『天智と天武~新説・日本書紀~』第45話「大海戦」

 『ビッグコミック』2014年7月25日号掲載分の感想です。前回は、663年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)8月28日、濃霧の中で倭(日本)水軍が進撃を開始し、その前方に唐水軍の巨大な船がぼんやりと見えてきたところで終了しました。今回は巻頭カラーとなり、唐水軍の巨大な船がはっきりと見えてきて、中大兄皇子がそれを茫然と見上げる場面から始まります。いよいよ大和(倭、日本)水軍400艘と唐水軍170艘の決戦となります。

 唐水軍の船があまりにも巨大なので茫然としていた中大兄皇子ですが、正気に戻り、兵士たちに矢を射るよう命じます。しかし、矢は撥ねかえされるばかりで、まったく打撃を与えられません。中大兄皇子は火の弾を投ずるよう命じますが、こちらも撥ねかえされるばかりです。唐水軍の巨大船は装甲という設定なのでしょうか。焦った中大兄皇子は、敵船に乗り込むよう命じます。接近する倭水軍の小型船に、唐水軍は巨石を落として破壊し、さらには矢と火をつけた弩を射かけてきたため、倭水軍の船は破壊されたり炎上したりし、兵士たちは次々と倒れていきます。

 倭水軍の漕ぎ手たちにも、唐水軍に挟み撃ちにされ、唐水軍の巨大船に自軍がやられている状況が見えていました。中大兄皇子は発狂したかのように叫び、乗り込んできた唐水軍の兵士たちを次々と斬り殺していきます。苦しい状況のなか、中大兄皇子は唐水軍の巨大船の横につけるよう命じ、自身が乗り込もうとします。しかし、船の残骸が邪魔で思うように動かせません。近づく唐水軍の巨大船を前に、中大兄皇子は茫然として為す術がありません。

 唐水軍の巨大船が中大兄皇子の乗る指揮艦に衝突し、船は破壊されてしまいます。船内に浸水してきたものの、大海人皇子は鎖でつながれているため逃げることができません。こんなところで死ぬわけにはいかない、と言う大海人皇子を救ったのは、蘇我石川麻呂とその遺志を継いだ大海人皇子の依頼により蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)を作った新羅の仏師でした。斧で鎖を断ち切って何とか脱出した大海人皇子は、仏師に感謝します。

 早く脱出するよう促す仏師に、大海人皇子は他の指揮官・兵士たちの安否を尋ねます。仏師は、船上も海上も大混乱で阿鼻叫喚の地獄絵図だ、と答えます。脱出する大海人皇子の眼前には、多数の倭軍兵士倒れていました。大海人皇子は、その様子に茫然とします。甲板に上がった大海人皇子が、茫然と立ち尽くす中大兄皇子に気づく、というところで今回は終了です。


 今回はついに白村江の戦いが描かれ、倭水軍の惨敗は確定したものの、次回も戦場の描写が続きそうです。唐水軍の描写がどこまで史実を反映しているのか、私の見識では的確な判断ができませんが、漫画の表現としてはたいへん迫力がありました。大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、この絶体絶命の状況下で中大兄皇子と大海人皇子(と今回は登場しなかった、現時点で唐側に幽閉されている豊璋)がどのように脱出して倭に帰還するのか、次回以降の展開が大いに気になるところです。

 大海人皇子にとって中大兄皇子は父(蘇我入鹿)の仇ではありますが、これまでの発言からすると、中大兄皇子を殺そうとは考えておらず、失脚させて自身が父の理想を実現するというのが現時点での目標なのかな、と思います。この絶体絶命の状況下で、大海人皇子が中大兄皇子を殺すことは比較的容易かもしれませんが、自身も生還したいと考えていますし、自分だけ生還すると兄殺しとの評判が立ちかねないという判断もあるでしょうから、中大兄皇子を救うというか、共に生還しようと奮闘するのでしょう。

 ただ、作風からして、それで敵対してきた二人が和解し、兄弟愛が芽生える・・・という展開にはならないように思います。白村江の敗戦の後、強硬な主戦論者だった中大兄皇子の権威が大いに傷つく一方で、終始非戦論者だった大海人皇子の権威は高まるでしょうから、中大兄皇子がこれまでよりもずっと大海人皇子に配慮するようになるものの、それ故に中大兄皇子は大海人皇子をますます憎むようになる、という展開になるのかもしれません。

 今回は中大兄皇子の間抜けなところや惨めなところが強調された感があります。中大兄皇子が「怪物化」していったのも、神の加護があると増長していったことも、白村江の戦いでの惨めな様子を強調するための物語構成だったのかな、とも思います。この作品の表題は「天智と天武」ですが、物語の視点は基本的に大海人皇子(天武天皇)側に置かれているので、中大兄皇子の人物造形が不遇になるのは仕方ないのかな、とも思います。

 群臣たちのなかには大海人皇子が中大兄皇子の下僕だったことを知っている者もいますし、大海人皇子の実父が蘇我入鹿だということも、公然の秘密になっていることを示唆する描写もありました(第37話)。作中の大海人皇子は、すでに母の斉明帝(皇極帝)により群臣の前で皇子だと公表され、中大兄皇子の娘である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹を妻とするなど、一定以上の公的な政治的基盤はある、と言えるでしょう。

 しかし、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹は、二人の母方祖父の蘇我石川麻呂の一件以来、父の中大兄皇子から疎んじられていたようですから、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と大海人皇子との婚姻も、二人の父の中大兄皇子による厄介払いという側面が多分にあったようです(第17話)。また中大兄皇子には、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の従者を通じて大海人皇子を監視する意図もあったのかもしれません。作中で今のところ大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の仲が良さそうなのは、大田皇女が幼少時に母方祖父の蘇我石川麻呂の仇討を大海人皇子に依頼したことも大きいのでしょうが、三人ともに中大兄皇子から疎んじられる立場にあるからなのかもしれません。

 作中では、今のところ一定以上の公的な政治的基盤があるとはいっても、異父兄の中大兄皇子の権勢に遠く及ばない大海人皇子が、(大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから)中大兄皇子(天智帝)の後継者争いたる壬申の乱で勝利し、都が近江から飛鳥へと戻ったことからも、物語としては、中大兄皇子の失政・権威失墜を描かないと説得力に欠ける感は否めないでしょう。その意味で、白村江の戦いでの中大兄皇子の無様な姿は物語上必要なのかな、とは思います。

 もっとも、中大兄皇子も、その死まで単に無様な姿を見せ続けることはないでしょう。中大兄皇子は近江への遷都など権威の回復・確立に必死になり、それがある程度以上は成果を収めたので、正式に即位する、という話の展開になりそうです。この過程での兄弟の暗闘と、豊璋(作中では藤原鎌足と同一人物)の思惑・行動がどう絡んでいくのか、今後も大いに楽しみです。大海人皇子は鎌足の娘二人(氷上娘・五百重娘)を夫人としていますから、作中ではこれまで以上に大海人皇子と豊璋が接近することになりそうです。

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