佐々木史郎「シベリアに進出した狩人たち 北方狩猟民の寒冷地適応戦略」『人類の移動誌』第2章

 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、本来熱帯性の動物である現生人類(ホモ=サピエンス)が、他の人類よりも広範に寒冷な地域へと進出できた要因として、技術・生活様式の点で柔軟性が高かったからではないか、との見解を提示しています。考古学的証拠から、これは有力な見解と言ってよいでしょうが、それが先天的(遺伝的)な資質の違いに由来するのか、それとも集団規模や他集団との交流の頻度といった人口密度など社会構造の違いに起因するのか、まだ確定したとは言い難い状況でしょう。

 寒冷なシベリアに進出した人類の適応戦略として、本論文は毛皮の利用を挙げています。ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)など他の人類も毛皮を利用した可能性はあるでしょうが、現生人類の上部旧石器時代の遺跡からは針が発見されており、防寒性の高い毛皮が縫製されていたと推測されています。シベリアでは季節により利用できる資源の種類と量が大きく変化するので、ここでも現生人類の柔軟性が活かされたのかもしれません。

 本論文は、氷期終焉後のシベリア住民の適応戦略を4類型に区分しています。その一は北極海に近いにツンドラ地帯での大型獣狩猟戦略で、氷期の頃とあまり変わらなかったものの、そりの技術や家畜の所有により、移動性が高まります。その二は森林地帯の狩猟漁労戦略で、森林での狩猟採集と河川での漁撈を組み合わせた移動性の高い生活様式です。その三は河川での漁労に大きく依存する戦略で、定住性が高くなります。その四は海岸での海獣・漁撈に依存する戦略です。こちらも定住性が高くなります。

 本論文は、こうしたシベリアの住民に、遊牧民の国家が影響を与えたことも指摘し、その最終形態とも言えるロシア帝国とダイチングルン(大清帝国)に取り込まれたことにより、現在の「北方先住民族」が形成されていった、との見通しを提示しています。最後に本論文は、人類のシベリアへの進出は、資源を求めての「引き寄せモデル」でも、人口圧・資源枯渇・紛争などによる「押し出しモデル」でもなく、動き回っているうちに思っていた以上に寒くなる地域に予期せず進出してしまった「拡散モデル」として説明されるのではないか、との見解を提示しています。


参考文献:
佐々木史郎(2014)「シベリアに進出した狩人たち 北方狩猟民の寒冷地適応戦略」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第2章「アフリカからアジアへ」第4節P94-108

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