『天智と天武~新説・日本書紀~』第47話「格闘」

 まだ日付は変わっていないのですが、8月10日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2014年8月25日号掲載分の感想です。前回は、白村江の戦いでの倭(日本)水軍惨敗の様子を見て、豊璋が愕然としているところで終了しました。今回は、唐水軍司令官の劉仁軌が勝利宣言をするところから始まります。すでに百済復興軍の豊王(豊璋)も捕えている、倭(日本)軍総大将もいずれ屍の中から捜し出せるだろう、と劉仁軌は言い、引き揚げを命じます。扶余隆は無言で、意味深な表情を浮かべているようにも見えます。弟の豊璋をどうするのか、扶余隆は劉仁軌にも打ち明けられないようなことを画策しているのではないか、と邪推したくなります。

 海上に漂う船板の上では、大海人皇子が異父兄の中大兄皇子に倭水軍惨敗の状況を見せつけ、兄上に死ぬ自由はない、今度は唐が倭に攻めてくるのだ、どう落とし前をつけるのだ、と叱責していました。唐水軍が去ってゆくと、中大兄皇子は吐き捨てるように、兵が10万死のうが、あの巨大船にいる敵将を討ち取れば我々は勝てたのだ、お前が邪魔さえしなければ、と大海人皇子に言います。大海人皇子は怒りに震えながら、この期に及んでまだそんなことを言っているのか、蠅のように海に叩き落されたのだ、放っておいたら兄上は死んでいたのだぞ、と言います。

 すると中大兄皇子は、邪魔したうえに恩まで売る気か、と反発します。この惨状はお前のせいではないのか、唐や新羅に内通して我が軍の情報を流していたのだろう、と言う中大兄皇子を、さすがに怒りを抑えきれなかった大海人皇子が殴りつけます。大海人皇子は中大兄皇子の胸ぐらをつかみ、いいかげんに目を覚ませ、何が朝鮮平定・唐の征服だ、誇大妄想の化け物め、国力の差が分からないのか、お前はあの巨大船だけで負けたのだ、と罵倒します。

 大海人皇子の中大兄皇子への罵倒はさらに続きます。そのくだらない妄想のために母上(斉明帝)は殺され、自分の父も祖父も殺されて蘇我本宗家は根絶やしにされた、なりふり構わず手に入れた権力で何をしたのだ、いくら血を流せばすむのだ、国を滅ぼすつもりか、そのために俺から全てを奪ったのか、愛する額田王まで、と中大兄皇子を罵倒した大海人皇子は、何とか言え、この畜生以下め、と詰め寄ります。中大兄皇子は意外と冷静に、言いたいことはそれで終わりか、と言った後、抵抗できない者を殴って罵倒するとは卑劣な奴だ、と大海人皇子を挑発します。

 すると大海人皇子は、中大兄皇子を縛っていた縄を解き、これで思い切り殴れるな、と言って中大兄皇子を殴りつけます。斉明帝は自分にとって母親ではなかった、と中大兄皇子は言います。愛されなかったと言いたいのか、と大海人皇子に問われた中大兄皇子は、そうだ一度もな、と言って大海人皇子を殴ります。だから殺したのか?と大海人皇子に問われた中大兄皇子は、いや、お前のせいだ、と答えます。お前はあの女(斉明帝)のお気に入りなのに自分は見向きもされなかったので、妬ましく思った、と中大兄皇子は大海人皇子に打ち明けます。

 中大兄皇子の大海人皇子への告白はさらに続きます。自分はずっと孤独だったので、お前にも自分と同じ苦しみを味あわせたかったから、お前を愛する人間を皆殺しにしたのだ、と告白した中大兄皇子は、どうだ寂しいか、と挑発するように大海人皇子に問いかけ、嘲笑します。大海人皇子は激昂して中大兄皇子を殴り続け、お前は人間ではない、死んでしまえ、と言って涙を流します。殴られ続けていた中大兄皇子は、ではなぜ自分を助けたのだ、と大海人皇子に問いかけます。先ほど自分が海に落ちた時に放っておけば、溺れ死んでいたではないか、というわけです。

 さらに中大兄皇子は、この敗戦を予見できたのに、なぜ朝鮮出兵の前に自分を暗殺しなかったのか、機会はいくらでもあったはずで、自分を殺せば戦争は防げたはずだ、斉明帝崩御の時も、お前が真相をもっと追究していたら、自分は犯罪が暴かれて失脚していただろうに、何もかも分かっていながらここまで自分に従ってきたのはなぜだ、と大海人皇子に問いかけます。大海人皇子にとって、中大兄皇子は親の敵であるばかりではなく、自身の命まで狙った憎むべき敵なのに、なぜ殺さないのだ、と中大兄皇子に問い詰められた大海人皇子は、中大兄皇子を殴るのを止め、返答に詰まってしまいます。

 先ほどの勢いはどうしたのだ、お前の方が腕も立つのだから怖いはずはない、自分を殺すのは朝飯前のはずなのに、矛盾だらけではないか、さっさと今自分を殺したらどうなのだ、なぜ躊躇うのだ、と中大兄皇子は大海人皇子を挑発します。これにたいして、大海人皇子が絞り出すように、お前は俺のものだからだ、と答えて涙を流しながら中大兄皇子を睨み、中大兄皇子が予想もしていなかっただろう大海人皇子の返答に茫然とした表情を浮かべている、というところで今回は終了です。


 今回は予想外の展開だったので、正直なところ大いに困惑しました。1年近く続いている白村江編では創作が盛り込まれてきましたが、これまでのところは、それも含めて成功したと言えそうかな、と考えていたくらいでした。しかし今回を読むと、白村江編どころか、作品全体の評価も、あるいは微妙なものなってしまうのではないか、との懸念が生じてしまいました。もっとも、予想しづらい展開になったので、次回を読んでみないと白村江編の評価はできそうにありませんし、私の予想外の話になって、感銘を受けることもあるのかな、とも期待しています。今回を読んで懸念が生じてしまいましたが、まだ大いに期待もしている、というのが現状です。

 今回は、兄弟が船板の上で殴り合いを始めた(まあ、殴っていたのはほとんど大海人皇子の方でしたが)のも予想外でしたが、最後の大海人皇子の台詞が本当に予想外で、大いに困惑してしまいました。まずは兄弟の殴り合いについてです。これまで、兄弟の心理戦を中心に話が展開してきたので、中大兄皇子(天智帝)の死までそれが続くのかな、と予想していました。しかし今回は、兄弟が本音を曝け出して本気で殴り合うという展開になりました。

 本気で殴り合った後に和解するというのは、創作においてよくある構成で、陳腐とも言えます。今回を読んでまず懸念したのは、この点です。もっとも、一時的な和解から後継者をめぐっての再対立が描かれ、物語に深みが加わるという展開や、予想もつかない話の流れも考えられるので、中大兄皇子・大海人皇子兄弟が殴りあった後に和解したとしても、絶望する必要はまったくない、と現時点では思います。

 今回、兄弟が本音を晒して本気で殴りあったのは、兄弟を本気で衝突させて一つの区切りにしよう、という作者の意図なのかもしれません。「巡り物語」ですでに兄弟は本音を曝け出している、と解釈することもできるかもしれませんが、「巡り物語」の時には、それでも兄弟の心理戦という性格が強かったように思います。兄弟の本気の衝突の場を設けるために、兄弟が朝鮮半島へと出陣した、という創作になったのかな、とも推測しています。

 今回もう一つ困惑したのは、大海人皇子の最後の台詞です。こちらの方が、衝撃と今後の懸念要因としてはずっと大きかった、というのが現時点での正直な感想です。これまでにも自分を殺す機会があったのになぜ殺さなかったのだ、と中大兄皇子に問い詰められた大海人皇子は返答に窮した挙句、お前は俺のものだからだ、と絞り出すように答えます。この解釈は次回を読んでみないとはっきりしないのですが、とりあえず現時点での感想を述べておきます。

 なぜ自分を殺さないのだ、という中大兄皇子の大海人皇子への疑問は、多くの読者にも共有されていたのではないか、と思います。白村江の戦いの前、倭の都においても、中大兄皇子が指摘するように、大海人皇子が中大兄皇子を殺害する機会はいくらでもあったはずです。この中大兄皇子の問いかけは、読者に大海人皇子の意図を明示するためのものでもあったのかな、とも思います。この問題については、私もこのブログで何度か言及してきました。

 大海人皇子にとって中大兄皇子は父(蘇我入鹿)の仇であり、復讐を誓っているのですが、中大兄皇子を殺すのではなく、中大兄皇子を失脚させ、父の理想を実現して父の名誉回復を達成することが当面の目的なのかな、というのがこれまでの私の解釈でした。斉明帝崩御時に大海人皇子が執拗に追及せず、朝鮮出兵も強引に止めなかったのは、まだ大海人皇子の権力・権威が中大兄皇子に遠く及ばないので、国を分裂・衰退させないためにも、大海人皇子が自重していたのかな、と考えていました。

 真に事を成したければ、充分な時間をかけて相手を研究し、緻密な計画を立てたうえで待つのだ、さすればその「時」は必ず訪れる、との新羅の武烈王(金春秋)の教えに忠実に従っていこうと考えている大海人皇子にとって、これまでは「時」が訪れていなかったという判断だったのだろうな、というのが今回を読むまでの私の見解です。今でも、この解釈でよいのではないか、と考えているのですが、今回の大海人皇子の最後の台詞から推測すると、別の要因も想定する方がよいのかもしれません。

 中大兄皇子が、愛していた(憎んでもいた)蘇我入鹿に容貌が酷似した大海人皇子に複雑な感情を抱いていることは、これまでにも作中で描かれてきました。それには、大海人皇子への性愛的な欲情も含まれていることも、わりとはっきりと描かれていたと思います。一方、大海人皇子の方は、そんな中大兄皇子の感情を知ったうえで中大兄皇子に心理戦を仕掛けており、大海人皇子の側には中大兄皇子への性愛的な欲情はまったくない、というのがこれまでの私の見解でした。

 しかし今回を読むと、大海人皇子の側にも、中大兄皇子への何らかの性愛的な感情があるのかな、とも感じられます。あるいは、それよりもむしろ支配欲ということで、中大兄皇子を完全に屈服させたい、という大海人皇子の願望なのかもしれません。また、大海人皇子は中大兄皇子を身内とも考えているので、そのことを意味しているのかな、とも思います。さらに、最後の台詞は実は大海人皇子の本音ではなく、心理戦の一環なのかな、とも考えました。ただ、今回は兄弟がお互いに本音を曝け出して本気で殴りあい、大海人皇子の方が激昂していたように見えましたから、その状況で心理戦を仕掛けるような精神的余裕が大海人皇子にあるのかな、とも思います。

 大海人皇子の最後の発言をどう解釈すべきなのか、次回を読んでみないと予想しづらく、白村江編の最終的な評価も、次回以降を読んでみないと判断の難しいところです。大海人皇子に中大兄皇子への性愛的な欲情や憧れがあったのだとすると、私にとっては本当に意外なのですが、思い出してみると、入鹿存命時に大海人皇子が異父兄の中大兄皇子に会いたがっており、入鹿が中大兄皇子に大海人皇子(当時は月皇子)に会うよう頼み込むという描写もありました。そうすると、大海人皇子の側に中大兄皇子への憧れがあった、という展開になっても不思議ではない、とも言えます。もっとも、これは私の好みの話ではありませんが。ともかく、次回を読んでじっくりと考えてみます。

この記事へのコメント

ブンゴロ
2014年08月12日 23:10
初めまして。
私も天智と天武を読んでいますが、何分不勉強なもので、こちらのブログはいつも興味深く拝見させて頂いております。

47話には大変意表を突かれました。
今まで怪物的で自虐的だった中大兄皇子に対して、至って冷静であった大海人皇子が、ここで感情を爆発させたというのが面白かったです。
ですが、私には大海人皇子のあのラストの言葉は咄嗟に出てしまった言い訳、のように感じました。
もし次回、欲情の話や和解の話になるのならば、やはり期待外れです。
が、中大兄皇子の複雑な恋心に対し、今までとは異なった直線的な言い方をしているので、心理戦が更に膨らむのではないか、と私は少々期待しております。

本誌だけ見ていると、何処が心理戦なのかさっぱりですが、こちらのブログを見つつ本誌を読むと納得出来る事が多く、とても味わいが増します。
これからも頑張って下さい。
2014年08月12日 23:37
はじめまして。今後ともよろしくお願い申し仕上げます。

咄嗟に出てしまった言い訳説ですか。思いつきませんでしたが、言われてみるとあり得そうですね。

色々と解釈のできそうな発言だったので、次回が大いに楽しみです。

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