須田一弘「移動から定住へ パプアニューギニア山麓部の事例から」『人類の移動誌』第4章第4節
印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、パプアニューギニアのクボ語集団の事例から、遊動型と定住型で人類社会がどのように変わるのか、見通しを提示しています。クボ語集団のシウハマソン集落の特徴は、資源利用にさいしての柔軟性です。ここでは父系親族集団が土地所有の単位となっており、半数以上の世帯は現在の集落の近くに土地を所有していませんが、土地の貸し借りがきわめて柔軟に行なわれており、土地所有者が借りる側からの要求を拒否することはありませんし、収穫物の贈与のような借用に伴う義務もありません。野生動植物の利用に関しても、同様にきわめて柔軟です。
しかし、同じクボ語集団の1980年代のグワイマシ集落では事情が異なるようです。ここではバナナなどで世帯間の生産量の差が大きいことが指摘されています。しかし一方で、直接的な分配や交換により、その差が相殺されていたことも指摘されています。両集落の違いは、遊動から定住へと生活が変化したことと関係している、と本論文は指摘しています。かつてのようなロングハウスでの生活を色濃く残している1980年代のグワイマシ集落では、中心的構成員のほとんどが周囲の土地の所有権を持っており、他者から土地を借りる必要はなく、ゲストである移住者には、ホストたる中心的メンバーがゲストに食物を分配することでその生存を保証していました。焼畑農耕により、数年単位での遊動と離合集散が生じるため、ホストとゲストの入れ替わる機会が多く生じるので、短期的には一方的な配分でも、長期的には双方向の交換として平準化する機能を有していた、とのことです。
しかし、政府による定住化政策により、複数のロングハウスを集めて定住集落が作られるようになると、土地をはじめとする資源所有の不均衡が永続化することになります。その結果としてホストとゲストが固定化する事態を回避するために、所有権のない世帯にも耕作のような資源利用の権利を拡大し、その生産を保証することにより、生産と交換の不均衡が解消された、と本論文は指摘しています。それがシウハマソン集落だった、というわけです。グワイマシ集落も1990年代半ばになると、定住的な集落へと移行していき、シウハマソン集落のような柔軟な資源利用が見られるようになった、とのことです。
本論文はこのパプアニューギニアのクボ語集団の事例から、遊動社会と定住社会における資源利用についての見通しを提示しています。遊動社会の代表例たる狩猟採集生活では、新規加入者への資源利用の柔軟な対応により、互恵的な関係が築かれていたのではないか、と本論文は指摘しています。農耕社会でも、焼畑農耕では、遊動的な性格が強くなります。しかし、焼畑農耕では食糧の確保まで時間を要するので、先住者が新規加入者に食糧を分配することで生活を保障していたのではないか、と本論文は推測しています。短期的には一方的な供給関係でも、耕地を頻繁に替えていく必要から生じる離合集散により、長期的には互恵的になるのではないか、というわけです。農耕のような定住社会では、資源の所有者と非所有者が入れ替わる可能性が低くなります。その結果、我々がよく知っているような不平等社会が形成されていきます。そうした場合でも、平等主義志向の強い社会では、耕地の使用のような資源利用を開放することにより、平等性を維持しようとしたのではないか、というのが本書の見通しです。
参考文献:
須田一弘(2014)「移動から定住へ パプアニューギニア山麓部の事例から」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第4章「アメリカ大陸・オセアニアへ」第4節P246-257
しかし、同じクボ語集団の1980年代のグワイマシ集落では事情が異なるようです。ここではバナナなどで世帯間の生産量の差が大きいことが指摘されています。しかし一方で、直接的な分配や交換により、その差が相殺されていたことも指摘されています。両集落の違いは、遊動から定住へと生活が変化したことと関係している、と本論文は指摘しています。かつてのようなロングハウスでの生活を色濃く残している1980年代のグワイマシ集落では、中心的構成員のほとんどが周囲の土地の所有権を持っており、他者から土地を借りる必要はなく、ゲストである移住者には、ホストたる中心的メンバーがゲストに食物を分配することでその生存を保証していました。焼畑農耕により、数年単位での遊動と離合集散が生じるため、ホストとゲストの入れ替わる機会が多く生じるので、短期的には一方的な配分でも、長期的には双方向の交換として平準化する機能を有していた、とのことです。
しかし、政府による定住化政策により、複数のロングハウスを集めて定住集落が作られるようになると、土地をはじめとする資源所有の不均衡が永続化することになります。その結果としてホストとゲストが固定化する事態を回避するために、所有権のない世帯にも耕作のような資源利用の権利を拡大し、その生産を保証することにより、生産と交換の不均衡が解消された、と本論文は指摘しています。それがシウハマソン集落だった、というわけです。グワイマシ集落も1990年代半ばになると、定住的な集落へと移行していき、シウハマソン集落のような柔軟な資源利用が見られるようになった、とのことです。
本論文はこのパプアニューギニアのクボ語集団の事例から、遊動社会と定住社会における資源利用についての見通しを提示しています。遊動社会の代表例たる狩猟採集生活では、新規加入者への資源利用の柔軟な対応により、互恵的な関係が築かれていたのではないか、と本論文は指摘しています。農耕社会でも、焼畑農耕では、遊動的な性格が強くなります。しかし、焼畑農耕では食糧の確保まで時間を要するので、先住者が新規加入者に食糧を分配することで生活を保障していたのではないか、と本論文は推測しています。短期的には一方的な供給関係でも、耕地を頻繁に替えていく必要から生じる離合集散により、長期的には互恵的になるのではないか、というわけです。農耕のような定住社会では、資源の所有者と非所有者が入れ替わる可能性が低くなります。その結果、我々がよく知っているような不平等社会が形成されていきます。そうした場合でも、平等主義志向の強い社会では、耕地の使用のような資源利用を開放することにより、平等性を維持しようとしたのではないか、というのが本書の見通しです。
参考文献:
須田一弘(2014)「移動から定住へ パプアニューギニア山麓部の事例から」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第4章「アメリカ大陸・オセアニアへ」第4節P246-257
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