『天智と天武~新説・日本書紀~』第44話「白村江」

 『ビッグコミック』2014年7月10日号掲載分の感想です。前回は、663年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)8月27日、中大兄皇子・大海人皇子の率いる倭水軍が白村江に到達したところで終了しました。今回は、豊璋(豊王)が迎えに来ず、その件についての報告もないことを中大兄皇子が不審に思っている場面から始まります。

 白馬江を2~3刻さかのぼれば豊王のいる周留城に着きます、と配下の者から進言を受けた中大兄皇子は、何か行き違いがあったのだろうと考え、前軍から周留城に向かうよう指示し、自身は最後尾から行くことにします。すると大海人皇子が、豊璋が約束を違えるとは思えないので何かあったのかもしれないと言って、偵察を出して安全を確認すべきだ、と異を唱えます。何があったと考えているのだ、と中大兄皇子に問われた大海人皇子は、唐・新羅連合軍がこの地域に勢力を伸ばしているのではないか、と答えます。

 すると中大兄皇子は哄笑し、百済復興軍を侮るな、と言います。周留城の上流には水陸の要である加林城が、北には黒歯常之や遅受信のいる任存城があり、白馬江北岸地域は鬼室福信亡き後も頼りになる指揮官のもと盤石の体制だ、というわけです。大海人皇子はなおも異を唱えようとしますが、中大兄皇子は無視し、これから上流をさかのぼるので漕ぎ手を交代させろ、と命じます。兵士たちも意気軒昂で、倭水軍は戦意旺盛なようです。

 白馬江をさかのぼっている倭水軍の前衛部隊の指揮官は、風も止んで静かなものだ、と言います。その配下の兵は、両岸に丈の長い葦が生えていることに気づきます。すると、前方に唐の水軍が現れ、戦闘状態に入ります。やはり唐の水軍か、と言った大海人皇子にたいして、知っていたのか?と中大兄皇子は冷たく問い質します。しかし大海人皇子は焦った様子で、そんなことを言っている場合ではない、と言い返します。倭水軍の前衛部隊は一瞬怯みますが、指揮官が立て直して反撃します。

 中大兄皇子は苛立った様子で、劣勢となれば中軍も加勢しろ、と指示を出します。しかし、不意打ちを喰らったわりには善戦していることが分かると、中大兄皇子は冷静になり、さらに唐水軍が退却していったことから、我々に敵わないと分かったのだな、と余裕を見せます。深追いをしないほうがよい、と大海人皇子が中大兄皇子に進言すると、珍しく中大兄皇子はそれを聞き入れ、前軍に戻るよう指示します。しかし中大兄皇子は大海人皇子に、お前の進言を聞き入れたわけではない、敵の力も知り得たので、お楽しみはこれからだ、と余裕の表情で言います。

 その晩、船内では軍議が開かれました。唐水軍の奇襲に遭ったことから、唐の間者が報せたのではないか、との疑問が呈されます。さすがに敵の姿を見た時は驚いたが、100艘のうち10艘を失っただけであり、準備万端であれば勝てただろう、と中大兄皇子は言い、前衛部隊の指揮官に唐水軍について尋ねます。前衛部隊の指揮官は、唐水軍はあっという間に近づいて来た、上流からの潮の流れがかなり速いが、それ以外は大したこともなく、唐と言ってもあの程度だ、と答えます。

 他の諸将も、唐水軍は恐るるに足りない、我々の力を思い知っただろう、次はどう出てくるのか楽しみだ、と言って意気軒昂です。倭水軍は指揮官も兵士たちも、この時点では戦意旺盛なようです。この様子を見て大海人皇子が慎重論を唱えようとしたところ、中大兄皇子が迫力のある表情で、翌日早朝に全軍で突撃せよ、と指示を出します。大海人皇子が反対すると、中大兄皇子は見下したような表情で、お前の反対は聞き飽きた、と言います。

 すると大海人皇子はさらに疑問を呈し、出撃論に反対します。いるはずのない唐水軍がいたことをどう考えるのか、豊璋とは未だに連絡がとれず、物見も戻ってこないのだから、周留城はすでに唐軍が押さえているとみて間違いない、今日の海戦もあの程度の戦力と見せかけた囮の可能性がある、というわけです。何の方策もなく突撃するのは言語道断であり、我が軍は必ずや唐水軍の待ち伏せに遭い、壊滅的な損害を被るだろう、と大海人皇子は熱弁をふるいます。

 しかし中大兄皇子は冷淡で、どうすべきだと言うのか?と大海人皇子に尋ねます。大海人皇子は力強く、撤退しかない、と答えます。大海人皇子の撤退論に諸将も動揺しますが、中大兄皇子はますます意気盛んで、臆したか、情けない奴よ、と大海人皇子を罵倒します。お前の魂胆は分かっている、新羅と通じて我々の参戦を阻むのが目的だろう、今回も唐水軍がいたことを事前に知っていたとは、新羅の文武王(金法敏)とどんな密約をかわしたのだ、と中大兄皇子は大海人皇子に問い質します。

 本気で言っているのですか、と大海人皇子が反論すると、お前は信用ならず、朝廷を滅ぼしかねない、私への恨みは計り知れないからな、と中大兄皇子は言います。中大兄皇子は大海人皇子を縄で縛るよう配下の者に命じます。大海人皇子は諸将に発言を促しますが、諸将は中大兄皇子を怖れて沈黙します。中大兄皇子は大海人皇子に、お前のような奴が士気を下げて軍を敗走させるのだ、先に攻撃すれば、敵は自然に退却するのだ、と見下したような表情で冷酷に言い渡します。

 さらに中大兄皇子は、野望実現のためにはこんなところで手間取っているわけにはいかない、と言い出します。大海人皇子にその野望について問われた中大兄皇子は、高揚したような表情で、いずれ唐に攻め入って唐を征服し、大ヤマト(大和)帝国を建設し、自分が君臨するのだ、と宣言します。諸将も大海人皇子も、唖然とした表情で中大兄皇子の力強い唐征服宣言を聞き、黙り込んでしまいました。

 大海人皇子は他の船員たちとともに船を漕ぐよう命じられ、足は鎖でつながれてしまいます。大海人皇子を殺害せずにこの程度ですませるところが、冷酷で激情家の中大兄皇子の甘いところでもあり、(大海人皇子と容貌がそっくりな)蘇我入鹿への思慕に囚われていることを物語っているのでしょう。この様子を、大海人皇子の手配により乗船できた新羅の仏師(蘇我石川麻呂とその遺志を継いだ大海人皇子の依頼により蘇我入鹿を模した仏像を作りました。これが現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像となります)が、心配そうに見ていました。大海人皇子は新羅の仏師を見て仏像を思い出し、見守っていてください、と父の蘇我入鹿に祈ります。

 その頃、白村江沿岸にある豪族の家に幽閉されていた豊璋を、その兄の扶余隆が訪ね、夜が明けたらここからの眺めは見ものだ、唐水軍の力を嫌というほど思い知るだろう、それでお前も目が覚める、楽しみにしておけ、と言います。豊璋は中大兄皇子の身を案じます。翌日(663年8月28日)早朝、濃霧のなか、倭水軍は出撃しようとしていました。濃霧とはついている、奴らの鼻を明かしてやる、と中大兄皇子は言います。神は我らと共にある、臆せず進め、と中大兄皇子が奮起を促すと、軍の士気も高まったようです。濃霧のなか、進撃する倭水軍の前方に唐水軍の巨大な船がぼんやりと見えてきたところで、今回は終了です。


 今回はついに白村江の戦いの当日早朝まで話が進み、次回はいよいよ本格的に白村江の戦いが描かれるようです。次回は巻頭カラーのようで、予告は「次号大海戦!!」・「弊誌は、日本人のあり方、生き方を問う!!韓の地にて戦始まる!!!!!日本水軍四百隻を率いた司令官・中大兄皇子は、副官・大海人皇子の反対を退け、早朝をもって全軍突撃を命じる!しかし朝靄のなか、見えてきたのは・・・・・・!?日本の歴史上初めての対外戦争“白村江の戦い”・・・・・・その全貌が明らかに!!」となっています。

 やはり白村江の戦いは第一の山場(第二の山場はおそらく壬申の乱でしょう)との位置づけのようで、ここに至るまでの過程もかなり詳しく描かれており、盛り上げてきたな、と思います。今回というか、白村江の戦いへといたる一連の物語では、かなり創作が盛り込まれてきました。おそらく大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、ここまで盛り込まれてきた創作とどう決着をつけるのか、楽しみです。白村江の戦い自体は次回で終わりかもしれませんが、中大兄皇子・大海人皇子・豊璋という主要人物3名が倭に戻るまで、さらに数話要するのかもしれません。

 今回明らかになった創作でもっとも驚いたのは、唐を征服して大ヤマト帝国を建設するという中大兄皇子の構想です。まるで後世の豊臣秀吉のような構想ですが、さすがに中大兄皇子がこうした構想を抱いていた、とするのには無理があるでしょう。ただ、作中での物語の展開からは、神の加護を受けていると確信している中大兄皇子の(狂気を秘めた過剰な)自信の行きつく先というか増長の結果として、きょくたんに不自然とは思いませんでした。母親の斉明帝を殺してまでも百済救援に拘ったことも、中大兄皇子の自信というか狂気を深めていったのかな、とも思います。

 ただ、物語としてはそう解釈できるとしても、大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、どうやって話を通説に戻していくのか、創作の難しいところだと思います。まず、通説では中大兄皇子も大海人皇子も朝鮮半島へは出陣していないとされていますから、多数の兵士のみならず指揮官も戦死したなか、中大兄皇子と大海人皇子がどのように自国へ帰還できたのか、気になるところです。とくに大海人皇子は、足を鎖でつながれているわけですから、どうやって助かるのか、注目しています。

 唐に捕われて幽閉された豊璋も、この作品では藤原(中臣)鎌足と同一人物とされていますから、倭に戻って来るはずです。唐と倭との戦いが膠着状態となり、戦場が混乱したのでその隙に逃げ出した、という展開にはならないでしょうから、倭が大敗したなかで、豊璋がどのように解放されて倭に戻って来るのか、創作の見所になると思います。大海人皇子は中臣鎌足の娘二人(氷上娘・五百重娘)を夫人としていますから、新羅の文武王と面識のある大海人皇子が新羅の仲介で豊璋を救出し、大海人皇子と豊璋の仲がさらに接近するのでしょうか。

 中大兄皇子の唐征服構想には驚きましたが、白村江の戦いでの大敗でそれは雲散霧消するでしょうから、その反動で、中大兄皇子は唐に接近するというか、唐に倣った国造りを進める、という展開になりそうな気がします。この敗戦により作中では強硬な主戦論者だった中大兄皇子の権威が大いに傷つくことは間違いないでしょうから、中大兄皇子の即位が遅れることも、遷都がなされることも、中大兄皇子が権威を回復・確立することに懸命だったからだ、という文脈で解釈されるのかもしれません。

 逆に、終始唐・新羅との戦争に倭が巻き込まれることに反対し、唐の強大さを指摘していた大海人皇子の権威は、白村江の戦いの後に高まることになりそうです。大海人皇子が天智帝(中大兄皇子)の後継者争いである壬申の乱で勝てた基盤はそこにあり、まずは甲子の宣でその存在感を強く印象づけた、という話になりそうな気もします。長きに亘った白村江の戦いへといたる話もそろそろ終幕に近づいたでしょうから、白村江の戦いの後の展開も気になるところです。久しく登場していない蘇我赤兄も再び重要な役割を担うでしょうし、新たな人物も登場することでしょう。天智帝の大后(皇后)だった倭姫王の登場をずっと願っているのですが、どうなるでしょうか。

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