松村博文「歯が語る人類移動」『人類の移動誌』第5章第2節

 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。身体の中で最も硬い組織である歯はそれだけ残りやすく、形態学的研究で重要な役割を果たしてきました。また歯冠は幼児期のうちに形成されるので、環境の影響が骨格より小さく、遺伝的影響をそれだけ強く反映していることから、人類の進化や系統関係を推定するのに有用であり、その点からも古くから盛んに研究されてきました。

 本論文は、多数ある歯の形質分類を用いて近隣結合法による無根系統樹を作成し、アジア太平洋地域の人類集団の関係を図式化しています。その結果、オーストロ・メラネシア人と中石器時代東南アジア人を一方の極に、北東アジア人・東南アジア人をもう一方の極に、その中間に縄文人や北海道アイヌや新石器時代~現代の東南アジア人などが分布する、という系統樹が得られました。

 本論文はこの系統樹から、最初に東南アジアに到達した現生人類(ホモ=サピエンス)は、アフリカからユーラシア南部という経路をたどってきたのであり、新石器時代になって、中国南部から農耕文化を伴う集団が東南アジアに南下してきたのではないか、と推測しています。現代の東南アジア人の歯の形質が多様なのは、そこが起源地であることよりも、むしろ多様な集団の流入によるのではないか、と本論文では推測されています。

 縄文人は系統樹の位置からすると、東南アジアの集団を基本に多少とも北方由来の集団が混血して成立したのではないか、と本論文は推測しています。この点は本書第3章第4節(関連記事)の見解と食い違っているとも解釈できるわけで、この問題については今後も調べていこうと考えています。縄文人の成立に影響を与えたかもしれない北方由来の集団は、細石器文化を伴って南下したことが知られています。この北方集団は、東南アジアから北上してその後に南下したのではなく、アフリカからヒマラヤ山脈の北側を経由して東進してきた可能性がある、と本論文は推測しています。ただ、この仮説の検証のためには、西アジア・ヨーロッパ・シベリアなどの古い時代の人類の歯の分析とデータ蓄積が欠かせない、と本論文では指摘されています。


参考文献:
松村博文(2014)「歯が語る人類移動」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第5章「移動を検証する多様な技術」第2節P278-294

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