鳩を食べていたネアンデルタール人(追記有)
ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)が鳩を食べていた、とする研究(Blasco et al., 2014)が公表されました。この研究はジブラルタルのゴーラム洞窟(Gorham's Cave)の調査に基づくもので、クライブ=フィンレイソン(Clive Finlayson)博士も加わっています。ゴーラム洞窟を長期に亘って調査してきたフィンレイソン博士の著書は日本語にも翻訳されており、以前このブログで取り上げました(関連記事)。
ネアンデルタール人が鳥を狩猟対象とし、食していた可能性は以前より指摘されていました(関連記事)。また、ネアンデルタール人がさまざまな鳥を象徴的行動に用いていた可能性も指摘されています(関連記事)。その意味で、ネアンデルタール人が鳩を食べていたとしても不思議ではない、と言えるでしょう。この研究の意義は、ネアンデルタール人が4万年という長期に亘って鳩を恒常的に食用としており、それは現生人類(ホモ=サピエンス)の影響を受けず独自に行なわれていた、ということを明らかにした点です。
この研究では、ゴーラム洞窟で発見された河原鳩の骨が分析されています。その骨にはカットマーク(解体痕)や焼いた痕跡(全体の1割強)や人間が噛んだ痕跡が発見され、分布年代・状況からして、人間が食資源として長期に亘って恒常的に利用していた、と推測されました。河原鳩の生息地は岩が多く、崖の岩棚や巨大洞窟の入り口に巣が作られることが多いのが特徴です。そのため、巨大洞窟を住居とする人間にとって利用しやすい身近な動物だったようです。ゴーラム洞窟では、両生類・鳥類・哺乳類の多様な動物相が確認されています。
ゴーラム洞窟の河原鳩は、67000~28000年前頃の層で発見されています。ゴーラム洞窟は外側(さらに入口と中間に区分されています)と内側に区分されています。洞窟内側では、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定(非較正)で、上部旧石器の3層と中部旧石器となるムステリアンの4層の年代が確認されています。マグダレニアンの3a層が12640~10880年前頃、ソリュートレアンの3b層が18440年前~16420年前頃、4層は32560~23780年前頃です。洞窟外側では、この研究で調査対象となった最下層の年代が光刺激ルミネッセンス法(OSL)により67900±5150年前と推定されています。洞窟外側の中下層の石器は中部旧石器複合技術です。
ゴーラム洞窟の河原鳩を利用したのは、おおむねネアンデルタール人のようですが、現生人類も利用していたようです。解体痕や焼いた痕跡などからは、河原鳩の利用に関して、ネアンデルタール人と現生人類との間に優位な差は観察され得ませんでした。ただ、人間がどのように河原鳩を捕えたのかという点については、考古学的に解明の難しい問題であることも指摘されています。この研究は、ネアンデルタール人の他の動物の利用法も根拠として、ネアンデルタール人と現生人類との間に認知能力の違いを想定する有力説の見直しを示唆しています。
以上、ざっとこの研究について見てきました。1990年代後半に現生人類アフリカ単一起源説が圧倒的に優勢となって以降、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する見解が強調されるようになりました。ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のその後の繁栄の理由として説得的だからです。近年になって、ネアンデルタール人と現生人類との交雑がほぼ確実であることが明らかになりましたが、それ以降も、両者の違いを強調する傾向が強いようです。
それはおもに、両者の認知能力の違いに求められていますが、食性の違いが指摘されることもあります(食性の違いもまた、認知能力の違いと関連づけられることが珍しくありません)。現生人類の方が食資源の対象が広く、柔軟だった、というわけです。そのため、現生人類は**を(恒常的に)食べていたのにネアンデルタール人はそうではなかった、という見解も珍しくありません(関連記事)。
しかし、本当にそのような食性の違いがあったのか、個別に実証していくことが必要なのは当然で、その結果、この研究のように見直される場合も出てくるでしょう。また、ネアンデルタール人は広範な地理空間に長期間存在しただけに(ある時点での生息範囲はさほど広大ではなかったかもしれませんが)、個別の研究事例を一般化することには慎重でなければならない、とも思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【行動】ネアンデルタール人は鳩肉を食べていたか
ネアンデルタール人がハトを捕獲し、あるいはハトの死骸を集めて食料にしていた可能性を示唆する研究結果が明らかになった。鳥類の意図的利用は、最近まで、現生人類の行動だけに見られる決定的な特徴だと考えられていた。この結果を報告する論文が掲載される。
今回、Clive Finlayson、Ruth Blascoたちは、6万7000~2万8000年前の時期に対応する英領ジブラルタルの「ゴーラムの洞窟」(Gorham's Cave)で見つかったカワラバト(ドバトの古い祖先)の骨を調べた。6万7000~2万8000年前という時期は、ネアンデルタール人とその後の現生人類が、この洞窟に居住していた時期に対応している。一部の骨には、切り痕や燃やされた徴候があったが、このことは、カワラバトが屠殺され、料理されていた可能性を示している。切り痕や焼かれた痕のある骨の割合は比較的小さかったが、Finlaysonたちは、小型の鳥類は最小限の屠殺で十分だったと考えられる点を指摘している。また、一部の骨からは、ヒトの歯型が見つかっており、この洞窟の住人がカワラバトを食べていたことを示すさらなる徴候と言える。
Finlaysonたちは、今回の研究で得られた知見が、ネアンデルタール人とその後の現生人類がカワラバトを食料源として利用していた可能性があり、ネアンデルタール人が、食料を得ることに関して、現生人類と類似した技能を一部備えていた可能性のあることを示唆する証拠だとする見解を示している。
追記(2014年8月9日)
恒常的で長期的な利用が確認されているわけではありませんが、ゴーラム洞窟よりも古いヨーロッパにおける鳥の利用としては、スペインのバレンシアにあるボロモル洞窟11層の事例があります(関連記事)。年代は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6(19万~13万年前頃)と推定されています。ここでは、人類が食したと推定されるカモ科のハジロ類の骨が発見されましたが、食したのがどの人類種なのかは不明です。場所と年代からすると、ネアンデルタール人か末期ホモ=ハイデルベルゲンシスということになりそうですが。
参考文献:
Blasco H. et al.(2014): The earliest pigeon fanciers. Scientific Reports, 4, 5971.
http://dx.doi.org/10.1038/srep05971
ネアンデルタール人が鳥を狩猟対象とし、食していた可能性は以前より指摘されていました(関連記事)。また、ネアンデルタール人がさまざまな鳥を象徴的行動に用いていた可能性も指摘されています(関連記事)。その意味で、ネアンデルタール人が鳩を食べていたとしても不思議ではない、と言えるでしょう。この研究の意義は、ネアンデルタール人が4万年という長期に亘って鳩を恒常的に食用としており、それは現生人類(ホモ=サピエンス)の影響を受けず独自に行なわれていた、ということを明らかにした点です。
この研究では、ゴーラム洞窟で発見された河原鳩の骨が分析されています。その骨にはカットマーク(解体痕)や焼いた痕跡(全体の1割強)や人間が噛んだ痕跡が発見され、分布年代・状況からして、人間が食資源として長期に亘って恒常的に利用していた、と推測されました。河原鳩の生息地は岩が多く、崖の岩棚や巨大洞窟の入り口に巣が作られることが多いのが特徴です。そのため、巨大洞窟を住居とする人間にとって利用しやすい身近な動物だったようです。ゴーラム洞窟では、両生類・鳥類・哺乳類の多様な動物相が確認されています。
ゴーラム洞窟の河原鳩は、67000~28000年前頃の層で発見されています。ゴーラム洞窟は外側(さらに入口と中間に区分されています)と内側に区分されています。洞窟内側では、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定(非較正)で、上部旧石器の3層と中部旧石器となるムステリアンの4層の年代が確認されています。マグダレニアンの3a層が12640~10880年前頃、ソリュートレアンの3b層が18440年前~16420年前頃、4層は32560~23780年前頃です。洞窟外側では、この研究で調査対象となった最下層の年代が光刺激ルミネッセンス法(OSL)により67900±5150年前と推定されています。洞窟外側の中下層の石器は中部旧石器複合技術です。
ゴーラム洞窟の河原鳩を利用したのは、おおむねネアンデルタール人のようですが、現生人類も利用していたようです。解体痕や焼いた痕跡などからは、河原鳩の利用に関して、ネアンデルタール人と現生人類との間に優位な差は観察され得ませんでした。ただ、人間がどのように河原鳩を捕えたのかという点については、考古学的に解明の難しい問題であることも指摘されています。この研究は、ネアンデルタール人の他の動物の利用法も根拠として、ネアンデルタール人と現生人類との間に認知能力の違いを想定する有力説の見直しを示唆しています。
以上、ざっとこの研究について見てきました。1990年代後半に現生人類アフリカ単一起源説が圧倒的に優勢となって以降、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する見解が強調されるようになりました。ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のその後の繁栄の理由として説得的だからです。近年になって、ネアンデルタール人と現生人類との交雑がほぼ確実であることが明らかになりましたが、それ以降も、両者の違いを強調する傾向が強いようです。
それはおもに、両者の認知能力の違いに求められていますが、食性の違いが指摘されることもあります(食性の違いもまた、認知能力の違いと関連づけられることが珍しくありません)。現生人類の方が食資源の対象が広く、柔軟だった、というわけです。そのため、現生人類は**を(恒常的に)食べていたのにネアンデルタール人はそうではなかった、という見解も珍しくありません(関連記事)。
しかし、本当にそのような食性の違いがあったのか、個別に実証していくことが必要なのは当然で、その結果、この研究のように見直される場合も出てくるでしょう。また、ネアンデルタール人は広範な地理空間に長期間存在しただけに(ある時点での生息範囲はさほど広大ではなかったかもしれませんが)、個別の研究事例を一般化することには慎重でなければならない、とも思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【行動】ネアンデルタール人は鳩肉を食べていたか
ネアンデルタール人がハトを捕獲し、あるいはハトの死骸を集めて食料にしていた可能性を示唆する研究結果が明らかになった。鳥類の意図的利用は、最近まで、現生人類の行動だけに見られる決定的な特徴だと考えられていた。この結果を報告する論文が掲載される。
今回、Clive Finlayson、Ruth Blascoたちは、6万7000~2万8000年前の時期に対応する英領ジブラルタルの「ゴーラムの洞窟」(Gorham's Cave)で見つかったカワラバト(ドバトの古い祖先)の骨を調べた。6万7000~2万8000年前という時期は、ネアンデルタール人とその後の現生人類が、この洞窟に居住していた時期に対応している。一部の骨には、切り痕や燃やされた徴候があったが、このことは、カワラバトが屠殺され、料理されていた可能性を示している。切り痕や焼かれた痕のある骨の割合は比較的小さかったが、Finlaysonたちは、小型の鳥類は最小限の屠殺で十分だったと考えられる点を指摘している。また、一部の骨からは、ヒトの歯型が見つかっており、この洞窟の住人がカワラバトを食べていたことを示すさらなる徴候と言える。
Finlaysonたちは、今回の研究で得られた知見が、ネアンデルタール人とその後の現生人類がカワラバトを食料源として利用していた可能性があり、ネアンデルタール人が、食料を得ることに関して、現生人類と類似した技能を一部備えていた可能性のあることを示唆する証拠だとする見解を示している。
追記(2014年8月9日)
恒常的で長期的な利用が確認されているわけではありませんが、ゴーラム洞窟よりも古いヨーロッパにおける鳥の利用としては、スペインのバレンシアにあるボロモル洞窟11層の事例があります(関連記事)。年代は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6(19万~13万年前頃)と推定されています。ここでは、人類が食したと推定されるカモ科のハジロ類の骨が発見されましたが、食したのがどの人類種なのかは不明です。場所と年代からすると、ネアンデルタール人か末期ホモ=ハイデルベルゲンシスということになりそうですが。
参考文献:
Blasco H. et al.(2014): The earliest pigeon fanciers. Scientific Reports, 4, 5971.
http://dx.doi.org/10.1038/srep05971
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