となりそうです。上述したように、これまでは中大兄皇子の業が話を動かしてきた感がありますが、これからは大海人皇子の業も大きな役割を果たしそうで、それが壬申の乱へとつながるのではないかな、とも思います。
壬申の乱へと至る経過がこの作品でどのように描かれるのか、まだほとんど予想のつかない段階ですが、大枠では通説に従っても、設定や史書に見えないところでは大胆な創作を取り入れる作風ですから、通説とはかなり異なる話になりそうな気もします。もっとも、通説とはいっても、壬申の乱へといたる経過にはさまざまな説が提示されているので、確たる通説はないのが現状かもしれません。ほぼ間違いないのは、壬申の乱は中大兄皇子(天智帝)の後継者争いだった、ということでしょうか。
古典的な説明だと、弟の大海人皇子を東宮としていた天智帝(中大兄皇子)は、息子に帝(大王)位を継承させたくなって大海人皇子を冷遇して出家に追いやり、その死後に(即位したか否かはさておき)大友皇子を首班とする近江朝廷が大海人皇子を討とうとしたため、大海人皇子はやむなく挙兵し、その人望により近江朝廷に勝利した、となります。この古典的な説明の修正版として、大海人皇子は追い詰められてやむなく挙兵したのではなく、出家して吉野に隠退したさいから挙兵を計画していた、という説もあります。近江遷都~壬申の乱にいたるまで、作中でどのように描かれるのか、楽しみです。
今後は大海人皇子の業も大きな役割を果たしそうだという私の予想が的中する場合は、大海人皇子が何らかの理由で権力への野心を強めていくのかもしれません。それには、自分の息子(草壁皇子)を後々には即位させたい、という鸕野讚良皇女(持統天皇)の野心も関わっているのかもしれません。また、『ダ・ヴィンチ』2013年4月号(関連記事)にて原案監修者が、救世観音像は隠れ主人公で、入鹿・天智・天武・鎌足・不比等ら歴史上の主要プレイヤーの間を彷徨い続ける、と述べていることを考えると、白村江の戦いから帰還後に、中大兄皇子が何らかの手段で救世観音像を奪ったことが、壬申の乱の一因になるのかもしれません。
壬申の乱に関して私は、大海人皇子が即位の野心を抱いて天智帝を裏切ったのが直接の原因なのかな、と現時点では考えています。大海人皇子は天智朝で東宮ではなく(そもそも、当時皇太子制のような継承の仕組みは確立していなかったでしょう)、単なる「大皇弟(太皇弟)」つまり帝(大王)の弟であるにすぎず、即位資格もほとんど認められていなかったのではないか、と思います。この見解は、欽明帝~称徳帝の頃まで、即位資格が原則として認められていたのは母親の長男だけだったのではないか、との推測に基づいています(関連記事)。
天智帝の後継構想は、自身のように一定期間の称制の後にある程度の年齢に達したら大友皇子を即位させるか、大后(皇后)だった倭姫王を即位させた後、自身と弟の大海人皇子の共通の孫でもある葛野王(あるいは、自身の孫で大海人皇子の息子である草壁皇子・大津皇子)にその地位を継承させる、というものだったのかもしれません。この場合、大海人皇子は大友皇子や倭姫王を補佐する立場ということになります。
しかし大海人皇子は、即位への野心だけではなく、白村江の戦いでの大敗・その後の防衛体制の構築・近江への遷都などでの負担のために豪族・民衆から不満を抱かれていた近江(天智)朝の後見人となることで、自身が標的になることを避けるためにも、天智帝の構想に従わず、出家して吉野に隠退し、豪族・民衆の不満を自身への支持に結集させることで政権転覆の機を窺っていたのではないか、というのが私の推測です。まあ、以上の私見は推測と言うよりは憶測で、まったく立証されていないのですが、創作として盛り込むにあたってはそんなに無理のない設定かな、とは思います。
前回を読むまでは、この作品では中大兄皇子(天智帝)の死まで兄弟の心理戦が続くのかな、と予想していたのですが、前回と今回を読むと、兄弟の関係が大きく変わってきそうなので、予想も大幅な修正が必要になりそうです。現在は良好そうな大海人皇子と大友皇子との関係も、中大兄皇子と大海人皇子との関係の変化の影響を受けるのでしょうか。大友皇子は大海人皇子の娘の十市皇女と結婚しますので、これも朝廷要人の人間関係に大きな影響を及ぼすかもしれません。今後の展開も大いに注目されますので、ともかく今は、打ち切りにならないことを願うばかりです。
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