木村靖二『第一次世界大戦』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2014年7月に刊行されました。今年は第一次世界大戦の勃発から100年ということで、日本でも第一次世界大戦に関する本がかなり刊行されているようです。第一次世界大戦の復習と、近年の見解を学べそうだということで、本書を読んでみました。本書は、大戦の原因・経過・その影響・意義などを、研究史にも触れつつ分かりやすく解説しており、門外漢が日本語で読める第一次世界大戦の通史として、たいへん優れていると思います。第一次世界大戦について門外漢が調べようと思ったら、まずは本書を手がかりにするのがよいでしょう。

 現在では、第一次世界大戦の直接的原因として帝国主義的競合を挙げる見解は主流ではないようです。とはいえ、もちろん、帝国主義的競合が開戦決定に影響を及ぼさなかったわけではありません。一等国・二等国といった国家の等級化が当然だった時代に、列強からの脱落は避けねばならない、という観念は支配層を強く制約しており、これが開戦の大前提としてあったようです。こうした観念には、社会進化論の影響も大きかったようです。

 第一次世界大戦が始まると、各国で愛国的高揚が見られた、ということは広く知られているでしょうが、近年の研究によると、そこには国・地域・階層間の温度差があり、新聞や知識層により愛国的高揚が増幅されていった側面があったそうです。イギリス・フランスではドイツ・オーストリア・ロシアと比較して盛り上がりに欠けたそうですし、ドイツ・オーストリア・ロシアにしても、盛り上がりが集中したのは首都で、市民層の青年が中心だったそうです。都市部でも下層ではさほど盛り上がらず、農村部では、収穫期ということで不満の広がりも見られたそうです。ただ、開戦当初には、参戦反対や徴兵忌避はほとんどなかったそうです。これは、「国民化」がある程度以上進展していたことを示しているようです。

 開戦とともに排外主義も高まり、「敵性外国語」追放運動も広がりました。第二次世界大戦中の日本と同様のことが、当時ヨーロッパでも起きたわけです。これと関連しますが、戦争が長期化して不満が高まっていくと、国家の内部に「潜在的な敵性民族」が見出され、排撃の対象になることもありました。ユダヤ人はその代表例で、ドイツでもロシアでも大戦中に反ユダヤ主義が盛り上がっていきました。ドイツにおけるナチスの台頭も、そうした文脈で把握しなければならないのでしょう。

 開戦当初は、各国とも短期間での決着を想定していましたが、その思惑が外れると、各国ともに長期戦に備えた体制を構築していかねばなりませんでした。戦争が長期化した理由として、開戦当初から被害が甚大だったこともあり、その見返りとしての領土割譲や賠償金がなければ、世論が納得しないだろうと懸念されたことがあるようです。この過程で、各国とも社会・経済・政治体制が変容していきます。開戦により問題となったのは、各国の事情により差はあるものの、食糧・工業労働力・原料の確保でした。経済封鎖や通商妨害などにより、食糧・原料の調達が困難となり、それはドイツで顕著でした。こうした問題を解消するために、国家が経済体制に強力に介入していくようになります。こうした動向が、国民国家をさらに確固たるものにしていった、という側面があるようです。

 このような国家による統制強化が進んでいったことを、現代では総力戦という概念で把握しており、それは大戦後期のドイツにおいて顕著だった、とされています。しかし、総力戦という用語がいつから使われ始めたのか、はっきりしないそうです。さらに、総力戦という用語が使われ始めた当初は、それは第一次世界大戦における戦時体制を意味していたのではなく、将来の戦争および戦時体制を想定していたのだ、とする見解も提示されているようです。総力戦という概念が広まった契機となったのは、第二次世界大戦中のドイツのプロパガンダだったそうです。

 戦車・航空機・毒ガスといった新兵器が第一次世界大戦で投入されたことはよく知られているでしょうが、戦車・航空機が兵士に与えた心理的影響は大きかったものの、まだ性能が低く、量産体制も整っていなかったことから、第二次世界大戦と比較すると、影響力はずっと低かったようです。したがって、制空権の制圧が戦争の帰趨を左右するようなことはありませんでした。毒ガスによる被害は当初甚大だったものの、ガスマスクの改良などにより、その効果は第一次世界大戦後半には低下していったようです。

 大戦中の兵士の意識と社会構造の流動性について、近年ではじゅうらいの見解が見直されつつあるようです。前線の兵士や部隊はかなりの頻度で交替しており、前線でも最前線にいるのは三分の一程度で、三分の二は後方で待機したり休養していたりしたそうです。また、兵士が休暇で帰郷したり、軍需工場に戻されたりすることもあったそうです。前線と銃後の関係や軍の配置・構成は流動的であり、それらを固定的に把握してきたじゅうらいの見解が見直されつつある、とのことです。

 日本では第一次世界大戦への関心が低いことは、本書でも指摘されています。国内が戦場になったわけではなく、戦闘の規模が日清戦争と比較しても大きくなく、実質的な戦闘期間も短かったことから、それは仕方のないところもあると言えるでしょう。日本は日英同盟を根拠に連合国側として参戦しましたが、ドイツ支配層(の一部?)は1917年初頭の時点でも、日本を同盟国側に引き込める、と考えていたようです(ツィマーマン電報事件)。ただ、ドイツが何を見返りに日本を同盟国側に引き込もうとしていたのかは、明らかになっていません。

 戦後処理に関しては、ヴェルサイユ条約の評価の見直しが紹介されています。ヴェルサイユ条約がドイツにたいしてあまりにも厳しい条件を突きつけたことが、後にドイツにおけるナチスの台頭をもたらした、との理解が一般には根強いように思われます。しかし、賠償総額はヴェルサイユ条約に明記されておらず、総額と支払方法に問題があったにせよ、交渉によって修正可能であり、じっさい緩和されたことが指摘されています。また、ドイツ本土は基本的に保全され、経済構造も手つかずだったことなど、ドイツに有利だった点がドイツでは無視されていることも指摘されています。

 本書は第一次世界大戦の意義として、いくつかの転換を挙げています。まず、ヨーロッパ列強の中心的支配体制から多元的世界への転換の始まりとなりました。国際社会の構成単位が帝国から国民国家に移行したことも重要で、この流れはアフリカ・アジアの植民地独立運動へとつながっていきます。国民国家の統合力が高まっていったことも重要で、それは戦死者墓地の建立や追悼式典などにより強化されていきました。これは、国民の政治への参加意欲の高まりとも関連しており、総力戦が民主化を進めたという側面もあります。国民国家の統合力の高まりは、福祉国家化も推進しました。現代社会・国家の起点として、第一次世界大戦が重要であることがよく分かります。

 ヨーロッパの地位が低下したのも第一次世界大戦の意義の一つです。近代文明の先導者として明るい未来を提示し続けてきたヨーロッパが大殺戮の舞台になったことは、ヨーロッパ近代への信頼を揺るがし、それを再考させることになりました。19世紀的ヨーロッパ市民社会・文化への懐疑が強まり、市民社会の主導的イデオロギーたる自由主義も失墜しました。これには、第一次世界大戦で大量のエリート予備軍が死んだこととも関係しているようです。こうした結果として、大衆社会への道が開かれました。

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